天花の憂い
――油井、坂東のマンションにて
古びたマンションの一室にインターホンの音が響く。
油井がドアを開けると、そこには男が立っていた。
亘だ。
「お前が油井か」
油井の返事を待たずに玄関に入り込む。
坂東とデリバーもリビングからドアを開けてやってくる。
「リビングで話そう。
なに、すぐ終わるよ」
亘に促されるまま3人はリビングへと入っていく。
「聞いてのとおり、先日の戦いで俺以外やられちまった。
その補充要員の一人として、
油井を正式に招き入れることになった」
坂東とデリバーは特に頷きもしなかった。
表情は硬い。
一方の油井は椅子にもたれかかるようにリラックスして座り、
そのやりとりの行方を眺めている。
「だが、そうなった場合お前たちのチームは2人になっちまう。
どうする?」
坂東とデリバーはじんわりと汗が滲んできた気がする。
坂東は少したじろぎながらも言葉を発した。
「俺たちは今はこれでいい。
そもそもデリバーにはその移動に便利なコア能力で、
新たな選抜者を回収しにいく役割がある。
俺はその補佐だ。
必要になれば次に出てくる選抜者を加える」
これは坂東たちの想定していた通りの質問だった。
だが、亘は朗らかに笑う。
「それなら心配いらん。
むしろそんな重要な役目を、
お前たち2人だけに任せること自体に俺は疑問を感じていたんだ。
俺たちも補助に回る」
(最初の質問は誘導して、
提案から逃げられなくする罠だったのかよ……!!)
デリバーは卒倒しかける。
坂東も頭が真っ白になりかけるが、
突如ひらめきが脳内をよぎる。
「それはありがたいが、
お前にはもう一つの重要な役割があるんじゃないか?」
「なんだそれは?」
亘は先ほどまでとは変わって、その顔から笑みは消えていた。
刺すようにするどい獣のような視線がこちらを向いている。
坂東は顔に汗が伝うのを感じながらも臆さずに発言した。
「お前はそこのフラスコのように、
発掘した新たな選抜者を育てるべきなんじゃないか?
ベテランのお前がじっくりと育て、
補充が必要なチームへと派遣する。
その頃には新しい選抜者を俺たちが見つけてお前の元へ送る。
この方が効率的だしリスクヘッジにもなるんじゃないか?」
坂東はこのときの自分のひらめきは、
人生史上最高のひらめきだと心の中で自賛した。
亘は顎に手を当て考え込んでいる。
わざとらしい身振りだったが、
坂東は息を飲み込んだ。
そのとき、リビングに置いてある電話が鳴った。
突然だったのでみな固まっていたが、
我に返った坂東に顎で使われ、
デリバーはそれを取ろうとしたとき、呼び音は収まる。
代わりに、数秒遅れて電話機から紙が出てきた。
今のはFAXだったのだ。
デリバーは出てきた紙を手に取って読む。
すると、まるで勝利を確信したかのような勝ち誇った顔をしている。
「見ろよ。ボスからの指示だ。
ちょうど今と同じことが書いてある」
デリバーはそれをテーブルの上に置いた。
亘はそれをぶん取って一人で読む。
坂東はデリバーと目を合わせようとしたが、
相変わらずの得意顔で坂東に気付かない様子だった。
FAXを読み終わった亘はやや不満げな表情でそれを机に叩きつける。
「ボスの指令なら仕方ないな。残念だ」
至って口調は穏やかであり笑みを浮かべていたが、
その目は笑っていなかった。
「そうと決まればここを出発させてもらおうか。
ボスからの指令も出ているし、
最近妙な連中が俺の周りを嗅ぎ回っている。
油井、さっさと行くぞ」
すぐに踵を返し油井とともにリビングから出ていった。
油井は部屋から荷物を取り出す。
坂東たちは一応は見送ることにする。
亘は既に靴を履いて外に出てドアを手で開きながら待っている。
すぐに油井が来たのでイライラしている様子はない。
油井も靴を履き、いよいよ出発しようとしたとき、
見送りの2人に言葉を吐いた。
「お前たちも俺の仲間みたく、
翡翠の奴らにやられないように気を付けろよ?」
亘と油井がマンションの外に出ていくのをベランダから確認すると、
坂東とデリバーは安堵のため息をついてその場に座り込んだ。
「あんなこと言っちゃっていいんですか?
