翡翠のペンタス
水岡が目を覚ますと、そこには見慣れない天井があった。
上半身だけ起き上がるも頭がふらつく。
あれからどれくらい時間が経ったのかわからない。
そもそも夢だったのかもしれない。
周りを見るとどうやら医務室のようだ。
学校の保健室より一回り大きかった。
「あら、起きたのね」
声のした方を見ると華憐が座ってこちらを見ていた。
目が合うと微笑みが返ってくる。
「初めてコア能力を使うとこうなる人が多いのよ」
「ここは……?」
「私たちのアジトよ」
アジトなんていうものがこの現代にあるとは思わず、
水岡は目を丸くした。
ぼんやりとしていた意識ははっきりとしてくる。
そして、胃液が上ってくるのをなんとかこらえた。
激動の一日を生き抜いたことと、
犠牲になった学校の友人たちのことを思い出して俯いた。
「ここに来る前に起こったことは本当のことだったんですね」
華憐は椅子から立ち上がると、水岡を抱きしめた。
「辛いのね。わかるわ」
それからしばらくして、
水岡は華憐からここについておおまかな説明を受けた。
このアジトは、翡翠のペンタスの頭首が持っていた別荘を改造したものらしい。
至るところに監視カメラがある。
入口は特殊な造りで、
こちら側の陣営の選抜者が門番となり、
そのコア能力がないと侵入するのは困難らしい。
これからその頭首と会うべく向かっていた。
水岡はふと昨日の戦闘を思い出し声をかけた。
「華憐さん、傷は……?」
「もう治ったわ」
華憐は負傷していた左足を必要もないのに、
わざわざ見せつけるように高く上げた。
やや短めの赤いスカートを穿いているため、
白くて艶めかしい太ももとその先に視線が行きそうになるのをなんとかこらえる。
「これも何かの能力ですか?」
「そうね、それも話したいけどもうボスの部屋に着いたわ」
華憐は「ボス」という呼び方を好んで使っているようだ。
華憐はノックしてドアを開け、水岡を招き入れる。
「連れてきたわよ、ボス」
中に入るとそこは薄暗く、
パソコンや監視カメラのモニターからの光が辺りを薄く照らしている。
あちこちから小さなファンの音が聞こえる。
比喩ではなく、まさに監視室であった。
部屋の奥に大きなデスク用の椅子があり、それが回転してこちらを向く。
眼鏡をかけたやや不健康そうな痩せ型で、
40台前後とみられる男がこちらを向いた。
「やあ、君が新しい選抜者だね。
僕は叶野京史郎だ。
この翡翠のペンタスを束ねさせてもらっている。
よろしくね」
叶野は立ち上がって、周りにある椅子を引っ張り出してきた。
「ささ、立ち話もなんだから座りなよ」
2人が言われるがままデスク用の椅子に腰かけると、
少し古いのか軋む音が室内に響く。
叶野は明るい調子で説明を始めた。
「もう聞いているかもしれないが、
我々は願いを叶えるために戦っている。
死ぬかコアを破壊されれば失格になる。
そして、どちらかの勢力の人間がすべて失格になるまで戦わなければならないんだ。
お互いに何人もの人が既に失格になった」
水岡は昨日の戦闘を思い出し、嫌な汗が出てくる。
叶野はかまわず続ける。
「だが、いくら互いに数を減らしても、
選定はどこかで自然発生してしまう。
それもここ近辺でね。
そして、どこかで誰かが当たり前の日常を失う。
そう、君みたいにね」
周りのパソコンの反射のせいか、
その眼鏡が怪しく光ったように見えた。
「僕はとりあえずこちら側の人間である限りは、
助けに行って事情を話すべきだと考えている。
だから華憐くんたちに君を迎えに向かわせたんだ」
ここで、水岡にふとした疑問が湧いた。
口を開こうとすると、
それをわかっていたかのように、
叶野は言葉を止め水岡の質問を促した。
「でも、あれが自然発生しているなら、
どうして事前にわかったんですか?」
「いい質問だね。ここで僕の話に移るんだ」
叶野は笑いながら続けた。
「僕は頭首だが、ただ指揮するために頭首を名乗っているわけではないんだ。
互いの陣営には1人の頭首……あるいはボスだったり、
呼び名はなんでもいいけど、そういう存在がいる。
僕たちは君たち普通の選抜者と大きな違いが1つある。
