14話
エルディアから文化交流団が来る。
その話を聞いてから。
リリーは、少し浮かれていた。
もちろん。
浮かれすぎないようにはしている。
しているつもりだった。
「マーサ」
「はい」
「エルディアの方に最初にお会いしたときは、やっぱり正式な挨拶のほうがいいと思う?」
「誰に会うつもりなんです」
「もしもの話」
「その“もしも”が随分具体的ですね」
「いいでしょう、考えるだけなら」
机の上には、エルディア語の本が三冊。
その横には、リリーが自分で作った会話の一覧。
『ようこそアルヴェリアへ』
『長い旅、お疲れではありませんでしたか』
『エルディアの雪解け祭について、本で読みました』
『こちらの料理はお口に合いますか』
そこまで書いて、リリーは眉を寄せた。
「最初から祭りの話をしたら変かな」
「変ですね」
「やっぱり?」
「初対面の人間に突然、自国の祭りについて詳しく語られたら、私なら少し引きます」
「そんなに?」
「殿下は最近、エルディアへの熱量がおかしいんです」
「おかしくない」
「十分おかしいです」
マーサは容赦がなかった。
それでも、リリーは紙へ視線を戻す。
実際に、エルディアの人が話す言葉を聞ける。
本でしか知らなかった文化について、直接聞ける。
どんな場所で育ったのか。
どんなものを食べるのか。
冬は本当に。
本に書かれているほど雪が降るのか。
聞いてみたいことがたくさんあった。
「……アシェル王子も来るのかな」
小さく呟く。
「殿下」
「独り言です」
「年寄りの真似をしない」
「マーサがいつも言うから」
「第二王子が来るとは限りませんよ」
「分かってる」
リリーはすぐに答えた。
本当にそれは分かっている。
文化交流団。
そう聞いただけだ、王族が同行するとは限らない。
それに、もっと大きな問題もある。
――自分が。
その催しに呼ばれるとは限らない。
いや、たぶん呼ばれない。
リリーは、そのこともちゃんと分かっていた。
本宮で行われる大きな式典に、自分はほとんど呼ばれない。
外交使節を迎える晩餐にも出たことがない。
現皇后の娘であるセリーヌなら、当然のように出席するだろう。
他の皇子や皇女たちも。
でも、離宮にいる自分に、果たして声がかかるだろうか。
「……期待しすぎない」
リリーは、自分に言い聞かせるように呟いた。
呼ばれたら嬉しい。
呼ばれなかったら、仕方がない。
今までだってそうだったのだから。
だから。
浮かれすぎない。
期待しすぎない。
そう決めた。
それなのに。
翌日。
「マーサ」
「はい」
「何か来た?」
「来てません」
「そう」
翌々日。
「今日、王宮から何か――」
「ありません」
「まだ最後まで言ってない」
「顔に書いてあります」
三日後。
「……」
「ありませんよ」
「聞いてない」
「聞く前に答えました」
五日後。
リリーは。
とうとう聞かなくなった。
文化交流団が到着するまで。
あと一週間。
本宮ではすでに準備が進んでいるらしい。
新しい花が運び込まれ。
廊下の装飾が変わり。
厨房には、エルディアの料理を学んだ料理人まで呼ばれている。
そんな話だけは離宮にも流れてくる。
けれど、リリー宛ての
招待も。
出席の指示も。
一向に来なかった。
「……やっぱり」
図書館の机に頬杖をつきながら、リリーは小さく呟いた。
予想はしていた。
だから、思ったよりは傷ついていない。
……はず。
それでも。
目の前には何度も読み返したエルディア語の本。
横には自分で書いた挨拶。
全部。
使う機会はないのかもしれない。
「殿下」
向かいから声がした。
顔を上げる。
「何ですか、その顔」
ルーシュがいた。
いつから来ていたのだろう。
最近はもう驚かなくなった。
「普通の顔です」
「全然」
ルーシュは向かいの椅子へ座る。
「今日、全然本読んでないでしょう」
