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12話

なぜか。


ルーシュが図書館に顔を出すようになった。


最初は、偶然だと思っていた。


「……また会いましたね」


リリーが本から顔を上げる。


「そうですね」


ルーシュは、悪びれもせず答えた。


二日前にも会った。


その三日前にも。


さらにその前にも。


「ルーシュ様」


「はい」


「図書館、好きでしたっけ」


「嫌いではありません」


「前に『字ばっかりで何が楽しいんですか』って言ってませんでした?」


「言いました」


「じゃあ、どうしているんです?」


ルーシュは少し考えた。


そして。


「暇だったので」


「絶対嘘」


「皇女殿下が人を嘘つき呼ばわりしていいんですか」


「では、本当の理由を言ってください」


「嫌です」


「ほら」


リリーはむっとした。


その反応を見て、ルーシュが笑う。


どうやらリリーをからかうのが面白いらしい。


図書館へ来る。


リリーを見つける。


近くに座る。


そして、邪魔をする。


最近、その流れがほぼ決まりになっていた。


「今日は何を読んでるんですか」


「エルディアの航海史です」


「面白い?」


「面白いです」


「船に乗ったことないのに?」


「乗ったことがなくても読めます」


「酔いそう」


「本を読んで酔う人いるんですか?」


「殿下ならありそう」


「どういう意味ですか」


「そのままです」


本当に腹が立つ。


でも、以前のように一方的に嫌なことを言われるだけではなくなった。


リリーも、少しずつ言い返せるようになった。


「ルーシュ様こそ」


「何です?」


「剣術しかしてないのに、頭まで筋肉にならないんですか」


ルーシュが、ぴたりと止まる。


「……今、僕のこと馬鹿にしました?」


「してません」


「しましたよね」


「筋肉を褒めました」


「絶対違う」


「剣術がお得意なんでしょう?」


「そうですけど」


「なら褒めています」


リリーは、何でもない顔で本へ戻る。


ルーシュが、しばらく黙る。


そして。


「……最近、口悪くなりましたね」


「誰かさんの影響かもしれません」


「誰でしょう」


「さあ」


今度は、リリーが少しだけ笑った。


ルーシュは何となく負けた気がした。


それがまた面白かった。


だから、来る。


用もないのに。


剣術の稽古が早く終われば、図書館へ寄る。


父について王宮へ来れば、少し時間を作って、図書館へ行く。


そこには、大抵リリーがいた。


机の上にら何冊も本を積んで、眉間に皺を寄せながら何かを書いている。


以前、離宮で見た彼女とは、少し違って見えた。


あの頃は、兄を見るたび、顔を明るくしていた。


話題もほとんど兄。


兄が何を好きか。


兄がいつ来るか。


兄に何を見せたいか。


兄。


兄。


兄。


正直。少し鬱陶しいくらいだった。


それが今は。


「リリー殿下」


「はい」


「兄上の好きな食べ物って何ですか」


わざと聞いてみる。


リリーの筆が、ほんの少しだけ止まった。


まだ、効く。


「……知りません」


「前は何でも知ってるみたいな顔してたのに」


「そんな顔してません」


「砂糖一個とか覚えてたでしょう」


「……」


「お菓子も」


「ルーシュ様」


「はい」


「静かにしてください」


「ここ図書館ですもんね」


「そういう意味じゃありません」


やっぱり、面白い。


少し頬が赤くなる。


でも、前のように兄の話を膨らませようとはしない。


すぐに、本へ戻る。


その違いを、ルーシュは、なんとなく不思議に思っていた。


「本当に追いかけなくなったんですね」


ぽろっと言う。


リリーの目が一瞬だけ、本の上で止まる。


「言ったでしょう」


静かに答える。


「もう、追いかけません」


「まだ好きなのに?」


「……そうですね」


「変なの」


「ルーシュ様に分かってもらおうとは思ってません」


「感じ悪い」


「どちらがですか」


また、言い返される。


少し前までなら、こういう話をするとリリーのほうが困っていた。


今は、そこまで簡単には崩れない。


ルーシュは、少しだけ感心した。


「で」


今度は、本の表紙を見る。


「エルディアの何がそんなに面白いんです?」


「全部です」


「広すぎる」


「文化も、言葉も、歴史も」


「僕には分かりません」


「でしょうね」


「何です、その言い方」


「剣術の本でも持ってきたらどうですか」


「図書館まで来て稽古のこと考えたくないです」


「じゃあ何しに来てるんです?」


「だから暇つぶし」


「絶対私をからかいに来てるでしょう」


