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いち日本人のバイト事情  作者: 栗原 花楓
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01

不定期更新です。

今回は少し時間が遡り、青年が務める経緯となっております。



「こんなとこで寝てると喰われるぞ」


 不意に聞こえた声に、ゆらゆらとたゆたっていた意識が浮上を始めた。と同時に、今に至る忌まわしい記憶までがよみがえる。



 元々それは自分のミスではなかった。発注数を間違ったのも、速やかに相手方への謝罪をしなかったのも、正社員である男の判断で。しがないバイトでしかない自分にそこまでの権限があるはずもないのに、あたかも自分の所為で取引先との関係が拗れたのだと上に報告されたと知った時は、何を馬鹿なと思ったものだ。だが、上に媚びることにかけては人並み以上の才能を発揮する男の口車に乗せられた上司は、すっかり男の言い分を事実として受け入れていて。流石に呆れてものも言えない自分に対し、顔を真っ赤にして怒鳴る姿に、末端とはいえ上に立つ者がこんなに単細胞でこの会社は大丈夫なのだろうかと、しなくてもいい心配をしてしまった。

 まあだからといって、濡れ衣を着せられた上にあっさりと首を切られてしまったことを簡単に受け入れられたかといえばそうではなく。何せもう少しで正社員になれたかも知れなかったのだ。この不景気に、少々ブラック気味とはいえ正社員になれるチャンスは滅多にないのに。しかもあんな下らない理由でそのチャンスを潰されたとあっては、腹を立てるなという方が無理なこと。

 そんな経緯もあり、大して強くもないのにやけ酒を煽った結果、どうやら前後不覚に陥ってしまったようだ。その証拠に、飲み屋に入ってから目が覚めるまでの記憶が全くない。

 呑み慣れない酒の所為で痛む頭を押さえながら身体を起こせば、手に触れる湿った土の感触。どうやら外で寝てしまったらしいと中りをつける。

 風邪をひいてしまっただろうか、などと考えながら再び落ちそうになる意識を何とか保って声の主を探そうと顔を上げた青年の口から、呆けたような声が漏れた。


「―――何処だ、ここ」


 視界に入るのは見慣れた灰色のビル群、ではなく。見上げる程大きな木々の群れ。低い潅木しかない近所の公園でないのは明白だ。しかも、鬱蒼と茂る木々に遮られ、空の様子を垣間見ることも出来ない。完全に闇に塗り潰されていないところを見れば、きっと今は朝方なのだろうと思うのだが、如何せん太陽の光が刺す隙間もないせいで正確な時間に見当をつけようにも、容易にはいかなそうで。

 不気味な静寂に包まれたそこは、小さい頃に探検した夜の森を思わせた。度胸試しだと言いながら、数人で分け入った夜の森は昼間とは全く違う様相で自分達の恐怖心を煽った。虚勢を張ってみても、所詮は小学生。結局帰る道も分からず、大人たちが探しに来てくれるまで木の影で固まって震えていたものだ。

 だがそれは故郷の田舎での記憶。決して今住んでいる街には、自分の生活圏にはない筈の景色だ。

 その証拠に、少しは見覚えがないものかと周りを見渡してみるものの、記憶の端にも引っかからない。久しぶりに薫る緑の濃い香りに、これが夢ではないことを確信する。

 一体何が起こった、否やらかしたのだろう。もしや記憶のない間に長距離トラックの荷台にでも入り込んでしまったのだろうか。確かに首になった直後は故郷に帰ろうかなどと考えていたように思う。だから、無意識にその方面のトラックに便乗してしまった可能性はなくはない。でも正直、そこまで理性をなくしていたとは思いたくなかったが。

 ならばもう一つの可能性としてありそうなのは、無意識に彷徨っている内にこんな場所に来てしまったということ。実は普段通ったことがないだけで、案外家からそう遠くないのかも知れない。

