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子供だけの楽園

男の子は(ゆう)と名乗った。


「ここはどこなの?」

澪が聞いた。

「子供の町だよ」

悠が当たり前みたいに答える。


「子供の町?」

「うん。子供しかいない、子供のためだけの町なんだ。子供しかいないでしょ」

そう言って周囲を指差した。


今まで誰もいないと思っていた路地の奥に子供がいた。

塀の上に座っている子供。家の窓からこちらを覗いている子供。

いきなり情報が入ってくる。まるで最初からそこにいたみたいに。


まただ。いなかったはずの子供たちが突然現れた。

「……っ」

真都は息を呑んだ。

さっきまでいなかったはずだ、絶対に。


それなのに、澪は驚かなかった。

「通ってきた道も子供しかいなかったよ」

やはり澪にはあの子供たちが最初から見えていたんだろうか。

真都は自分がおかしくなってしまったのだろうかとうめき声を小さく上げた。


悠は嬉しそうに笑った。

「そうだよ。だから安心して」

「安心って」

真都は眉をひそめる。

大人がいない町に迷い込んだことをどう安心しろと言うのか。


「帰り道を教えてくれないかな」

悠はきょとんとした。

可愛らしく首を傾げている。

「帰るの?」

「帰るよ」

「どうして?」


今度は真都が言葉に詰まった。

どうしてって。帰りたいからに決まっている。

学校があって、家があって、母さんが待っていて、生活がある。

こんなよく分からない町に長居していられない。


けれど悠は本当に理解できないらしかった。

「結構いいところだよ、ここ」

そう言って、背を2人に向けて空を見上げる。

「学校もないし」

指を一本立てる。

「災害もない」

もう一本。

「怒られることもないし」

さらに一本。

「不安に思うこともないんだ」

追加で一本。

「なにより、年を取ることも、病気になることも、死ぬこともないんだ」

最後に一本。

「……」

「みんな毎日好きなことをして遊んでるんだよ」

そしてくるりと回ってこちらに手のひらを見せつけて振った。

「ずっとね」


その言葉に、真都は困惑した。

ずっと。

ずっとってなんだ。

子供は大人になる。当然のことだ。

永遠に子供のままでいることなんて許されない。

それが当たり前で、世界のルールなのだから。


「大人にならなくていいんだ」

悠が続ける。

「大人になるなんて、嫌でしょ?」

その瞳は澪に向けられていた。


澪は少し首を傾げる。

「わかんない」

「そう?」

悠は笑った。

「僕は嫌だな」


そして、すっと真都を見た。

「君は?」

真都は答えない。

大人になりたいだとかなりたくないだとか、そんなことを考えるだけ無駄だと思ってきた。

時間が経てば、子供は勝手に大人になる。

階段飛ばしをして大人になることはできないし、反対にずっと足踏みをして子供でい続けることもできない。大人とはそうやって自然になっていくものだ。


悠は勝手に頷いた。

「君も本当は嫌なんでしょ」

「そんなこと」

ない、とはなぜか言い切れなかった。

「だって大人って大変じゃない」

悠が当然のように言う。

「働いて、悩んで、責任を持って、我慢して。つまらないことばっかり」

悠は少しだけ目を細めた。

「だからここはいい場所なんだ」


「ここでは明日のことなんて考えなくていい」

悠は楽しそうに言った。

「遠い将来のことも考えなくていい」


その言葉に、真都は妙な違和感を覚えた。

確かに子供なら誰だって一度はそんなことを考えるかもしれない。


勉強なんてなくなればいい。

ずっと遊んでいられたらいい。

このままずっと子供でいられたらいいのに。


その願いを叶えたこの町は、言われてみれば理想的な光景、楽園のはずだった。

なのに真都は落ち着かなかった。

何かがおかしい。言葉にはできないが、この町には何か大切なものが欠けている気がした。


