第4話 いやァ嬉しいね!
インジュの予言はそれから三日後に的中した。
「任務が許可できないってどういうことよ!?」
保護機関十五階、仮想空間管理部の窓口で、ひなはデスク代わりのスチールラックを叩いた。しまわれていたファイルがラックを叩く鈍い音が響いて、何人かが迷惑そうな視線を投げかけてくる。
いましがたひなに書類の束を突き返した受付係が嫌そうに顔をしかめた。制服の腕元に縫いつけられた白の刺繍は幹部候補の証、それから胸元のIDカードの横には『職場訓練中』の文字。
「どうもこうもありません」受付係が苛々とした様子で返す。「あなたの任務フローを確認し、許可できないと判断した。それがすべてです」
「納得できるわけないでしょ。この書類、何回書き直させられたと思ってんの」
「そちらが毎回不備のある書類を提出するからでしょう」
「はぁ? 複雑な書式にしてるそっちの部署のほうが悪い……」
背中からぶつかられ、ひなは顔をしかめた。ここはオープンフロアに三つの部署が詰めこまれているせいで、とにかく狭い。今もちょうど幹部候補生の制服を身に着けた男たちが数人通り過ぎていったところだった。もう、少しは謝ったらどうなのよ。思わず文句を言いそうになったところで、受付係がぼそりと言う。
「機械人形のくせに口答えしないでよね」
ちょっと、聞こえてますけど?
ひながキッとにらめば、受付係が怯んだ顔をした。
「と、とにかく、我々は一三七部隊の任務を許可しません。そもそも存在しない座標に接続するなんて馬鹿げてるのよ。分かったら大人しく帰って。はい次の方、どうぞ!」
次の人に押し出されるようにして、ひなは窓口から追い出された。あぁもう!
ひなは突き返された書類をぐしゃりと握った。周囲からの忍び笑い、それから冷ややかな視線がいくつか。むかつく。ひなはじろりとひと睨みしてギャラリーを黙らせる。こういうとき金髪に緑の目という派手な見た目は便利だ。
仕方ない、こうなったら持久戦よ。納得のいく説明をしてもらうまで粘ろうと、ひなは列の最後尾に並びなおした。あと十人だ。どんだけ仕事遅いのよ。ぶつくさと文句を並べていたところで胸ポケットで携帯端末が震えた。今度はなに? こっちは仕事中なんですけど。
「もしもし?」
書類を片手で抱えなおし、ひなは乱暴に通話を受ける。一瞬の無音。ねえ、まさか迷惑電話じゃないでしょうね。刺々しく思ったところで電話の向こうから合成音が聞こえる。
『起動:白波の留』
声をあげる間もなかった。世界が突然真っ暗になる。もちろん停電じゃない。仮想空間への接続だ。地面が消え、真っ暗な海にほうりこまれたような浮遊感。零と一から構成される蛍光緑の燐光――。
ちょっとちょっとちょっと……!
「なんなのよいきなり……っ!」
ひなが叫ぶと同時、世界に明かりが灯った。勢いそのままにひなは地面に顔面から倒れこむ。擦りむく額、散らばる書類、あぁもうほんとになんなの。悪態をつきながら顔をあげた。
そこは緩やかな上り坂の路地だった。両脇をはさむ家屋は背が低く、錆の浮いたトタン壁やら経年劣化を隠せない黒色の木の壁やらで覆われていて、数枚のポスターが風になびいている。道幅は車一台が通れるかどうかといったところだ。青空には電線。あとはどこからか規則正しく響く波の音。
そしてインジュが目と鼻の先にいる。地面にしゃがみこんだ彼女はひなと目があうなり言った。
「設定深度27H、場所を水没都市・太天市外縁に固定――こんにちは、ひなさま。三日ぶりの再会、インジュは嬉しく思います」
「……嬉しくって、ぜんぜんそんな顔に見えないけど」
「心外です。インジュは嬉しいと感じていますよ。なにせ、この仮想空間に接続できるかどうかが、今回の依頼の一番の懸念事項でしたので」
インジュは地面にちらばった書類へ目をやった。
「存在しない座標には行くことができない。そう言われたのでは?」
「なんで知ってるのよ」
「御役所が言いそうなことですので」
「そう。少なくとも盗聴してたんじゃなさそうで安心したわ」
