第6話 でも、君が俺を好きになるのは駄目だ
「おい、起きろ!」
不機嫌な声に飛び起きたひなは、したたかに額をぶつけた。
激痛に顔をしかめたまま、ひなは辺りを見回す。保護機関《DIVER》の医務室だった。真っ白なベッドと金属製の小さなスツールが等間隔に並んでいて、LEDの電灯にやわらかく照らされている。それから自分のベッドのすぐそばに、自分と同じように痛そうに額を押さえている青年がひとり。
青年はひなと同じ青の制服だったが、腕元には幹部候補生を示す白の刺繍があった。顔立ちはスポーツマンのように爽やかで、ところが眉間には一生刻まれてそうな皺があり、極めつけは耳にピアス……。
「げ、青柳義清……」
真岡第一高校のもうひとりの優等生だ。サクラの元パートナーで、喫茶店でやたらひなに突っかかってきた男。
青柳が不機嫌に言う。
「人に頭突きしといて第一声がそれかよ」
「うっ……し、仕方ないでしょ。近くにいるなんて思わなかったんだから」
「お前がうなされてたからだろ。ガサツ女」
最後の一言はどう考えても余計だったが、ひなはなんとかこらえた。「ごめん……あと、ありがと」
青柳が半眼になる。
「お前さ、何にお礼を言ってんのか分かってんの?」
「そ、れは……いまいち分かってないけど」
「管理部の窓口でぶっ倒れてた」
「……あー……なるほど。それで青柳が運んでくれたってこと?」
「呼び捨てかよ」
「同期なんだからいいでしょ。うん、でもちょっと待って。なんでわざわざ、あんたが運んでくれたわけ……?」
「それはサクラが連絡してきて、」
青柳が言葉を切った。しまったと言わんばかりの沈黙に、ひなはすぐさまピンとくる。青柳とサクラは高校のときのパートナー同士だ。付き合ってるとか、付き合ってないとか、そういう噂があったりなかったり。
ひなはにやにやと笑った。
「まだサクラと連絡とってるんだ?」
安物の丸椅子を蹴っ飛ばすようにして、青柳が立ち上がった。「うるせー。お前には関係ないだろ」早足で医務室の出口に向かいながら付け足す。「とにかく、治ったんならとっとと出ろよ。じゃあな、ガサツ女」
最後のひとことはやっぱり余計だけど、顔を真っ赤にする青柳という珍しいものが見れたからよしとしよう。
ひなはベッドから出て、髪と服を手早く整えた。体調はもちろん万全だ。仮想空間に意識が飛んでただけなんだから。問題は、その仮想空間から弾き出されてしまったこと、それから宗歩とインジュの身に起こったことのほうで……。
「あなたがひなさんかしら」
入口から届いた穏やかな男の声に、ひなは顔をあげた。
病室に入ってきたのは長身で長髪の男だった。バインダー片手に、スーツの上から白衣を羽織っている。真っ赤なハイヒールが印象的だ。けれど違和感はない。男らしさの残る顔つきなのに、品が良く整った顔立ちだからかもしれない。
白衣の男は自身のPIDカードを示して微笑んだ。
「はじめまして。第一部隊、室長の御剣月よ。体調はどう?」
ひなはあんぐりと口を開けた。うわ、うわ、うわ! 第一部隊! 執行部隊のなかでもトップの成績をおさめる部署だ! しかもそうだ、入隊式のとき、まさに目の前の人が歓迎の挨拶をしてたんじゃなかったっけ!?
御剣月が首を傾げた。
「大丈夫、ひなさん?」
「あ……は、はい……」ひなはなんとか返事をした。「というか、なんであたしの名前を知ってるんです……?」
御剣月がひなの胸元を指した。あぁそうか、たしかにPIDカードにはあたしの識別名称が書いてある。ひなが顔を赤くすれば、御剣月はおどけたように片目をつむってみせた。
「いまのは寝起きのうっかりってことにしておくわね」
「……す、すみません……」
「いいえ。それに、私もあなたに嘘をついたわ。青柳は私の部下なの。それにあなたの上司の……間宮とは同期でね。だから、あなたの名前も知ってたってわけ」御剣月が声を潜めた。「個人証を指したのは、単にカッコつけたかったからよ。ふふ、でも恥ずかしいから、お互い今のやりとりは内緒にしときましょ」
気さくなやりとりに、ひなは思わず肩の力を抜いてうなずいた。御剣月も笑顔になる。
「よかった。それじゃあ、ひなさん。いま少し時間はある?」
「はい、大丈夫です」
「助かるわ。青柳から、あなたが倒れたあとの状況は聞いてるんだけどね」御剣月は穏やかな手つきでバインダーを開いた。「ひなさん。あなたが倒れる直前になにがあったのか教えてもらえる?」
「え?」
ひなが目を瞬かせれば、御剣月が小首をかしげる。
「機械人形が突然倒れるなんて、立派な事故のひとつよ。しかもあなたの場合、バイタルは正常。つまり機械人形としての故障ではない。窓口に確認したんだけど、任務を受けてる最中だったんでしょう? そこで何かがあったんじゃないの?」
「……それは……まぁ、そうですけど……」
あったと言えばあった。というかありすぎたくらいだ。でも。
ひなは迷いながら口を開いた。
「それって、言わないといけないです?」
御剣月の両眉が跳ねた。
「そう考える理由を教えてくれる、ひなさん?」
「任務を受けたのはあたしたちだから。依頼主からも口外するなって言われてるんです」そのインジュは敵方の機械人形で……ううん、それを考えるのは後だ。ひなは背筋をのばした。「とにかく規定では、部隊間であっても任務内容の共有は禁止されてますよね」
「規定には、部隊同士の協力についても記載があるわ。たとえば当該部隊が任務遂行に十分な能力を有さない場合は、別の部隊がこれを引き継ぐこともできる」
「だったら間宮室長に話を通してください。あたしはただの隊員ですよ」
「そのまえに、人間に従うべき機械人形でしょう」
ひなはむっとした。
「機械人形だろうが人間だろうが、隊員が守らなきゃいけないことは同じだと思います」
御剣月が目を細めた。「……ふうん。面白いわね、あなた」
「そうだろう。俺の自慢の新人だ」
落ち着きをはらった男の声がした。
医務室に間宮がはいってくる。上着なしのスーツ姿で、ワイシャツを腕でまくっている。腰には二本の木刀――その格好も含めていつもどおりだ。でもまさか執務室以外で室長を見るなんて。ひなは意外に思った。しかも湯呑を片手に持ってない姿とか……はじめてじゃない?
