第8話 祭りの時間だ!
暗闇にちかちかと瞬くデジタルの原色が世界のすべてだった。
少女が『インジュ』という個体として起動したとき、彼女はゲーミングチェアに壊れた人形のように横たわっていたのだった。部屋は暗く、けれど前面の壁には九分割された画面が映し出され、光の洪水が少女の視界を焼く。
スタラク社は、世界一高性能の機械人形を求めていた。すなわち単独で仮想空間を創造し、これを維持できるほどの演算能力をもち、けれど人間ひとりぶんという省エネルギー性をもつ機械を。インジュシリーズはそのために設計され、少女は九代目のインジュであり、当然スタラク社はインジュに学習をほどこしはじめた。法則とルール、それを元にした戦略的処理の高速化。スタラク社の求めはそれで、その学習に最も効率のよい教材は古今東西のあらゆるゲームだった。
すべての試合、すべてのゲームに最短で勝ち続けること。インジュに求められたのはただそれだけで、だからインジュは稼働したその日から命令の遂行を始めた。
ルールを理解するのに時間はかからない。文書を処理する能力を引き上げていたからだ。
ゲームの進行を把握するのに時間はかからない。蓄積された過去の膨大なデータなんて、機械人形の電子チップで処理すれば一瞬だ。
インジュは九つの画面に映ったゲームに次々と勝利した。勝ち続けるうちゲームはゲームとして成立しなくなった。インジュ以外に誰も勝てないゲームをクソゲーと罵る声があり、機械人形が台頭しはじめるまえのゲームはよかったという嘆きがあり、誰も彼もがゲームを遊ばなくなって、九つの画面のひとつの明かりが消える。その意味では、インジュは九つの画面のあかりをひとつずつ潰す作業をしていたのだ。潰した数だけスタラク社は新しい明かりを見つけてきて、インジュはまたそれをひとつひとつ丁寧に消す。その繰り返し。
真っ暗な世界にいくつも灯るゲームの画面を星とするなら、それを眺めて壊すインジュは間違いなく悪役で侵略者だった。
そんなことを、インジュはずっと繰り返していたのだ。
天海宗歩の指すゲームを見るまでは、ずっとずっと、その繰り返しだった。
*****
海風に頬を叩かれて少女は目を開ける。深夜を迎えた仮想空間・太天市、その空には建物をデタラメに積み重ねた摩天楼が妖しげな赤光を放って突き立っている。その威容はまるで天を引きずり下ろそうとする巨人の手のごとく、その先端にある闘技場では青の半被を風になびかせ天海宗歩が対戦相手を待っている。対戦開始まであと五分。
摩天楼にくくりつけられた巨大な液晶画面がこぞって宗歩の険しい顔つきを映し出す。ちょうどそのとき獣の遠吠えが響き、少女はぱっと振り返った。
彼女がいるのは摩天楼の頂上ではない。その足元、複雑に入り組んだ街路のひとつだ。
無人の家屋に挟まれた路地で、摩天楼の明かりと拭いきれない夜闇が混じった赤黒い空気が沈んでいる。その闇の奥から獣の足音が聞こえた。蹄を打ち鳴らす音が不規則に響き、荒く興奮しきった呼吸音が大きくなる。一対の瞳がいくつも見えた。どれも警告を示すような原色の蛍光赤で、夜闇よりもおどろおどろしい黒色の毛並みに埋まっている。獏を基につくられた感染性ウイルス。プログラムを停止させるもの。
私を殺すための追手。
恐怖に追いつかれる前に少女はぎゅっと両手を握り、獣の気配とは反対側に逃げ出した。
どこまで言っても代わり映えのしない路地を走る。摩天楼の液晶画面のひとつでは闘技場に歓声があがる。行く先からも獏の唸り声が聞こえて少女はすんでのところで路地を右手に曲がる。闘技場にスーツ姿の男が入場し、スタラク社のマークがはいった一メートル四方の鉄製コンテナが運ばれてくる。息も絶え絶えの少女の背後で、獣の足音がいっそう早くなる。闘技場がどよめくなか、鉄製コンテナがほどけてライトが灯り、スーツの男が高らかに宣言する。
