表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いち日本人のバイト事情  作者: 栗原 花楓
5/7

04

不定期更新です。

今回は長いので2つに分けてあります。


 朝も早くから、綾斗は店主の指示を受けながら開店前の厨房内を所狭しと動き回る。注文されてから作るメインとは違い、添える小鉢や煮物、煮付けの類いは予め盛り付け手前まで作っておいて、注文が入れば仕上げて出すのみにしておくのだ。毎日の品書きはある程度決まっているし、それに沿ったメインの下拵えは大体済んだ。品書きにない料理の注文が入った場合以外は、今日も問題なく営業を始められるだろう。

 綾斗は冷蔵庫代わりの冷暗箱から大降りの器を取り出すと、被せてあった紙を剥がして中に漬け込んだ肉の状態を確認する。毒々しいまでの紫色をしていた肉が、甘辛いたれに漬け込んで置いたお陰で黒く変色している。正直全く美味しそうに見えないのだが、ひとたび火を通せば食欲をそそる匂いを放つ緋色の塊になるのだから不思議なものだ。

 以前食べた味を思い出し、綾斗の口内に唾が溜まる。更には心なしか、空腹に傾いた胃が動き出したような気がして。食い意地が張っている己に苦笑を洩らしながら、綾斗は剥がした紙を元に戻して器を再び冷暗箱へと戻した。もう少し漬け込めば、より完璧になるだろうと。


 朝の賄いも済んで後は開店時間になるだけとなった時、綾斗はある鍋の前に立ち菜箸を片手にその中身を見つめていた。視線の先では盛んに湯気が上がる煮汁の中、里芋と人参と蓮根、それから帆立に似た貝柱がくつくつと揺れている。焦げ付かないように――でも決して野菜の形を崩すような愚行を犯さぬよう気を付けながら――鍋を軽く揺する綾斗の眼差しは、真剣そのもの。

 それもその筈、この料理は材料の準備から仕込み、そして仕上げに至るまで全てが綾斗に任されている。店主はある程度のアドバイスこそすれ基本的には手を出さず、完成までの責任は綾斗自身が担っているのだ。勿論、客に出すかどうかの最終判断は店主にあり、そこをクリア出来ない場合は全て自分で消費する羽目になる。実際に、却下された料理を落ち込みながら食べたことも何度かあった。

 自分には料理の才能がないのではないだろうか、そんな風に思ったのも一度や二度ではない。だがそこで諦めなかったからこそ、今こうして客に出す為の料理を作れている。そして、落ち込みながらも何とか人に供せるレベルの物を作れるようになったのは、偏に店主のお蔭だった。


 それは、何度も失敗を繰り返していたある日、店が終わり翌日の打ち合わせをしながら店主に誘われるまま酒を酌み交わしていた時のことだ。翌日の品書きの話をしながら、綾斗はどこか上の空だった。

 店主からメインに添える為の小鉢の中身を作るよう指示されてから、まだ一度も店主を満足させるような物を作ることが出来ないでいたことが、綾斗の自信を揺らがせていて。勿論、だからといって点を甘くして欲しいとは思っていない。それは客に対しても、雇ってくれる店主に対しても失礼なことだから。

 口に入るものに妥協は許されないと思うし、店の評判を鑑みれば美味しくない料理を出す選択肢は端からないのも承知している。綾斗に添え物とはいえ客に出す料理を作る腕があると店主が判断したから指示してくれたのは素直に嬉しかった。実力だけでのし上がれるほど世間は生易しくはないし、力を十二分に発揮できないまま希望と違う仕事をしている人など今日日の日本には吐いて捨てるほどいる。友人達とままならない世間の厳しさを嘆いたことも一度や二度ではない。

 だからこそ、その期待に応えたいのに出来ない現状が悔しかった。そして、自分に料理が向いているのかどうかも正直分からなくなっていて。確かにこの仕事に遣り甲斐を感じていた部分はあって、日を増す毎にこの仕事に馴染んでいったのも事実だが、こうも儘ならないと自分の感情すら疑わしくなってくるのだ。

