第十一話 虎の女騒動
更新です。やっぱりバトルは難しい。
城の執務室で王とミリアリアが会談した翌日、シュウは一人町に繰り出していた。
『鬼蜘蛛』討伐の依頼を終え早朝に教会に帰宅したシュウは院長に簡単な説明と報告をした後朝食をとり、眠りについた。
その日はそのまま寝て過ごすつもりだったが教会の子供たちにせがまれ、昼過ぎに起きだすと彼らの遊び相手をしながらその日を過ごしたのだ。
子供たちからしてみると最近はあまり相手をしてもらえなかったという事で不満だったらしい。
そして今日情報収集のために町に来ていた。
「安いよ、安いよ。クララの実、今ならたったの銅貨1枚だ」
「騎士団でも使ってる剣と盾だよ。見てってくれ」
「魔物の皮か。これなら銅貨5枚だな」
「取れたてのボア肉の串焼きだ。美味いよ。1本どうだい?」
「回復用のポーションだ。他にも色々と取り揃えている。足りない物があったらぜひ来てくれ」
道は買い付けに来ていた商人や食事をしに来た冒険者等で賑わっている。
露店や商店の店員たちが稼ぎ時だとばかりに大きな声で客引きをするためにその喧騒に拍車がかかっていた。
途中で見つけた串焼きの屋台から漂う肉の焼ける匂いに我慢できず、串焼きを二本買い求め、買い食いしながら人にぶつからないように道を進む。
驚いたことに屋台で商売しているのは人間だけではなく犬や猫の獣人など亜人も含まれている。
いや、むしろ亜人の割合の方が多いかもしれない。
それもそのはず、シュウが訪れているのは亜人達が暮らしている区画だ。
アルメダ王国では労働力としての亜人が認められている。
亜人を安全に管理するという名目上、亜人が暮らす事が許されている区画がいくつか存在しており、ここもその一つである。
貴族たちは亜人を汚らわしい存在として毛嫌いする者が多く、当初は国内に亜人を入れること自体反対する者がほとんどだった。
だが亜人は人に比べ肉体的な能力で勝っていることで、労働力としての有用性が確認されると働き手としてその存在は認められるようになった。
そのため他国に比べ、ここアルメダ王国では亜人の待遇は驚くほどよい。
しかし完全な亜人排斥や殲滅を掲げる国と比べて良いというだけで満足のいくものではない。
低賃金での労働は当たり前、理不尽な暴力や差別を受けることもしばしばだ。
亜人達はお互いに身を守るため、まとまって暮らしているのが実情なのである。
(しかし、商売のためなら亜人の区画にさえ店を構える商人の商魂ってのは凄いものがあるな)
貴族に比べると一部の平民は亜人に対しての差別意識が少ない。
特に実力本位の冒険者はその傾向が強い。
だが、それでも平民のほとんどは亜人に大小はあるものの、何らかの悪い感情を持っている。
それでありながら差別することなく商売を行う商人というのはとても貴重な存在なのかもしれない。
「あ、シュウじゃないか! どうだい、なんか食っていかないかい?」
人間の商人たちに感心しながら歩いているとシュウはパンを売る女獣人の屋台から声をかけられた。
顔見知りだったために笑顔で近づいていくと向こうも笑顔で返してきた。
「よく俺だってわかったな。今日はずいぶん混んでるのに」
「当り前さ。お得意様の顔を見つけられないほど落ちぶれちゃいないよ、あたしは。それに……人族でここに買い物しに来る物好きは来あんたぐらいの者だからね」
この物好き、と笑みを浮かべる屋台の主人にシュウ苦笑で返した。
事実この区画に商売に来る商人は居たとしても買い物に来る者はまずいない。
ゼロではないが限りなくゼロに近い一である。
シュウも彼を知らない亜人からここまで来るのに何度か珍しい物を見るような視線を向けられていた。