『みなさま、これが我が社の開発した最新型の自立思考装置インジュです』
少女は剥がれたアスファルトに足をとられて倒れこんだ。右腕にじんと滲むような痛み。獣たちが嬉々として地面を蹴る音がする。少女は息を詰めた。
怖い。
『――定義:初期刀』
切羽詰まったひなの声が頭上から響き、少女ははっと顔をあげた。
赤黒い闇を裂いて、刃が獏の首裏を貫く。獣の巨体が硬直し零と一の燐光になって霧散した。その最中をくぐって現れたのはひなだ。彼女は携えた灰白色の刀で二頭目を斬り捨てる。三頭目が高々と蹴り上げた蹄を鞘で流し、軽やかに半身をひねって首元に刃を沈める。
三匹の獏が討たれ、通りは急に静かになった。ひなが灰白色の刀をふるって黒い燐光を振り落とし鞘に納める。手慣れた所作も、戦いの余韻が抜けきらない真剣な横顔も新鮮だった。少女の知る彼女は、任務であれゲームであれ、何もかもはじめてで余裕がない印象だった。だというのに、この戦いだけは手慣れている。何度も経験してきたことが分かる。
きっとこれが、ひなの機械人形としての役割なのだろう。
そのことに気づいたとき、少女は胸のあたりがぐっと重くなったような気がした。役割。機械にとって最も大事なもの。今の少女にはないものを、ひなは持っている。少女はうなだれた。アスファルトを指先で掻く。鈍い痛み。
ひなが駆け寄ってくる音がする。
「大丈夫? インジュ、」
「どうして私を助けたのですか」
少女の暗い声に、ひなの気配が間近で止まった。戸惑いと沈黙。それが耐えられなくて、少女は求められてもいないのに話を続ける。
「助ける意味なんてないですよ。あれはただの獏じゃない。私を処分するためのウイルスなんです。そもそも私はもうインジュじゃない。宗歩さまと戦えない機械人形なんて価値がない。だからスタラク社は《《インジュ》》をバージョンアップしたんです。闘技場の映像は見たでしょう? あそこに映ってるのが……あそこに搭載されているシステムこそが、最新型のインジュ。宗歩さまに勝利し、単独で仮想空間を構築できるほどの演算能力をもった、スタラク社唯一無二の機械人形です。価値があるとすればあちらのほう。あなたたちがインジュに用があるというなら、訪ねるべきなのはあちらのほう……」
「でも、あなたがインジュでしょう?」
「っ、だから私は、インジュじゃない!」
少女は声を荒げて顔をあげた。通りが再び静かになる。ひなの顔つきは、けれど、落ち着いていた。機械人形らしい鮮やかな輝きをはなつ緑の目が、少女をまっすぐに見つめている。
「いいえ、あなたがインジュよ。あたしたちに依頼をしてきたのは、他ならぬあなた。『天海宗歩を助けたい』っていうのは、誰かの命令でも、機械としての機能でもない。あなた自身の願いなんだから」
少女は言葉を失った。願い。その言葉の定義は知っている。なにかを望むことだ。それはけれど、機械人形に最も縁遠い言葉のはずだ。人間にしか許されない権利のはずだ。あの真っ暗な部屋で、天海宗歩がいつだって持っていて、私がいつまでも持てなかった『なにか』のはずで。
……でも。
でも私が、宗歩さまを助けたいというこの声にも、嘘はない。
ひなが少女の肩を強く叩いた。びっくりして目を瞬かせれば、彼女は明るく笑う。
「さぁ悩む時間は終わり! インジュに頼みたいことがあるの」
「へ……?」
「天海宗歩をここから連れ出すわよ」
その宣言があまりにも自信満々だったから、少女はあやうく頷きそうになり――慌てて我に返った。
「ちょ、ちょっと待ってください、ひなさま! 宗歩さまを連れ出す? どうして?」