それは自身のコア能力に加えて、
頭首固有のコア能力を持っていることなんだ」
叶野は椅子から身を乗り出して、
身振り手振りを交えて説明し始めた。
「厳密には固有のコア能力は2つある。
そのうちの1つで、選定が起こる場所を察知できる。
君の質問への答えはこれだ。
そして、もう1つのコア能力は実戦向きのものなんだ」
叶野は姿勢を戻して、机に置いてあったペットボトルに口を付けて一呼吸置く。
「次に、僕のコア能力の話をする前に班の話をしよう」
「班?」
水岡はきょとんとしながら復唱した。
「そうだ。
僕たちは何か行動をするときは、
その都度必ず班を組んで行動するようにしている。
これは戦争なんだ。
いつ敵に襲われるかわからない」
叶野は水岡がどのような反応をするか確かめるかのように言った。
だが、怯える様子もなく少し肩透かしをくらったようだった。
これでもう少し込み入った話をしても大丈夫そうだと判断し話を続ける。
「先に話しておくけど、
よく覚えておいてほしいのが、
この戦いに関わることを選抜者以外の誰かに話すと、
無条件で失格になってしまうんだ。
でも、自分から伝えようとしなければ問題ない。
たとえ街中でコア能力を使うところを見られても、
人除けのような効果が働いて自然とその場から人がいなくなるんだ。
しかもそのときの記憶は失われる。
だから自分から話したりしなければ、
普段はそこまで神経質になる必要はない」
水岡はさらに、失格になった選抜者は記憶を失うことを思い出した。
(集団失踪事件と集団記憶喪失はやっぱり繋がっていたんだ……)
このことを教えられなければ、
家族や警察に話してしまっていたと思い、少しヒヤヒヤした。
「本当はこれをまず君に伝えたかったんだ。
君が思ったよりも冷静だから早めにこの話に持っていけたよ。
それで、君はこれからどうしたいんだい?」
軽い調子で尋ねたが、
その眼鏡の下には鋭い眼光が光っていた。
「この戦いに勝てば、なんでも願いが叶うんですよね?」
「ああ、そう聞いて我々は命をかけて戦っている」
叶野の声のトーンが少し低くなる。
「学校のみんなを助けるために戦います」
考えるまでもなく即答した。
既に決めていたことだった。
「なるほど、
学校の友達を生き返らせるため、
我々と共に戦うということだね?」
水岡はこくりと頷いた。
「わかった。それでは歓迎するよ。
改めてよろしく」
叶野は元の朗らかな調子に戻って水岡と握手を交わした。
その後このほかにも長々と、
敵は本名ではなくコードネームで呼び合うようになっていることや、
最初期からの生き残りである彼自身が考えている戦略から、
さまざまなリスクについて聞かされた。
叶野の話を聞いていくうちに、
彼はかなり博識で聡明な人物であることを実感していた。
「だが、安心したまえ。
今まで全滅して誰一人帰ってこなかった班はない」
水岡はその言葉を聞いて少しだけ安心してほっとため息を吐く。
その様子を華憐は微笑まし気に見ている。
「じゃあ、叶野さんも何かの班に所属して行動することもあるんですか?」
「いい質問だね。
一部例外もいるんだ。
君はあれだけのケガがなぜ既に治っていると思う?」
水岡は自分の体を見回した。
必死に戦っていたから自分の傷を直接見たわけではなかったが、
言われてみると、あれだけの戦闘をこなしたのに、
体には傷一つ残っていなかった。
「たまたま治癒が可能なコア能力を持っている選抜者がいてね。
彼女にはここで待機して治療に専念してもらっているんだ」
「ぜひともこの後お礼を言いに行きたいです」
叶野の表情が曇った。
少し困ったような笑いを浮かべながら華憐と顔を見合わせる。
「うーん、それは今度にしておいた方がいいね」
水岡は首を傾げた。
それを華憐が優しくなだめるように説明する。
「北瀬麻衣子。
彼女のコア能力はね、
物理的なダメージを精神的なダメージに変える能力なの」
まだ水岡はきょとんとしている。
腑に落ちない彼に叶野が補足した。
「彼女が治療した君や華憐くんのダメージは、
精神的なダメージとして彼女がそのまま一気に引き受けている。