間違いなく本題はそこじゃないけど、そう言わなきゃやってらんない。ひなは頭をふって立ち上がった。書類は……ううん、集めなくていいでしょ。どうせただの紙切れだし。
それよりも、だ。
「これがどういうことなのか説明して。インジュ、場合によっては法律違反の可能性だってあるわよ」
「もちろん説明します。そしてインジュは法律に背くようなヘマはしません」
へえ、そう。ずいぶんな自信ね。ひなは腕を組んだ。インジュは淡々と続ける。
「ここは違法賭博のために設定されたゲームステージ、太天市です。しかしながら、この場所へは通常の手段では接続できません。ここは現実世界には存在しない場所だからです」
「ちょっと待ってよ。現実世界に存在しない場所は、仮想空間として成立しないでしょ」
仮想空間とはいうものの、結局は過去のデータを現実世界に投影しているだけだ。だから体育館という場所で再現できるのは体育館だけ。建物から一歩でも外に出れば現実世界に戻ってしまう。
ひなの認識は間違ってないはずだ。だというのにインジュに冷めた視線で見られた。
「けれど今ここは国際データ保護機関十五階のフロアではない」
「……まぁそうだけど」
「ちなみにインジュは別の場所にいました。そこで電話があって、」
「それ、あたしのところにもかかってきたわ。仮想空間に接続するための簡易記述式が聞こえた」
「そしてインジュたちは太天にいる。会議室でもなく、保護機関でもなく。これが意味するところはひとつ、インジュたちは意識だけが仮想空間に接続した」
「……それ、結構ぶっとんでる結論よね?」
「ですが否定もできない。そうでしょう?」
それもまぁ、そのとおりだけど。
ひととおりの説明は終わったとばかりにインジュが歩き始めた。これがゼンだったら放っておいただろうけど……。ひなはさっと家屋の壁に目をやった。色褪せたレトロカラー、けれど主張が強めのポスターが数枚だ。『アンチ機械知性』、『機械人形廃絶』、『まがい物の人形に人権なし!』そのほかエトセトラ。
駄目だ、ほうっておけない。
「ねえ、どこに行くの」ひなはインジュの隣に並んで尋ねた。
「もちろん宗歩さまを探しにいきます。インジュの目的なのですから」
「心配する気持ちは分かるけど……ちょっと落ち着いたほうがいいんじゃない」
「なぜ」
「だって、あたしたちはこの仮想空間からの帰り方を知らないのよ」
「来て早々帰り方の心配なんて、ひなさまはよほど暇なんですね」
「インジュ、その言い方はさすがに失礼」
「そうは思いません、インジュは事実を述べただけです。なんにせよ、ひなさまは暇してて結構ですよ。宗歩さまを見つけたら勝負を挑む必要がありますが、ひなさまに勝てるほどの実力がないことは理解して、」
ひなはインジュの肩をつかんで立ち止まらせた。ポケットからハンカチを取り出し、なんですかと迷惑そうな顔をする少女の首元に手早く巻く。これでよし。
インジュがますます理解不能という顔をした。
「なんですか、これは」
「あんたの製造番号を隠したのよ」
「なぜ」
「ここ、治安が悪そうだから。機械人形であることは隠したほうがいい」
「……その理論でいくと、ひなさまも隠すべきと思いますが」
「あたしは制服で隠すから大丈夫」
ひなは襟を立てて、前ボタンを留めた。うん、ちょっと窮屈かも……いやもういいや、首元は見えないはずだし。
インジュが小さな眉を寄せた。
「ひなさま。そういうのは困、」
「そうなんだよ、困ってんだよお。オジサンはさぁ!」
見知らぬ男の声が響き、ひなたちは顔を見合わせた。
通りに人影はない。でも少し先に、鉄さびの浮きまくったゴミ収集庫はある。ちょうど人ひとり分の大きさだ。そして間違いなく声はここから聞こえた。
ひなは慎重に近づき、ゴミ収集庫の重い上扉をひっぱりあげる。ひとりの男がゴミ袋に埋もれていた。壮年、白髪、薄汚れた着物一枚の彼は情けない顔で言う。
「やぁやぁ助かったお嬢ちゃん……! 悪ぃが起きるのを手伝ってくれ、」
ひなはバタンと扉を閉めた。追いかけてきたインジュが不思議そうな声をあげる。「ひなさま……?」
