第二十八話 双頭の蛇
「リウマの森」に入ってから早四日。
例の蛇と思われる魔物とは初めに襲撃されて以来一度も遭遇できていない。
どうやら彼の蛇は決まった寝床や巣穴を持たず、絶えず動き回っているようでその後を辿ったとしても姿を見ることさえ叶わなかった。
一日中動き回れる魔物と夜は安全のためにも休まなければならない自分とでは行動範囲に明確な差が生まれてしまっても仕方がないとはいえ、自分の中に焦りが生まれてきているのも自覚していた。
(困ったな。これ以上は時間をかけられない。かと言って『感知魔法』が通用しない理屈が分からないまま帰るわけにもいかないしな……)
既に『剣尾狼』の討伐証明部位である尻尾は集め終わっている。
例の魔物と遭遇できない代わりに五回以上『剣尾狼』の襲撃に合い、結果として依頼達成に必要な分の素材は確保することが出来たがその分疲労は想像以上に肉体に蓄積していた。
「……仕方ない。押して駄目なら引いてみろだ」
『魔人兵』といっても日々の疲労と無関係ではない。
能力の使用中はともかく、それ以外の平常時は普通の人間とそれほど変わらない。
森に入ってから四日、シュウは攻勢に出ることを決めた。
ソレはある匂いを感じ取った。
自分の好物の匂いだ。
この所満足な食事が出来ているとは言え、アレはしばらく食べていない。
最後に食べたのは三日前だっただろうか?
しかも匂いの感じでは複数体いる。
ソレは大きな身体を持ち上げると匂いのする方にゆっくりと向かって行った。
「……来た」
近くの茂みに身体を伏せ隠れていると地面から身体に振動が伝わってきた。
人が歩くような振動の伝わり方ではない。
ズッ、ズッという大きく重い物を引きずる振動。
例の蛇を呼び出すために罠を設置した。
罠と言っても二十体近い『ラージラット』を狩り、ソレを風上に置いただけの単純なものだ。
だが血の匂いに釣られてくる確信があった。
問題は他の魔物も呼び寄せる可能性があったことだが、例の蛇の魔物が現れるなら他の魔物は警戒して近づかないと読んでいた。
地面に伏せた姿勢で鼻孔に土の匂いに混じってあの夜と同じ爬虫類のような匂いを感じる。
徐々に伝わってくる振動が大きくなり、それに合わせて草木を掻き分けるガサガサという音も聞こえてくる。
やがて音が収まるとソレは姿を現した。
白い蛇だった。
体表が白く、目は赤く、アルビノのように見える。
しかしその姿は普通の蛇ではあり得ないほど大きく、頭だけで一メートルオーバー。
おそらく口を開かせれば二メートルを越え、成人男性でも丸飲みされるのは必至だろう。
そしてその全身は草木に隠され、見ることが叶わないが今見えている部分から推測して、おそらく二十メートルを優に越える。
王都を襲撃した飛龍も大きかったが、全長だけ見れば此方の方が大きいだろう。
だがそれ以上に驚くべき物が視界に飛び込んできた。
(!?……頭が二つ(・・)!?)