 だが、仮定をいくつ思い浮かべてみたところでこれという答えが見付かる筈もない。

 さてどうしたものか、と考え始めたその時、そういえば声をかけてくれた人がいたじゃないかと思い出し、慌てて後ろを振り仰いだ。

 そこには、存在を無視して物思いに耽っていた青年に対し、特に怒った様子もなく煙管を吹かす中年男性の姿が。

 どうやら制服を着ていないところから判断するに、お巡りさんというわけでもなさそうだ。

 何の変哲もない紺色の作務衣に今の時分珍しい下駄を履いている。口に銜えた煙管からは細く煙が昇っているところを見ると、飾りではないようで。そんな何処にでもいるような恰好で、肩に大きな頭陀袋を担いでいるのが何とも異様に見えた。そう、丁度人一人すっぽりと収まる位の大きさの。

 いやな想像に、青年の喉が鳴る。先程見た限りでは、近くに家らしきものは見当たらない。そんな場所に近所をふらりと散歩していたというような格好の人間が、しかもあからさまに怪しい荷物を担いで立っているのだ。勘繰ってしまっても無理はないというもの。声をかけてもらったことを思考の淵から放り出して、いやな予想が当たっていたどうすれば良いのかと悩んでしまう。

 そんな青年の態度をどう思ったのか、最初に声をかけて以来沈黙を守っていた男が、徐に口を開いた。


「見たところ冒険者じゃないみたいだが、んな丸腰でこんなとこまで入って来たってことはそれなりに腕が立つのか、無謀なだけか。それとも自殺志願者か?」


 こちらに語りかけているというより、単に考えていることをつらつらと言葉にしただけといった物言いだったが、青年は男の言葉に引っかかるものを感じ、首を傾げた。


「冒険?いや、もうそんな歳じゃないんで」


 冒険者と聞いて思い浮かぶのは、子供がよくやるごっこ遊びで。小さい頃はそれなりに夢中になった遊びも、思春期に入る少し前に卒業している。

 もしかしたら、この森はそんな者たちがよく闊歩する場所なのだろうかと。

 だがそれは勿論男の望んだ答えではなく。


「冒険者じゃないなら何故境を越えた。ここが人にとって安全じゃないのは分かり切ったことだろうに」

「え?安全じゃないって……ここサファリかなんかですか!?」


 ならば悠長に立ち話をしている場合ではないと俄かに慌て出した青年に、男は何を言っているとでも言うように胡乱気な眼差しを向けてくる。

 その視線を受け、青年の頭が徐々に落ち着きを取り戻していく。自分が無事じゃないのなら、目の前の男とて同様だろうと。たとえ彼が職員だとしても、近くに車は見当たらない。身一つで闊歩するなど無謀以外の何ものでもないのだから。

 一人納得し頷いている青年とは対照的に、全く噛み合わない会話の所為か今度は男の方が訝しげに眉を顰め、その眼差しが何かを探るように中をさ迷い、再び青年を捉えまた逸らされる。

 そんな訳の分からない男の行動に声をかけるべきなのかと悩みつつ、その様子を見守る。どちらにせよ、此処が何処なのか分からない限り己がこれからどう行動するかの指針を立てられないのだから、その情報を持っている男に話を聞くしかないのだ。

 そんな事をつらつら考えている内に、男の中で漸く何がしかの結論が出たのか、再びしっかりと視線を合わせてきた。


「お前さん、どっから……いや、何処を通って来た?」

「は?」


 質問の意図が掴めず、困惑する。ただ言えるのは、分かったにせよ分からないにせよ自分が説明できるだけの答えを持っていないということだけで。

 だから、己が昨夜どういう状態にあり、結果どうしたのかを順を追って説明する。流石に首になった経緯などは未だ納得できていないのと、どうにも情けなく思ったので省かせてもらったが。記憶がないので確かなことは言えなかったが、己の行動を推察するのは簡単だったし、恐らく間違ってはいないだろう。だが、それを聞いた途端、男が深々と溜息を吐いた。どこか疲れた様子のそれに、青年は何か失言をしたのだろうかと不安になる。

 そんな青年の困惑の色を乗せた眼差しに、男は気にするなというように煙管を持った手を振る。そして、何度か逡巡するように聞き取れない声で何事か呟いた後、呻きながら己の頭を掻き毟った。


