第5話 もうたくさんだ!
「もちろん俺のことを応援してくれる可愛い子ちゃんたちだよ?」黄色い声援をバックに答えたゼンは、意地悪く目を細めた。「ふふ、それにしてもひなちゃん。どうして俺がここにいるかじゃなくて、この子たちが誰かを先に聞くなんてね。そんなに俺のことが好きなんだ」
ひなは歯噛みした。くそっ、完全に喧嘩を売られてる。
「……質問を変えるわ。なんであんたがここにいるのよ」
「えー、俺の質問は無視かい? 傷つくなぁ」
「うるっさい、適当なこと言わないで」
「あはは、怒ってるひなちゃんも可愛いね」
「繊月ゼン!」
子供をあやすみたいにゼンが両手をかかげた。
「そうカリカリしないでよ。ここはゲームの世界だ。すべての登場人物には役割がある。俺は用心棒ってわけ」
「ツッコミどころしかないけど、一応聞くわね。用心棒って誰の?」
「借金取りの」
ゼンが言うやいなや、店の扉が盛大に蹴破られた。
「であえであえ!」
威勢のいい声とともに墨虎が飛びこんできた。相変わらず頭からフードをかぶっているが、今日は目に悪い蛍光黄だ。彼は辺りをぐるりと見回し、さっと道を譲る。「不審者なし! 敵影なし! どうぞお頭!」
革靴を鳴らしてスーツ姿の男が入ってきた。ビジネスマンだ。そうとしか表現しようのない男だ。黒髪、中肉中背、愛想はいいけど印象に残りにくい笑みを口元に貼りつけている。男はまっすぐに宗歩を見た。
「探しましたよ、天海宗歩さん。負債を返していただきませんと」
宗歩はインジュを下ろし、険しい顔つきで男に向かって言った。
「金の亡者がよ。こんなところまで追いかけてきやがって……俺の一張羅を奪っといて、まだ足らねえってのか」
「あんなボロ布、一円の価値もないですよ。天海宗歩さん、我々の会社は価値あるものしか取引の対象にはいたしません。つまり、この土地です。あなたが我が社に負った借金の対価として、この土地の権利をもらいうけたい」
「嫌だと言ったら?」
「もちろん、我々は正式な権利を行使します」
「だーっ、御託はいらねえや! 仕方がねェ、ここは太天。お互いに納得ができねえってんなら、あとに残された道はただひとつ」宗歩は大げさな仕草でゆっくりと呼吸し、きっと男をにらみつけた。「3ON3のバトルだ!」
宣言が響き渡るなり、食堂の床が地響きをたてて割れた。真っ二つだ。なにかの舞台装置みたいにぐるりと地面は反転し、鋼鉄っぽい無機質の床に切り替わる。シンセサイザーをこれでもかと詰めこんだ勇ましい音楽がどこからともなく流れ出し、床に三つの正方形の穴が開いて、そこから白と黒に塗り分けられたゲーム盤がせり出してきて……。
ゼンがひょいとひなの顔を覗き見た。
「あっはは、駄目だよひなちゃん。ロマン満載のゲームステージ登場シーンなのに、面倒くさって顔するのは」
「うるさい。勝手にあたしのことを面白がらないでよ」ひなは声をひそめた。「てか、これどうするのよ。話がどんどん訳分かんない方向にいってるじゃん」
「そうかな。ストーリーはこれ以上ないほど単純だと思うけど」
「どこが」
「ひなちゃんはゲームの世界に迷いこんだ。君のミッションは宗歩を現実世界に連れ戻すこと。そのためには宗歩の困りごとを解決してあげなきゃいけない」
「困りごとって、あの男の借金は自業自得でしょ……」
「ははっ、正論だね! それでも君が宗歩の手助けをしなきゃいけないのは変わらないんだけど!」
「もう、他人事みたいに笑わないでよ! 宗歩を連れ戻すのはあたしたちの任務でしょ!」
「それも正論だ。でも間違いでもある」ゼンが笑みをおさめ、意味ありげに目を細めた。「ひとつ、俺の今の役割は借金取りの護衛だ。ふたつ、どんな物事にも別の解決方法がある。みっつ、借金取りの男はスタラク社の回し者だよ」
待って。最後のは超大事な情報なんじゃないの?
