水平線の彼方~V35スカイラインクーペ350GT~
街並みはちょっとずつ変わり始めていて、自分が通っていた頃には無かったお店も増えていた。自分よりも大分若い子たちを見かけて、昔の自分もあんな感じだったのかもしれないなと、時間が過ぎていった早さと長さに戸惑いを感じる。
雑居ビルの2階、狭くて古いエレベーターより、横にある階段を上っていく。消防法に引っかかってしまいそうな雑然と積まれたビールのサーバーを避けた先にあったお店は、以前と変わることのない雰囲気で、さっきまで感じていた戸惑いはどこかへ行き、心の落ち着く居場所へと帰ってきた気持ちがした。
カラン。
「マスター、ご無沙汰!」
「お、久し振りじゃん!元気だった?」
7年振りに訪れたバー「オリゾンテ」のマスターは、それほど驚くことなく僕を昔のように迎え入れてくれた。
「マスター、GT—R無かったけどどうしたの?」
「ああ、家の車庫に置いてあるよ。」
マスターの愛車、初代スカイラインGT—Rが隣のバッティングセンターの奥の駐車場に止まっていなかった。マスターが借りているその場所にスカイラインレッドの真っ赤なGT—Rが停まっていれば、その日は営業していることがすぐわかったのだけど、久し振りに見たその場所に停まっていたのは真っ赤なV35スカイラインクーペ。色と車種から、多分マスターに違いないとは思っていたのだけど、確信は得られなかった。
「今や旧車はものすごい価値になっちゃったからね。写真撮ったりする輩がバッティングセンターに迷惑かけちゃったりすることが多くなってさ。試しにV35買ってみたんだよ。」
「へぇー、なんかマスターっぽくないなぁ。でもあれもカッコイイね。」
「出た頃はさ、どこがスカイラインなんだよって思ったけどね。結構いいよ。」
Z33フェアレディZと共通のプラットフォームを持つV35スカイラインクーペは、フェアレディZにはない2プラス2の4人乗りで、後席は何とか大人が座れるサイズで1時間程度の移動であれば十分実用的で、トランクもZよりかなり広く、とても使いやすい大人のクーペモデルだった。エンジンはZと共通の3.5リッターV型6気筒エンジン。スカイライン伝統の直列エンジンではないのが残念だけど、見た目からスカイラインから大きく変わってしまったので、エンジン形式の違いなどそれどころではなかった。
「スカイラインって名前がね、逆に仇になったのかもしれないな。良い車だよ。」
3.5リッターV6のクーペで、4人乗れる大人のマニュアルスポーツカーは今となってはとても貴重だし、この先そんな車は出ないだろう。でも、あの時代、スカイラインという名前がついてしまうだけで、そんな魅力あるパッケージの車だったとしても、共感を得られず、あまり売れることは無かった。
「マスター、そういえばV35のスカイラインクーペと言えばさ、昔、乗っていた女の人来てたよね。」
「あ、うん。Yさんね…。」
「綺麗な女の人だったよね。どうしているんだろう?」
いつもお店のカウンター、左端の席で静かに飲んでいるお客さんだった。週末の夜、遅くまで馬鹿話で盛り上がる僕らを微笑みながら眺めていたYさんは、あまり口数の多い人ではなかったけど、ロングの髪が綺麗なちょっと年上のお姉さんだった。損害保険の会社のシニアマネージャーと聞いたけど、乗っているのが真っ黒なマニュアルのV35スカイラインクーペだと聞いて驚いたものの、良く似合っているなとも思った。
「今は英国で保険会社の重職についているんだってよ。」
「へぇー…。もしかして、マスターあの頃Yさんと付き合ってた?」
あの頃の客仲間は、Yさんとマスターがお似合いだと下世話な話をしていたりした。シャイだけどちょっと男っぽいマスターと物静かだけど芯の強そうな温かい笑顔のYさんは、お似合いの2人に見えた。僕が遠くへ引っ越す直前、丁度7年前の頃、お店に向かう道すがら、反対の歩道を涙ぐみながら俯き、足早に逆方向へ歩いて行ったYさんを見かけたことがあった。
