第3話 ひなさまは変です
「いや、行方不明とかじゃないじゃん」
「行方不明です。仮想空間で意識だけが迷子になった」
「迷子になったんじゃなくて、帰りたくないだけでしょ……」
ひなのぼやきに、インジュが無感動な視線をよこした。「スタラク社ではそれを行方不明と定義しました」
あぁそう、ものは言いようってことね。ひなは呆れながら長机へ視線を落とす。
会議室はすでに明るく、部屋の施錠も解除された。そして長机には二組のゲーム盤がある。ひと組はひなとインジュの間に、もう一組はゼンと墨虎の間に置かれていた。
そう、墨虎だ。一三七部隊の根暗で陰気な隊員。自分のデスクでいつもスマホゲームをしてる男。十数分前にこの会議室に呼びつけられた男はしかし、ゲームのエキスパートだった。つまり、テーブルに置かれたゲーム盤のルールについてもよく知っている。そしてこのゲーム盤が今回の依頼の鍵だ。
天海宗歩が入り浸っている……じゃなかった、行方不明になった仮想空間は賭けゲームの闘技場らしい。天海宗歩はトップランカーで、いつでも挑戦者を受けつけているらしい。で、あたしたちは天海宗歩をゲームで打ち負かし、連れ戻すという作戦らしい。
いやあの、本気で言ってる? ってかんじ。
ところがひな以外の全員が本気なので、この会議室はいまや件の戦略ゲームの練習場となっているというわけで……。
「ひなさま、さぼらないでください」
インジュがずいと目の前に白駒を突きつけてくる。ひなはのろのろと駒を受け取り、盤面を見下ろした。「サボってはないでしょ」駒を手遊びしながら白と黒の散らばった局面を眺めて考えてるふうを装う。「こうあの、考えてるのよ。冴えまくってる次の一手ってやつ」あとは、この任務に対するモチベーションも考えてるところ。
「考えるまでもないでしょう。これは初心者向けの盤面ですよ」インジュがすげなく返す。
「そうかもだけど、そもそもルールが複雑すぎでしょ」
「王の駒をとれば勝ち。これ以上ないほどシンプルと思いますが」
「それ以外がややこしいんだってば! 駒の種類はたくさんだし」
「百二十三種類です」
「なんか進化もするんでしょ」
「召喚です。新規能力の付与であって進化ではありません。特定の駒の排除、経過ターン数、自陣の損傷等の条件で召喚を使うことができて、」
「あぁもうとにかく! そういうのがややこしいって言ってんの!」
ひなはやけくそで盤面の一角に白駒を叩きつけた。どうだ……と期待する間もなく、インジュの黒駒がひなの白駒をあっさり弾いて退却させる。あっ、ちょっと。
「ひなさま、センスなさすぎです」
……どストレートな感想はさすがにへこむんですけど。
ひなは不貞腐れながら隣を見やった。ゲーム初心者はなにもひなだけじゃない。ゼンもだ。ところがヤツはひなよりもずっと上手くやってるようだった。墨虎のアドバイスも受けながら、さして迷いもせずに駒を動かしている。その所作といったら! ひなは唇をひん曲げた。ちょっとこんなときくらいモデルっぽい雰囲気はやめてよ。
まるでそれが優雅なアンティークチェアであるかのように、ゼンはリラックスした様子で椅子に腰かけている。白の駒を動かすときは、手入れの行き届いた指先で。ときおり長机に片肘をついて真剣に盤面を見つめているときもあった。前髪が瞳に影を落としていて、なんともいえない涼やかな色っぽさがある。
くそ、かっこいいな。
「……あたしとおなじ初心者のくせに……」
ひなのぼやきを拾いあげたのはよりにもよって墨虎だった。オフィスチェアのうえで三角座りをした彼は、フードの下でニヤニヤと笑う。
「初心者ッスけど、新人ちゃんと同じではないッスよ~。今のゲーム設定で超級レベルっす。こりゃ一番の足手まといは新人ちゃん確定、おわ!? ちょ、駒投げないでくださいよ! 暴力反対ッス!」
「うるさいうるさいうるさい!」ひなは思わず立ち上がって叫んだ。「だったらちょっとは乙女心を考えて発言してくださいよ! もう、墨虎先輩といい、インジュといい……!」
「お待ちください、ひなさま。その発言は心外です。インジュはあなたの実力をありのままに評価しただけなんですから」
「なんでも正直に言えばいいってもんでもないでしょ! というかそもそもこういう戦略ゲーム系は苦手なの! 刀で戦うほうがよっぽどすっきりする、」
不意にゼンに強く腕をひっぱられ、ひなは椅子に座りこんだ。ゼンとは膝が軽く触れあう近さだ。おまけに彼はひなの頭にぽんと手を置き、すこし甘えるみたいに顔をのぞきこんでくる。目があった。
「ひなちゃん、すこし静かにして。ね?」
……ね?
