冷宮の加蘭
冷宮の生活に慣れて久しい。建物には何箇所もヒビや穴が有り、宦官が簡素に塞いでいる。ネズミや虫を毎日見かけるが、今では全く動じない。夏は暑く冬は寒い。食事は質素で量も少なめ。世話をする宦官も女官達も高齢だ。時折、尼寺から尼達が医師を連れてきては様子をうかがいに来る。体調の良い時は尼と共に経を読む。
先帝が崩御してから十年近くの時が経つ。後宮から冷宮に移った側室達も女官達も宦官達も半分以下に減っている。多くは寿命で尽きる前に病死している。最初の数年は慟哭と悲嘆の声が響き渡っていたが、現在まで生き残っている者達は落ち着いてひっそりと暮らしている。気持ちの整理がついて今日死んでも皆、特に心残りはない。むしろ政治闘争から解放されて気楽ですらある。一昨年崩御した皇太后は後宮を絶妙に取り仕切っていたが、陰謀や対立が全く無かったわけではない。
宋加蘭は今も冷宮で穏やかに過ごしながら冷宮での出来事を書き綴っている。後宮にいた時から後宮の歴史編纂をしていたので生活そのものになっている。この生活は十分に想定内だったが、特別に身体が丈夫ではないので今でも生き永らえているとは思わなかった。ましてやこれから息子が嫁を連れて来る。息子夫婦が冷宮を修繕するのだ。それを宦官から聞いた時に加蘭は冗談だと思ったが、ここ数ヶ月は人の出入りが激しく東宮や後宮から来た女官達や宦官達の姿も見られる。
こちらに勢い良く走って来る音が響く。加蘭が振り向くと、目を丸くした若い宦官が肩で息をしながら、加蘭の三歩手前で立ち止まり、拱手した。加蘭が宦官の呼吸が整えるのを待つと、宦官は、
「宋夫人。大変ですぞ。第六皇子の妻君が無理難題を吹っ掛けてきます」
冷宮を修繕する代わりに息子である夏鉄の妻が加蘭に頼み事をする。女の生き血を吸う様な遊郭の楼主達を加蘭が叱責するのだ。人払いした皇后から問い糾された夏鉄の妻が平然とそんな提案をした。驚いた皇后は宦官を呼んで早く加蘭に報せるように走らせたのだ。その目の前の宦官は青白い顔で狼狽しながら説明した。
冷宮にいた老いた宦官の一人が眉をひそめて報告した若い宦官に水を差し出した。若い宦官は礼を言うと受け取ってそれを飲む。
先帝の葬儀に夏鉄は帰省して加蘭に妻である藩秋蓮を引き合わせた。月経用の下着を扱う商人なので周囲から気味悪がられていたが、今では帝国一番の豪商である。尼達から加蘭は秋蓮の名声を聞かされている。夏鉄と仲が睦まじいのも有名だ。息子夫婦の円満に加蘭は満足していた。
だが、加蘭は困ってしまった。冷宮の修繕は加蘭を含めて誰も期待していない。見返りに楼主達への叱責を求められても、明らかに加蘭にその力は無い。後宮に媚びた方が遥かに説得力が有る。そもそも何故、秋蓮が楼主達に怒りを覚えているのか分からない。加蘭には秋蓮の意図が理解できなかった。
加蘭は宦官達に息子夫婦と会う事を伝えた。宦官達は訝しんだがそれに従って息子夫婦の元に向かった。せっかく息子夫婦がはるばる来たのだ。孝行に感謝して礼を言おう。しかし修繕と要求には丁重に断るつもりだ。そう考えた加蘭は冷宮の広間に待つ。存命の側室達も不安気に集まる。