確かにこの場はしのげましたけど、
この先を考えると亘がさらにコア能力を得るようになっちまうんじゃないですか?」
「うるせーな。
じゃあ代わりに俺たちが奴の餌食になるってのか?」
「そうとは言ってませんけど……」
デリバーはその場に置いていた飲みかけのペットボトルに口を付けた。
ほんの一口しか飲むつもりはなかったが、
思わずすべて飲み干してしまう。
飲み切った後に声を出しながらため息をつき、
1つ思い出したように尋ねた。
「ところで、最後の言葉ってやっぱり脅しか何かだったんですかね……」
「そうだろうな」
坂東もそこに置いていた缶コーヒーを飲もうとしたが既に中身は空だったので、
舌打ちをしながらそれをゴミ袋に投げつけた。
――水岡、アジトにて
水岡が一通り試せることは試すと、
夕暮れ時になっていた。
朝から何も食べずに鍛錬をしていたものの、
どうにもまだ夕食を取る気分にはならない。
なんとなくアジト内を闊歩していると、
見晴らしのよさそうな大きなバルコニーが目に入った。
少しの間そこで休憩がてら黄昏ることにする。
バルコニーには白い丸テーブルと椅子のセットが複数置いてある。
アジトを囲んでいる森や山や麓の街の景色が一望でき、
まるで景色の良いカフェのようだった。
バルコニーの端に一番近い椅子に座ろうとすると、
ちょうど廊下からは死角になっていた椅子に天花が座っており、本を読んでいた。
水岡が椅子を引いた音で向こうもこちらに気付いたらしく目が合う。
だが、一瞥しただけで視線を本に戻して、
まるで何もなかったかのようにふるまった。
(そりゃないだろ!!)
戦闘の後は天花に会っておらず、
治療されたと聞いていたとはいえかなり心配はしていたのだ。
「てん、城嶋は……、
無事だったんだね」
天花は声をかけられると思っていなかったようで、
ゆっくりとこちらに顔を向ける。
「見ての通り。
あのときは私のミスだから気にしなくていいよ」
淡々と答えると再び本に顔を落とす。
このとき水岡はなぜだかこれ以上の話題を振ることができなかった。
自分はここまで会話ができない人間だったのかと絶望し、
蛇に睨まれた蛙のように固まってしまっていたが、
再び天花がこちらを向いて付け足す。
「そういえば、天花でいいよ。
あんだけ叫んでたじゃん」
平然と天花は告げるが、水岡は顔が赤くなる。
「そういえば、て、天花のコアってどこにあるの?」
「ここ」
立ち上がって無言で後ろを向き、
その髪を手ですくい上げた。
急だったので水岡は思わず目を反らすが、
近付きながら恐る恐る目を向けてみると、
ちょうど天花のうなじの真下あたりに、
翡翠色に鈍い光を放っている小さなコアがあった。
それからなんと返事をしたらいいかわからず戸惑っていたが、
すぐに天花は向き直る。
「天花ってここに来てからまだそんなに経ってないんだよね?
それなのにあんなにコア能力を使いこなせててすごいね」
これは水岡の率直な感想だった。
同い年なのにこうも違うものなのかと悔しい気持ちもある。
だが、褒められたはずの彼女の表情はどこか浮かないものがあった。
数秒の沈黙の後に、バルコニーの端まで行き空を見上げながらぽつりと呟く。
「でも、私の翼では飛べないの」
天花はうっすらと夜空に変わりつつある夕焼けを見つめながら言った。
ゆっくりと隣まで歩いていき、
バルコニーの柵に肘を乗せ同じ方向を見ながらそっと呟く。
「いつかきっと飛べるよ」
根拠はなかったが、決して嘘ではなく、
心の底から出てきた言葉だった。
夕焼けよりこちら側の夜空にはうっすらと星が瞬いている。




