タウロス
都会のど真ん中の一角にある商業ビルから、
次々と人が外に出てくる。
それは水岡たち翡翠のペンタスの者によるものではない。
水岡はその大波の中で、
冴えない顔をしたサラリーマンがこけそうになりながら駆けていくのと一瞬目が合う。
サラリーマンという者はみな目が死んでおり冴えない顔をしているが、
この30後半くらいに見える男には何か別のものもあるような気がした。
だが、ここから抜け出そうとする様子は一般人のそれと同じであり、
念のため身構えて通り過ぎるのを待つと何事もなく、
他の者と同じように選抜者ではないことは明らかだった。
大きなイベントのような人の流れはものの10分ほどでおさまり、
人気のないロビーにポツンと数人が残された。
「完全にあぶり出されたな」
敵を討つべくここに残った者の1人である沢田は注意を呼びかける。
敵のボスがいる部屋はわかっているが、
エレベーターで向かうのはあまりにも愚かだ。
かといって階段を使うのも慎重にならなければいけない。
そこしか道がないのであれば、罠を張らない理由がない。
一般人がいなくなった今、
このビルごと葬るという手段もあったが、
残念ながらそれを自らの命を危険に晒すことなく安全に実行できる能力を持つ者は、
翡翠のペンタスにはいなかった。
感知に長けている者が先ほどの人混みを最大限に警戒したが、
人混みの中に選抜者はいないと判断している。
そしていま、人除けを発生させた誰かが、
こちらに照準を定めていることもわかっている。
それから処理しなければ全滅もありえる。
だが、じっとしていても敵の思う壺だ。
沢田が鶴の一声を上げる。
「それぞれ別の階段で上に向かおう。
俺たちはあそこの階段を使う!
あとはほかの階段を探し出してそこから向かってくれ」
敵のコア能力が発動していることは間違いないが、
彼らは、敵の大将を倒しにきたのだ。
敵の攻撃があることなどはなから百も承知。
攻めにきたのだから守りに入ってはいけない。
各々の班がすぐさま行動を開始する。
ライラック班は非常階段の表示が目に入ったため、
一目散にそこに向かった犬養に続いた。
分厚いドアを蹴破って階段に突入するも何も起こらない。
ひとまずは問題なく進めそうだ。
目が回るくらいに屈折階段を昇り、
敵の親玉がいるとされる12階に難なく辿り着く。
ほかの班もほぼ同時に階段を昇り切ったようなので、
通信をしてタイミングを合わせてドアを開け放った。
と言っても、それから廊下を進まなければ目的の部屋にはたどり着けない。
何も起きないようなので、それぞれの方向から同じ部屋を目指す。
奇襲をかけているのはこちらも同じだ。
こちらの存在に気付かれはしたが、
相手も大した準備はできなかったのだろう。
レッドコアズのリーダーのコア能力の1つは、
翡翠のペンタスを常に危険に晒している触れた物を消滅させるうえ、
一度放つと対象に当たるまで追尾する恐ろしいエネルギー物質を放つものだ。
だが、叶野の防衛能力により今は無力化されている。
問題は、もう1つのコア能力である。
それについては、情報を持っている者は誰一人おらず、まったく見当が付いていない。
片方は封じられているとはいえ、
腐ってもここまで互いに死闘を繰り広げてきた宿敵レッドコアズを束ねる者だ。
一筋縄ではいかないだろう。
初動はどうするべきか。
先手必勝でこちらから仕掛けるのか、一度様子見をするのか。
目的の部屋に向かいながら各々が一様にシミュレーションをしていた。
だが、いつまで経ってもその部屋にたどり着けないことに気付く。
水岡たちの場合、廊下を曲がってそれを真っすぐ進んでいるはずが、
先ほども見た無機質な白い壁紙と灰色の絨毯タイルの中に、
1つ目立つようにある剥がれかけたタイルが目に入る。
(これは、前に俺の家に一度帰ったときに遭ったものと同じコア能力……?)