間宮がベッドのそばで立ち止まった。表情は――なんともいえない。いつもどおり、ぼんやりして掴みどころがない、ようにも見える。
「体調はいいのか」
「あ……はい」
「なら先に戻っていなさい。廊下で繊月を待たせてある。任務の続きは彼から聞くように」
ひなは頷いて医務室から抜け出した。後ろから御剣月と間宮のやりとりが追いかけてくる。「勝手なことしてくれるじゃない。私が見つけたのに」「最初に見つけたのは俺だ。余計な手出しをされるのは困る……」
医務室を出てすぐ、ひなはゼンを見つけた。カーキ色の光沢のあるシャツに紺色のジャケットを羽織っている。モデルみたいな佇まいで壁に背を預けているけれど、周りに誰もいないからか不機嫌そうな顔つきを隠しもせずに腕を組んでいた。
ひなは眉をひそめる。
「なんでそんな顔してんのよ」
「……別に」
「別にって顔じゃないでしょ」
「ひなちゃんには関係ない」
「関係ないって……あっ、ちょっと」ゼンが歩き出したので、ひなは仕方なく追いかけた。「あんたは大丈夫だったの? 仮想空間を追い出されたんでしょ。ううん、それ以前にあそこにいたってことは、あたしみたいに突然気絶したりとか」
ゼンが鼻を鳴らした。
「俺はひなちゃんと違って間抜けじゃない。自分の部屋で安全を確保して仮想空間に接続したし、戦う準備も出来てたし、誰かさんみたいに仮想空間から追い出されて、いきなり姿が消えるとかもなかった」
「なによそれ。あたしが悪いって言うの?」
「違う、君を守りきれなかった俺に腹が立ってるんだ」
一三七室まであと数歩というところで、ひなは思わず立ち止まった。ぽかんと口を開ける。ちょっと待って、どういうこと?
ゼンが振り返る。なぜかにらまれた。
「間抜け面で黙るなよ、ひなちゃん」
「だ、だって……あんたが急に守るとかいうから……」
「なにもおかしくはないだろ。気づいたら君は勝手に仮想空間に巻きこまれてるし、やっと見つけたと思ったらいきなり俺の目の前から消えるし。そしたら今度は医務室に運びこまれてるって? しかも御剣月が面倒をみてるときた」ゼンが苛々と顔をこすった。「最悪だ。俺じゃアイツらのところに介入できない。だから間宮さんを呼んだんだよ」
「あたしを助けるために?」
「そう」
あっさりとうなずくゼンに、ひなはじわじわと頬が熱くなるのを感じた。いや実際のところ、なんで御剣月たちのところにいたら駄目なのかとか、助けるってなによとか言いたいことはあるけれど、いま大事なのはそこじゃない。
ひなはそわそわと足を踏みかえた。だって……だって……。
「それって……まるであんたが、あたしのことをほんとに大事に思ってるみたいじゃない」
「そうだよ。俺は君のことが好きなんだから」
うわ、うわ、うわ! ひなの思考が浮き立つ。けれどその瞬間、ゼンがきっぱりと片手をあげた。「でも、君が俺を好きになるのは駄目だ」
たっぷり数秒固まったあと、ひなはなんとか口を動かした。
「……なんて?」
「俺を好きにならないでほしい」ゼンが尊大かつ悩ましげにため息をついた。「さすがの俺も、こういうのを自分で言うのはどうかしてるって思うけどさ。ひなちゃんが鈍すぎるのがいけないんだよ。普通、相変わらず朝帰りだったり、別の女の子からもらったお菓子を渡したり、他の女の子とよろしくやって武器を創らせたりする男なんて嫌いになるはずじゃないか。なのに君ときたら、俺と目があうたびに嬉しそうにしちゃってさ」
とうとうと流れてくるゼンの主張の理不尽さが、ひなを現実に引き戻していく。
というか、ちょっと待ちなさいよ。朝帰りもお菓子事件も機械人形の女の子たちを引き連れてたことも、全部わざとですって?