ひなが思わず動かしかけた口は、ゼンの指先で塞がれた。不覚にもびっくりした。そう、びっくりだ。決してどきりではなくて。
ゼンはにんまりと笑って身を翻し、スーツ姿の男へ声をかける。
「それで? 俺はどうすればいいのかな、雇い主さん」
「もちろん戦ってもらいます。せっかくだ、相手はそこのお嬢さんにするといい」
「わお、物わかりのいいリーダーで助かるね」
白と黒の駒が整列するゲーム盤をはさみ、ゼンがひなと相対する。インジュの前には墨虎、宗歩の前にはスーツ姿の男だ。いまや辺りはすっかりスタジアムの様相で、どこからともなく眩しいライトと快活な男の声のアナウンスが降り注ぐ。
『プレーヤーセット、勝利条件は自陣のうち二人が勝利すること。皆々誇りを燃やし、証を刻め! バトルスタート!』
盤面上に輝く駒が整列する。ゼンがリラックスした様子で宣言した。「C35に騎兵を前進」
白い駒が動いた。続けざまにさらにふたつ別の駒が動く。ひなは顔をしかめて、散々たたきこまれたゲームのルールを思い出そうとした。制限時間以内であればプレーヤーはいくつ駒を動かしてもいいし、その駒特有の能力を発動させてもいい。最後は相手の王をとれば勝ち。あとは……ええと、なんだっけ。
白駒を動かし終えたゼンがにこりと笑った。
「ひなちゃん、手加減してあげよっか? 勝ちは譲らないけど」
……はぁ?
ひなはゼンをにらみつけた。
「D3に騎兵を前進」ひなはさらに指示を足した。「A21の騎兵も移動して。それからC34に歩兵を配置」
ゼンが好戦的に目を光らせて白駒を動かす。
「ははっ! 俺の駒の目の前に置くんだ。真っ向勝負なんてひなちゃんらしいね」
「真っ向勝負なんかじゃないわ。シンプルにあんたがムカつくからよ。手加減する? 勝ちは譲らない? あたしと同じ初心者のくせによく言う。手加減なんかさせないし、勝たせないわよ」
「強気だね。この手の戦略ゲームで俺に勝てたことないくせに」
「うるっさい!」
三度目の手番で最前線に黒駒を三個並べる。駒がいっせいに輝きながら溶け合って、きらびやかな大翼をひろげた鳳凰の駒が現れた。首をもたげて鳴き声をあげればゼンの白駒がまとめてなぎ倒される。手持ちの時間は残り十三秒、射線が開き、ゼンの王駒はむきだしだ。
いける。
「いいえ、罠ですよ。ひなさま」
インジュの声が横合いから響き、ひなは我に返った。
いったいいつの間に。インジュはひなのすぐそばでゲーム盤を見つめている。でも待って。
「墨虎先輩と戦ってたんじゃないの……?」
「終わらせました。これがゲームである限り、インジュが負けることはありませんので」
「ええ? でも始まってまだ数分しか、」
「それよりひなさま、いいんですか」
いいって何がと問う前にターン終了のアラートが響いた。インジュがため息をつく。「負けですね」
白い王駒が銀霧に包まれた。ゼンの自信に満ちた声が聞こえる。
「反転攻撃」
霧がひとふりの槍を成し、白の王駒がこれを掴んで横一線に薙ぐ。白銀の衝撃波は鳳凰の駒もろともひなの黒駒を投ぎたおし、そのまま黒の王駒に直撃した。盤面が白一色になり合成音が響く。『勝者、繊月ゼン』
ひなは呆気にとられた。
「う、うそ……」
「嘘ではありません」インジュがすらすらと言う。「反転攻撃は王特有の権能です。発動条件は自陣の駒を大量に失うこと、王駒の前方の射線が開かれていること、後方に女王駒が控えていて、」
「……簡単に言うと?」
「ひなさまは繊月さまに煽られて冷静さを失った挙句、前線におびき出されて、まんまと不意をつかれた。つまり下手くそということですね」
インジュは容赦なく結論づけて、宗歩のゲーム盤へ歩いていく。
女の子を引き連れたゼンが、抜き去りざまにひなの肩を軽く叩いた。