まあ、自分で物好きだって自覚はあつたが。
「それで、最近どうだ?」
「まあまあかねぇ。この辺は治安が良い方だからね。だけどね……」
「どうしたんだ?」
「税金が高くってね。いくらパンを売ってもほとんど持ってかれちまうからさ」
女獣人はそう言って深いため息をついた。
「税金は売り上げの三割だろ?」
「それがね、最近亜人街を担当する人が変わったみたいでね。税金が五割に上がったのさ」
「―――五割? いくらなんでも無理があるだろ」
「そうは言ってもね。統治権やら税金をかける権利なんてのは貴族様が持ってるんだろ? あたし達亜人じゃどうしようもないさ」
ははは、と乾いた声で笑うがどうやら相当困っているようでその顔には疲れが感じられた。
「王城に直接抗議に行くのは?」
「それこそ亜人じゃ門前払いだよ。それに、ばれでもしたら酷い目に合うって噂だよ」
「……」
「そんな顔しないでおくれよ」
本当にお人好しだねと女の獣人は先程とは違うカラカラと明るい笑みを浮かべた。
「アンタみたいな奴がこの区画を担当してくれると楽なんだけどね。でも心配しなくていいさ。虐げられるのは慣れっこだし、家族も皆、健康で元気だからね」
シュウはかける言葉が見つからず、小さく頷くことしかできない。
虐げられることが日常になってしまっている状況が特別ではなく当たり前になっていることに憤りを感じ、シュウは無意識に奥歯をかみしめる。
これが貴族統治の実情か? ふざけてやがる。これのどこに誇りと高貴さを兼ね備える貴族の姿を見いだせば良いというのか。
この異世界が平等や人権と言った言葉とは限りなく縁遠い世界だともう分かっていたはずなのに、どうしても腹の底から噴き出すマグマのような感情を抑えられない。
だがその感情を表には出さない。亜人たちは決して同情や施しを得たいわけではない筈だ。
「そうか……そのパン二つ……最近なんか変わった事は?」
「まいど~……そうだね特に変わった事は聞かないけど、なんかあったのかい?」
女獣人が興味を示したように体を乗り出して聞いてくる姿に苦笑を浮かべつつ、すぐに誤解であると体の前で両手を振りながら答える。
「特にないよ。話のタネに面白い話があったらと思ってさ」
「そうかい。じゃあ、なんか面白い話があったら覚えとくよ」
「頼むよ」
焼きたてのパンの袋を受け取り、代金を払うとそのままその場を後にした。
受け取った紙袋は鉄でも入っているのかと思うほどシュウには重く感じられた。
「おっ、シュウ!なんか食ってけよ!」
「あ、シュウさん。お久しぶりです」
「シュウ兄ぃちゃんだ~」
「こんにちは、シュウさん。院長はお元気ですか?」
「これ持ってけよ。院長によろしくな」
その後何度か知り合いや院長の顔見知りに声をかけられるが、シュウは嫌な顔一つせずに対応していく。
ここで商売をする者たちはシュウの事を知っている者が多い。
シュウが何度もここに足を運んでいる珍らしい人族であるという事もあるが、それ以上に教会に住んでいるのが大きい。
彼が暮らしている教会は亜人・人問わず孤児を保護するので有名である。
人族以外の亜人種族は同種族の者に対して家族意識を持つことが多い。
だが王都での生活では他人を救えるほどの余裕を持つ亜人は少なく、それゆえ種族を問わず孤児を保護する教会は多くの者から慕われている。
「結局は手掛かりなしか~」
一通り聞いて回ったのにもかかわらず、有力な手掛かりを得る事は出来なかった。
(気配に敏感な亜人達なら魔物が近づけば気づかない筈はないが、住人はおろか北部から来た商人たちでさえ異変に気づいていなかった。あれほどの巨体の魔物を人の目に触れずに国内に運び込むなんて可能なのか?)
