第7話 いいえ、ほうっておくべきです
個体番号Z0010、識別名称インジュは、と瑞希は言う。
「七日前にスタラク社から脱走。真岡中央病院七〇八号室、すなわち天海宗歩の病室を拠点として活動を開始。以降、仮想空間・太天市への侵入を繰り返していたことを確認しています。そして本日十三時、当部隊の隊員宛に非通知電話をかけ、仮想空間への招待を送付。同時刻、個体番号Z0010も仮想空間へ侵入。十四時半、接触した天海宗歩に対しデータ侵食型のウイルスを使用。一三七部隊は間宮室長の許可の下、これを人間に対する傷害罪と判断し、個体番号Z0010の捕縛を実施しました」
「ま、待ってよ」ひなは思わず声をあげた。「細かいところを省きすぎじゃない? あたしたちはスタラク社の人間にも会ったのよ。あいつらだって、宗歩に攻撃してた。それにインジュを脅してるようにも見えて……」
「黙りなさい、個体番号1393X」
「でも、」
「黙れと言ってるのよ。スタラク社の関与がなんであれ、そこの機械人形が人間に危害をくわえたのは事実よ」
ひなは唇を噛んだ。「まぁまぁ」と上機嫌にとりなしたのは墨虎だ。
「インジュちゃんの処遇のほうは本題じゃねーんスよ。なんせ身柄は確保しちゃってますしー。本題は天海宗歩のほう。ヤツはまだ例の仮想空間にいるし、命を狙われている。フフン、じゃあなぜ天海宗歩は殺されそうなのか。答えは簡単。ヤツの仮想空間はとんでもなく価値があるからだ」
「……価値がある……?」
弱々しいひなの質問に、墨虎はにやっと笑った。
「そうっス。あの仮想空間は現実世界とリンクしていない。つまり、仮想空間を構築するために必要なデータが、現実世界には存在しない。となれば、あの世界は零からすべてのデータを創って、組み合わせて、動作させてるっつーわけです。そんなことが可能なのか? 答えは否。否も否ッス。世界中に存在するどんな高性能サーバーを使ってもできねーんだな。ところがそれを、天海宗歩はやってのけた。現実世界からも、他の仮想空間からも干渉を受けない、完全無欠の閉じた仮想空間を作り上げたっつーわけだ。これはね、すなわち証明なんスよ。人間の脳ひとつがとんでもないサーバーになるということ。誰からの監視も受けない、無法地帯の仮想空間を創ることができるということ。これを占拠する、独占する、解明する……まぁ言い方はなんでもいいでしょーが、この仮想空間を適切に利用できた人間は、確実に世界の覇権を握ることになる」
墨虎は得意げにまくしたてたあと、ぴんと人差し指を立てた。「ところがここで重大な問題がひとつ。理想郷の管理者は天海宗歩、ただのゲーム好きのオヤジだ。自由に仮想空間を弄りたいなら、管理者を変更しなきゃならねーんだな」
部屋中のモニタの映像がぱっと切り替わった。
天海宗歩だ。前かがみに椅子に座っている。長身のせいか、年相応の皺のせいか、険しい顔つきには威圧するような影が落ちている。引っ掛けるようにして肩から羽織っているのは青の半被だ。部屋は暗く、宗歩以外には何も見えない。
瑞希が墨虎をひとにらみした。
「ちょっと墨虎くん。室長に無断で外部の人間に話を聞かせるなんて、」
「はいはいはーい、お説教はけっこうっス! 要は結果が出せればオッケーなわけですしい?」墨虎がモニタに寄りかかるようにして話しかけた。「で、宗歩さんも話聞いてたっしょ? よーするに、アンタは殺されそうになってるってわけ。解決策は超簡単。アンタが大人しく俺達のところに来てくれりゃいいんスよ。なんなら今接続してる回線から移動だってできるっしょ。あんたはしょせん、データの塊でしかねぇんですから」
しばしの沈黙のあと、宗歩がぐっと顎を引いて言った。「嫌だね」
墨虎がぽかんとする。
「はえ? 嫌? なにゆえ?」
「嫌なもんは嫌だ、っつー話だ、坊主」宗歩が低い声で言う。「正直オメーの話は半分も理解できちゃいねェがな。たしかにここは俺の仮想空間だ。たしかに命を狙われてもいる。で、だから? それだけで俺が逃げる理由にはならねぇだろうが」
「……いや。いやいやいや、宗歩サーン!?」墨虎がモニタをがたがたと揺らした。「そりゃあ早とちりってもんですよ! オレっちのパーフェクトな調査じゃ、スタラク社はあんたの命をまだ狙ってる。今日の二十四時から予定されてるバトル……あんたの対戦相手はスタラク社の回し者だ。さっきのゲームで分かったっしょ? あいつらはまともに戦う気なんてねぇんスよ。駒でアンタを殺そうとするならまだしも、さっきあんたがくらった呪いをもう一回受けりゃ、」
