簪
宦官達に誘導されてきた夏鉄は嗚咽を漏らしながら涙を流している。何度も指で涙を拭いている。白髪が生えて老い始めているが、あの泣き顔には見覚えがある。息子と再会出来て加蘭は微笑んだ。夏鉄の隣で心配そうに顔を覗き込み、励ましの言葉を囁いている女は夏鉄の妻である藩秋蓮だ。頭には加蘭が結婚前の夏鉄に渡した簪を差している。
宦官達も女官達も側室達も困惑気味に夏鉄を見つめている。夏鉄は実母との再会に喜んでいるのではなく、荒れた冷宮に心を痛めて泣いているのだ。皆、冷宮の生活に慣れているが夏鉄の泣き声を聞くといたたまれない気持ちになる。
秋蓮は夏鉄から一歩離れて加蘭を含む側室達に深々と頭を下げて拱手した。夏鉄は両手で顔を覆ってまだ泣いている。加蘭は穏やかな声で夏鉄と秋蓮を出入口側の席に座らせた。二人は言う通りにする。夏鉄の涙は流れたままだ。加蘭は冷静な声で秋蓮に、
「修繕の代わりに私が遊郭の楼主達を叱責して欲しいと皇后陛下に頼んだそうだね」
秋蓮は既に知られている事に驚いて息を飲んだ。夏鉄も泣き止んで涙を拭う。
加蘭は微笑みながら溜息を吐き、
「どう考えても私にそんな力は無い。こちらにかまうより、後宮に奉仕してねだりなさい」
側室達は不思議そうに秋蓮を見つめている。秋蓮は低い声で、
「母君様の御言葉には力がございます」
「貴方が何故、そう考えるのか分からない。それに貴方は何故、楼主達をそんなに憎むの?」
加蘭が尋ねる。
スッカリ泣き止んだ夏鉄が代わりに答えた、
「奴等は暴利を貪る腐りきった連中です。商人としての矜持も人としての誇りもありません。風紀や婦道を乱す罪人です」
側室達は訝しんで眉間に皺を寄せた。確かに夏鉄の言う通りだが改まって楼主達を責めて何になるのだろう。壁際や出入口に待機している宦官達も女官達も不思議そうに首を傾げている。
加蘭は秋蓮と夏鉄を見比べた。二人共、加蘭を真っ直ぐ見返している。その眼差しには加蘭への期待と敬意が感じられる。二人が仲睦まじく人生を切り拓いてきたと加蘭には分かる。
秋蓮はハッキリとゆっくりとした口調で、
「母君様が何もなさらなくても私達はこちらを修繕致します。皇后陛下が献上品をこちらに差し上げるようにと仰られましたので受け取っていただきます」
加蘭は周りを見渡した。側室達だけではなく、女官達も宦官達も困惑気味に目配せしている。皆、既に高齢で今日死んでも悔いは無い。それがこの冷宮の総意だ。加蘭は微笑み、
「私達は気持ちだけ頂くから、代わりに貧しい者達に尽くしなさい」
夏鉄はまた泣きそうな顔をした。心底、断られるのが嫌なのだ。秋蓮は静かに手を上げると簪を外し、それを両掌に乗せて加蘭に向ける。鋭い目つきで、
「それでは、遊郭から逃げてきた女達を匿っていただけないでしょうか。そして献上品を受け取り、修繕させて欲しいのです」
加蘭は息を飲んだ。周りを見渡すと、皆、固唾を呑んでいる。秋蓮は簪を差し出そうとしている。加蘭は溜息を吐き、穏やかな声で、
「では、貴方の望む通りにしなさい」
夏鉄を見やり、
「簪を付け直して」
緊張が解れて皆、溜息を吐く。