シュウは適当な空き地に転がる岩に腰掛け、思考に没頭するが答えは出ない。
現状では手持ちの情報が少なすぎて判断がつかず、幾ら考えても堂々巡りになるだけだろう。
辺りはうっすらと暗くなってきているが夕食の時間にはまだ余裕があるはずだ。
(……酒場にでも寄って帰るか……)
立ち上がり、ズボンに付いた砂を払うと目的の店へと歩を進める。
人混みを縫うように歩を進め、十分ほど歩いたところで、『憩いの虎』と書かれた大きな看板が目に入ってきた。
「いらっしゃい…って、シュウ君じゃない。久し振りね」
「ご無沙汰してます。マスター」
シュウを出迎えたのは切れ長な目が特徴の三十代ほどの美女だった。
力強さを感じさせるその目に男を惑わす、胸元を大きく押し上げている双丘に代表される豊満な体。
背中に流れる濃い金髪は無意識に人の目を引く。
それらが絶妙に合わさって、肉食的な雰囲気を醸し出している。
頭の上には獣人特有の獣耳が、お尻の上あたりからは黄色と黒の縞模様が特徴的な長い尻尾が揺れている。
「もう、エリナで良いって何度も言ってるのに。獣人の私はシュウ君が来ないから寂しくて死んじゃいそうだったのよ?」
「兎や小動物の獣人ならともかく、虎の獣人じゃないですか、エリナさんは」
彼女の気持ちに呼応するようにしてその耳と長い尻尾が左右に揺れる。
「それで今日はどうかしたの? いつも飲みにくる時間にしては大分早いじゃない」
「今日は仕事で。最近なんか変わったこと聞いてないですか?」
「私、情報屋じゃないんだけど……」
「エリナさん、顔が広いですから。何か知ってるんじゃないかと……」
シュウの発言にややむくれた様な雰囲気を作った彼女は、腰に手を当て仁王立ちのポーズをとる。
妖艶な美女と呼んでも差し支えないのにこういった幼い仕草も十分似合ってしまうから困るのだ。
「女性に対して顔が広いは失礼よ……でもそうね、灰色街の亜人が随分減ったそうよ」
「住人が?」
灰色街は亜人が住まう地区の一つで、平民の間ではスラム等とも呼ばれている。
主に集まっているのはならず者のような大手を振って外を歩けないような者たちばかり。
そのため治安が悪く、国も積極的には介入しない場所の一つだ。
「ええ。でも減ったのは子供持ちの家族ばかりだそうだから、国を出て行ったんしゃないかって。元々灰色街の亜人はお互い関わりを持とうとしないからはっきりとはわからないけど」
灰色街に住まう者たちは互いに干渉しない。
それは他人に過去を詮索されること嫌う者たちが多いために設けられた暗黙のルールなのである。
「それで、シュウ君の方は最近何かなかったの?」
「そうですね、これといって特別な事は……教会の子どもと遊んだり、冒険者の依頼をこなしたり……あ、後は……」
そうして互いの近況を報告し合っていく。
エリナリーゼは見た目の派手さとは逆に知性的な落ち着いた女性である。
そのため彼女との会話はシュウにとって安らぐ時間であり、エリナリーゼにとっても店の常連であり、日本人特有の律儀さと礼儀を持つシュウは女性として安心して話せる相手であった。
しばらくお喋りに興じていると仕事帰りと思われる亜人が増え始めた。
美人の店主に美味い酒が飲めるということで酒場『憩いの虎』は隠れた人気店でもあるのだ。
当然店主であるエリナリーゼを狙っている者も多いのだが実はこの店主、食材の仕入れから調理まで一人でこなす武闘派の超人店主なのである。
エリナリーゼは冒険者としても一流の腕を持ち、肉体能力に優れた虎の獣人とは言えその戦闘力はそこら辺の上級冒険者にも筆適する。
迂闊に手を出そうものならその体に「教育」という名の制裁を叩き込まれるため、常連客はきちんと距離を保って接している。
中には叩かれるのが好きという強者もいるがほとんどの客はルールを守って食事を楽しんでいるのである。
「そろそろ帰ります。教会の夕食に遅れますから」
「そう? もっとゆっくりしていっていいのに……」
商売上の常套句。
とは言っても、円熟した色気を漂わせる女店主に寂しそうな表情で迫られると虚しいことに男のシュウとしては色々とクるものがある。
「また来ますよ。今度は一緒に……」
酒でも飲みましょう、という別れの挨拶は何人もの足音にかき消された。
驚いて振り向くと同じ金色の鎧装備を付けた騎士が駆け込んで来るところだった。