首から裂けるように分かれた二股の蛇が目の前で悠然と佇んでいた。
それぞれの首がキョロキョロと辺りを見回し周囲を警戒している。
息を止め、隠蔽魔法をかけた自分の存在を少しでも目立たせないように努める。
草木が揺れる音よりもドクッドクッと強く脈を打つ心臓の音が五月蠅いくらいに身体に響き、自分が緊張しているのが分かった。
複合種、『二頭蛇』。
性格は攻撃的にして獰猛。
太古の文献では食欲旺盛な二匹の蛇が互いに食い合った末、その身体同士がくっつき、今の姿になったと言われる程多くの肉を食らう。
一日に数百キロ近い肉を消費すると言われ、これは頭が二つあり、それぞれに意識を持っているため、必要とするエネルギーが多いのだと考えられている。
(てっきり、『植物蛇』か『金属蛇』辺りだと思ってたんだが、まさか『二頭蛇』とはな)
『二頭蛇』は複合種の中でも稀少度が高い。
大量の食べ物を必要とするため、森の奥地にいることが多く、人目が触れるような場所にはまず現れない。
今回の森も人が入りにくい場所ではあるが『二頭蛇』が現れるには森としてまだ浅い。
(はぐれか、餌を求めて森を移動して来たってとこか。どっちにしてもこのまま帰るわけにも行かなくなったな)
ゆっくりと体を起こそうとする。
まだ向こうは此方に気づいた様子はない。
今なら魔法での先制攻撃ができる。
その時背後に強烈な悪寒。
慌てて横に転がると、空気を切り裂く音と共に何かが高速で接近。
次の瞬間、今まで伏せていた地面が蛇の持つ針のように鋭い尻尾で貫かれた。
慌てて当たりを見回すと蛇の尻尾は迂回するようにして背後に回り込んでいた。
「隠れてたのもお見通しってわけか。やってくれる」
『二頭蛇』はチョロチョロと舌を出し入れしている。
大きな口が開かれるとまるで笑みを作っているかのように見えた。
それは此方のことを初めからお見通しだと言わんばかりのふてぶてしさに思える。
「付与術式・斬撃強化」
シュウは刀を抜き、付与術式で切れ味を底上げすると正眼に構える。
『二頭蛇』の右側から回るようにしてジリジリと距離を測る。
高い魔力耐性を持つ複合種に対して遠距離からの魔法攻撃は魔力の消費にしかならない。
そして何より注意しなければならないのはあの首のリーチの長さだ。
刀のリーチが であるのに対して『二頭蛇』の首の長さは持ち上げている分だけでも五メートルを軽く超える。
「シィッ!」
シュウは先手必勝とばかりに距離を詰めると刀で下段から切りかかる。
しかし『二頭蛇』は長い紐のような身体をくねらせるとこれを回避。
同時に二つある頭の片方が喰い殺さんとばかりに襲いかかる。
頭同様二股に分かれている長い舌、唾液によって光沢のある口内、巨大なスパイクのような歯の一本一本までが視界に映り、背中に強烈な寒気を催す。
シュウは即興で『身体強化』の術式を自分に付与すると足の力だけで強引にバックステップを踏み距離をとろうとする。
自分の目の前で蛇の頭が地面に突き刺さり、地面を大きく抉るとその瞳がギョロリと此方を射抜く。
生物的な恐怖心を刺激され体が思わず硬直。
ーーーいや、見ているのは俺じゃない?
そう考えたのと同時に再び背中に強烈な悪寒。
背後を振り向く時間はなく、半ば勘だけで腰を落とし、首を剃らす。
自分の頭があったところを背後から巨大な蛇の尻尾が通過。
僅かにかわしきれず、頬に熱い感覚が走り抜ける。
危なかった。少しでも動きが遅ければ頭を貫かれていた。
だが安堵もつかの間。
『二頭蛇』は貫き損なった尻尾を操ると、鞭のようにしならせてシュウを襲う。
攻撃をかわしたことで生じた一瞬の意識の停滞を突かれ、丸太のような尻尾での打撃への反応が遅れた。
「かはぁッ」
辛うじて両手を身体の前で十字に組んだことで尻尾の直撃は防いだものの衝撃までは殺しきれず、背後に吹き飛ぶと大木に背中を打ちつけて動きを止める。