「どうしてって、あいつ今、スタラク社に命狙われてるでしょ。じゃあ助けなきゃ」
「誰が」
「インジュが。もちろん、あたしたちもサポートするけど」
「意味がわかりません! どうして私が……だって私はスタラク社の機械人形で……あのひとの敵で……!」
「はいはい、分かったから――墨虎センパイ、接続してください!」
合図と同時、少女の足元に光円が描かれた。外縁を零と一の数字が絶えず変化しながら巡り、白の燐光を撒き散らしている。転送のための簡易術式だ。
ひなが少女の手を離して、円の中に押しこんだ。金の髪を燐光に遊ばせたひなは、まるで何もかも見透かしたみたいに言う。
「最初に宗歩のことを助けたいって言い出したのはインジュでしょ。なら、自分から行動しなくちゃ」
耳裏に通信を示すノイズ音が響く。少女が何かを言うまえに墨虎の気だるげな声が聞こえた。
『定義:夕去りに鳴鹿』
*****
墨虎の簡易術式が起動した。光円のはなつ眩しい輝きが消えたときにはインジュの姿はなく、夜の狭い路地があるばかりだ。
「自分から行動しろなんてね」
からかうような男の声に、ひなは振り返った。ゼンだ。路地の入口で大量の獏を相手取ってくれていたはずだが、怪我ひとつ、汚れひとつ、疲れひとつない。その右手から灰白色の初期刀が燐光に還って消えていく。
ひなは唇を曲げた。
「……盗み聞きはよくないと思うんですけど」
「ひなちゃんの声が大きいのが悪い」
「だって仕方ないでしょ。誰かを助けたいなら自分からって、さっきの作戦会議で思い知ったし。それにインジュは……」
「諦めちゃいそうだった?」
そうよ。そしてその諦めは、あたしには一番身近な感情だった。
保護機関に入る直前、廃棄処分を言い渡されたときのことを思い出す。自棄になっていたのはひなも同じだ。けれど踏みとどまれたのは目の前の男を諦めきれなかったからだ。
「ねぇゼン、」
「ストップ」
ゼンがきっぱりと手のひらを突きつけた。ひなは顔をしかめる。
「ねぇまだ何も言ってない!」
「言ってないけど、何が言いたいかは分かるよ。俺が好きってそういうことだろ。駄目だよ、それが一番くだらない感情なのに」
「くだらないって何よそれ! あたしが何を思おうとあたしの勝手、……ちょっと、話聞いてる!?」
うんうんと頷きながら、ゼンが携帯端末をタップし瑞希と通話を始めた。インジュは予定通り転送できたとか、獏の退治は終わっただとか、天海宗歩の試合が終わるまではとどまっているだとか。「ええ、面倒くさいな。まだ獏が来るのかい? まぁいいけど……さすがに他の機械人形の子を派遣して、」
ひなは頭にきて携帯端末をひったくり宣言した。
「あたしがいるから大丈夫!」
ゼンが反論したそうな顔をする。それを遮ったのは瑞希だった。いつもどおり冷ややかに、けれど珍しくひなに賛成する。
『それがいいわ。繊月くん、新しい機械人形を手配する金銭的余裕なんてうちにはないの。どこかの誰かさんが最近、保護機関所属の機械人形を大量に使ったせいでね。それじゃあ、あとはよろしくやってちょうだい』
通信が切れた。ゼンがうなる。
「最悪だ」
「最悪なんかじゃないでしょ。あんたが人間で、あたしが機械人形なのは事実なんだから」
「そういうことじゃない」ゼンが苛々と声を大きくする。「ひなちゃん、なんで分かってくれないのかな! 俺は、」
「俺はひなちゃんに好きになってほしくない? はいはい、その言葉はもういいから! せめて理由を教えなさいよ! あたしが出来損ないだから嫌なわけ?」
「っ、冗談でもそんな事言うなよ!」
ゼンは目に憤りをにじませ、ひなの両肩を強くつかんだ。
「……そんなこと、言うな。俺がひなに釣り合わないんだ」