「うるせえうるせえうるせえ!」
スピーカーがキンと鳴るほどの怒声に、墨虎が耳を押さえた。
画面の向こうで宗歩が目をギラつかせる。
「戦うってんならかかってこいってんだ。いいか、俺には負けられねぇ理由がある。だから負けねぇ。負けねぇなら逃げる理由もねぇ。話は以上だ。じゃあな」
接続を切断しようとするかのように、宗歩が画面の左端に手をかけた。
ひなは慌てて声をあげる。
「ちょ、ちょっと待ってよ! インジュはどうするの?」
部屋中が静かになった。画面に手をかけたままの宗歩へ、ひなは早口で言葉を続ける。
「インジュっていうのは、あたしと一緒にいた女の子よ。半被がどうとかって、あんたと一緒に盛り上がってて……ていうか、そもそもインジュはあんたのことを主人って、」
「知らねえ」
「知らないって、あんなに仲良さそうにしてたのに」
「違う。俺はインジュなんてやつのことは知らねえって言ってんだ」宗歩が軽蔑するような視線を向けた。「そもそも機械人形は嫌いだ。情緒のない、ずるばかりするからな」
ぶつんと接続が切れて画面が真っ暗になる。
瑞希が冷ややかに鼻を鳴らした。
「お粗末な結果じゃないの、墨虎くん。あなたのおかげで、私たちは天海宗歩の協力を得られなかったわ」
「俺っちのせいじゃねーでしょうが」墨虎が不満顔でぼやく。「宗歩っちのノリが悪いのがよくないですしー。つーか接続を切られた原因は、ひなちゃんの質問ってゆーか」
「その点は同意するわ。まったくスタラク社の機械人形のことなんて今いちばんどうでもいい……」
瑞希と墨虎が責めるような視線を向けてくる。ひなは真っ向から視線を受け止めた。
「それでも、インジュのことを放っておくべきじゃないでしょ」
「――いいえ、ほうっておくべきです」
はっきりと返事をしたのはインジュだった。ひなが振り返ったさき、少女はいつもどおりの機械人形らしい無表情に、淡い笑みを浮かべる。
「これにて、インジュに価値がないことが証明されました」まるで泣き出す寸前の顔つきのまま、機械人形の少女は言う。「それでは皆さま、ごきげんよう」
ひなの耳裏にノイズ音がはしった。通信回線に干渉された合図。けれどそれ以上にぞっとしたのは、インジュの体が、まるでモノみたいにがくんと傾いだことだ。
「っ、インジュ……!」
ひなは悲鳴をあげて駆け寄った。けれど間に合ったのはゼンのほうだ。彼も予想外だったらしく、慌てたような顔つきでインジュの体を抱きとめてくれる。あぁでもどうしよう。
少女の体は動かない。瞳は見開かれている。けれど硝子玉みたいに急速に濁りつつある。廃棄処分。脳裏をよぎった単語がひなを凍りつかせる。
不意に、ゼンがひなの指先を強く握った。
「違う、俺たちじゃない」
力強い眼差しが、ひなを現実に引き戻した。
止まりそうになった息を無理やり吐き出して、ひなはゼンから手を離した。インジュの首元へ触れる。弱々しいが、まだ息はあった。かろうじて生きてはいる。けれど皮膚に浮かぶ個体番号の色が赤黒く陰っている。そうだ、これは。
「スタラク社のウイルス……!」
ひなが告げれば、ゼンの目が細まった。
「天海宗歩に使われたものと同じかい?」
「うん、間違いない。完全に機能停止させるには時間がかかる……けど、早く除去しないと……」
駄目よ、と鋭い声で制したのは瑞希だった。ひなは頭にきて副室長をにらみつける。
「なんで駄目なんですか!」
「いま優先すべきなのは天海宗歩の保護だからよ!」瑞希が声を大きくする。「それにその子はただの機械人形で、」
「ただの機械人形って言わないでよ! あたしたちは物じゃない!」
「いいえ、あなたたちは機械よ! 私たち人間の命令を聞くためだけのモノだわ!」
「っ、たとえそうだとしても! インジュがあたしたちに助けを求めたのは事実でしょっ!」
瑞希が青い顔で押し黙った。
不意に龍山が手を叩いた。今までずっとだんまりだった不良男が、いったい何の用だと言うんだろう。ひなは真っ向から龍山へ視線をぶつける。龍山はそんなひなを見やって、突き放すように言った。
「それで?」
「……それ、で?」ひなは眉をひそめた。
「そうさ。それで? だ。そのガキを助けて、それで、俺たちに何の得があるってんだよ?」
「得なんて……」