びっくりしすぎてひなの思考がフリーズした。インジュも墨虎も目を丸くしている。じゃあゼンはといえば、びっくりするくらい普通だ。盤面を再び眺める。すこししてから「あ」と声をあげて一手を打つ。盤面がカラフルに光ってゼンの勝利を告げた。ちょうどそのときゼンの携帯端末が鳴る。「やぁ、ユリコさん。え、今日の夜? もちろん空いてる……」
携帯端末片手にゼンが部屋を出る。処理落ちしていたひなの頭がようやく再起動した。『ひなちゃん、すこし静かにして。ね?』――ゼンの言葉がもう一度リフレインして、ひなの顔がぼっと熱くなる。
「な、ななななな……っ」
ひなはわなわなと唇を震わせながら立ち上がった。インジュと墨虎を見やる。なぜだか二人はさっと目をそらす。恋人同士のやりとりをうっかり見ちゃって気まずいみたいな。
「ちっ、ちがうから!」
ひなは一方的に宣言して部屋を飛び出した。廊下を突っ走る。自販機のならぶ休憩スペースで呑気に通話しているゼンを見つける。
ひなはゼンの携帯端末をひったくった。通話を切って、息も整えずにらみつける。
「な、なんなのよ……っ、さっきのは! あと堂々と浮気相手と電話するな!」
ゼンはわざとらしく空っぽの右手を浮かせたまま、にやっと笑った。
「さっきのってなんのことかな、ひなちゃん?」
「さ、さっきのは、さっきのよ」
「んんー? って言われてもね。俺もゲームに集中してたし」
「っ、あぁもういい、」
「もういいの? じゃあ俺、もういちど同じことやっちゃうかもしれないけど」
ひなはゼンをにらみつけ、もごもごと言った。「っ……頭に手をのせたやつよ。静かにしてって」そう言った時のゼンの表情を思い出し、それがあまりにも好みどストライクすぎてまたもや思考がフリーズしかけ、そのことにぶち切れながらひなはますます喧嘩腰でいった。「ほらもう分かったでしょ!? とにかくもうやらないで!」
ゼンが噴き出した。顔まっかにして可愛いね、とかなんとか言ってる。なによもう、馬鹿にして! ひなは不貞腐れたまま、再び着信で鳴動した携帯端末を叩いて黙らせた。ゼンは相変わらずにやにやしたまま、長い脚を組んで試すように見つめてくる。
「俺のスマホ、返してくれないの?」
「返さないわよ。どうせ浮気相手と話すんでしょ」
「そうだよ、もちろん」
「……あのねえ」ひなは呆れて息をついた。「堂々と言わないで。他の子が聞いたら卒倒するわよ」
「やだなあ。こんなこと、ひなちゃんにしか言わないさ」
「最悪。なんであたしには言うわけ」
「だってきみ、まだ俺のことが好きなんだろ」
うわ、なに。さっきの仕返しってこと? あまりの大人気なさにぽかんとしている間に、立ち上がったゼンが携帯端末を抜き取った。あっ、ちょっと!