沈黙が流れた。

やがて悠が首を傾げた。

「でもごめんね」

「なにが?」

「やっぱり君はここにはいられないよ」

悠は少し困ったように笑った。

「さっきもそんなこと言ってたけど、それは一体どういうことかな」

そう言ってから真都ははっとした。

「というか、ここにいられないも何も、帰り道だけ教えてくれたら、僕は澪と一緒に帰るから」


真都の言葉を無視して悠が続ける。

「君、もう大人みたいなものじゃないか」

「……え?」

悠は不思議そうに言う。

「だったら普通は入れないのに」

真都は困惑した。


「僕はまだ16歳の高校2年生だ。君たちほど子供じゃないけど、まだ大人でもないよ」

悠は軽く鼻で笑った。

「年齢の話じゃないんだ。もちろん年を取れば大人になってしまうけど、君はもう考え方が大人じゃないか。そんな君をこの町にはいさせられないな」


悠は今度は澪を見た。

そして優しく微笑む。

「でも君は大丈夫」

澪はなにもわかっていないようだった。

真都は澪がどこかに行ってしまうような気がして、澪と手をつなごうとした。


それと同時に、広場の方から子供たちの声が聞こえた。

「おーい!」

「こっち!」

「遊ぼう!」

澪の目がぱっと輝く。

「あっ」

「澪!」

つなぎとめるより早く、澪は真都の服から手を放して、子供たちの方へ駆け出していた。

悠はそんな様子を満足そうに見つめる。

「ほらね」


そして真都へ振り返った。

「君は帰りたがってるけど、あの子は違う」

子供たちのの笑い声が遠く響く。

「ここはね、子供のための町だから」


「あの子はきっと、この町を好きになるよ」

そう言葉を残して、悠は忽然と消えてしまった。


どういうことだ。おかしなことばかり起きる。

子供が見えるようになったり、いきなり消えたり。

これも僕が子供でないことの証左だというのだろうか。


呆然と悠がいた場所を見つめていたが、こんなことをしている場合ではなかった。

早くこんな場所から出て行かないと。


「澪!」

真都は広場に向かって叫んだ。

返事はない。

かくれんぼでもしているのだろうか。


真都は広場を見回した。

ベンチの陰か、噴水の向こうか。

さっきまでそこにいたはずなのに、澪の姿はどこにも見当たらなかった。

澪を呼んだ子供たちも消えている。

広場にはただ風が吹いているだけだった。


「……ほんとうにどういうことだよ」

喉が乾く。

腕からごろごろと果物が落ちる。

地面に転がっていくのを尻目に、それを拾う気にはなれなかった。


悠と話していたのなんてせいぜい数十秒だ。

目を離した時間なんてほとんどない。

それなのに澪までいなくなるなんて。


「澪、澪!」

何度声をかけても返事はない。


広場を出て、来た道を戻ってみる。

歩けど歩けど、さっきまではあれほどいたはずの子供たちの姿がない。


また嫌な静寂の中に取り残されたみたいだった。

しかも、今度は澪さえ連れていかれた。


もっとちゃんと見ておくんだった。

果物を全部受け取らずに半分ずつ持って、手をつないでおくんだった。

そもそもこの変な場所に入り込んだ時から目を離すべきじゃなかった。

散歩にあの道を選ぶんじゃなかった。

後悔ばかりが浮かんでくる。


歩き続けてもう自分がどこを歩いているのかさえ分からなくなってきた。


「澪……」

不安がじわじわと胸の内側を埋めていく。

澪はまだあの子供たちと一緒にいるだろうか。

真都の目に見えなくなっただけで、まだ広場で遊んでいるのだろうか。


そう考えた瞬間、背筋が冷たくなった。

どこかに行ってしまったのが澪ではなく自分だとしたら、どうやったら澪にもう一度会えるのだろう。

沈まない太陽に照らされているはずなのに、まるで暗闇の中に立っているかのようだった。

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