ルーシュが、笑った。


「半分くらい」


「半分も!」


「残り半分は」


少し考える。


「殿下が何をそんなに一生懸命やってるのか気になる」


リリーが、目を瞬いた。


珍しく、まともなことを言った。


「……本当に?」


「何です、その顔」


「いえ」


「失礼ですね」


ルーシュは、リリーの向かいに座った。


「何でエルディアなんです?」


「前にも言いました」


「ちゃんとは聞いてない」


リリーは少し迷った。


夢のことは、言えない。


ヴァルグ帝国が、未来で敵国になることも。


自分が、人質として送られる未来を見たことも。


だから、言えるところだけ。


「アルヴェリアとエルディアが仲良くなれば」


リリーは、地図を引き寄せる。


「ヴァルグ帝国にとって、少し嫌でしょう?」


ルーシュの目が、地図へ向く。


「ここと」


エルディア。


「ここ」


アルヴェリア。


「ヴァルグ帝国を挟むような位置になるから」


ルーシュは、じっと見る。


「だから?」


「戦争って」


リリーは言う。


「起きてから勝つことより」


「……」


「起こさないほうがいいでしょう?」


ルーシュが、少しだけ目を細めた。


「それ、マーサに教わったんですか」


「最初のきっかけは」


「殿下が考えた部分は?」


「あります」


「例えば?」


「友好が強くなれば、ヴァルグも簡単には動けない」


「うん」


「それに、エルディアは海運が強いから」


リリーの声が、少しずつ楽しそうになる。


「アルヴェリアの鉱物を海から外へ出せるようになれば」


「……」


「ヴァルグを通さない交易路が増えるでしょう?」


ルーシュは、しばらく黙って聞いていた。


思っていたより、ちゃんとしている。


もっと。


『外国って素敵です』


くらいの話だと思っていた。


「へえ」


思わず言う。


リリーがすぐに睨む。


「その『へえ』嫌いです」


「今回は普通の『へえ』です」


「違いが分かりません」


「感心したほう」


リリーが、少しだけきょとんとする。


「……褒めた?」


「たぶん」


「珍しい」


「取り消します」


「じゃあ聞かなかったことにします」


また、すぐに返される。


面白い。


ルーシュは、少し笑った。


「でも」


「何です?」


「そこまで知ってどうするんです」


リリーの表情が、ほんの少しだけ変わる。


「どうするかは」


少し考える。


「まだ分かりません」


「何だ」


「でも」


リリーは、本の上に手を置いた。


「知らなかったら」


「……」


「何もできないでしょう?」


ルーシュが黙る。


それは、少しだけ兄の言葉と逆だった。


兄は、今の自分にはできることがない。


そう考えているようだった。


だから、父の判断に従う。


リリーは、何もできないなら、できることが見つかるまで知ろうとしている。


そんな違いをルーシュは、まだ言葉にはしなかった。


ただ。


「ふうん」


また言う。


「またそれ!」


リリーが怒る。


「今度はどっちだと思います?」


「どっちでも嫌です!」


少し声が大きくなる。


遠くから。


司書が。


じろり。


「……」


「……」


二人とも、静かになる。


それからルーシュは、少し声を落とした。


「エルディア語って話せるんですか」


「少しなら」


「言ってみて」


「嫌です」


「何で」


「笑うでしょう」


「笑いません」


「絶対笑う」


「じゃあ笑ったら謝ります」


「信用できない」


「皇女殿下って疑り深いですね」


「誰のせいですか」


それでも、少し迷ったあとリリーは、簡単な挨拶をエルディア語で口にした。


発音は、まだ完璧ではない。


けれど、十分形になっている。


ルーシュは少し驚いた。


本当に話せる。


「……何ですか」


リリーが、恥ずかしそうにする。


「いえ」


「笑うなら笑ってください」


「笑わないです」


「……」


「結構すごいですね」


また、褒めた。


リリーが、少しだけ嬉しそうにする。


その顔を見て。


ルーシュは、何となくもう少し聞きたくなった。


「他には?」


「何がです」


「エルディア語」


「聞きたいんですか?」


「暇なので」


「素直に言えばいいのに」


「何を」


「興味があるって」


「ないです」


「じゃあ教えません」


「それは困る」


「ほら」


「……少しだけあります」


「最初からそう言えばいいんです」


得意げで少し腹が立つ。


でも、悪くない。


それから、ルーシュはエルディアの話を、少しずつ聞くようになった。


「向こうでは旅立つ人に鈴を渡すんですよ」


「何で?」