絞り出すように言う。息継ぎで残った最後の空気を吐き出すみたいな。それは間違いなく自分の無力さに対する嘆きだった。あの繊月ゼンが、自分を責めている。まるであたしが自分をそうするみたいに。
ひなはゼンの腕に触れた。その理由を教えてよ。そう問いたくなる、その寸前できゅっと唇を結ぶ。ううん、違う。あたしがまだ頼りないんだ。ゼンが本心を預けられるほど強くないって、そう思われてるってこと。
なら。
「あたしはあんたが好きよ、ゼン」
なら、今すべきことは伝え続けることだ。強くなることだ。
「あんたがあたしをどう思ってるかは関係なくね。だから、」
彼が何に怯えていたって、大丈夫と言ってあげられるように。その言葉がちゃんと彼に届くように。
「だからせいぜい覚悟してるといいわ。あたしに好きって言われたいって、絶対あんたに認めさせてやるんだから」
ゼンはあっけにとられた様子でひなを見つめていたが、やがて唇を引き結んだ。目をそらす。最悪だ、ともう一度つぶやくけれど、さっきみたいな機嫌の悪さはなく、子どもみたいに拗ねた声だった。
「ひなちゃんはいつだって、俺の話を聞いてくれない」
「お互い様でしょ」ひなは小さく笑った。「あんただってあたしの話を聞いてくれないじゃん」
「でも俺を選んでくれるんだ」
「そっちこそ」
そうだね、と答える代わりにゼンがひなの手を強く握り返した。じろりと睨んでくる。青みがかった黒い瞳には腹をくくったような意思の強さだけがある。
「本気で俺のことが好きっていうなら、最後まで付き合ってよ。ひな」
もちろん、最初からそのつもりだ。
ひなが頷く。ゼンが体を引き寄せてくれる。額が触れあった先で、ゼンが囁いた。「俺の心を見て」
ぱちりと電気の火花が弾け、二人の周りに白銀とも淡い金色ともつかない燐光があふれる。五十二ヘルツの低音が響く世界で、ひなはためらわずにゼンの心に触れて武器を喚ぶ。
『創造装填』
凝集した燐光が雷のごとく夜闇を裂いた。ゼンは白銀の和弓をつかむと同時、素早く真正面に狙いを定めて白光の矢を放つ。体高三メートル、黒ぐろとした巨体をもつ獏は眉間を射抜かれどうと地面に倒れた。相変わらず正確な狙いだ。そういえばゼンのやつ、シューティングゲームがやたらと上手かったんだっけ。
「ひなちゃん、ぼんやりしてないでよ」
ひなが目を瞬かせれば、ゼンはすっかりいつもどおりの呆れた視線を寄越してくる。
「さっきの瑞希からの通信は聞いてただろ。天海宗歩のトーナメント戦が終わるまで、俺たちは獏の相手をしなきゃいけない。まさか全部を一匹ずつ射殺せっていうんじゃないよね?」
「うえっ? そ、それは……」
「え、そのまさかだったりする?」ゼンが次の一匹を射殺しながら大げさに嘆いてみせた。「ええ、信じられないなぁ。真っ直ぐにしか行動できないのはいいところだけど、戦闘でもそうなのかい?」
「う……」
「いやでもたしかに、この前のゲームでもそうだったか。あのときも馬鹿正直に正面から突っこんで負けてたし」
「ううう……」
「はぁ仕方ないね。ひなちゃんの馬鹿みたいに純粋なところを補ってあげるのが俺の役目、」
「ば、馬鹿馬鹿言わないでよ、馬鹿!」
ゼンがしてやったりと言わんばかりにニンマリと笑みを浮かべた。ひなは彼をにらみつけ、銀弓を構成するデータへ目を凝らす。
「いいわ、あたしがなんとかするっ! あんたは大人しく狙いでも定めてれば!?」
「ひゅう、心強いね。さすが俺のひなちゃん」
「褒め方が適当すぎ! ほら次、来るわよ!」
今度も真正面だ。獏が数体。ゼンはゆったりと矢をつがえた。銀の光がこぼれて彼の横顔を彩る。うっすらと唇に笑みを残したまま、けれど顔つきは真剣だ。ひなが本気でなんとかしてくれると思っているのだろう。あぁもうほんとにムカつく。そんな顔されたら絶対成功させなきゃでしょ!