「正直俺の所為、とも言えなくはないんで説明はする。が、今から言うことはお前さんにとって荒唐無稽な上、決して愉快な話じゃない。だが取り合えず最後まで聞いてくれ」

「……分かりました」


 念の為、といった忠告に何を聞かされるのかと不安になりながら、頷きを返す。

 すると男は自らの思考を整理する為だろうか、煙管を咥え一度大きく吸ってからゆっくりと吐き出す。そして、吐き出した煙が完全に消えるのを待ってから口を開いた。

 曰く、ここは青年の住んでいた世界とは次元が違い、恐らく青年が無意識に二つの世界の間に在る『扉』を潜ってしまったのだろうこと。その『扉』は本来、あちらから人が来ることは出来ず、自由に行き来できるのは男自身のみであり、向こうから通れるのは食糧だけだということ。それはつまり、


「食材にカウントされたな」


 聞きたくなかったことをはっきりと言われ、頬が盛大に引き攣るのを感じた。何が悲しくて生きながら餌認定されなければならないのか。しかもその説明だと戻ることは不可能ではないか。

 勿論、頭から男の話を信じている訳ではない。目が覚めたら異世界でした、なんてそんな珍妙な話、物語の世界でもあるまいし現実に転がっているとは思えない。でも、どうしてだろう。男が嘘を言っているようには思えなかった。だから、現状で何よりも重要なことに思考が傾いてしまう。


「何とか戻るのは……」


 迷惑をかけることになるのは重々承知の上で、一縷の望みを託して男を見れば、盛大に眉間の皺を深くした男は暫しの黙考の後、重い口を開いた。


「勿論、この付近に『扉』を開いた俺に責任の一端がある以上何とかしてやりたいし、やりようによっては出来なくもない、が」


 相当時間がかかる。そう言って首を振る男の様子に、一筋縄ではいかないのだと痛烈に感じた。だが決して不可能ではないのならば、これ以上手をこまねいても仕方がない。勘でしかないが、男はきちんとその方法とやらを試してくれるのだろうし。

 では、今出来るのは当面の間生活する場を確保することだろうか。無駄に順応力の高い青年は、さっさと思考を切り替える。帰るまでの間の拠点は出来ればなるべく危険の少ない場所がいいな、などと考えながらそういえばここはどんな場所なのだろうと思い立つ。

 ここから移動するにせよ留まるにせよ、情報は正確に仕入れておいた方がいいだろう。そう考えた青年は、未だ何か考えている男に問い掛ける。

 そして、その答えを受けるなり、自分の中の平穏の二文字に亀裂が入るのを感じた。

 何故ならここは人間の生活圏から遠く離れた、魔獣や魔族の闊歩する真っ只中だというのだから。

 男が何故そんな軽装でそんな物騒な場所に居たのかは気になるところだったが、取り合えず速やかにここから無事に脱出しなければいけない。


「えっと、質問しても?」


 男の意識をこちらに向けようと声をかければ、男は思考を中断させて顔を上げた。そして視線で続きを促され、どうやら話を聞いてくれそうだと悟った青年は、自分の中で質問の優先順位を付ける。


「ここから人間の生活圏に入るには、どれ位かかるんですか?見たところあなたは人間みたいですけど、あなたの住まいは何処に?」

「……俺は仕事の関係もあって、この近くに住んでる」


 答えるまでに僅かな間があったが、青年はそれを気にした様子もなくふむ、と顎に手を当て考え始めた。数多のバイトをこなしてきた身だ、体力にはそれなりに自信がある。だが、それはあくまでも自分の世界での話だ。

 この異世界という未知の世界で、しかも先程男が言っていた冒険者という単語や魔獣、魔族といった存在がいるというのなら、決して平穏な時間は送れない可能性が大きい。かといって自分に冒険者などという大層な職に就くなど出来ようもないだろう。

 ふとそこで、そういえば男の職業はなんなのだろうという疑問が浮かぶ。自分を無謀だと言いいながらもそんな場所に住んでいるのなら、男は見た目と違い随分腕が立つのだろうか。だとすれば、彼こそが冒険者なのかもしれない。

 最近は時間がないのもあり久しく遠ざかっていたが、学生の時分に憧れた剣や魔法の世界に触れる機会が―――しかも本やゲームの中ではなく現実として―――あるのかと思うと、俄かに心が浮き立つのを感じた。