「そっか。あの日、あの後、たくちゃん来たんだっけな。」
その日、Yさんは海外の損保会社へ出向するオファーを受けたという話をマスターにしに来たらしい。マスターは、「良かったじゃないか、頑張っていって来いよ」と困惑する自分の気持ちを抑え込んで、彼女を笑顔で送り出そうとした。二人の仲は、まだ始まったばかりで、お互いいい歳でもあったことから、ゆっくりと二人の仲をすすめようとしていたところだった。
「彼女さ、止めてほしかったって言ってた。不機嫌になって欲しかったって。なんで、そんなに直ぐ喜んで送り出そうとするのかって言ってたよ。」
「マスターの優しさも分かるけど、Yさんの気持ちもわかるなぁ。」
マスターの考える最善と、Yさんの考える最善は違ったのかもしれない。エリートで、今までずっと頑張り続けて来たYさんが、ほっと心を許せるのがこのバーであり、そしてマスターという人だったのだろう。ずっと頑張り続けて、やっと見つけた心を許せる人に、今まで頑張り続けて来たのにもっともっと頑張れよと言われたら、Yさんだってやりきれない思いだったろう。
「そのことに気が付いたのはさ、もっと後だったんだよね。」
「そっか。」
「ずっと頑張ってきて、期待され続けた女性が、どんな気持ちでV35に乗っていたのか分かる気がしてね。」
「マスターも意外に、純情ですなぁ。」
イギリスに出向したYさんは、そのまま出向先の会社に転籍となり、さらに重要な役職を任される人になったらしい。それもまた、Yさんなりのマスターへ当て付けなのかもしれない。
「今も連絡とってるの?」
「インターネットの時代だからね。SNSでたまにメッセージしたりしてるよ。今はアストンマーチンに乗ってるってよ。」
僕とマスターもSNSで繋がっているとはいえ、7年振りに会ったのに、昨日も会っていたかのように話が出来る人というのは、本当に大切な人だと思った。マスターの笑顔や仕草を見ながら話をしているだけで、僕の身体の奥にある活力が湧き上がってくるのを感じる。本当に縁がある人というのは、そういう気持ちにさせてくれる人なのかもしれない。
「ところで、たくちゃんは今何に乗ってんの?あんまりSNSには車の写真映ってないから。」
「あ、うん…。あの、MINI。」
煙草を吸おうとしたマスターがその言葉を聞いて火をつけるのを止めた。
「もしかして、R56の…。」
「うん、Cooper S…。」
「お前もセンチメンタル野郎じゃねーかー!」
「あ、ああ、でもね、色はペッパーホワイトだから…。」
ガンメタだったらドン引きだよと呆れた顔で笑っていた。いやいや、マスターだって同じくらいセンチメンタル野郎ですけども…。
ひょんなことから、手に入れることになったR56クーパーS。久しぶりに運転すると、あの頃感じた無骨さとクラシックさをもっと強く感じた。そして、あの頃のKちゃんの笑顔と、あの頃のKちゃんの気持ちがなんとなくわかるような気がした。
「Kちゃん、アメリカだろ?連絡とってるの?」
「SNSでは繋がっているけど…。」
「お前がR56乗ってるの知ってんの?」
「いや、知らないと思うけど…。」
じゃあ今からメッセンジャーでそのこと話してやるというマスターの手からスマフォを分捕った。イリノイはまだ早朝だから止めましょうなんて変な言い訳をしながらなんとか阻止することが出来た。
気を取り直して、マスターは煙草に火をつけ、大きく煙を吸い込んだ。まるでマスターの気持ちや僕の気持ちまでも一緒に吐き出すかのように、フーッと煙を天井高くに吐き出しながら呟いた。
「ほんと、俺たち馬鹿野郎だな。」
「そうだね。ははは。」
マスターのスカイラインと、その隣に停めた僕のクーパーS。
帰り際、その二台が停まっているのを見ていたら、まるであの二人が笑って立っているかのように見えた。




