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不定期連載です。
ジュワっという食欲をそそる音と共に、ざっくりと刻まれた野菜と肉が中華鍋に投げ入れられ、すぐさま勢いよく二度三度と宙を舞う。炎と戯れているかのようなその様は、新鮮な肉と野菜の鮮やかな色彩と相まって目を楽しませた。
中華鍋の縁からはみ出さんばかりに豪快に、だが野菜の一片として零すことなくそれをやってのけるのは、客におやっさんと呼ばれ慕われているこの店の主である。
そんな豪快かつ実はそれなりに腕のいる技を前に、この店唯一のアルバイトである青年は汚れた食器を片付ける手を止め、思わず見入ってしまった。
それもその筈、使われている中華鍋はどう贔屓目に見ても片手で操れる大きさを超えているし、野菜も肉も量が尋常ではない。そして一体何十人分かと思われる量の入った中華鍋を、中肉中背といってもいいような店主が表情一つ変えず軽々と操る様は何度見ても圧巻の一言だ。
そうこうする内に最後の仕上げに流し入れた液体で全体にとろみを出して、野菜炒めは完成した。出来上がったそれを店主は流れるような動作で傍らに置いてあった皿に盛り、片手で無造作にカウンターへと置くと、青年を呼んだ。
「出来たぞ」
「あ、はい!」
その声で我に返った青年は慌てて持っていたお盆をテーブルに置くと、カウンターへと取って返す。
皿を両手でしっかりと持つと、気合を入れて持ち上げる。予想はしていたが、ずっしりとくる重さに足がふらついたのはご愛嬌というもの。落とさないように気を付けながら、店の入り口に一番近い席へと運んでいく。
用心して手袋をしていたものの、かなりの熱さと重さだ。だが折角の料理を駄目にする訳にはいかないから、何とか堪えて無事テーブルへと皿を置く。
そうしてうっすらとかいた汗を拭いながら視線を上げれば、座っているというのに青年の身長より遥かに高い位置にある客の眼差しとぶつかる。何というか、相変わらずのデカさである。
青年は内心そんなことを思いながら、再びカウンターにとって返して今度は大盛りのご飯が盛られた自分より大きな茶碗と、それより一回りほど小さくはあるが熱々の味噌汁が入ったお椀を二回に分けて運び、最後に小皿というには少々大きすぎる皿に盛られた漬物を運んで営業スマイルを浮かべ「おまちどうさまです」と一言。相手が頷くのを待って、再び片付けへと戻るのだった。
目の前に置かれた美味しそうな匂いの野菜炒め定食に、青年が全てを運びい終えるまで待てを言われたわんころよろしく膝に手を置きじっとしていた客のお腹が、盛大な音を立てた。
その瞬間、我慢しきれなくなったのか慌てて箸を掴むと、彼は握り箸で豪快に野菜を掬い取って口へ運んだ。そしてすぐさま白米を一口、更には行儀悪くお椀を掴み上げて汁を流し込む。
餡に閉じ込められた熱さをものともせず口いっぱいに頬張ったそれを、咀嚼する間すら惜しいといったように数度噛んだだけで飲み込むと、目を眇めながら幸せそうに息を吐いた。その顔は、見てる者もつられそうな満面の笑みだった。
そして暫しの余韻にひたる間もなく更なる一口を求め、野菜炒めを掬い上げようとしたが、唐突にその動きが止まる。その視線の先には店の入り口、の上にある看板のようなものが。そこにはシンプルな木枠の中に豪快な太字で一言、
『よく噛んで、残さずきれいに食べましょう』
と書いてある。
どうやらそれがこの店の流儀であるらしく。彼は途端に我に返ったのか、握っていた箸を置き姿勢を正した。するとその顔が見る間に青褪め、だらだらと冷や汗を掻き始めた。
そして油の切れた人形のようにぎこちない動きで背後を振り返ると、そこには大儀そうに腕を組み、顔を顰めて煙管を銜えた店主の姿が。聞くまでもなく全て見られていたと知り、その顔が絶望に染まる。
だが、そんな怯えを盛大に含んだ眼差しを受け、店主はというと暫しの沈黙をおいた後、あっさりと踵を返した。それは死すら覚悟した彼にとって正に青天の霹靂であったことだろう。
でも何も言わず視線を逸らしたのならば、今回は見逃してくれるということだ。思わず吐いた安堵の溜息に、店の空気が震える。
その音に青年が驚いて振り返ると、丁度気を取り直して食事を再開したところだった。
今度は、一口一口こそ大きいが、しっかりと噛みながら食べ進めていく。
噛むほどに染み出る野菜の旨味に目尻を下げ、具沢山の味噌汁に頬が緩み、それにも負けない米の甘さに恍惚とした溜息が漏れる。