 余程期待に満ち満ちた眼差しをしていたのだろう。男は青年が何を考えているのかを正確に読み取って一言。


「しがない飯屋だ」


 あっさりと期待を覆され、青年があからさまにがっくりと肩を落とした。

 否、勿論飯屋が悪いと言っているのではない。食は生きる為に必要不可欠で。謂わば命を繋ぐ大切な仕事だ。だがこう、ちょっとは異世界らしい何かを期待してしまっても仕方がないではないかと己の中で言い訳をしてみる。


「何にせよ、人の住む村まで送ろう。かなり遠いが我慢してくれ」


 そんな青年の葛藤など知らぬとでもいうように、男は気を悪くした様子もなく新たな提案をしてくる。

 青年はそんな男の提案に願ったり叶ったりだとすぐさま頷こうとして、ふと疑問に思った。


「送ってもらえるのは大変ありがたいんですが、あなたの住んでいるところでは駄目なんですか?飯屋をやってるってことは集落があるんですよね?」


 勿論、自分の身は自分で守れるような腕の立つ者しか住めない場所だというならば諦めもするが、折角出来た縁があっさり切れてしまうのもなんだか寂しい気がする。それでなくとも見知らぬ世界なのだから、顔見知りなどいる筈がないのだし。

 それに、男が飯屋をやっているというならば雑用でもなんでも良いので働かせてくれないだろうか、という打算もあった。何故なら、働かざるもの食うべからず。それが小さい頃から両親に言われ続けてきた家訓であり、青年にとって譲れないものだからだ。村に行けば自分でもできる仕事が見付かるかも知れないが、ならばそれが飯屋であっても問題はない筈だ。

 だから素直に提案という名の希望を言ってみると、男はものすごく渋い顔をしていたが、最後には了承してくれた。ただ、安全が確保できるまで決して自分の傍を離れないように念を押され、更には男が担いでいた荷物を担がされた。

 何でも擬態するには丁度いいとのことらしいのだが、意味が分からない。ただ、それがもうやけに重くて大変だった。本当に人が入っているんじゃなかろうかと思うくらいには。


 その後、言われるままに男の後を着いて行った青年は、見えてきた物を見て仰天した。想像としていたものと違いすぎる上に、想像していたより明らかに物騒だったから。ひんやりとして湿った空気に交じる生臭い臭いも、どこからか聞こえてくる悲鳴も、背筋が寒くなるような唸り声も、何もかもが。

 正直、無事に店まで辿り着いた時は、肉体的疲労よりも精神的疲労が大き過ぎて気絶する寸前で。男が出してくれた定食を前にして、その暖かさに思わず涙を流しながら掻き込み、あまつさえお代わりまでして出された物すべてをに収めたところで漸く心が落ち着きを取り戻した。

 異世界の飯屋だというのにその味は非常に慣れ親しんだもので、青年は何故か実家のご飯を思い出した。味付けに似通ったところはない筈なのにどうしてだろうと首を傾げている青年の前に、どう見ても湯呑茶わんが置かれ、漂ってくる匂いから緑茶だと分かる。先程よりもずっと懐かしい想いに駆られながら、青年はお礼を言おうと男の方を見上げ、納得した。

 何故こんなにも実家を思い出すのか、それは料理を出す男の眼差しがこれ以上ないほど優しいからだ。それはさながら子を想う母のように。パッと見客商売をするには向かない、愛想のない頑固おやじという風体をしているのだが、それだけではないのがよく分かる。

 故郷を飛び出しそれなりに苦労を重ねて来た分、人を見る目には自信があった。この男は、食べる相手のことを思いながら料理を作れる人だ。

 店の中を見回してみれば、然程広くはない店内に、決して上等ではないテーブルと椅子が並べられている。その一つ一つがきちんと掃除されていて、木製の床もきちんと掃き清められている。そんな些細なことが、青年に料理だけではないのだとはっきりと感じさせた。

 確かに危険と隣り合わせな場所ではあるのだが、良い店に雇ってもらえたのかも知れないと思うと、これから戻るまでの長い時間を有意義に過ごせそうだと嬉しくなる。だからまず、雇われる上での決まりをきちんと確認しなければと気合を入れなおした。


 その日眠る段になって、青年はあることに気付いた。それは本来なら雇用契約を結ぶ前にしておくべきことで。

 曰く、そういえば、名前を名乗っていないではないか、と。



お読みいただきましてありがとうございました。

誤字脱字などありましたらご報告いただけますと幸いです。

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