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何藹鐘

 藩金花は何藹鐘を連れて屋敷の敷地内を案内していく。藹鐘は庭で樹木や岩や池をどんどん紙に描いていく。水墨画だ。金花は黙って後ろから三歩下がってそれを見つめている。見慣れた景色が水墨画で味わい深く表現されている。


 藹鐘は書き終わると他の所へ案内させた。金花は機織工房に連れて行った。職人達は一度、慇懃に藹鐘に挨拶すると、仕事を再開した。藹鐘はその様子を描いていく。観察されていた女達は少し緊張していたが、すぐに慣れた。名門貴族であるはずの藹鐘の存在感が薄いのだ。しかし、金花は藹鐘が瞬く間に仕上げているのを間近に見て、驚嘆した。速いだけではなく、正確だ。複雑で細かい織機や道具、女達の動きを見事に捉えている。


 次は金花に台所を案内させた。金花は訝しんだが言う通りにした。料理の片付けをしていた料理人達は驚いて頭を下げたが、藹鐘は仕事を再開させるように命じた。料理人達は困惑気味にその通りにした。藹鐘は邪魔にならない所に立ってその風景も描いていく。これも見事に台所の間取りと料理人達の動きを掴んでいる。金花は息を飲んだ。


 その後、藹鐘は洗濯場に行きたがったが日が暮れかけていた。金花は客用の寝室に案内した。既に部屋で待っていた父親の英芝は藹鐘を睨み、

「お前、目的を忘れて皆に迷惑をかけるなよ」

 と、叱った。藹鐘は低い声で、

「申し訳ありません」

「金花に謝れ」

 英芝はまた叱る。息子の見合い相手で自分のいとこでもある金花に申し訳なさを感じている。金花は目を泳がせながら、

「いいえ。お怒りにならないで下さい」

「苦労かけたな」

 藹鐘が素直に謝った。英芝と藹鐘は部屋の中に入った。緊張が解れて金花は肩を落とす。手には三枚の絵が有る。英芝に破られると思った藹鐘が渡していたのだ。金花は両親にそれを見せようと両親の部屋に向かった。


 英芝は藹鐘に小言をくどくどと言い続けた。藹鐘は俯いている。何時も絵を描き過ぎて叱られているので慣れてはいる。しかし気持ちの良い事ではない。英芝もまた数年前までは酒を飲み遊郭で遊んでは母親と祖母に叱られていた。それを思いだして藹鐘は言い返そうとしたが黙った。最近の英芝は飲酒も遊郭も控えて妾と母親と静かに暮らしている。時折、詩を書いているぐらいだ。今回の旅の途中で遊郭で酒を飲んだが、金花の両親である秋蓮と夏鉄の情報収集の為だった。


 足音がするので、英芝は黙って振り向く。藹鐘も出入口を見やる。若い男と妊婦が立って礼をしている。若い男が、

「遅くなって申し訳ありません。私、藩秋蓮と賀夏鉄の息子である藩真銭でございます」

 と、ハッキリゆっくりとした口調で挨拶した。隣の妊婦も、

「その妻の孫正琴でございます」

 金花の兄夫婦だ。正琴が妊娠しているから姿が見えなかったのだ。英芝は微笑み、

「そうか。二人共、大事な時期だから無理をしないでくれ」

 英芝は藹鐘に振り返る。藹鐘は、

「俺は何藹鐘」

 と、ぶっきらぼうに挨拶した。英芝は眉を寄せたが、真銭と正琴に苦笑いしながら、

「気の利かない倅ですまないな。二人共、休んでいなさい」

 真銭と正琴は一度頭を下げると静かに部屋から離れて行った。英芝は藹鐘に振り向き、大きな溜息を吐く。

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