人生二度目の武器創造、しかも創ったあとの武器の改変なんて聞いたこともない。でもやるしかない。広範囲に散らばった敵、それも複数だ。ゼンの言うとおり一匹ずつ矢で狙うのは効率が悪い。っていうかタイミングはずせば、獏に隙を突かれちゃうし。ならひとつの矢で全部の敵を射殺す? アイデアは悪くないかも。でも一回で全部は無理だ。計算負荷がデカすぎて矢の性能を定義しきれない。なら。
設計指針を固め、ひなは銀の矢からこぼれる燐光に指先で触れた。可能な限り素早く記述式を書き換え、指揮者がそうするように指先を勢いよく下に振って宣言する。
「やって、ゼン!」
きりと弓が引き絞られ、獏の群れめがけてゼンが矢を放った。解き放たれた矢は一矢、けれどコンマ二秒で鏃がほどけ、群れに到達するころには数十の矢の形を成す。
嵐雨が窓を叩くような音を響かせて、銀の矢が五匹の獏をまとめて討ちたおした。ゼンが爽快と言わんばかりに笑う。
「ははっ、いいね! だいぶオーバーキル気味だけど!」
「ひと言多い! それよりあんたこそ、狙いを外さないでよ!」
*****
なににおいても負けを認めるわけにはいかなかった。
宗歩は朦朧とする意識で盤面を見つめる。あぁまったく仮想空間での宗歩サマなんて意識だけのモンでしかねぇのによ。それが朦朧とするたァどういうことだ。え? 死にかけてるってのでも言うのかい? まぁ実際そのとおりだわな。
試合は中盤に差しかかったばかりだ。王者・天海宗歩に相対するはスーツ姿のいけすかない男――ではなく、その隣の立方体の機械だった。なにがしかうるさく点滅しながら三対のアームを使って駒を指す、指す、指す。この盤面遊戯のプレイヤーあたりの持ち時間の間ずっと指し続ける。ひと駒動かすのにかかる時間はさしわたりコンマ五秒。持ち時間は十五秒だから三十の駒が動き、それぞれ独自の効果を展開し、あるいは進化し、互いに影響しながら強大な軍となって宗歩の並べた駒を蹂躙する。
観客はそれでも盛り上がっているらしい。でくの機械の指し手、そこから連鎖的に生まれるコンボの鮮やかさにいちいち歓声があがる。宗歩はそれが気に食わなかった。
なるほど敵の指し手は複雑に組み立てられているが、そこには物語がない。勝利を求める熱量がない。さりとて指揮官のような冷徹さもない。計算の結果をダラダラと吐き出し続けているだけだ。つまらねぇ。つまらねぇ、つまらねぇ、つまらねぇ。宗歩は吐き捨てながら持ち時間十五秒のなかで思考をめぐらせ、ぎりぎりしのぎきれるだけの手数で駒を動かす。そうだ、しのげるだけだ。決定打に欠ける。鮮やかさがない。祭りのような浮き足立つ高揚もない。それがまたつまらねぇ。耐え性がないのもお前の悪癖だとは師匠の言だが、さりとてつまらねぇモンはつまらん。そう吐き捨てたところで十五秒が終わり、またでくの機械の十五秒が始まる。とてつもなく長い十五秒が、濁流の津波のごとく宗歩を飲みこみにやってくる。熱を持った頭ではもはや立ってなどいられない。宗歩は地面に膝をつく。盤面にかじりつく。
なにかが背中に触れたのはそのときだった。
「宗歩さま」
女童のささやかな声だった。今にも泣き出しそうなほど張り詰めている。宗歩は鼻を鳴らした。一張羅を引っ張ってやりたかったが、疲れ果てた体では鼻を鳴らすが関の山だ。まったくよ。
「帰んな。ここは覚悟のないもんが来るところじゃねぇ」
「駄目です」
「なにが駄目ってんだ。えぇ? その二本の足で歩いて出ていけばいいだけの話じゃねぇかよ」
「違います。このまま戦い続けるのが駄目と言ってるのです。死にますよ」
「ハッ、俺なんざ死人みたいなモンだろうがよ」
「宗歩さま」
「俺ァ、機械人形が嫌いだ。だが、自分がどうしたいかを言わねェ野郎はもっと嫌いだ」