肺が木と衝撃に挟まれ、口から肺の中の空気が吐き出される。
「背後から、とは随分だな」
悪態をつき立ち上がりながらも直撃を避けられたことに安堵する。
あの丸太のような尻尾で直接腹部を打ちつけられていたら内臓の一つや二つ間違いなく破裂していた。
変わりに両腕の骨を折られたが刀を手放さなかったのが幸運だ。
そしてこの程度の骨折なら問題ない。
「治癒魔法」
薄い緑色の光が両腕を包むと腕に治癒魔法特有のむず痒い感覚が走り、次の瞬間には骨折は跡形もなく完治していた。
元々殆ど魔法は扱えなかったが『魔人兵』となった後は中級までなら魔法への適性を持つことができ、特にその能力故か自分への治癒魔法はその回復幅が大きい。
他人に対してはそれほどではないのが欠点だが、自分の傷を治すだけなら骨折程度朝飯前だ。
(だが隠蔽の特性が厄介だ)
『二頭蛇』の得ていた能力は透過ではなく隠蔽。
先日のような闇夜に紛れた奇襲を除けば、姿を見えなくする透過の方が魔力を隠す隠蔽より厄介だ。
だが隠蔽は魔力を隠し、魔力感知の包囲網から逃れる能力。
そのため感知魔法でも捉えることが出来ず、先程のように死角からの攻撃は反応できない。
(それでもやりようはある)
強く地面をけると一気に加速。
頬なでる風を感じながら、視線は相手から逸らさない。
必要なのは相手の攻撃に怯えない胆力。
勝負は一瞬。
「シャーッ!」
『二頭蛇』の頭の一つがその大顎で噛みつかんと迫る。
本能的な恐怖を感じるが、先程のように足は止めない。
今回はミスれば一発アウトだ。
シュウは僅かに体を逸らす。
顔が蛇の肌に触れそうな至近距離で攻撃を回避。
交差際、蛇の右目を身体に刀を巻き付けるようにして切り裂いた。
「ギィシャャャャ!?」
痛みでのたうち回る『二頭蛇』を後目に攻撃の届かない安全圏まで退避。
身体から力を抜くと大きく息を吐き出す。
「ふぅ。至近距離からなら奇襲も何もないからな」
さっき蛇の尻尾での奇襲を受けたのはかわした際に距離を取ってしまったからだ。
攻撃が当たらないギリギリの距離でかわし続ければ奇襲の心配はない。
と言っても此方もギリギリのラインを見誤れば腕の一本や二本余裕で持っていかれる。
『二頭蛇』の倒れるその時まで気は抜けない。
「ギィシャャャャァァ!!」
「行くぞ」
シュウは刀を握る手に力を込めると蛇めがけて再び駆けだしていった。
戦闘開始から三十分。
戦いは『二頭蛇』に対して有効な攻撃手段を見つけたシュウが有利に展開を進める。
と、言うこともなく、意外なことに戦況は膠着状態に陥っていた。
「ちぃ!」
ままならない状況に苛立ちが募る。
噛みつき、突進、尻尾を使っての刺突。
強力な攻撃を鼻先が掠るほど至近距離で回避。
ここまではそう難しくない。
戦闘での支援が受けられない個人の冒険者にとって回避術の優劣がそのまま生還率に直結する。
その点で言えば自分が一流の個人冒険者の自負がある。
ただし、難しくはないと言ってもそれは最大のパフォーマンスを発揮できている場合の話。
戦闘が長引き集中力が落ちれば思わぬ取りこぼしをしかねない。
そしてその原因になっているのは……
「クソがぁ!」
先程同様噛みつきの初撃をかわし、刀で切りつけようと刀を構えるする。
しかし間髪入れずに一つの首が此方に食いつこうとばかりに迫る。
迎撃を放棄。
もう一度攻撃をかわし、攻勢に出ようとしたところで迫り来る尻尾に気づき、仕方なく反撃を諦め距離を取った。
先程からこれの繰り返し。
初撃を避けようとも二つ目の首と尻尾による次撃、三撃が続き、此方が刀を振るう前に距離を取らされてしまう。
受け止めようにも体重差から両手でなければ受け止められず、万が一初撃をかわし、二撃目を防げたとしても三撃目に対応できる余裕は此方にない。