「それじゃ、俺は用があるからこれで」
「ま、待ちなさいよ、ゼン!」
「インジュちゃんの依頼関連の事務作業よろしくね」
ひらひらと手を振ってゼンが休憩室をあとにする。そこにいたってようやく、ひなはゼンの笑顔に見覚えがあることを思い出した。あれだ、対戦型のゲームであたしに負けたとき、決まって浮かべてた笑みといっしょだ。そういうときヤツは決まって結果に納得してなくて、朝まで延々とゲームにつきあわされる羽目になる。もちろんヤツが勝つまで。
最悪じゃん。
っていうかちょっと待ってよ。これってあたしが悪いわけ? 元はといえばあんたが、俺のこと嫌いになればいいのに、とかふざけたこと言い始めたのが原因じゃない? そもそもこっちは、あんたがなんで機嫌悪くなってるのかも分からないのに……。
「効率の悪い指示系統ですね、ひなさま」
ひなはふりかえった。休憩スペースに入る手前の廊下でインジュがじっとこちらを見つめている。あいかわらずの無表情で、何を考えてるかさっぱりわからない。ひなはため息をついた。
「それってどういうこと?」
「繊月さまとのやりとりのことです」
「あたしたちの話を聞いてたってわけ」
「監視です。今回の依頼を他者に漏らされては困りますので」
「あぁそう」まったく、誰も彼も堂々としてるったら。「それで? 効率が悪い指示っていうのは?」
「ひなさまは繊月さまから今後の行動に対する指示を受けていたのでしょう。それにしては指示が曖昧で、正確な任務遂行に支障があると思います」
「あのねえ……あれのどこをどう聞いたら指示に聞こえるっていうのよ」
インジュが小さな眉をひそめた。「指示ではないのですか? では、おふたりは何を?」
なにって。そりゃあちょっとした注意っていうか、アイツの嫌がらせっていうか。またもや頭に手をのせられたときの心の浮つきがぶり返しそうになって、ひなはオーバーヒートしそうになった頭をぶんっとふった。「雑談よ。ただの会話。それだけ」
まだなにか言いたげなインジュを手招きし、ひなは自販機のIDカードをかざした。こういうときは気をそらすのが一番だ。
「それより休憩しよ。好きな飲み物はある?」
「……ありませんが」
「ないの? 奢るけど」
「機械人形に固有の好みは存在しません」
「そう? あたしはコーラよりメロンソーダのほうが好きだけど」
ちなみにゼンはコーラ派だ。もちろんダイエットコーラじゃないほう。ひなはボタンを押して、オレンジジュースとメロンソーダを一本ずつ買った。インジュにオレンジジュースを押しつけてソファに座り、プルタブをあける。うん、おいしい。メロンソーダはあいかわらずの人工甘味料ってかんじ。
「ひなさまは変です」
缶を抱えたままインジュが主張する。メロンソーダにふたくちめをつけながら、ひなは肩をすくめた。
「それははじめて言われたかも」
「機械人形に好みはありません。主人からの命令を遂行するための道具でしかない……」
「それって天海宗歩もそうなの?」
インジュの眉がぴくりと動いた。「それはどういう意味でしょうか、ひなさま」
「言葉のままよ。天海ってやつはインジュに偉そうに命令するようなヤツなのかなってこと」ひなは顔をしかめた。「ううん、でもそれって冷静に考えたらヤなやつよね。っていうか、あいついい歳したおじさんでしょ……? インジュみたいな子供に威張り散らすのは道徳的にどう、」
「インジュは子供ではありません。機械人形なのですから」
「あ、えっと。ごめん」
ひなは反射的に頭をさげた。インジュは目をまたたかせ、ふいと顔をそむける。
「……それに宗歩さまは……そういうことはなさらない、はずです」
「はずです……って」ひなは目を瞬かせた。「それって、なんか変な言い方じゃない?」
「失礼なこと言わないでください。インジュは的確に表現していますよ。変というなら、さっきの繊月さまとひなさまの会話のほうがよほど変……」
「わーっ、ちょっと! その話はおしまいだってば!」ひなはインジュの腕をひっぱって隣に座らせた。「それよりほら、天海宗歩の話をもっと聞かせてほしいなーっ!?」
インジュがひなを横目で見やる。
「宗歩さまの話、ですか」
「そうそう。だってあたしたちは彼を探さないといけないでしょ? なのに名前とさっきの動画くらいしか知らないもん」
「あの動画から受けた印象がすべてと思いますが」
「えっ。ギャンブル好き酒好き女好きで、借金とかしまくってそうってこと?」
「はい」
「そっ、そうなんだ……」
まさか全肯定されるとはおもってなかった。いや全否定か。とにかくひとつくらい良いところが出てくるとばかり。ひなが苦笑いしたところで、インジュがぼそっと付け加える。
「……指し手も情熱的ではありますが」
耳慣れない単語にひなは首を傾げた。
「指し手?」
「駒運び、ひと試合を通じて組み立てられた戦略、その勝ち筋に至るまでの思考過程。そういったもののことです。宗歩さまはどの試合でも手を抜かないですし、どんな逆境でも勝利を諦めない……」
とつとつと語るインジュに、ひなは思わず頬を緩めた。
「なんだ。インジュも天海宗歩のことが大好きなんじゃん」
インジュがはっとしたように言葉を止めた。ぎゅっと眉をひそめ、早口に言う。
「そのような感情はインジュに搭載されていません」
「またまた。天海宗歩のことを話してるとき、楽しそうだったよ?」
「楽しさという感情もありえません。インジュはひなさまの質問に答えただけです。ひなさまの質問が曖昧なのが悪いのです」
「えぇー。それって結構強引な責任転嫁だと思うんだけど……」
インジュはオレンジジュースの缶をひなに押しつけ、ぱっと立ち上がった。いつもどおりの無感動な眼差しで、ひなをじろりとにらむ。
「呑気に笑うのはけっこうですが、これからもっと大変なことになりますよ。そのときに、この無駄な時間を後悔なさらないことですね」