「まさか、ないとは言わねーよな。いいか、新人。組織ってのは善人じゃねェ。損と得とをならべて、得のほうがデカかったときに動くもんだ。いいな、それじゃあもう一度だけ聞いてやる。お前の提案の、なにが俺達の得になるっていうんだ?」
ひなは強く手を握りしめた。あんまりな物言いに腹が立つ。龍山は……というより一三七室のメンバーは、インジュに無関心なのだ。それは彼女を敵というよりもひどいことだった。インジュが人間であったなら多少なりとも彼らは関心を抱いていただろう。けれど彼女は機械人形だ。人間ではなく機械で、壊れてしまっても換えのきく物体でしかない。だから助ける価値もない。彼らはそういう話をしている。そのことが許せない。でももっと許せないのは。
……もっと許せないのは、インジュを見捨てないためにどんな説得をすべきか。そのための言葉がひとつも出てこないあたし自身だ。ひなは痛いほどに唇を噛んだ。あたししか、インジュを助けられない。そのことだけは分かるのに。
「――利益なら、あると思うけどね」
そう言ったのは、ゼンだった。
龍山が顔をしかめる。
「おい、邪魔すんな。繊月」
「邪魔だなんて」
険悪な空気などないかのように、ゼンが軽く肩をすくめてみせた。
「もちろん、大事な任務の話さ。一三七室の一員として任務成功のためのアイデアを出しあっている。これってそういうミーティングだろう? あぁ龍山、おまえは質問するだけで、アイデアも出してなかったけど」
「あァん? 繊月、おめぇ俺に喧嘩売って、」
「インジュと宗歩を仲間に引き入れよう」ゼンが静かに言った。「そうすれば天海宗歩を保護できるし、一三七室は実働要員が増える」
瑞希が皮肉っぽく言った。
「何を言うかと思ったら。あなたの提案こそなんのメリットもないわ。どうして私たちが、彼らを仲間にしなければいけないの?」
「説明が必要かい? いいよ、副室長。まず一三七室は絶対的に人手が足りない。他の部隊なら仮想空間で任務に当たる実働部隊は十人。ところがここは俺とひなちゃんの二人だけだ。墨虎と龍山がその気になれば四人だけど、ふたりがやる気になることは滅多にないし」
「……だからって人数がいればいいってものでもないでしょう」
「インジュの能力も十分だよ。そうだろ、墨虎」
「はぁ。まぁオレっちほどじゃねーですけどー……」墨虎が面白くなさそうに言った。「まぁ保護機関所属の機械人形よりは、よっぽど性能はいいっスよ。その幼女ちゃんは、古今東西あらゆるゲームに勝利し続けるよう学習され続けた個体なのでぇ」
「たかがゲームに強えだけじゃねぇのか?」
口を挟んだ龍山に、墨虎は嫌そうに顔をしかめた。
「む。これだから脳筋は困るんスよね。ゲームってのは独自のルールがあり、勝利条件がある。おまけにゲームの進行にそって無数に分岐する選択肢を処理し続けなきゃならない。それをあらゆるゲームでやれるってのがミソなんす。将棋に特化した機械人形はいる。囲碁に特化したものも、チェスに特化したものもね。ところがどっこい、将棋も囲碁もチェスもすべてに特化した機械人形はいない」
「そしてインジュはそれが可能だ」ゼンが言葉を引き継いだ。「天海宗歩の有用性は説明するまでもないね。あの男は仮想空間を単独で維持し続けることができる。地球上のなによりもコスパのいい計算機を、一三七室が責任をもって管理するというわけだ」
そこでゼンが言葉を切り、まっすぐに間宮を見た。
「あるいは潮解への対抗手段を、俺たちが独占できるとも言えるね。室長」
間宮が不意に椅子から身を乗り出した。ぼんやりとした雰囲気はどこへやら、その眼差しが室長らしい威厳に満ちた鋭さを帯びる。
「宗歩とインジュの確保は可能か、繊月」
「室長が許可さえくれれば」
間宮が頷いた。口を開こうとする瑞希を片手で止め、間宮はひなとゼンのそれぞれに視線をやる。
「許可する。お前達ふたりで片付けなさい。瑞希たちは支援にまわるように」
ひなは知らず詰めていた息を吐いた。ゼンの説得は成功したのだ。しかもあたしにとって一番望ましい形で。そのことはけれど、ひとつの教訓でもあるのだろう。ここでやっていくには、全員を納得させるだけの理由を示さなければならない。子供みたいに駄々をこねるのではなくて。
それを用意できなかった自分に対する苦い気持ちを押しこんで、ひなは間宮の視線を受け止めた。
「はい。分かりました、室長」