返事はなかった。諦めて帰ったのだろう。いや泣いてるのかもしんねぇが。所詮は子どもだしな。盤面をにらみ続ける宗歩の思考にいささかの罪悪感が混じる。そこで強く半被を引っ張られる。
首が引っ張られ、息がつまり、宗歩はたまらず後ろを振り向いた。例の女童がいる。くしゃりと顔を歪め、すすき色の目に涙を貯めて言う。
「私は――インジュはっ、宗歩さまの指し手が好きなんです! もっともっと見てたい! あなたのそばで!」
宗歩はあっけにとられた。その一瞬だけ、盤面のことも試合のことも頭から吹き飛ぶ。女童の視線はまっすぐだ。がむしゃらだ。必死だ。それで思い出した。
そうだ。俺だってこうやって師匠に頭を下げたんじゃねェか。あの海辺の小さな町で。
宗歩は半被を引っ張った。女童は――インジュはそれでも離そうとしなかったから、荒波の命綱みたいに勝負着がぴんと張る。それでよかった。
「俺は師匠を見つけるまでは負けられねェ」宗歩は静かに言う。「最後までついてくる覚悟はあるんだろうな?」
「お供します、最後まで。インジュのこの身が尽きるまで」
「いい度胸だ、嬢ちゃん」
にやっと笑い、宗歩は半被ごとインジュを引き寄せた。小さな体を右腕でかこって盤面へ向かい、声を張り上げる。
「なら目ェかっぽじって見てるこった! この宗歩サマの花道をよう!」
「目をかっぽじるなんてできません! というか、あなたがこのまま戦うって言うなら、私だって放っておかないんですから!」
「おいおい、野暮言うなよ! 一度はじまった戦いに横槍をいれるなんざ、漢のすることじゃねェぞ!」
「インジュは女ですし、横槍ではありません! あなたの呪いを解くだけですっ!」
インジュの小さな手が宗歩の右腕をぞんざいに取り上げた。なるほど、そこにはたしかに黒い蛇がのたくったような痣が滲んでいる。おおっと、たしかになんか痛ぇとは思ってたがよ、こりゃ右腕ぜんぶ覆われちまってんじゃねぇのか?
インジュが鼻をすすりながら怒ったように言う。
「あぁもう、呪いかけられてるのに馬鹿みたいに戦うから……! いいですか、宗歩さま! この手番だけ耐えてください! その間にインジュがこれを解除しますから!」
「やだね」
「っ、嫌って、」
「耐える? 冗談じゃねェ、局面ひっくり返してやるよ。祭りの打ち上げ花火みてェに、ド派手にな!」
宗歩は駒へ左手を伸ばした。手番がはじまる。熟考するには短く、恐怖と戦うには長すぎる十五秒が。敵陣の駒は、いまや宗歩の王駒の喉元に剣を突きつけている。それを払っても両脇の将兵駒が、奥の弓駒が、あるいは斜め奥の龍駒が、相手の手番になった瞬間に宗歩の王駒を討つだろう。今まではそれをひとつひとつ潰すしかなかった。今だってそれをひとつずつ潰さねば次の十五秒で殺される。だが違うな。それじゃあつまらねぇ。
こっちが先に王駒を刺せば終ぇだ、要するによ。
オーバーヒート寸前の思考をめぐらし、宗歩は自陣の駒を動かし始めた。喉元に突きつけられた刃は無視する。将兵も弓駒も龍も無視だ。ひたすら敵の王目指してカチコミだ。歩兵を疾走らせる。その頭上を馬駒に超えさせ、鋭い爪牙もつ虎と成らせて、盾をかかげた兵士を薙ぎ払う。疾走れ。開いた陣地に築いた砦が味方を鼓舞する太鼓のように戦場を揺らし、すべての駒の防御を無効化する。疾走れ、疾走れ。
疾走れ、疾走れ、疾走れ!
「っ、できました!」
残り二秒というところでインジュが叫ぶ。叫ぶと同時にふっと鬱陶しい熱が消える。右腕どころか全身が軽くなる。宗歩は笑った。豪快に、悪辣に、悪餓鬼のように純粋に笑い、右手でつかんだ兵駒を敵の王に向かって指す。
「祭りの時間だ! 魂燃やしな!」
ガンっと盤面に叩きつけた兵駒が大剣握る鬼武者と成る。破邪の侫武多が敵のことごとくを薙ぎ払った。