「読んでます」
「同じページ、さっきからずっと開いてます」
「……」
「何かあったんですか」
「別に」
「嘘」
本当に遠慮がない。
リリーは少し迷った。
でも、ルーシュはあの文化交流団のことを、最初に教えてくれた人だ。
だから、ぽつりと言った。
「……やっぱり、呼ばれないみたいです」
「何に?」
「エルディアの方々を迎える催し」
「ああ」
ルーシュは、あっさりしたものだった。
「まだ連絡来てないんですか」
「はい」
「ふうん」
「その『ふうん』嫌い」
「じゃあ『そうなんですね』」
「もっと嫌」
「難しいな」
ルーシュは、机の上に並んだ紙を見る。
エルディア語の挨拶。
質問の一覧。
祭事についての覚え書き。
「こんなに準備したのに?」
「……はい」
「残念ですね」
「その言い方、ちょっと嬉しそうじゃありません?」
「気のせいです」
絶対、少し面白がっている。
リリーは、むっとして紙を重ねた。
「いいんです」
「いいんですか」
「もともと、呼ばれないかもしれないと思ってました」
「へえ」
「だから期待してません」
「へえ」
「……」
「……」
「何ですか」
「ものすごく期待してた顔してます」
「してません!」
「してましたよ」
「してない!」
「その紙の量で?」
ルーシュが指差す。
言い返せなかった。
「……ちょっとだけ」
「でしょうね」
「本当にちょっとだけです」
「はいはい」
「腹立つ」
ルーシュは少し笑った。
そして、本当に何でもないことのように。
「じゃあ、侍女として出ちゃえばいいんじゃないですか」
と言った。
リリーが止まった。
「…………え?」
「だから」
ルーシュは机の上の本を適当にめくりながら言う。
「皇女として出られないなら、侍女に変装して入ればいいでしょう」
「……」
「料理を運ぶとか」
「……」
「後ろで控えるとか」
「……」
「そうすれば、エルディアの人くらい見られるんじゃないですか」
リリーはじっとルーシュを見る。
ルーシュも顔を上げた。
「何ですか」
「それ」
「はい」
「本気で言ってます?」
「半分くらい」
「半分!」
「だって、会いたいんでしょう?」
「それは……」
「じゃあ、いいじゃないですか」
「よくないですよ!」
リリーは思わず声を潜めながら叫んだ。
「私、皇女ですよ!」
「知ってます」
「皇女が侍女の格好して入り込むなんて!」
「面白そう」
「面白そうで済ませないでください!」
「でも」
ルーシュが少し笑う。
「誰も殿下の顔、そんなに知らないでしょう」
リリーの動きが止まった。
「……」
「表にほとんど出ないんですよね」
「……そうですけど」
「だったら、気づかれないんじゃないですか」
「そんな簡単に……」
「無理ならやめればいいし」
ひどく軽い。
本当に、ただリリーをからかうつもりで、言っただけなのだろう。
「じゃ」
ルーシュは立ち上がった。
「稽古あるので」
「ちょっと待って」
「何です」
「今すごいこと言いましたよ?」
「そうですか?」
「そうです!」
「忘れてください」
「忘れられるわけないでしょう!」
ルーシュは笑いながら、図書館を出ていった。
残されたリリーは、しばらく動かなかった。
「……侍女」
ぽつり。
それから自分の服を見る。
皇女らしい。
質のいいワンピース。
もちろん豪華ではない。
けれど侍女とは全く違う。
「……駄目でしょ」
自分で言った。
無理。
危ない。
ばれたら絶対に怒られる。
皇女が勝手に外交行事へ潜り込む。
どう考えても。
やってはいけないことだ。
それにマーサが知ったら、たぶんものすごく怒る。
――絶対に駄目。
そう思った。
その日の夜。
「……」
リリーはベッドの上で天井を見ていた。
眠れない。
『皇女として出られないなら、侍女に変装して入ればいいでしょう』