治療後にどういう状態になるのか一度も見たことがないけど、
僕は想像することさえ恐ろしいね」
北瀬麻衣子は普段は朗らかで誰にでも優しく、
黒髪で落ち着いた印象の控え目な美人らしい。
コア能力で治療をする際には、
程度によっては発狂するらしい。
ショックで自殺しないよう発作が収まるまで、
何もない部屋に自ら拘束され閉じ込もっているらしい。
本人からの要望でその中の様子は誰も見ていないが、
たまたまその部屋のそばを通ったところ、
この世のものとは思えないような叫び声が聞こえたとのことだった。
「それでも、いつかはちゃんとお礼を言おうと思います」
水岡はそう心に誓ったのであった。
「きっと彼女も喜ぶわ」
華憐は優しい笑みを浮かべる。
叶野はうんうんと大きく頷いた。
水岡もつられてはにかむ。
ここに来て初めて笑顔を見せた。
ここの人たちはきっといい人たちで信用できる、そう思えた。
叶野は照れ臭そうに頭をかきながら話を続ける。
「話を戻すようだけど、僕について話しておこう。
お察しのとおり僕はどの班にも属していない。
だから、基本的にここから出ない、
いや出れないと言ったところかな」
「どういうことですか?」
突然、叶野の体が翡翠色にまばゆく輝く。
水岡はここでコア能力を使うことに驚き身構える。
「ちょうどいい。見ていてくれ」
そう言うと右手を天にかざした。
それから数秒後、轟音が響き衝撃でアジトが少し揺れる。
「今のはちょうどここを狙ってきた敵の攻撃を防いだんだ。
僕の頭首固有のコア能力は防御だ。
初見の攻撃は自らの手で防ぐ必要があるけど、
一度防いだ攻撃はその後有効範囲にいれば、
自動で防げるようになるんだ」
この瞬間にも自分の命は狙われていることを自覚して、
水岡は背筋に寒気を感じた。
それと同時に、叶野の能力がボス向きの能力だったのは運がいいとも気付いた。
これならば、そうそう簡単には失格にならないだろうと思える。
「問題は敵の攻撃だ。
僕が今防いだのは、
一度放たれれば標的に当たるまで追尾する。
さらに、標的に当たるとそれを消滅させるものだ。
翡翠のペンタスに僕以外でこれを防げる者は今のところいない。
選定はなぜかこのまちの付近でばかり起こっている。
だからなんとか僕の能力で守ることができるといったところさ」
むしろ最前線に出て敵の攻撃を「学習」し、
防げる攻撃を増やして相手を詰ませていくべきではないかとも考えていたが、
なるほどと水岡は納得した。
敵の攻撃は1日に数回しかなく、
最近に至っては防がれるとわかったためか、
ほとんど撃ってこない日もあるらしい。
それでも、皆はこのアジトを根城にするしかない。
翡翠のペンタスは、叶野の存在によってかろうじて成り立つ綱渡り状態だったのだ。
「だが、我々もただ手をこまねいて防御に徹しているわけではない。
少しずつレッドコアズの情報を集めながら力を蓄えているんだ」
敵の攻撃から位置を逆探知しようと三角測量なども試みてはいるようだが、
どうにも尻尾を掴めないらしい。
このからくりを解くことが大きなヒントに繋がると読んでいるとのことだ。
それを聞いて思わず水岡は尋ねる。
「逆に、相手にここはバレないんですか??」
選抜者がコア能力を使えば、付近にいる者にはそれが伝わる。
その力が大きければ大きいほど、その感覚も強まるからだ。
「それは心配ない。
反応をかき消すコア能力者もいてね。
自動でジャミングをする。
なんとかここの安全は確保している」
水岡は先ほどから叶野の口調が時折仰々しくなることに気が付いた。
彼はおそらく意識して柔和な口調をすることに努めているのだろう。
たまに出るこの口調こそが彼の素なのだと悟る。
「ところで、叶野さんのコア能力の有効範囲はどれくらいなんですか?」
「僕から半径10キロくらいだね」
思ったよりは広いが、
逆に言うとそれが翡翠のペンタスが安全に行動できる限度でもあった。
「もちろん、僕が動けばその範囲は変わる。
だが、今はそのときでない。
任務上どうしても必要なときに少しだけ動くことはあるがね」
水岡はいつか来るそのときを想像して少し身震いした。