「フン。薄汚い所だ」
酒を飲んでいた亜人達に侮蔑の視線を浴びせながら、騎士に守られるようにして一人の男が入ってきた。
「へぇ、君がエリナリーゼか。まあまあ見れる顔じゃないか」
男は店を見回してエリナリーゼに視線を止めると好色そうな視線を隠すこともせず、全身を嘗め回すように見た。
因みに彼女に近くにいたはずのシュウは男の視界からは自動的に弾かれているようで視線を向けることすらなかった。
「私がエリナリーゼですが、何かご用でしょうか?」
「なに、今夜の相手に君を選んでやろうと思っただけだ。獣人にしてはましだと聞いたのでね。高貴な私の寵を受けられることに感謝するんだな」
鷹揚に頷く男に嫌悪の表情をうまく隠して、エリナリーゼは深く頭を下げる。
「申し訳ありませんが、私にはこの店が在りますので。そういったお話は……」
「無礼者! 亜人の分際で、コルニエール様の申し出を断るなど、恥を知れ!」
やんわりと拒絶の言葉を返したエリナリーゼに彼の周囲の騎士から叱責が飛んだ。
まじめに職務を果たしているように見える騎士達だがその視線は豊満な彼女の肢体にくぎづけだ。
主の後に彼女を貸し出してもらえると考えているのかもしれない。
店で酒を飲んでいる他の亜人達も相手が貴族であると分かり無暗に手が出せないようだった。
「ハッ。亜人風情の相手をしてやるとこの私が……ギャ!」
「醜い豚が。その人は汚い手で触っていい女じゃない」
誰もが事態を見守る中でただ一人シュウだけが平然としていた。
深刻な事態にならないようなら放置しておくつもりだったがエリナリーゼに触れようとしたところで我慢の限界に達し、気づけばカウンターにあった強い酒をコルニエールの顔面に浴びせかけていた。
コルにエールは目に酒が入ったようであまりの痛さに「目が~目が~」と某アニメの大佐のようなセリフを吐きつつ床をのた打ち回っている。
他の者たちは――――エリナリーゼを含め――――事態に頭がついていかないようで呆然とした様子で床で喚く次期侯爵を眺めていた。
「貴様! この方はラリニース侯爵家次期当主、コルニエール=ラリニース様だぞ! それをわかっての無礼か!」
「……ラリニース?……」
コルニエールの助けに入った騎士の一人が怒りの視線を此方に向けるが視線よりも騎士の吐いたセリフがひっかかり、首をかしげた。
ーーーあれ、確かどっかで。
聞いたことがある名前に記憶をたどる。
その様子を侯爵家の名前におびえていると自分の都合の良いように解釈したコルニエールは唾をまき散らしながら叫んだ。
「そうだ! ラリニース侯爵家だ! 次期当主たる私に……」
「ああ!」
思い出したとばかりに手を打ち合わせると右手でコルニエールを指差した。
「好色家で有名な跡継ぎか」
「なっ!! 貴様!」
自分が好色であると自覚があるのか、またはただ侮辱されたからかコルニエールの顔は真っ赤に染まっていた。
「市民権を獲得してる亜人を権力を盾にして従わせようなんて、亜人擁護派のエーデル公爵家辺りに知られるとまずいんじゃないか?」
しかし、その顔は次のシュウの言葉で真っ青に変わった。
店を経営しているという事は行政府に申請した届け出が正式に受理されたことを意味している。
その店に権力を不当に使ったとばれれば、亜人擁護の派のエーデル侯爵家はもちろん、彼の家と敵対関係にある貴族家が容赦のない糾弾をしてくるのは確実だ。
「こ、この男は不敬罪だ! すぐに殺せ!」
慌てたコルニエールはすぐさま配下の騎士達に指示を飛ばす。
騎士達も慌てて自分の得物を鞘から抜き出すと剣先を此方にに向けるようにして構えた。
思い通りにならなければ、即強硬手段。典型的なゲスだ。
情状酌量の余地はないがエリナリーゼの店に迷惑をかけるのは少々気がひける。
「エリナ、カウンターから出てくるなよ」
「あ、は、はい」
いつもは敬語で接してくるシュウに名前で呼ばれ、エリナリーゼは一瞬動揺したものの、すぐに言われたとおりに体を隠す。
それを確認するとシュウは剣を構える騎士たちに視線を向けた。
身につけているのはどれも普通の冒険者では一生手の届きそうにない高級装備。
表面には汚れ一つなく、店の照明を受けて輝く姿は何とも美しいが使っているのが三流以下の雑魚では装備も泣いているだろう。