「いやぁごめんね、ひなちゃん。俺が強いばっかりに、君に恥をかかせるような真似をして」
そのあとにやってきたのは墨虎だ。彼もまた気安くひなの肩を叩き、「まぁまぁ新人ちゃん、これもまた世間の荒波ってやつで痛でででで!?」
墨虎の耳をひっぱって引き止めたひなは、思わず叫んだ。
「なんであんたにまで雑に慰められなきゃなんないのよ!」
「あんたって、新人ちゃん。墨虎さまへの敬意を忘れな、痛い痛いやめて!? 耳ちぎれちゃうから!?」
「新人ちゃんじゃなくて、ひなです!」
八つ当たりで主張して手を離す。墨虎は半べそをかきながらサッと距離をおいた。
「ひどいでやんすよ……俺のほうが先輩なのにぃ……お嫁にいけなくなっちゃう……」
「墨虎センパイの嫁事情とかどーでもいいです。それよりどうするんですか。なんでゼンがあたしに勝ってるわけ?」
「それはひなちゃんが弱かっ、」
「そういうことを聞きたいんじゃなくて。宗歩の望みを叶えることが大事なら、あたしたちを勝たせなきゃでしょ?」
「ゔえ、そう騒がないでほしいッスよ……つーか騒ぐことのほど? みたいな? 墨虎が負けてェ、ひなちゃんが負けたからァ、一勝一敗的なかんじっしょ。勝負はこれからだぜェ、イェイ!」
「そっ……れは、まぁ……そうかもしれないですけど……」
ひなは宗歩のゲーム盤を――というよりは、それを女の子たちと観戦しているゼンを見やった。代わる代わる別の女の子と話しながらバトルを観戦している。ポップコーンとかコーラがあったら、まさに週末に映画を一緒に見ていたときの彼そのものだ。
面白くない。
ううん、これは任務でしょ。
っていうかアイツの浮気性は知ってるし。
そもそも、なんで別れた相手に今でも振り回されなきゃなんないわけ?
墨虎が顔を引きつらせた。
「ええー、ひなちゃん……顔が怖いんですけどお……」
「怖くありません、普通です。普通」
「そっ、そーかなぁ? 墨虎サマ的にはそう思わないってゆーかァ、繊月サンに負けた恨みを暴力で晴らそうとしてそうってゆーかァ」
「……あたしが負けた負けたばっか言ってますけど、墨虎センパイもインジュに負けてるじゃないですか」
墨虎が得意げに胸を張り、ぴんと立てた人差し指を振って舌を鳴らした。
「違うんスよね、これが! たしかに負けてやりはしましたけどォ、あの機械人形の性能チェックが目的だったんで、計画通りッス!」
「インジュの性能チェック?」
「そうっすよ。繊月サンもひなちゃんもやってねーのが驚きっスけど、敵を知るにはまず手合わせからっしょ。それでねェ、賢い墨虎サマは気づいちゃったんだな。あの個体、ゲーム界隈では有名な機械人形っすよ。上位ランカーを容赦なく叩きのめしてゲームをサービス終了させるっつーので」
ひなは目を瞬かせた。「それは流石に嘘じゃない?」
インジュはランドセルの肩ベルトを握りしめて、宗歩のゲーム盤を食い入るように眺めている。熱心に、とか憧れて、とか、そういう表現がぴったりだ。そりゃあ自分の主人が戦っているのだから、嬉しくなっちゃうのも分かる気がする。
「というか、インジュはまだ子供だし……」
ひなの呟きに、墨虎が珍獣を見るような顔つきになった。
「それ、マジレスです? だとしたらどうかしてるっスよ。機械人形に見た目の年齢なんか関係ねーでしょ」
ド派手な爆発音があがった。
宗歩のゲーム盤で白いスモークがあがっている。それを割るようにして巨大な機械兵が姿を現した。多面体で構成されたボディは鋼鉄色、目の周りには紅の隈取。がっしりとした腕は歌舞伎役者のように力強くかまえられ、髪と髭が獅子のたてがみのように広がっている。
ひなは顔をしかめた。
「もう、今度はなに、わっ!?」