だが、彼にもまた叶えたい願いがある。
このまま突き進むしかない。
そこへ別の声が割って入る。
「そろそろ俺を紹介してくれてもいいんじゃないのかァ?」
3人のちょうど真ん中の位置に、
絵本に出てくる悪魔のような生物が現れた。
それは宙に浮いており、
常にニヤニヤとして何かをあざ笑うかのような笑みを浮かべている。
通常ならこんなおとぎ話の中でしか出てこないような存在に遭遇すれば、
大きく動揺するところだが、
既に非日常の中にいることを自覚していたため、
思ったより驚きはなく受け入れることができた。
そんな自分に水岡は驚きを感じている。
叶野は少しばつが悪そうに補足した。
「ああ、そうだったね。
紹介するよ。
こいつはこの戦争におけるガイドのような存在さ。
今日話すことのほかに気になることがあれば彼に聞けばいい。
僕たちは彼を見守る者と呼ぶ」
見守る者はフワフワと進み出た。
「俺に一度触れてくれ。
そうすれば、これからはいつでも俺を呼び出せるようになるぞォ」
言われるがままに、
恐る恐る指先でツンと見守る者に触れる。
すると、一瞬薄いオレンジ色の光が辺りを包んだ。
「よし、これで大丈夫だな。
俺は戦闘はできないが、
ガイドや話し相手くらいにはなれる。
いつでも気軽に呼び出してくれェ」
水岡は無言で頷いた。
聞くことは山ほどあるだろうと思ったが、
なんとなく必要以上には関わらない方がよさそうな気がした。
どうにも本能的に訴えてくる違和感があり、
信用する気にならない。
「あんまり色々話し過ぎても頭に入らないだろうから、
今日はこんなところにしようか。
では最後に……」
途中まで言いかけると、
叶野は左手を頭に当てて何かを推敲し始めた。
ちょっと待っててくれと言わんばかりに、水岡たちに右手を向けている。
数秒後、何かをひらめくと満足そうな顔で水岡に言った。
「君のコア能力は、組成する分解能と命名しよう」
水岡は少し戸惑いながら華憐の方を見るが、
にっこりと笑顔が返ってきただけだった。
「華憐くんの話から君のだいたいの能力は予想できた。
これは僕なりの歓迎さ。
他のみんなにもこうしてるんだ」
確かにコア能力には名前があったほうがいいかもしれないと思い、
ふと華憐にも聞いてみる。
「華憐さんのコア能力にも名前があるんですか?」
「シ、風を操る手よ」
俯いて少し赤面し咳払いしながら小声で言った。
叶野のネーミングには華憐も手を焼いているようだ。
気付いていないのか、
それをまったく気にも留めない満足げな様子で叶野は話を終わらせた。
「それで、まだ真昼間だけど今日はどうするつもりだい?」
「一度家に帰ります。
親も心配していると思いますし」
「そうか、そうだね。
それも必要だ。
再三になるが、くれぐれもこのことを話して失格にならないようにね。
華憐くん、誰かもう2人ほど呼んできて班を組んで送ってやってくれ」
「いえ……、悪いです」
「水岡くん、もう君は選抜者だ。
敵にとっては翡翠のペンタスの立派なメンバーなんだ。
いつどこで襲われるかわからない状況になっていることは、
よく理解しておいたほうがいい」
水岡はまだ自覚が足りなかったと反省した。
あの教室での出来事は紛れもない真実なのだ。
これからはそのような日常と常に隣り合わせになる。
「わかりました。お願いします」
「うん。何か相談したいことがあったらいつでも来てくれ」
水岡は礼を言うと華憐と部屋を出ていく。
2人が部屋を去った後、見守る者は、
意地の悪そうな笑みを浮かべながら問いかけた。
「あの新人はどのくらい減らしてくれるかねェ」
品定めをするように水岡の去った方向をニヤニヤと眺めている。
叶野の表情は既に先ほどの柔らかさは失われており、
眼鏡に隠されたその瞳の奥底にはどこか冷たさがあった。
「さあね」
返事は素っ気なかったが、
見守る者はそれでも楽しそうに続ける。
「あいつはどんな挫折を味わってここに来たんだろうなァ?」
そして、消えていった。
残された叶野は再びデスク用の椅子に深く座り込んだ。
そして、ぽつりと呟いた。
「さあな」




