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芹沢孝太郎

 毎朝おなじみの息の詰まるような満員電車の中。

 しがないサラリーマンの芹沢孝太郎はつり革に掴まり、

 かろうじて見える窓の外の移り行く景色を無言で見つめている。

 昨晩の帰宅した時刻は12時を回っていた。

 今日もおそらくそうなる。

 彼はいわゆる社畜であった。


(なんで俺は生きてるんだろう) 

 芹沢は電車に揺られながらぼんやりと考える。


(こんな生活、抜け出したいなあ……)

 叶うはずのない願いをいつものように心の中で呟く。

 毎日これを繰り返している。

 たとえただの妄想とわかっていてもそれを願わずにはいられない。

 それはあまりにも唐突に、想像だにしない形で叶うことになる。


 違和感が体中に走ったかと思うと、

 電車の屋根が突然ふっつりと消える。

 数秒風切り音が響いたあと、

 車内にどよめきが上がり、

 乗客たちは首をかしげながら天を見渡す。


 心なしか、吹き込んでくる風が嵐のように激しい気がする。

 一向に電車は止まる気配はない。

 満員電車で誰も動くことができない。

 かといってどうしたらいいかわからず、

 人々はただ空を見上げている。 


 しばらくすると、今度は座席の後ろ、

 窓や扉などの壁が消える。

 もたれかかっていた乗客の何人かが危うく車両の外に投げ出されそうになる。


 大きな怒号と悲鳴が上がるが、

 「大丈夫ですか」の掛け声とともにやがて静まっていく。

 どうやら幸運にも誰も落下していないようだ。


 電車は速度を落とす様子はなく、

 外に投げ出されれば命はない。

 車両の端の乗客は隣の車両に移ろうとしているが、

 ドアはまったく開かず隣の車両も同じ様子であった。


 芹沢は本能的に危機感を覚え、

 なんとなくつり革を両手で掴む。

 

 その直後、今度は車両の床が消える。

 芹沢は反射的に両手に力を込め体を浮かせ、

 目の前の座席のややはげかかったスーツの男性に足を延ばしてかまわず乗せようとする。

 進行方向側に立っていたサラリーマンたちの体がぶつかり芹沢に衝撃を与えたが、

 なんとか持ちこたえる。


 ほんの一瞬のことだったが、芹沢以外の大勢の乗客が線路上に落下し、

 一瞬の悲鳴と鈍い音を響かせる。

 芹沢は背中と足じゅうに生暖かい液体を浴びた。

 鉄臭いにおいが充満してくる。

 座っていた乗客と芹沢以外はみな地面ですりおろされた。

 しかし、それでも電車は止まる様子はなくそれどころか速度を上げていく。


(次にも何かが起こる……!

 おそらく次は……)


 他人の死を悲しんでいる余裕はない。

 芹沢は本能的に座席の上の網棚に登り始めた。

 目の前の男は先ほどから芹沢に踏まれているが、

 事態が事態なうえに理解が追いつかなかったため、

 ただただ茫然としているだけであった。


 芹沢が目の前の男を足場にして網棚に登り切ったときだった。

 ついには座席が消えた。

 

 今までの事態を傍観していた乗客らは全員高速の車両から線路に落下する。

 声を上げる暇もなく鈍い音を発しながら全員が肉塊になる。

 芹沢はたった今足をかけていた男性の末路こそ見ずにすんだが、

 同じく落下して前方の車両から振り落とされてきた若い女性と一瞬目が合う。

 その女はあっけに取られたような表情で横向きのまま地面に激突し、

 首をあさっての方向に曲げながら鈍い音を発して後方へと置き去りにされた。


 金網にしがみつく力が震えながらも強まる。

 足場も壁もなくなったがなぜか金網だけがその場に浮いており、

 電車は走行を続けている。

 台風でも経験したことのないようなすさまじい風が全身に吹き付けている。

 嗚咽を漏らしながら体を丸めて祈るような姿勢で必死に何かに縋っている。


 こうして、網棚にしがみついていた芹沢以外の乗客はみな布交じりのミンチとなった。


(もう逃げ場はない……

 このまま俺も終わるのか)


 息を切らしながら絶望していたときだった。

 急に辺りが真っ白になる。

 気付くと先ほどの景色が夢を見ていたように消え去り、

 線路上に一人ポツンと立っていた。


「今のは、何だったんだ……?」

 眠りから目覚めたような気分になり呆然としていると、

 3人組の男が現れこちらにやってきて声をかけた。


「おめでとう。あんたは選ばれた」


 

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