しかし『二頭蛇』も一度も攻撃に成功していない。
身体技能と魔術を併用した高速移動は一撃の被弾もこの身に許さなかった。
結果として、どちらの攻撃も主だった結果が出ないままにだだ時間だけが無意味に消化されていく。
「はぁ…はぁ……はぁ」
しかし相手は魔物で此方は人間。
体力差は明白。
荒くなった息を整えながら、想像以上の速度で消耗している自分の状態を確認する。
(もう何十分も膠着状態。こっちに怪我はないが、体力と精神の消耗は隠せなくなってきた。対してあっちは疲労している素振りはなし。速いとこ決めないと先にボロが出る)
刀の重みで手は痺れ、長時間の高速移動で生じた激しい動悸と熱が不快でたまらない。
悪寒、眩暈、呼吸の乱れ。
既に消耗は隠せないところまで来ている。
「ぐッ」
再度攻撃を仕掛け、此方の攻撃が届かず、相手の攻撃を刀で受け止めきれずに吹き飛ばされたところで限界を悟った。
間違いなくもう数回以内に自分は捉えられる。
長い時間、戦場で培った経験則。
刀を鞘に収めるとシュウは切り札の一つを切ることに決めた。
「取り出し(リリース)」
右手の指輪が発光。
手の中に刀よりズシリとした重みが伝わる。
先端に直刀がついた長槍。
マジックアイテムではない。
華美な装飾はされておらず、実用性を重視した簡素なもの。
一度具合を確かめるように手の中で大きく振り回すと、ピタリと穂先を相手に向けた。
「……」
無言のまま摺り足で相手との間合いを計る。同時に無詠唱、平行詠唱を使い魔術を準備。
魔物に詠唱を聴かれたとしても問題ないが対人戦闘の癖で無詠唱を使った。
「……」
我慢比べ。
次の一撃で決めるためにも初撃を相手に使わせる必要がある。
トクン、トクンと規則正しい鼓動が響く。
極度の集中で音は消え、相手の動きを捉える眼に全ての神経を注ぐ。
身体の動き、視線の動き、尻尾の動き、呼吸のタイミング。
一つも見逃さない。
そして攻撃動作の予兆、を感じ取ったとき地面をけった。
『二頭蛇』の突進。
最小限の動きで横にかわすと残りの頭と尻尾に集中。
次撃は尻尾の振り回し。
空気を切り裂く音を従えながら、致死の打撃が迫る。
タイミングを見計らい地面から跳び上がると、空中に逃れることでこれを回避。
しかし空では身動きはとれない。
此方を丸飲みしようと顎を大きく開けて迫る『二頭蛇』を視界に収めながら、待機させていた魔法の一つを発動。
「障壁!」
魔力障壁。
魔力の壁を構成し、物理、魔術を問わず攻撃を防ぎきる防御呪文。
目の前で蛇の牙と透明の魔力障壁が衝突。
しかし魔力の壁は僅かに蛇の牙と拮抗した後、容易く打ち破られる。
だが体勢を整える時間は稼げた。
『二頭蛇』の頭を踏み台に更に跳び上がると眼下に蛇の長い身体全てを収める。
物理法則に従い落下していく身体を空中で立て直す。
バタバタと服がはためき、前髪が風で揺れる。
内臓が裏返るような浮遊感。
恐怖を感じ始める感情を押さえ込むと槍を構える。
投擲体勢。
「付与術式・刺突強化!」
付与魔術を施すと身体を捻り、渾身の力で投擲。
槍の重さ、身体強化魔術、重力エネルギーが付加された槍は流星となって空を駆け、『二頭蛇』の頭を突き抜け地面に突き刺さる。
『ギァァァァァァ!?』
凄まじい悲鳴を上げるがその身体は槍によって地面に縫い付けられ動かない。
今の攻撃は逃げられないようにするための初撃。
本命は次の二撃目だ。
刀の柄を握ると魔力を一気に圧縮。
使うのは王都で竜の首を落とした魔力の刃。
あの時ほどの長さは必要ない。
変わりに魔力の圧縮率を高める。
圧縮率が高ければ高いほど、この魔刃は威力を増す。
「抜刀ッ!!」
鞘から放たれた十メートルの青い魔力の刃『絶華』。
上段から振り下ろされた魔刃は手に抵抗を残すことなく、蛇の両の首を切断した。