 いつか帰るにしてもそれまでの時間を無為に過ごす気はないし、何より縁も所縁もない自分を何の見返りもなく助けてくれた店主に少しでも恩を返したいのに。

 考えれば考えるほど鬱屈としてくる気分を誤魔化すようにグラスの酒を一気に呷ると、喉を焼く酒に咽そうになるがぐっと堪えて何とか飲み下す。だが何も食べずに無茶な飲み方をしたせいでじくじくと痛みを訴えだした胃に、その気分は益々沈んでいく。中々浮上しそうにない気分を抱え、綾斗は重い溜息を吐いた。

 そんな綾斗の様子を、店主は声をかけることなく見つめていた。そこに呆れの色はなく、綾斗の思考を遮る気は無い様で。それはさながら雛を見守る親鳥のようにも見えた。



 自分とて初めから苦労なく出来たわけではないのだと、そもそも以前は料理自体に全く興味が無かったのだと。

 その話を聞いた時、綾斗はまさかと思ったものだった。それ程に店主の料理に対する姿勢は真摯であり、己の仕事に誇りを持っているのが誰の目にも明らかだったから。

 綾斗の驚きをどう取ったのか、店主は少しだけ過去の話をしてくれた。どうして料理に興味を持ったのか、どうして料理だったのか。大切な宝物を見せるように語る店主の表情は過去を懐かしむように綻んでいたが、その瞳の奥には拭いきれない後悔が見えて。それが店主にとって彼自身を構成する一部なのだろうとはっきりと感じさせるような、そんな表情だった。

 そして、店主に料理を教えたのが綾斗と同じ世界の人間だったと知り、浮かんだのはやはりという一言。何故なら、綾斗が疑問に思う余地もないほど店主の手が作り出す品々も料理に向ける眼差しも、和食を作る者のそれだったから。

 ふと店主の肩越しに見えた店内に視線を向ければ、店主の拘りが随所に見られるどこか暖かな空間が目に止まる。この店構えにしてもそうだ。岩を削って作られたダンジョンの中で、木で仕立てられた内装というのは珍しいのではないだろうか。それに、テーブルや椅子といった備品も殆どが木製だ。日本で言う小料理屋を髣髴とさせる造りは、一瞬異世界というのを忘れさせるほどに完璧に見えた。そして、ここで供されるのは、その殆どが和食の様相を呈しているのだから、益々その信憑性が増すというもので。しかも店主が作る料理は、和食で育てられた綾斗の口に何の違和感もなく馴染む。それが和食だからという理由だけではないのは気付いていた。そして、懐かしい記憶を揺り起こされたことは一度や二度ではない。

 そんな理由から、綾斗は店主の過去にこれ以上無いほど納得していただが、それが顔に出ていたのだろう。店主が訝しげにこちらを見ているのを感じ、綾斗は弁明するように首を振って見せ己の心中を言葉に乗せた。


「特に深い意味はないんですけど、単純におやっさんが日本人に料理を習ったってのに納得してたんです。それに、料理が俺にとって馴染みのある味だったんで余計に。俺の家って基本和食だったんですよね。でも家庭料理の和食ってその家庭で味付けが違うもんで、母さんもばあちゃんも死んでからは俺を育ててくれた味には巡り合ったことなくて。でも、おやっさんの料理って凄い似てるんですよ」


 異世界に一人放り込まれてすぐに店主という親切な者に出会えたのは良かったが、それでも不安がなかった訳ではない。何せ元から認識していなかった世界の知識などあろう筈がないのだから。しかも己の中の常識を簡単に覆されてしまった衝撃は、綾斗の精神を確実に蝕んだ。平静を装ってはいたが、その実不安に泣きそうで。勿論、店主が親切で申し出てくれたのは分かっていたし、自分でもそれが最善だと思いはしたのだが、出会う者全てが善人だと考えられるほど世間知らずでもなかった。だから、店主の後ろに着いて行きながらもしもの心積もりと、いつか一人で生きていかなくてはいけない覚悟を決めておかなければならないと肝に銘じていたものだった。

 だが、悲愴な覚悟を決めていた自分に店主が出してくれた料理は、そんな暗い気持ちを一瞬で払拭してしまった。温かく、そして懐かしい味。その瞬間、店主を信じてみようと思えたものだ。単純と言われればそれまでだが、何も知らぬ世界に落とされた綾斗に、その馴染んだ味が救いになったのは間違いないのだから。


