第二十六話 始まりは突然に
町の荒くれどもでも寝静まる丑三つ時、ソイツは突然現れた。
「………ん……」
反応できたのは偶然に近い。
日頃から感知魔法だけに頼らず自分の五感を使った戦闘を心がけている。
『魔人兵』としての能力を使用した場合感知魔法よりも感覚器官からの情報の方が多く、日頃からそれを処理できるように自分の五感を鍛える鍛錬が今回は役に立ったと言える。
「………?……」
背中をミミズが這い回るような不快な感覚。
そして次の瞬間、それは明確な危機感へと膨れ上がった。
寝ぼけた頭が一気に覚醒。
首元に剣を当てられているような感覚に慌てて刀を掴み、前方へと前転の要領で飛び込む。
足が離れた瞬間今まで寝ていた場所に何かが衝突。
吹き飛ばされた石などが辺りに飛び散り乾いた音を立て、背にしていた木が折れたのか、メキメキと響かせながら倒れた時の音を耳が捉えた。
すぐに体勢を立て直し腰に刀をさすと柄に手をかけた状態で辺りを見回す。
「何だ!?」
だが雲によって月が隠された丑三つ時は想像以上に暗く、辺りの様子を伺い知ることが出来ない。
意識をそらしてしまったために発動が切れた感知魔法を再び発動しようと意識を込める。
だが再び強烈な危機感。
勘に任せて横へと転がるように回避。
かなり大きな物体がまたもや今まで居た場所に衝突する。
再度体勢を立て直すと闇に目を凝らす。
何かいる。
寝ぼけた頭も完全に覚醒すると何か生き物の存在を感じる。
一面の闇の世界では姿を拝むことは出来ないが生き物特有の存在感に僅かながら漏れ出る呼吸音を耳が捉えた。
「くッ」
再びの攻撃を後ろに飛ぶようにしてかわすと感知魔法を展開。
僅かに爬虫類のような生臭さを感じながら見えない相手の正体を掴もうと全神経を注ぐ。
だが、
「なッ!?」
感知魔法が伝えてきたのは異常なし。少し離れたところに大型犬程度の大きさの魔物がいる以外、近くに生き物の反応はない。
距離を取ろうと背を向けて走り出すと頭は混乱でグチャグチャだった。
何故反応が無い? いやそもそも本当に俺は襲われているのか?
自分の感覚に自信が持てず、感知魔法と自分の感覚の差異に混乱が深まる。
感知魔法では確かに近くに生き物がいないことを伝えてくる。だが自分の感覚器官は今なお危機に晒されていると訴えている。
重い袋を引きずるような音が響いたかと思うと背にしていた地面が爆発。
背中に当たる無数の小石の感触に見えない敵への恐怖感が一気に膨れ上がる。
不利を悟った俺は戦闘継続は無理だと判断。
身体強化の魔法を施すと全速力でその場を離れた。
「…ハァ……ハァ…」
森を無茶苦茶に走り回った俺は幸運にも途中で川に落ちた。
敵が臭いを辿ってくる可能性を考え、臭いを消すにもちょうど良いと夜の川に身を任せながら下流へと進んでいった。
自分の感覚で数キロ流された後、辺りが明るくなり始めた所で適当な河辺で川からあがると大の字で横になった。
鼻孔をくすぐる木々の瑞々しい香りに加え、冷え切った体に当たる朝日が心地良い。
ようやく自分が生きている事への実感が湧いてくる。
「…ハァ……ハァ…」
夜の川に入り、数キロも流されたこともあってかなり体力を消耗している。
口から漏れ出る苦しげな呼吸音を聞きながらさっき襲ってきた存在について考えをまとめていた。
間違いなくあの場には魔物がいた。大きさは姿が見えなかったために判断がつかないが、攻撃された際の威力から考えて
かなりの重量のはずだ。
木を一撃でへし折っていたあの攻撃はかなりの驚異になる。
だがそれ以上に感知魔法に引っかからなかったことが不思議だ。
「…ハァ……能力持ちの個体か?」
魔物の中には一定以上の成長をとげると特殊な能力を習得する個体がいる。
魔法を使う魔物はそれほど珍しい訳ではないが能力を持った個体はかなりレアだ。
魔物が能力を習得するのは最低でもステージ4以上。
ステージ4以上の魔物はそうそう人里に姿を表すわけではないがその能力と脅威はステージ3と一線を画する。
「ふつうに考えればステージ4。下手をすればステージ5クラスか」
口でそう言いつつもステージ5であることは考えていなかった。
ステージ5の脅威は3と4の間に隔絶した差があるようにステージ4とは一線を画する。
あれは災害や中位以上の精霊に匹敵する。
万が一襲われた個体がステージ5ならこうして五体満足で生きていられるはずがないのだ。
「まずは体調を整えるのが先だな」
濡れた服を脱ぎ腰から刀を抜き出すと、鞘や刀身についた水滴を綺麗に拭き取っていく。
朝の日差しで冷え切った身体を温めながらこれからどうするのかを考えていた。
十分な休息を取り、乾いた服を身に着けると川沿いに上流を目指す。
目的地は昨日の野営場所。この先あの謎の襲撃者と戦うことになるかはともかく、感知魔法が効かないカラクリは何としてでも知らなければならない。