嫌な予感しかしない。どう考えても。
なんで天海宗歩がゴミよろしく捨てられてるのよ。
*****
山盛りの焼き飯をかっくらい、男は空の大皿を快音響かせてテーブルに置く。
「いやァまじで助かった! この恩は天海宗歩の名にかけて必ず返す!」
「……やっぱり天海宗歩なんだ……」
ひなは向かいの席で水のはいったグラス片手に呆れた。
ゴミ箱に男が捨てられていた。腹が減って死にそうだと泣きつかれた。そうなれば見捨てるわけにもいかず、しかも探し人にそっくりだったから渋々助けて近場の町食堂にはいった。で、これだ。
ゴミ箱男もとい宗歩は血色のよくなった顔でにんまりと笑う。
「おうおう嬢ちゃん、やっぱりってことはなんだ? 俺のファンってやつかい? いやァ、これだから人気者ってやつは辛い、」
「そんなわけないでしょ、あんたのことを探してたのよ。ねぇインジュ」
なぜか返事がない。ひなは隣を見やった。丸椅子に腰掛けたインジュは珍獣でも見るような目つきで宗歩を眺めたまま固まっている。かわいそうに、よっぽどショックが大きかったらしい。
ひなはため息をついた。「というか、なんでゴミ箱にいたのよ……」
「良い質問だ」宗歩はばしんと膝を叩いて身を乗り出した。「これには聞くも涙、語るも涙の事情ってヤツがあってだな」
「そのへんは興味ないから、一文でまとめて」
「いやー、それがバトルで有り金ぜんぶ擦っちまったんだよなァ! ガハハ!」
「ぜんっぜん笑い事じゃないでしょ。っていうか涙要素ゼロだし、一文でまとまっちゃってるし」
「なんでえ、おまえさんが一文でまとめろって言ったんじゃねェかい」
宗歩に真顔で返されて、カチンときた。ひなはテーブルを叩く。
「言ったけど、まさかほんとにそうなるとは思わないでしょうが……! あぁもう! とにかく一緒に帰るわよ! いつまでもゲームの世界なんかに入り浸ってないで! いい歳した大人なんだから!」
「そりゃあ無理な相談だな」
「なんで!?」
「一張羅を取り返さなきゃなんねぇのよ」
ぴくりとインジュが動いた。「一張羅」そう呟くなりランドセルからタブレット端末を取り出し、画面を猛然とタップする。ちょっとちょっと、なん、「これです」
すごい勢いでインジュに画面を突きつけられ、ひなは思わずのけぞった。ゲームの装備画面のような背景に一着の半被が立体画像で表示されて、ゆっくりと回転している。そう、半被だ。祭りのときに着るやつ。目のさめるような青色の生地に、背中には赤色でデカデカと『祭』の一文字が染め抜かれている。
宗歩が嬉しげに声をあげた。
「おお、そうそう。それだよそれ。よく知ってんじゃねェの、お嬢ちゃん」
「当然です」インジュは早口に言った。「このゲームでのトップランカーの証、三年前に開催されたトーナメントのみで入手できたアイテム、着用時の勝利確定ボイスは、」
「「祭の時間だ! 魂燃やしな!」」
インジュと宗歩がとびきり明るい声で言う。意外……だなんてひなが思ったところで、インジュが我に返ったような顔つきになった。
「あっ、いえ、違います。インジュはアイテムの説明を正確にしたかっただけで……とにかくこれを取り返さねばならないと、きゃっ!」
宗歩がインジュを抱えあげた。ぐるぐると部屋中をまわりながら上機嫌に言う。
「いやァ嬉しいね! 俺の一張羅の由来まで知ってるたァ、さては熱烈なファンってやつだな!?」
「ち、違います! インジュはあのっ!」
「ナハハ! こりゃあいよいよ本気で勝たねぇといけねぇよなァ! バトルってやつによう!」
「宗歩さま! 離してください! インジュは子供ではなくっ!」
うーん、これは……。
「完全に部外者ってかんじだねぇ、ひなちゃん」
耳元で聞き覚えのある声が響き、ひなは悲鳴をあげて振り返った。
いったいいつからいたのだろう。ゼンがにこやかな笑みを浮かべて片手を振る。そのうしろには年齢問わずたくさんの若い女の子たち。
待った。
「ちょっと」ひなは顔をしかめた。「なんなの、その子たちは」