「俺はおやっさんに助けられて、おやっさんの料理に救われたんだと思ってます」

「……そうか」


 信頼を全面に出した綾斗の笑顔に店主は僅かに目を見張り、次いで視線を己の手の平へと落とした。ポツリと落とされた声は、とても嬉しそうに聞こえて。

 過去に思いを馳せているのだろうか、それきり黙ってしまった店主。まだ付き合いの浅い綾斗ではその心中を正確に察することは出来なかったが、その沈黙は決して居心地の悪いものではない。

 綾斗は店主から視線を外すと、テーブルの上に視線を滑らせた。そこに並べられているのは、店主の作った酒のあてと綾斗が作った客に出す予定だったもの。綾斗はまず店主が作った煮物に手を伸ばした。味わうようにゆっくりと租借し飲み込むと、次いで自分作った物を一口。同じように噛みながら、綾斗の口からは落胆の溜息が漏れる。

 恐らくは店主の配慮なのだろう。どちらも使っている材料はほぼ同じ、里芋とこんにゃく、そして怪鳥の肉だ。調理の手順も似せ、味付けは両方醤油をベースにしている。綾斗の作った物も不味いわけではない。だが店主の作ったものを食べると、自分の作った物が駄目だとはっきり分かる。

 こんにゃくと一緒にすると肉がどうしても硬くなってしまうと教えられていたので、こんにゃくは最後の方に入れた。均等に火が通るように気を付けていたつもりだったが、完成した物を食べてみるとこんにゃくに味が染みていない。それに、なるべく均一な大きさになるように切ったつもりだったが、煮えてみると火が通って縮んだ分、鶏肉が沈んでしまっている。その点、店主の作った煮物は具の大きさも勿論だが、味も色も完璧だ。醤油を入れ過ぎた所為か、それとも煮過ぎたのか、黒くなっている綾斗の煮物とは違い素材の色がしっかりと残されていて、それでいて味が薄すぎるということはない。そして隠し味に使われている酸味が、ほど良く全体の味を引き締めていた。

 自分の作った物とは何から何まで違う店主の料理に、綾斗は奇妙な呻き声を上げた。そして、口惜しいと思うと同時にどうやったらこの味が出せるのだろうかと、思考が回転を始める。料理に関心がなかった店主がここまでの物を作り出せるようになったように、自分もいつか客が喜んでくれるような料理を作りたい。そんな強い想いが沸き起こる。明日からは今以上に店主の手元を観察しなければ。決意も新たに、綾斗は少しでも味のヒントを得ようと酒もそっちのけで黙々と料理を口に運ぶ。その度に、僅かな口惜しさと喜びを噛み締めながら。

 店主が思考の淵から戻ってきた時には、綾斗の眼差しは一心に料理へと向けられていて。その真剣な眼差しに、店主が洩らしたのは安堵の溜息。己の情けない過去を少しだけ暴露した気恥ずかしさはあったが、綾斗の気持ちを再び料理へと向けられたのならば十分だ。もしかしたら、何にも興味を持てずただ生きていただけだった自分に、料理というかけがえのないものを教えてくれた師もこんな気持ちだったのだろうか。そんなことを思いながら、店主は少し温くなってしまった酒をゆっくりと飲み干した。


 綾斗はそれから、いつも以上に真剣に仕事に取り組むようになった。勿論今までが適当だったわけではない。生来の真面目な気質も相まって、仕事に対する姿勢は店主も目を見張るものがあったのは確かだ。但しそれはあくまでも給仕する側としてであり、料理をする者のそれではなかった。だが、今の綾斗は料理をするという行為に対しての姿勢が強くなり、少しでも手が空けば店主の手技観察に余念がない。店主もまたそんな綾斗の変化を良い傾向だと感じたのか、綾斗の注意が向いていると気付けばちょっとした解説を付けるようになった。

 それから程なくして、綾斗の料理が当たり前のように客に出されるようになり、初めて客の口に自分の料理が運ばれた時の湧き上がるような喜びは、一生忘れられないだろうと思ったものだ。

 奇しくも最初の試食者となった常連の一人は、文句を言いつつも完食してくれた。それからも辛口な批評は相変わらず、だが一度として残されることなくきれいに無くなっている小鉢の中身に、片付けながら口元が弛んでしまったのは仕方がないことなのだ、きっと。



お読みくださりありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