「初めに言っておく。俺は貴族が嫌いだ。そして、剣を向けている奴に手加減する気もさらさらない。痛い思いをしたくなければさっさと失せろ」
その物言いに顔を赤くしたのは剣を構えた騎士達だ。
彼らは全員が貴族の家の出身だが家を継ぐことの出来ない次男、三男などである。
だが貴族特有の貴族至上主義とも言える教育は受けており、敬われるべき自分たちが小汚い平民の男に馬鹿にされるなど彼ら自身のプライドが許さなかった。
「ああああ!!」
次々と声を上げながら時間差で襲い掛かってくる騎士達。
その連携は十分に評価できるものだ。
よほど訓練を積んでいるのか、それとも今回のような出来事に慣れているのかは判断がつかないが侯爵家の騎士に恥じない技量だ。
店の女性客が斬り殺されるシュウを幻視して悲鳴を上げるが彼の視線は冷静に相手を観察していた。
「死ねぇ!!」
気合と共に振り下ろされる剣を最小限の動きで横に躱し、相手の手首をつかむと自分の方へ引き寄せる。
互いの体温すら感じられそうな至近距離から相手の膝を蹴り抜いた。
「ぎゃあ!?」
大木が折れるような音が店内に響き渡り、倒れこんだ騎士の右膝があり得ない方へ曲がっている。
しかしシュウはその様子を確認することなく他の騎士に視線を向けている。
その視線は冷静を通り越し、冷酷、冷徹と表現されてもおかしくない物に変わっている。
路傍の石を蹴り飛ばしてもなんの罪悪感も湧かないように、今のシュウは人を傷つけることに対して何の抵抗も持っていない。
「コイツ!」
水平に切り払われる剣に合わせ床を蹴ると、カウンターの要領で相手の無防備な顔面に膝蹴りを食らわせる。
ゴキッという音が響き、男の手からは剣がすっぽ抜け、顔から血をまき散らしながら壁際にまで吹き飛ばされる。
「デジー!?」
仲間の騎士は飛ばされてきた同僚を受け止めると、その悲惨さに体を震わせた。
鼻の骨が折れ、顔が軽く陥没したまま気絶している。
仲間の騎士二人があっという間に無力化されたことに他の騎士が動揺し、その動きが止まる。
それを見逃すシュウではない。
床を蹴ると今までの受け身が嘘のような速度で一瞬にして騎士達と距離を詰める。
シュウが挑発をするような真似をしたのは正当防衛という状況を作り出すためだ。
彼一人であれば躊躇することなく貴族を手に懸けたであろうが店の主人であるエリナリーゼに迷惑をかけないため、あえて後からでもいい訳がたつ様な状況を作り出したのだ。
遅い。
体を沈めるようにして、足を止めてしまった騎士の目前に弾丸のようなスピードで迫ると、掌底で掛け声と共に相手の顎を下から正確に打ち抜いた。
「コキュ!?」
手に骨を砕く嫌な感触が伝わり、声とも呼吸音とも取れる音を残して騎士はその場に崩れ落ちた。
意識があるようだが口を半開きにしたまま痙攣している。
顎を強打されたことで脳震盪を起こしたのだ。
足元で痙攣する騎士に一瞥することもなく、次の得物を探すようにして視線を巡らせる。
「ひっ!」
シュウと目があってしまった騎士は後ずさりしようとしたが足がもつれ、そのまま後ろに倒れこんでしまった。
先程までの平民と見下した表情はなりを潜め、顔に浮かんでいるのは怯えと恐怖だ。
貴族だから手を出されないのだと高をくくっていたのならばもう遅い。
「わ、悪かった。ゆ、許して……」
座り込んだまま恐怖で涙を流しつつ命乞いをする姿は何ともみっともない。
強者から一転、命を刈られる立場に回ればすぐそれか? 仮にも貴族と言うなら、最後まで格好を崩すなと言いたい。
シュウは命乞いを始める男に何の感情も抱かずそのまま男の顔面を蹴り砕いた。
相手は声を発することもなく崩れ落ちる。
すでに店内は静まり返っていた。
固唾を飲んで見守る張りつめた空気が肌を刺すように刺激しているかに感じられる。
「……まだやるのか?……」
シュウが声をかけるとコルニエールの身体がビクリと震えた。
慌てて辺りを見回すと配下の騎士たちが見るも無惨な姿で倒れている。
シュウは命を失うほどの怪我を負わせたつもりはないが騎士として再起できるかは微妙なところだろう。
少なくとも今回の恐怖に打ち勝てなければ肉体的騎士に戻れたしても精神的には死ぬことになる。
コルニエールはようやく状況を理解したのか信じられないものを見るような表情を浮かべている。