ひなはひくりと口元を引きつらせる。
「……いや……」
「いや?」ゼンがちらとひなを見やる。
「いや……ぜんぜん、あんたのことは好きじゃないですけど!?」
ひなが怒りに顔を真っ赤にして食ってかかれば、ゼンが疑わしげな目つきになった。
「ほんとかなあ」
「うるさい、うるさい、うるさい! きらいに決まってるでしょ! っていうか、あたしがあんたのことを好きになるですって……!? その態度で!? うぬぼれにもほどがあるんじゃない!?」
「実際、半年前は付き合ってただろ」
「あんたの浮気のせいで別れたでしょうがっ!」
ゼンがため息をついた。「別れて嫌いになってくれれば、話は早かったんだけど」
ひなは唇を曲げた。だから嫌いって言ってるでしょうが。
「ってゆーか、なんでそんなに嫌いになってほしいのよ」
「どうせいつか別れるなら、俺のことを嫌ってたほうがダメージが少なくてすむだろ」
「意味わかんない。もう別れてるじゃん」
「こんな中途半端な別れ方じゃないよ。もう二度と金輪際、俺と君が会わなくなる。そういう別れのほうを言ってるんだ」
「はぁ? つまりあんたは、自分がじーさんになったときのことを心配してるってわけ?」
ゼンは一瞬だけ驚いた素振りを見せたものの、すぐ顔をしかめた。「そういうことじゃない……、」
不意に一三七室の扉が勢い良く開いた。瑞希が顔を出す。
「繊月くん、個体番号1393X。グダグダと雑談してるひまがあったら、早く中にはいってくれない?」
それだけ言うと瑞希は部屋の中に引っこんでしまう。我らが副室長様は今日も絶好調に機嫌が悪いみたいだ。そして仕事に私生活を持ち込むなという彼女の指摘も正しい。
ひなは仕方なく、ゼンとともに一三七室へ入った。
部屋は様変わりしていた。デスクに置かれたモニタは軒並み点灯していて、見知らぬ町並みやら何かの稼働率を示すグラフやらが映されている。人工的な画面の光に横顔を嬉々と輝かせているのは墨虎だ。鼻歌交じりにキーボードを叩いている。その後ろでは、瑞希がホワイトボードに短文と矢印を書き連ねていた。なにせ壁一面を占拠するほど大きなホワイトボードだ。彼女の苛ついた態度と相まって圧迫感がある。
ひなは思わず呟いた。
「どういうことよ、これ」
「どーいうこともこーいうこともねェだろが! 新人」
大声にひなが飛び退くと同時、どこからどう見ても不良にしか見えない龍山が部屋に入ってきた。長身の彼の肩に、荷袋よろしく担がれているのは間宮だ。さきほど医務室に来てくれた時の責任者然、リーダー然とした雰囲気はどこへやら、自席の椅子に放り出された間宮は、何度か目をしばたいてぼんやりと言う。
「む、ちょうちょ……」
「蝶なんていませんよ、間宮室長。御剣月室長との交渉お疲れ様です」瑞希が優しく返事をする。
「おいおい待てよ」龍山が乱暴に椅子に座りながら抗議した。「お疲れなのは俺だっての。間宮を呼びに行ったのも俺、蝶々を追いかけて廊下の窓から飛び降りそうになってた間宮を止めたのも俺」
瑞希が極寒の眼差しを龍山に向けた。
「うるさいわよ、龍山くん。あなたにできるのは肉体労働だけなんだから、当然の役回りでしょう」
「あァ? 聞き捨てならねェなあ。かよわいお嬢ちゃんがよ」
「なんですって?」
龍山と瑞希の間の空気が一触即発になる。それを破るように墨虎がエンターキーを快音とともに叩き、声をあげた。「っしゃ! 太天市への接続ルート、確立完了っス!」
ひなはげんなりした。
「……で、結局どういうことなのよ」
「一三七室として任務を遂行することになった」応接スペースのソファに座りながらゼンが言った。「目的は天海宗歩の救出。それから人間に危害を加えたインジュちゃんの処遇の決定だ」
そこにいたってようやく、ひなはソファの奥にインジュが座っていることに気づいた。暗い面持ちで顔をうつむけている。
ひなはぎくりとした。小さな手首にかけられているのは手錠だ。人間に危害を加えた機械人形の機能を制限するためのもの。天海宗歩を探していたはずのインジュが、他ならぬ彼を傷つけたという証。
「インジュ、どうして……」
ひなの問いかけにインジュは答えなかった。その代わりと言わんばかりに、副室長の瑞希が口を開く。
「個体番号Z0010、識別名称インジュは真岡中央病院七〇八号室で確保しました。では全員そろったことですし、事の経緯を整理しましょう」