水岡はすぐにピンときた。
だが、あのときの敵は間違いなくコアを破壊したはずだった。
一度立ち止まり他の班に通信を入れようとする。
こういった類の状況では遮断されるものだと思いダメ元で試みたが、
問題なくつながった。
「敵のコア能力だ。
同じところを何度も行ったり来たりしている」
ちょうど沢田から通信が入る。
どうやら他の班も同じだった。
他の班の誰かのこちらを呼ぶ声が直接聞こえてくる。
同じ空間にはいるらしい。
「これは前にも経験したことあるわ。
おそらく敵は近くに潜んでる。
そいつを見つけ出して叩けば脱出できるはずよ」
やはり華憐も同じことを考えていたようだ。
言われるまでもなくその対処法は想像がついていたので、
他の班もすぐに周囲に気を配り始めている。
それから10分ほど経過するも、
結果として何も発見できなかった。
「おかしい……
なぜ何も起こらないんだ……?」
前に体験したものとは何かが違う。
水岡は焦りを感じてきた。
それに、ここに来てから常に誰かに見られている気がしている。
見られているというより、
観測されていると言った方が近い。
少々乱暴だが壁を破壊して突き進むという手段も試みたが、
なぜかビクともしなかった。
「ちくしょう。
逃げるための時間稼ぎか?」
「たぶん違う。
それなら最初の騒動のときに逃げてるはずだ。
それにやろうと思えば、
窓を破って派手に脱出することもできるかもしれないぞ」
沢田たちエーデルワイス班の動揺がこちらにも伝わってくる。
術中に嵌っているのは確かだが、
依然として攻撃らしい攻撃をしてこないのが不気味だった。
廊下の角を曲がると、もといた廊下に戻ってきてしまう。
そこで、1人が立ち止まり他の人間が曲がり角で停止して向かう先と後ろを見てみる。
すると、どちらにも同じ人物が見える。
グロリオサ班はこの歪みに突破口を見出そうとしていた。
そこへ大きなコア能力の反応を感じ取ったかと思うと爆音が響く。
体がビクつき身構えるが杞憂だった。
「俺たちエーデルワイス班で壁を破ろうとしてみたがビクともしない。
おそらくこれはそういうものなんだろう。
何か仕掛けを解かないと脱出はできなさそうだ」
沢田の通信が入る。
ライラック班でも同じことを試していたがやはり何も起きない。
(少しだけどはっきりと感じる。
敵は近くにいるけど近くにいない。
どういうことね)
ウェンは目を閉じてわずかに感じる赤いコアへの反応のありかを探り出そうとしている。
それに気付いた沢田たちは万が一にも邪魔が入らないように、
静かに周囲に気を配りウェンを最大限集中させる。
1分ほど経ち、ウェンが口を開いた。
「たぶん、これをやってる敵の位置がわかったね」
ウェンは目を開いていた。
「ここは奴がいるのとは違う空間ね。
ここだけ別ね。
だけど、近くにはいる」
「つまり結界みたいなものに閉じ込められたってことか。
それでその外いる敵をブン殴らねえと出られないってか」
同じエーデルワイス班の野内はそれを実行する方法までは思いつかなかった。
これに対処できるコア能力が必要だ。
だが、そんなものは今いるこの面子では思い当たらない。
沢田がそれを他の班にも伝える。
すると、グロリオサ班に名乗りを上げる者がいた。
「できるかもしれない」
「本当か?