ルーシュの声が、何度も頭に浮かぶ。
「……駄目」
布団を被る。
五分後。
顔を出す。
「でも……」
会いたい。
エルディアの人に。
実際に話してみたい。
どんな国なのか。
本で読んだことが、本当にその国の人たちにとっても大切なのか。
自分のエルディア語が通じるのか。
聞きたい。
知りたい。
夢の未来を変えるためにそういう理由もある。
でも、それだけではなく単純に会ってみたかった。
ずっと、勉強してきた国の人に。
「……見るだけなら」
小さく呟く。
話さなくてもいい。
催しの端で侍女として一度だけ、どんな人たちが来たのか。
見られれば。
それだけでも。
「……でも」
ばれたら。
大変。
皇后に知られたら何を言われるか。
父にも怒られるかもしれない。
そもそも離宮から、侍女として潜り込む方法など。
あるのだろうか。
「……」
リリーは起き上がった。
机へ向かう。
紙を一枚出した。
そして書く。
一。
侍女の衣装をどうするか。
書いたあと。
頭を抱えた。
「私、何書いてるの……」
消そうとする。
でも。
その下に。
二。
どこから入るか。
三。
誰に見つかる可能性があるか。
四。
エルディア語を話しても怪しまれないか。
五。
もし見つかったらどうするか。
気づけば。
五つも。
書いていた。
「……」
リリーは。
紙を見つめる。
完全にやる人の考え方だった。
「違う」
誰に言うでもなく言う。
「考えてるだけ」
まだ、やるとは決めていない。
ただ、可能なのか。
考えているだけ。
そう。
考えるだけ。
翌朝。
「マーサ」
「はい」
「侍女の服って、どこで管理してるの?」
マーサの手が止まった。
「…………」
「何?」
「何でそんなことを聞くんです」
「ちょっと気になって」
「何が」
「侍女の服」
「なぜ」
「……文化?」
マーサの目が一気に細くなった。
「殿下」
「はい」
「何を企んでいます」
「何も」
「私の目を見て言いなさい」
リリーはマーサを見る。
三秒。
「……何も?」
「疑問形になってます」
「……」
「殿下」
「まだやるって決めてないの!」
言ってから、リリーは固まった。
マーサも固まった。
「……まだ?」
「……」
「やるって?」
「……」
「何をです?」
「…………」
まずい。
とてもまずい。
マーサの眉間に深い深い皺が刻まれていく。
「リリー殿下」
呼び方まで少し変わった。
怒っている。
「説明なさい」
「……ルーシュ様が」
「ほう」
「皇女として出られないなら」
「はい」
「侍女として出ればいいんじゃないかって」
沈黙。
マーサは目を閉じた。
ゆっくり息を吸う。
「フロイト家の次男坊……」
声が低い。
「あの坊ちゃん、次に会ったら耳を引っ張ってやりましょうかね」
「マーサ」
「軽い気持ちで妙な知恵を入れおって」
「でも!」
リリーは思わず身を乗り出した。
「私」
マーサが見る。
「どうしても」
少しだけ声が弱くなる。
「エルディアの人と話してみたい」
からかいではなかった。
本当に、ずっと思っていたことだった。
マーサの顔から少しだけ怒りが消える。
「……殿下」
「分かってる」
「……」
「いけないことなのは、分かってる」
リリーは膝の上で手を握った。
「でも」
「……」
「こんな機会」
声が小さくなる。
「次がいつあるか、分からないでしょう?」
マーサは何も言わなかった。
リリーは続ける。
「少しだけでもいい」
「……」
「遠くから見るだけでも」
「……」
「できれば」
少し迷って、それでも。
「一言だけでも」
顔を上げた。
「話してみたい」
その目を見てマーサは、困ったように深く、深くため息をついた。
一方、リリーの頭の中ではすでに侍女として、どうやって催しに紛れ込むか。
そんなとんでもない計画が、ゆっくりと形になり始めていた。