「おいおい、うっそでしょ! この早さで侫武多を召喚!?」
墨虎がひなを押しのけ、興奮したようにゲーム盤に駆け寄った。え、ちょっとなに? なんて? そう問いかけたひなの声は、今度はインジュに遮られる。
「いいえ、これこそが宗歩さまの真骨頂と言えましょう」熟練の解説者さながらにインジュが早口に言う。「最短記録ではありますが、二手前、三手前から緻密にくみあげられた駒捌きを考えれば当然のこと。間違いなく先の手前で騎兵をとらせたのはこのための布石……いいえ待って、そうすると五手前の進軍も関係してる……?」
宗歩が悪役さながらに高らかに笑った。
「なーはっはっはっ! 残念だったなァ、スーツの兄ちゃん! 観客がいる以上、俺の辞書には勝利の二文字があるのみだ! 真剣勝負はこれにて終い、借金のことはさっぱり忘れて一張羅を返してもらうぜェ!」
いや借金は返すべきでしょ……というひなのコメントはもちろん届かない。ドゴォン! という馬鹿げた爆音とともに機械兵が拳を叩きつけ、盤面に並んだ駒が吹き飛ぶ。もちろんスーツ男の白の王駒もだ。ゲーム盤に亀裂がはいって砕け散る。盤面から駒がこぼれ落ち蛍光緑の光を散らして消える。
ところがスーツ男はうすく笑い、盤面へ触れる。
波長一八〇〇〇ヘルツ、金属の糸を弾いたような頭に突き刺さる音が響いた。ひなは息をのんで叫ぶ。「待って、これってハッキング……!」
『起動:反転』
スーツ男が起動語をつぶやくと同時、盤面が蛍光赤に染まる。零と一の連なる文字が地面から飛び出した。それが機械兵に絡みついた途端、黒鉄の機体が酸でも浴びせられたみたいにぐずぐずに溶けていく。
大音量のエラー音に、ひなは思わず耳をふさいだ。ゼンも取り巻きの女の子たちも墨虎も――宗歩でさえも似たようなものだ。そのなかでインジュだけが立っていて、真っ青な顔でつぶやく。
「どうして……このハッキングプログラムは……」
「このハッキングプログラムは、お前が我が社から無断で持ち出したものですね。個体番号Z0010」スタラク社の男が馬鹿にしたように肩をすくめた。「天海宗歩を助けたかったんでしょうが、考えが甘い。お前がここにいるということは、ハッキングプログラムもここに在るということ。我々はただ、お前に接続して、そのプログラムを起動させているだけですよ――ほら」
スーツ姿の――スタラク社の男は無造作に身をかがめ、インジュの肩をつかんでスカーフをはぎとった。少女のほっそりとした首には毒々しい蛍光赤色の個体番号が浮かび、零と一の燐光をまき散らしている。まさにここが全ての異常の発生源、仮想空間を蝕む呪いの大本と言わんばかりに。
インジュが悲鳴をあげた。
ひなは思わず駆け寄ろうとする。けれど行く手を阻むように、地面に散らばっていた駒がいっせいに巨大化した。毒々しい赤色に染まった駒は体高三メートル、個数は数十。ゾンビのようにふらつきながら、暴走した駒が明確な敵意を向けてくる。一番手前の兵士の駒が火縄銃を掲げた。その先にはちょうどゼンがいる。
そんなの駄目。
『っ、起動:基本防御』携帯端末の画面をたたいて簡易記述式を起動させ、ひなは指先をゼンへ向けた。「アイツを守って!」
ゼンと兵士の駒を分断するように透明の守護壁が展開され、銃弾を弾く。一発、では終わらなかった。二発、三発、四発……終わりのない嵐のごとく銃弾が盾を叩く。
ゼンが笑った。
「ははっ、これじゃあ火縄銃というより機関銃だね!」
「笑ってる場合じゃないでしょ!」ひなはなんとかゼンの隣にたどり着いて怒鳴り返す。「シールドが壊れる前にこいつら倒さないと! ほら、あんたの武器を喚ぶからこっちを見、」
「それは遠慮しとくよ、ひなちゃん」