「帰ってくるように」


「鈴で?」


「お守りみたいなものです」


「剣のほうが役に立ちそう」


「そういう話じゃないんです」


「じゃあ剣に鈴つけたら?」


「絶対うるさい」


「敵が来たら分かる」


「自分の場所も分かります」


「駄目か」


「駄目です」


「雪解けの祭りでは青い布を飾るんです」


「何で青?」


「海と空を表してるらしいです」


「赤のほうが目立つのに」


「何でも剣術大会みたいに考えないでください」


「僕、そんなこと言いました?」


「顔が言っています」


「兄上みたいなこと言いますね」


リリーが、一瞬黙る。


ルーシュも、しまった。


と思った。


でも。


リリーは。


「……そうですか」


それだけ言った。


少しだけ、寂しそうだった。


けれど。


すぐに。


「それより」


本を開く。


「エルディアの騎士は面白いですよ」


「騎士?」


ルーシュの目が、少し変わる。


リリーは、それを見逃さなかった。


「気になる?」


「少し」


「素直」


「うるさいです」


今度は、リリーが笑った。


そんなふうに、少しずつ二人の会話は、増えていった。


ナージュの話だけではない。


剣術。


エルディア。


王宮。


教師。


食べ物。


ルーシュの稽古。


リリーの勉強。


「今日、騎士団長に一本取れたんです」


「本当に?」


「木剣ですけど」


「すごい」


「でしょう」


「ルーシュ様、褒められると分かりやすいですね」


「……」


「顔が嬉しそう」


「うるさいです」


「ふふ」


「今日はエルディア語で一ページ読めました」


「一ページだけ?」


「一ページ“も”です!」


「前はもっと読んでなかった?」


「難しい本なんです!」


「言い訳」


「もう教えません!」


「すみません」


「謝るの早い」


「続き気になるので」


「現金な人」


そんな時間が、少しずつ増えていった。


マーサは、離れた場所から。


その様子を見ていた。


また来た。


最初に思ったのは、それだった。


フロイト家の次男。


剣術の才で。


すでに王宮騎士たちから一目置かれている少年。


その少年が、最近妙に、図書館にいる。


しかも、リリーの近くに。


「……暇なんですかね」


マーサが、小さく呟く。


少なくとも、勉強しに来ているようには見えない。


本を一冊開いても。


ほとんど読まない。


その代わり、リリーにちょっかいを出す。


からかう。


怒らせる。


そして、怒ったリリーに言い返されて、なぜか、楽しそうにしている。


「変な坊ちゃん」


マーサは、そう判断した。


ただ、悪いことばかりでもなかった。


ナージュから手紙が来ないことを。


リリーは、まだ気にしている。


時折。


急に黙る。


ぼんやりする。


それでも、ルーシュが来ると。


「ルーシュ様!」


「それ本当に失礼です!」


「もう話しません!」


と。


怒っている。


怒って、言い返して、気づけば、笑っている。


少なくとも、一人でナージュのことばかり考えて、沈んでいるよりはいい。


だから、マーサは今のところ、追い払わないことにした。


もちろん何かあれば、すぐつまみ出すつもりだ。


その日の帰り。


ルーシュは図書館を出てからふと思った。


最初は、ただからかうのが面白かった。


兄上。


兄上。


そう言っていた皇女が、ちょっとつつくだけで、すぐ真っ赤になる。


それが、面白かった。


でも、最近それだけではない。


エルディアの話を、楽しそうにするリリーは、思っていたより、ずっと話が面白い。


知らないことも、たくさん知っている。


それに、自分の話もちゃんと聞く。


剣術の話など、母は、危ないからほどほどにしろと言う。


父は、結果だけを見る。


兄は、技術的なことを指摘する。


もちろん。


どれもありがたい。


でも、リリーは。


『それで?』


『どうなったんです?』


『勝てたんですか?』


と。


妙に、楽しそうに聞く。


褒めれば、分かりやすく喜ぶし。


からかえば、すぐ怒る。


兄の婚約者として見ると、相変わらず、少し冴えない気もする。


華やかでもない。


政治的な価値も高くない。


兄には、もっとふさわしい相手がいる。


その考えは、まだ変わっていない。


ただ。


「……まあ」


ルーシュは、一人小さく呟いた。


「話すくらいなら」


悪くない。


だから、明日も王宮へ来る用事があれば、少しくらい図書館を覗いてもいい。


その程度だった。


少なくともルーシュ本人は、そう思っていた。

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