万が一新種の魔物だった場合多くの冒険者が命を落とす可能性もある。
「腹減ったなぁ」
言葉にしたからではないが腹が鳴き声をあげ、胃がキュウキュウと締め付けられる。
今朝からまともな食事をしていない。辛うじて自生していた木の実を口にしたが苦みが強く食えた物ではなかった。
荷物を入れた背嚢は襲撃にあった際に置いてきてしまったので、手元にはまともな物が残っていない。
武器が無事だったのは不幸中の幸いだが、この先夜営用の道具無しに何日もこの森で生活するのは不可能だ。
最悪依頼を中断してでも戻らなければならない。
敵に気をつけながら慎重に進む。
魔物と思われる鳴き声に、独特の獣臭、時折大型の魔物が歩く足音など森の中には想像以上に生き物の数が多いようだった。
「あの木の陰に2、そこの茂みには3か…」
絶えず感知魔法を発動して魔物がこちらに気づくより先に相手を補足する。
木の陰や茂みに身体を隠し、魔物がいれば極力戦闘を避けるために迂回して進む。
感知魔法の効果はいつも通り。
特に発動に問題があるわけではないようだった。
となるとますます昨日の襲撃者が気にかかる。通常、感知魔法は相手の魔力を察知する。この世界において魔力を持たない生物は存在しないために、感知魔法は人、魔物問わず有効な索敵手段なのだ。
感知魔法が効かない可能性を考えると思いつくのは二つ。
気配を絶つ隠行に関係する魔法、もしくはスキルを持つか、姿自体も見えなくする隠蔽の魔法もしくはスキルを持つかだ。
前者であれば対応は可能だ。一度姿を見つけてしまえば、見失わない限り能力を気にする必要はない。
だが後者であったなら脅威度は普通のステージ4どころではない。
自分の手に余るかもしれない、と弱気な面が顔を見せる。
首を振り弱気な考えを頭の中から打ち消すと先に進むことに集中する。
昨日の現場を見てからだ、と己に言い聞かせ、夜営地へと急いだ。
道中どうしても避けられない戦闘だけをこなし、二時間ほどで昨日の夜営地である河辺に戻ってきた。
幸運にも途中で『剣尾狼』の群れと思しき一団を発見。
夜営地へと戻ることが第一であったために戦闘は行わなかったが場所と数は把握できた。
「凄い顎のサイズだな」
昨日寝ていた場所は地面がシャベルカーでも使ったのかと思うほど大きく抉り取られ、土がむき出しになっている。
穴の縁についたギザギザの跡から歯形だと判断し、顎のサイズを推測するが、直径は一メートル近い。
へし折られた木から見ても昨日の襲撃者が相当な力を持っているのは間違いない。
更に情報を求めて辺りを見回すとあちこちで石がどかされむき出しの土が道のようになっている。
近づいて見てみると土の道は表面が綺麗に削られ、所々縄の跡のような物が見える。
土の表面には鱗のようなものが太陽を受けて輝いていた。
「これは蛇か。だが相当デカいな。体長は……」
蛇が通ったと跡と顎のサイズから推測しておそらく十メートルは軽く超えていると思われる。
ここまで来ると蛇と言うよりは小型の竜と呼ぶべきかもしれない。
流石に十メートルを越える蛇の魔物との戦闘経験は無いが相手をある程度特定できたことは大きい。
辺り見回すと背嚢が目に入る。
中身を確認すると干し肉を除いて持ってきた物は全て無事だった。
鍋などは多少凹んではいるものの十分に使えそうだ。
「干し肉に、昨日捌いておいた『ラージラット』は全滅か。肉類だけ取られたところを見ると昨日襲ってきた魔物が持っていったと考えるのが妥当だろうな」
食料が堅いパンだけになってしまったのは残念だが鍋や解体用のナイフ、小型のランプなどの夜営用の道具が回収できたのは幸運だった。
これですぐに森を離れなくても大丈夫だな。
そう判断して背嚢を背負うとその場を離れる。
蛇の通った跡を慎重な足取りで辿る。
蛇は上流を目指して行ったようだった。普通に考えれば巣穴に戻ったのだと考えるのが妥当だろう。
森の中は相変わらず鳥の鳴き声が響き、生き物の多さを感じさせる。
途中何カ所もかじられた跡や戦闘の痕跡を見つけた。
その痕跡の周囲には肉片が転がっている。血が乾ききっていることから戦闘は随分前に行われたようだ。
「しかし、かなり獰猛だな。手当たり次第に襲っているわけじゃないだろうが」
散乱した肉片の中にはBランクに分類される魔物の一部と思われる物もあった。
実力を考えるなら襲いかかるには戸惑うはずだがそのような跡は見られない。
何より魔物は殆どその肉を食われ、身体と思しき物はカス程度にしか残っていない。
ここまで来る途中に食い荒らされた魔物の総量を考えると幾ら巨大とはいえ蛇一匹が食せる限界量を越えているように思える。
獰猛で食欲旺盛。この蛇の魔物はかなり好戦的であるように感じられた。
(いや、それよりも襲われた側の魔物に逃げようとした痕跡がないのは何故だ?)
