北瀬麻衣子
南禅寺に新たに確認されたレッドコアズ側の構成員の詳細を報告し終え、
ひとまず自室へ戻る途中、
水岡は見慣れない女性とすれ違った。
肌は透き通るように白く、対照的なその艷やかで真っ黒な髪がそれをより一層際立たせている。
そして何よりそのどこかもの悲しげな表情が、
その顔の美しさに儚さを加えることで人目を引くには十分であった。
部屋まで着いて来ると言った華憐と目が合うと、
互いに軽く会釈してすれ違った。
少しして後ろを振り返り、
その姿が角に消えていくのを確認すると、水岡は尋ねる。
「さっきの人、見たことないですけど新しく来た人ですか?」
その問いに華憐は意外そうに答える。
「あれ?知らなかった?
さっきの人が麻衣子さんよ。
治療専門の」
直接会話をしたことがないため知らないのも無理はない。
突然のことだったのでパズルのピースが埋まったような感覚と驚きとの中で、
なんとも言えない返事をする。
そこで、思い出したように180度後ろを向き、駆けてその後を追う。
「あ、あの……!」
見失うことなくすぐに見つけることができ、
後ろから声をかける。
北瀬麻衣子は呼び止められる覚えがないため、
きょとんとしながら振り向く。
「私ですか?」
「ボクは水岡って言います。
この前は治療してくれてありがとうございました。
ずっとお礼が言いたかったんです」
はきはきとした声で姿勢を整え頭を下げた。
麻衣子はどうしたらいいかわからずおどおどとしている。
「そんな……
顔を上げてください。
私は私のやるべきことをやっただけです」
「でも、治療するのには大変な負担がかかってるって聞きました。
お礼を言わないわけにはいかないです」
顔を上げながらも、言葉では言い表せないほどの謝意を伝えようとする姿勢は崩さない。
このとき水岡はまじまじと麻衣子の顔を見たが、
確かにどこか虚ろな気配は漂っているものの、
発狂するほどに自らを追い込んででも、
仲間の治療に当たる強い意思と影を抱えているようには思えない程度の明るさはあった。
人は見かけによらないということだろう。
「この恩はいつか必ず返します。
何かできることがあれば言ってください」
「わ、わかったからもうやめて……」
どうやら麻衣子は行動自体は豪胆と言っても過言ではないが、
人と接するときは臆病なほどに謙虚なようだった。
「政人くん、ここにいたのね」
やがて華憐がやってきた。
なんだか肩透かしを食らったような表情の水岡と、
おどおどした麻衣子を見て状況を察する。
以前に、水岡が麻衣子に会うことがあったらお礼を言いたいと言っていたのを、
きっちりと覚えていた。
「なるほど。そういうことね。
政人くん、麻衣子さんはかなりの恥ずかしがり屋さんだから、
その辺にしてあげて。
あなたの思いは十分伝わってると思うわ」
言われて水岡ははっとする。
これじゃタチの悪いナンパと変わらない。
なぜか感謝を述べることに必死になっていたようだ。
水岡にとっては命の恩人のように感じており、
力んでしまうのも無理はなかったが。
「いきなりですいませんでした」
一歩下がってまたも頭を下げる。
それが余計に麻衣子を困惑させるのが華憐にとってはおかしくてしょうがなかった。
「あ、あの私……、次の任務がありますので……」
そう言って麻衣子は逃げるように去って行った。
華憐はこらえきれずに噴き出した。
「さ、部屋に戻りましょ」
「はい……」
なんだかえらく不器用な結果にはなったが、
華憐に促され水岡はおとなく自室に戻った。
――アジト近隣の林にて
「クソッ」
犬養は苛立ちを抑えきれずに、
そばにあった木に拳を打ちつけた。
コア能力を使ったわけではないが、木は大きく揺れていた。
(あのとき、俺はほとんど何もできなかった。
こんなんじゃ猿渡なんか到底殺れるわけがねえ)
犬養は壁にぶつかっていた。
選定に遭ってから、戦いに明け暮れる日々をここまで生き抜いてきたが、
あれほど歴然とした差を見せつけられたのは、
ジャッカルとの戦いが初めてのことだった。
今までは持ち前の鋭い勘と柔軟にコア能力を応用して先陣を切り、
それなりの戦果を上げてきたつもりだったが、
それらで何とかなるレベルではなかった。
あのように戦いの中での選択肢に迷いが生じたのが何よりの証左だ。
先のスキルスティーラーとの一戦では、
天花のコア能力が開花したと聞いている。
その証拠に体が群青色に発光した。
それを安定して発揮できるわけではなく、
彼女のメンタルによるところも大きいらしい。
それでも、犬養にとっては先を越されたという思いが大きい。
なんとか一筋の光明を得ようといつもの自主訓練場所に来ているのだが、
どうにも空回りしている。
それをあざ笑う猿渡の顔が目に浮かぶ。
これから先、あのレベルの敵との戦うことが増えてくるという予感がしている。
その中には猿渡も入ってくるかもしれない。
なんとしても猿渡だけは自身の手でけじめをつけないと、
死んでも死にきれないという半ば強迫観念じみた思いが犬養にはあり、
それが余計に苛立ちを加速させた。
まだその壁は超えられそうにない。
――とある日
水岡と天花は食堂の一角でノートを広げていた。
本来なら彼らは高校生であり、義務教育ではないものの、
受けるべき教育を受けられていない状況だ。
この戦いの行方はさておき、大人たちとしては見過ごせないということで、
各々が教えられそうなものがあれば授業代わりに教授することになっていた。
ここで教師役に推薦されたのが、年齢が比較的近く、
良い大学も出ていた紀尾や沢田であった。
頭の良さなら叶野の方が上かもしれないが、
頭の良さと教え方がうまいかどうかはまた別問題である。
むしろ、叶野にとってはわからないということがわからないのだ。
そんな彼の説明を聞いても遥か彼方の次元の話をされているのに等しい。
水岡たちにとって、大人たちの気遣いが何よりありがたかった。
(個別指導みたいなもんだな)
水岡は天花と2人で授業を受けながら、
思わず笑いそうになった。
「――いいかい?積分は公式さえ覚えておけば、
文系ならMARCHレベルでも割となんとかなる。
君たちがどの道に行くのかはわからないが、
概念くらいは理解しておいた方がいい」
「沢田さん、塾講みたい」
天花は公式を眺めながら呟く。
「あのなあ……
どうせ勉強するならそりゃ試験目線にもなるだろ」
この日はとても天気がよかった。
その様子を食堂のドアの隙間から眺めている集団の間には、
温かい微笑が漏れていた。