だけど俺の知ってる限りじゃ秋吉の能力じゃ……」
秋吉は次世代型のコアを持っている。
そのコア能力はいつでもどこでも剣を出現させるものだった。
剣を使っての戦いが基本となる。
とてつもない威力を持った光線や身体強化がありふれているこの戦争においては、
地味なコア能力ではあるが、
単純ゆえに使い勝手がよく決して侮れるものではない。
剣を出現させるだけでなく、
その扱いまでもが長年の愛車を乗り回すが如く熟練した状態になり、
敵は達人を相手にすることになる。
一度接近を許してしまえば致命傷は必至である。
タメが必要な場合が多く放出される類のビーム系と違い、
一度出せば永続的にかつすぐに脅威を振り回すことのできるそれは、
対峙してみて初めてその恐ろしさがわかる。
しかしそのときにはもう遅い。
まだ翡翠のペンタスに加入して時間は経っていなかったが、
それなりの戦果を上げつつあった。
それでも本人はそのコア能力に不満があった。
次世代型には強力なコア能力が多いが、
その中でも地味な点などは小さな問題である。
もっとも不満があったのは、
自動で扱いが熟練してしまう点である。
秋吉は小学生の頃からやっている剣道を、
30代になった今も続けている。
高校時代にはインターハイで準優勝を果たしたこともあり、
そこらのナイフを持った暴漢でも、
傘1本持っていれば一瞬で制圧できるという自信とそれに違わない実力を持っている。
そんな彼にとっては、剣さえ出せればよいのであって、
自動で腕が上達する機能など余計なものでしかなかった。
ただ、実際のところは、
放たれた弾丸をすべて剣で撃ち落とすのは人間業ではなく、
アニメや漫画の世界でしかできることではない。
そのレベルの神業をも可能にするレベルで強制的に術者を上達させる。
だがそれは、本人にとって自らの誇りを傷つける百害あって一利なしで、
反吐以下のお荷物でしかなかった。
そしてここにきて、剣を振るう以外の方法での活用が思い浮かんだのだ。
「俺のコア能力は剣を出現させるものだ。
それを敵の頭上にやって串刺しにできないか試したい」
不可能を可能にすると言われている次世代型のコアを持つ秋吉だからこそ、
決しておとぎ話ではないようにみなが思えた。
「俺も手伝う。やってみよう」
グロリオサ班の要とも言える江本も肩を押す。
そのコア能力は他者のコア能力の出力を上げるものである。
身体強化はできないが、
その上昇幅は目を見張るものがあり、
真坂を継ぐものと名高い。
高校時代のかつての栄光は伊達ではなく、
すでに秋吉は恐るべき集中力で敵の位置をわずかに感じながら、
剣を突き出そうと深く念じ始めている。
そこへ江本が肩に手を乗せ、
同じく念じるように目を閉じて体を翡翠色にまばゆく発光させる。
(いつもよりクリアに世界を感じることができる……
今なら一度に10本くらい剣を出せそうだ。
やっぱり江本さんはすごいな)
だが、今回は量より質である。
ただ1本でも敵の懐に届けばよい。
その1本は果てしなく遠く感じた。
もっと精神を落ち着ける必要がある。
より深く意識を鎮めて深呼吸をする。
集中力においては達人級と言っても過言ではない。
(まだ足りないか……)
江本は気を抜けば自分の魂までも持っていかれそうなほどに、
秋吉に力を注いでいる。
彼ら2人の放つ翡翠色の光は、
より濃くなり群青色にまでなっていた。
これ以上は危険だと江本が制止しようとした寸前、
秋吉の脳裏に一点の光が差した。
わずかに感じる敵の位置近くに、
これまでにない感覚の物体を出現させようとしているのがわかる。
それはすでに先端をこの現世に現わしていた。
秋吉は気付いたのだ。
自身のコア能力は剣を出すことではない。
敵を斬るためのものであることに。
今まさに絶対に安全だと思われた自分に脅威が迫っていることを、
レッドコアズのタウロスは知る由もなかった。
そこそこ集中力が必要で、
閉じ込めた中の様子も常に把握できるわけではなく、
制限の多い能力ではあるが、
攻め込んできた敵すべてをうまくハメることができ、
予想以上の成果を得て自信満々に椅子に腰かけている。
永久に維持できるわけではなく、彼自身にも限界があるが、
ある程度閉じ込めておければあとはボスがやってくれる。
実はけっこう楽な仕事なのではないかと思えてきて、俄然気分がよくなっていた。
そんな彼の頭上に秋吉の執念が込められた剣が突如突き出てくる。
凄まじいエネルギーを持っていることが一般人にもわかるレベルのものであるため、すぐに気付いた。
とっさに飛び退くようにその場を離れるが、左足をかすめる。
「うっ」
間一髪で回避はできたがかすり傷を負い、
能力にわずかな乱れが生じる。
それは閉鎖空間の歪みとなって、
ちょうどライラック班の目の前に現れる。
一番近いのは水岡だ。
一瞬何が起こったかわからなかったが、
直観的にそこに飛び込もうとする。
動き始めたときにはすでに歪みによって生じた穴は塞がれ始めていた。
(わずかに間に合わない……!!)
無理かと思ったとき、
背中から衝撃を受けながら、
吹っ飛ばされるように閉じゆく穴に滑り込むことができたのだった。