気持ちは分からないではないが向けられる方としてはあまり気持ちのいいものではない。
本音を言えばこの好色後継ぎもぶちのめしてしまいたいが流石に次期侯爵家当主を殺害したとなれば王国が介入してくるだろう。
可能であればそれは避けたい。
逆に平民に配下の騎士がやられたなど言い触らせるものではないから、他人に泣きつくことも不可能な筈だ。
「お前もやられたいのか?」と声をかけると面白いように飛び上がり、慌てて店を出ていこうとする。
「私が王となった時一番に駆逐してやる!」
そう捨て台詞を残し、五体満足な騎士に怪我人を担がせると一目散に店内から出て行った。
その姿が見えなくなったところでシュウは張りつめていた息を吐き出す。
すると事態を見守っていた亜人達が一斉に動き始めた。
「お前、凄いな!貴族相手に大立ち回りなんて、やるじゃないか!」
「スカッとしたぜ!」
「見てたか?あの貴族一目散に逃げ出していったぜ!ざまあねぇな!」
「俺の奢りだ飲め飲め!」
「いや、ちょ、待ってくれって!?」
亜人達は次から次へとシュウを称賛し、彼の頭を撫でまわし、手に持った酒を祝い酒と称して彼にかける。
見ればその顔に浮かんでいるのは清々しい表情だ。誰しも普段自分たちを虐げる貴族が尻尾を巻いて逃げだしたことに爽快感を感じているのだろう。
シュウは彼らに笑顔で答えながら頭の中ではコルニエールの捨て台詞の事を考えていた。
(王になったらって、侯爵家の嫡男が国王の娘婿になるなんてありえないだろうに)
現在のアルメダ国王には兄と妹の二人子供がいる。
王位継承権を持つのは兄であり、万が一妹が王位を継ぐ事になったとしても侯爵家嫡男のコルニエールが王配に選ばれる可能性はないはずだ。
「……アイツの妄想なのか?……」
「ん?なんか言ったかい?」
傍にいた亜人に口から漏れた呟きを聞かれるがが、シュウは何でもないと言ってごまかした。
そしてすぐにエリナリーゼが隠れているカウンターに視線を向ける。
エリナリーゼはひどく真面目な表情を浮かべており、やや小走りで近づいてきた。
「エリナさん。迷惑かけ……むぐっ!?」
いやに真剣な表情を浮かべているな、と不思議に思ったのも束の間、気づけば頭を抱き抱えられ、その豊満な胸元に引き寄せられていた。
エリナリーゼの身長が180センチなのに対してシュウの身長は173センチ。
その身長差から抱きしめられると、彼の顔は彼女の胸を見下ろす形になり、鼻や口が完全に埋まってしまう。
シュウは天国のような感触と地獄のような苦しさを一緒に味わう事になった
布越しに柔らかな感触と人肌特有の温もり、更に柑橘系の香水のような匂いが感じられ、シュウは突然の事に思考が停止した。
周囲の観客たちも女主人がとった予想外の行動に意表を突かれ、誰しも凍ったようにその場を動けずにいた。
「エ、エリナ」
「黙って」
声をかけようにも思った以上に強い口調で遮られ、シュウは訳が分からないままその身体を彼女にゆだねた。
どれほど時間が経ったのか、やがてエリナリーゼはシュウを解放するとその顔を正面から見つめた。
瞳にふざけた色はない。
「大丈夫よね?」
「え? あ、怪我は…」
「大丈夫よね?」
真剣な表情の彼女につられ、シュウも自然と表情が引き締まった。
彼女が心配しているのが怪我ではないことが本能的に分かった。
「大丈夫だ。心配いらない」
「そう、だったら良いの……」
そのまま彼女はシュウを解放するとゆっくりとした足取りで店の裏へと向かっていった。
「一体…」
「何だったんだ?」という彼の言葉は肩に置かれた複数の手によって遮られた。
「何しとんじゃ、われ……!」
「エリナさんの双丘を味わうとは羨まし……じゃなくて不謹慎な!」
「男の風上にも置けんわ……」
「死ね」
「リア中死すべし!」
醜い男たちの嫉妬であった。
『憩いの虎』の顧客層の中心は当然男性である。
すると、その女主人に抱きしめられるなどと言う羨まけしからん思いをするとどうなるかは一目瞭然なわけで……
「え、ちょ、待てって!…本気か!?…………アーッ!!」
この日のシュウの帰宅は夜中を過ぎることになった。
彼はこの日の事を後に一切語る事はなかった。
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