戦闘の跡はその殆どが蛇道の途中で突然始まっている。
魔物は自分よりも強いものに対して敏感だ。
一度相対して勝てないと分かればすぐに逃げ出す筈だがここまで辿ってきた戦闘の跡をみる限り、一つとして逃げようとしたとものはなかった。
(気配や姿を隠す能力以外に何か持っているのか?)
相手に悟られないように近づく能力を持っているだけでは説明が付かない。
どうやら思っていた以上に厄介な相手のようだ。
そのまま歩き続け、日が暮れる頃になっても例の魔物と遭遇することは無かった。
川辺の石がゴツゴツとしたものに変わり、木々がより一層生い茂っていることからかなり上流に来ていることは間違いない。
川から少し離れた所で洞窟を見つけた俺はそこで今晩夜営する事にした。
手持ちの背嚢の中から小型のランプを取り出すと壁にかける。
柔らかな光が洞窟内を照らし、明かりがついたことで無意識に安堵の息を吐いた。
以前に魔物か何かがねぐらにしていたようで、洞窟と言うよりは巣穴言った方が
正しい。
前の主は随分前からここに戻っていないのか動物が生活している気配はなく、安心して眠れそうだった。
背嚢とは別の袋からここに来るまでに倒した魔物の素材を取り出し、状態を確かめる。
剣のような鋭い刃が付いた尻尾。
『剣尾狼』の討伐証明部位である。
蛇の魔物を確かめるまでは討伐する気は無かったが運悪く、途中ではぐれと思われる三匹に遭遇。
やむなくこれを倒し、討伐の証であって今回の依頼でもあるその尻尾を切り取った。
本来なら戦闘は避けたいところだったが狼種は総じて嗅覚が鋭い。高確率で後をつけられ、夜間戦闘になった場合、苦戦は免れないだろう。
『魔人兵』としての能力を使えば夜でも十分戦闘は可能だろうが……
「ちっ」
そこまで考えてあまりの自分の間抜けさに苛立ちを覚える。
昨日の戦闘、能力を使っていれば撤退などする必要はなかったのではないか? どうやら思わぬ奇襲に想像以上に動揺していたらしい。
まだまだ未熟だ、と自分を戒めると素材の確認に意識を戻す。
『剣尾狼』討伐依頼はBランクに分類されているもののそれは集団での評価であって個体自体の戦闘力はCランクの相当と言ったところか。
だがこの尻尾は特定の鉱石を加えて打ち直すと丈夫な剣へと生まれ変わる。品質的には中級の下位と言ったところだが新人を抜けた冒険者にとっては十分強力な武器であり、人気も高い。
今回の依頼内容は尻尾十本の納品。
残り必要なのは七本だが例の蛇の正体を確かめるまでは無用な荷物を抱え込んで動きが阻害されるのは避けたい。
せめてコイツが使えればいいのに、と両の中指に嵌められた指輪を見る。
非常に便利で希少価値の高い収納系統のマジックアイテムであるが内容量には限界があり、とある理由で現在はその容量ギリギリまで武器が収まっている。
普段は使うことの無い俺の奥の手だが状況によっては使わざるを得ないかもしれない。
確認した結果、三本中一本は傷みが酷く、使えそうになかった。
それをその場で廃棄し、残りの二本を傷めないように布で包み、袋に戻す。
続いて夕食の支度に移る。
今晩は昨夜のような襲撃を警戒して一食分の肉しか調達してこなかった。
昨夜と同じようにスープを作り、それにパンを浸して食べる。一日なら旨く感じる即席のスープでも二日も続くと少々飽きが来る。
ただ今回は腹が膨れて体が温まりさえすればそれで十分なので黙々と食べる。
食事も終わり、腹が膨れると途端に睡魔が襲ってくる。
小型のランプの明かりを消し、洞窟の一番奥まで進むと刀を横に置き、座った体勢のまま毛布を被って眠る。
明日はおそらく本格的に例の蛇の魔物と戦闘になる可能性が高い。
頭の中で考えられる状況を考えつつ眠りについた。