ゼンはそう言って、ひなではなく取り巻きの女の子たちを見つめた。彼女たちはそろって、うっとりとした表情をゼンに向けている。ひなは嫌な予感がした。ゼンが雑誌モデル顔負けの微笑を唇に刻んだせいで、それはすぐさま確信に変わる。
「俺の心を見て。君たちならできるよね?」
創造装填。
取り巻きの女たちがいっせいにそう呟いて崩れ落ちる。まさにその場所に、彼女たちと同じ数だけの鞘に収められた刀が顕れた。灰白色の初期刀。
銃撃の嵐に耐えかねてシールドが壊れた。ゼンは手近な刀を鞘から抜き、兵士のかまえる火縄銃を刃で跳ね上げる。がら空きになった胸元へ一閃。
鮮血の代わりに真っ黒な燐光をはなって兵士が倒れる。刃の砕けた刀を捨て、ゼンは次の刀を掴んで横合いに飛びすさった。直後、兜をかぶった鬼の駒の拳が地面に沈む。ゼンは鞘を払いながら獰猛に目を光らせた。「さぁ次はお前だ!」
ひなは唖然とした。だって、そうするしかない。ひとりで数騎の駒を相手取るゼンの戦い方は惚れ惚れするほどかっこいい? イエス。相変わらず機械人形の喚ぶ武器を使い捨ててムカついてる? イエス。ところであたしは、あんたの武器を創れる機械人形ですけど?
イエス、イエス、イエス……。
「……なのに、なんで無視するわけ!?」
ひなの怒りに満ちた叫びに反応し、近くの駒が襲いかかってくる。槍持つ兵士だ。あぁもう上等! やってやろうじゃない! ひなは携帯端末の画面を力任せに叩いた。
『起動:初期刀』
ゼンと同じ灰白色、けれど正真正銘の簡易記述式で定義された刀をひっつかむ。身をかがめて槍の一振りを回避し、追撃が来る前に踏みこんで兵士の顔に刀を叩きこんだ。クリティカルヒット。ところが地面に影が差す。顔をあげたひなの眼前には、鉤爪をあらわにして飛びかかろうとする鷹の駒。
横合いから飛んできた灰白色の刀が鷹を撃墜させる。刀を投げつけてきた張本人――ゼンが馬鹿にしたように言った。
「ひなちゃん、視野せますぎ」
「……っ、はぁ~!?」ひなは手近な駒を切り捨てて叫び返した。「助けてなんて誰も言ってませんけど!?」
「あはは。気づいてないんだから、助けてなんて言えないだろ?」優雅な刀さばきでゼンも一体を討つ。
「気づいてたわよ! くそっ、さっきはあたしを無視したくせにっ」もう一体追加だ。
「だってねえ、ひなちゃんの誘い方があまりにも子供っぽいっていうかさ」ゼンも一体追加。
「子供っぽいってなんだ! あたしはあんたの機械人形でしょうが!」
ひなが絶叫しながら巨体の駒を斬り倒したところで、視界が開けた。
インジュは力なく地面に倒れこみ、スーツ男がまさに宗歩の右腕をつかんだところだった。インジュの体から溢れ出るの同じ、禍々しい蛍光赤色の燐光が腕に絡みついて宗歩の顔が歪む。それでも彼はスーツ男を乱暴に振り払い、怒りに満ちた声で吐き捨てた。
「っ、もうたくさんだ!」
瞬間、世界が暗転した。
インジュが消え、スーツ姿の男が消え、ゼンの姿さえ消えた。足元で地面の感触が途切れ、ひなは真っ暗な世界に落ちていく。内蔵のせりあがる浮遊感、海にもぐったときみたいに口からこぼれるあぶく。ううん待って、そもそも息もできない。
ひなはパニックになった。待って、今度はなんなの……!
「……まったく、相変わらず世話の焼ける」
懐かしい声がして、不意に体を押し上げられた。
深海のごとく真っ暗な世界に人影があった。細身の青年がひなの代わりのように下へと落ちていく。真っ黒なコート、真っ黒なシャツ、真っ黒な革手袋。鬼の神楽面で顔をおおっていて、右耳からのびた蛍光赤の組紐が水流にゆらりと踊っている。
ひなは目を丸くした。ナル。呟いた言葉は音のかわりに泡となって、コポリとひなの鼓膜を揺らす。




