目の前の妻
石花県柳洗郷伊鈴町に戻る前日の晩に藩秋蓮は船を岸に停泊させた。総員、船上で泊まる。無事に戻って来られたので、皆の顔色は明るい。秋蓮は夫の賀夏鉄と船室の寝床で抱き合っている。秋蓮は思い詰めた声で、
「夏鉄様。私の野望が原因で苦労をおかけしましたね」
夏鉄は秋蓮の背中を擦り、
「お前は何も間違ってはいない。女達が真に必要としている物をしっかり作って高過ぎない値で売っている。女達の本音を集めたり理路整然と役人達や男達に根回しもした」
夏鉄はそんな秋蓮の努力を文章にして皇太子である長兄の旬鉄に手紙で送った。最初は厳しく罰せられると思ったが、秋蓮の覚悟と苦労と比べれば軽いものだと思った。今では父帝の遺言として百県各地に許可か禁止の判断を委ねている。
秋蓮は夏鉄をしっかり抱き、
「夏鉄様がいらっしゃらなければ闇市を無理に開くか諦めて石花県で細々と商売を続けるかのどちらかでした」
夏鉄は短く笑う。その通りなのだろう。
秋蓮は夏鉄を抱いたまま、少し離れて、
「実は少し自信がありません。姉君様の様に強く拒む御婦人もいらっしゃいます」
「姉は渋々だが納得しただろう」
夏鉄は穏やかに言い返す。秋蓮は、
「それは確かに嬉しいのですが、時折私は間違っている気がするのです」
「お前、今晩は弱気だな」
夏鉄の低い声。秋蓮は、
「昔は私を含めた全ての女の為だと本気で思っていたのですが、私はただの一人の女です。皇后陛下ではありません」
「謙虚だな。俺はそんなお前も好きだけど、覚悟を決めたお前も好きだ」
夏鉄の優しい声。秋蓮の身体が火照る。抱き合っているので夏鉄にもそれが伝わる。秋蓮はやや上擦った声で、
「私も夏鉄様を心からお慕いしております」
夏鉄は嬉しさで自分の顔が緩んでいるのが分かった。
余程の覚悟と才覚が無ければ月経用の下着を製作して販売する事は不可能だ。秋蓮はそれを十年以上前からやってのけている。あらゆる女達の為になるという信念が揺るぎなかったのだ。しかし、婦道と風紀を乗り越えて秋蓮を認めて商品を買うのも勇気が要る。女であっても頭ごなしに反発する者も少なくない。男達を恐れて萎縮する者もいる。
秋蓮は邁進しながらも、勇気が出ない女にも気にかけている。頑固な女達を蔑んでもいないし憐れんでもいない。夏鉄は秋蓮と結婚して良かったとつくづく思う。
何時の間にか秋蓮は眠っている。夏鉄は暫く秋蓮の寝顔を眺めていた。窓から月灯りが入って来て顔を微かに照らしている。夏鉄は落ち着いた秋蓮の寝息に安堵する。




