何英芝
紅帝国の北から中心部に流れる大河川である北江付近にある貝封県蝶盾郷。そこには名門貴族である何一族が住んでいた。何一族は先祖代々から土地を受け継ぎ、領民達から作物や薪や資材を受け取っていた。更に領民達は帝国に毎年納税していたので、何一族は搾取で恨まれて反乱が起きない様に静かに暮らしている。豪商や富農よりもむしろ慎ましやかである。
蝶盾郷にある宝欽町には去年、何一族の当主になった何英芝が住んでいる。英芝は有力者から依頼を受けて作詩しては門や壁に書いている。領地の経営は完全に富農達に任せている。十二段もある科挙に挑戦して官吏にもならず、政務にも参加しない。特に才覚も無ければ計算が苦手なので商売もしない。英芝の妻は女として最高峰の科挙を七段目まで合格して五年ほど前から蝶盾郷の長官を務めている。
英芝は酒を飲み遊郭に遊んでは詩を詠む。英芝には名門貴族としての権威と文才が有るので詩を書いてもらうと酒屋も楼主も代金をもらわない。けれども英芝の妻は不健康な生活を案じて節制させる為に配下の官吏達に監視させたり楼主達や酒屋の商人達に文句を言っている。
今年で英芝は四十歳だ。遊郭から妾を二人迎えて最近では遊郭に行かずに妾二人と妻と茶を飲んで過ごしている。思い出した様に詩を書いている。英芝の詩に感動した者達が弟子入して、何一族の世話をしている。英芝は気楽だ。
しかし一ヶ月前に英芝の母親である賀玉葉が英芝の長男である藹鐘の縁談を提案した。藹鐘は今年で十八歳になる。父親の英芝と違って酒も飲まないし女遊びもしない。ひたすら絵を描いている。親戚や英芝の弟子を連れて景勝地に行っては風景を描いている。丘の上から街並みを観察しては建物や人も描写している。時折、壁画などの依頼を受ける。紙に描かれた水墨画も喜ばれる。
英芝は藹鐘が縁談に興味を持つか不安だった。藹鐘は遠くから女を眺めてそれを描写する。近寄って話しかけない。玉葉はそんな藹鐘に同じ年の藩金花を引き合わせたがっていた。既に金花の両親に何度も手紙を書いている。一ヶ月前に藹鐘を金花の所に連れて行くように英芝に命じた。英芝は面倒臭いと思いつつも、旅は好きなので断らなかった。
金花の母親は帝国一番の豪商である藩秋蓮、父親は玉葉の異母弟である賀夏鉄。玉葉と夏鉄は現皇帝の弟妹でもある。英芝は複雑な気持ちになった。公主である母親の玉葉が名門貴族である何一族に嫁いだのは全然おかしくない。しかし何一族は貴族のわりには質素である。一方、皇子である叔父の夏鉄は家格が低いはずの商家の藩一族に婿入した。しかし藩一族は何一族よりも豊かかもしれない。
この縁談で玉葉は権威と経済力の交換を目的にしているわけではなかった。長女である玉葉が何一族に嫁いだ二年後に末子である夏鉄が生まれた。つまり二人は姉弟なのに面識がなかった。流刑同然に婿入した夏鉄が静かに暮らしながら、妻と共に冷宮を新築して孝行した。玉葉はそれに心を動かされた。玉葉の実母は新築の時には鬼籍に入って久しかったが、夏鉄の実母は今年の春に亡くなった。実母を溺愛していた夏鉄はそれ以来、寝込んでいる。玉葉はこの縁談を期に夏鉄を励まそうとしているのだ。婚約自体には期待していない。
話をじっくりと聴いた英芝は藹鐘に説明して、金花のいる石花県に行くことにした。