結局彼はご飯と味噌汁を三回もお代わりし、野菜と肉の味が滲み出した餡をご飯にかけて食べ、椀や皿が舐めるように綺麗になったところで漸く箸を置いた。そして心の底から満足気に味噌風味の息を吐いて、先程より丸くなったお腹を叩く。
それを見た青年は、まるで狸の腹鼓のようだと思ってしまった。
勘定に呼ばれるかと思ったが、どうやら今日はすぐ持ち場に戻るわけではないのか、椅子に深く腰掛けたまま料理の余韻から抜け出す様子はない。ならばと、空いた食器を下げるついでにピッチャーを持って行き、グラスに新しい水を注ぎ入れた。
「ごめん、ありがと」
「いえいえごゆっくりー」
慌てる様子に笑って返し、随分と軽くなった食器を重ねて一気に運ぶ。本当は料理を出す時も片付ける時もお盆を使うべきなのだが、大きさが規格外なので仕方がない。
洗い桶に入れる前にほとんど汚れていない皿を軽く流し、泡立てた植物の繊維でできたたわしを使って油汚れを落としていく。
落とさないよう慎重になりながら、全ての食器を洗い後は濯ぐだけとなったその時、青年の耳に涼やかな音が聞こえる。それは入り口の扉に付けられた鈴の音、新たな客の来訪を告げる合図だ。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞー」
客が動き出すのを横目に食器を洗う手を止め、保冷庫代わりの箱からグラスを2つ取り出し、凍らせたピッチャーから水を注ぎ入れる。爽やかな柑橘系の香りを感じながら、零さないよう客の元へ。そして既に席についていた二人の前に、たっぷりと水の入ったグラスを置く。無駄のないその動きは堂に入ったものだった。
ここよりもずっと忙しい飲食店でバイトをした経験もあったので、この辺は来た当初から淀みなく出来ていた、と思いたい。
「今日はどうしますか?」
常連である彼等はもう既に注文するものが決まっているのか品書きを眺める様子は無い。
ならば、と客の注文を取るべく伝票を取り出し問い掛ける。
そんな一連の動作を繰り返しながも、バイトの時間は過ぎていった。
・+・+・+・+・
バイト○日目:
今日最初のお客さんは、門番をしている一つ目の巨人さんだった。
デカいわりに気が弱いのは相変わらずらしく、今日もダンジョン5Fのボス、鎧の騎士さんにからかわれていた。俺としては、一つ目さんの気が強かったら、そもそも冒険者がダンジョン攻略を始める前に潰されてしまうような気がするので、それで良いのではと思っている。しかし、あの騎士さんはいつ見ても不思議だ。頭がないのにどうやって喋ってるんだろう。まあ、そもそも飯屋に来てる時点でどうやって食べるのかという疑問が湧くが。ちょっと目を離した隙に消えていく飯たちに、手品かと突っ込みたくなったのは仕方がないことのような気がする。
「えっと、明日のメインは肉料理……っと」
無意識に声を出しながら最後の一文を書き終えた青年はペンを置くと、誤字の有無を確認する意味も込めて日誌代わりにつけている日記を見返してみる。そして当たり前のように綴られている非日常に、改めて異世界という特異な場所にありながら日本の食堂を思わせるような職場にも、店主や、明らかに人ではない客達に囲まれているこの環境にも随分慣れたものだとひとりごちる。
生きる為とはいえ、食材の調達に来ていた見ず知らずのおやっさんに誘われるまま、気付けばこんな常に命の危険と隣り合わせの場所でアルバイトに勤しむ結果となってしまった。
まあ、正社員の理不尽な八つ当たりであっさりと首を切られ、半ば自暴自棄になっていたというのも勿論ある。だが、そんなやさぐれた自分に声をかけてくれたおやっさんの、どっしりとした雰囲気にその懐の広さを垣間見て、信用できる人だと本能で感じたのが着いて行こうと思った理由だ。
「そりゃあこんなとこで店出してりゃ肝も据わるよな……」
盛大な溜息と共に頭上を仰げば、剥き出しの岩の天井が。首を巡らせれば目に飛び込んでくる内装は日本、ひいては自分の世界では在り得ないだろう荒々しい造り。青年の為になのか、それなりに生活できる空間にこそなっているが、それは数週間前まで住んでいた築云十年、風呂トイレ共同のぼろアパートがまともに見えるような適当さで。更には、季節的には夏の筈なのだがどこか薄ら寒いのは石で出来ているから、だけでないのは身をもって知っている。
何故なら、彼が働いているのは陽の光を一切通さない厚い岩で囲まれた、誰しもが震え上がるような魑魅魍魎が跋扈し、腕に自信のある冒険者や名のある英雄たちがこぞって攻略しようと乗り込んでくる最終ダンジョン、通称魔王の城。そんな難攻不落の要塞の中で唯一中立地となっている、見た目だけならどこにでもあるような様相の食堂なのだから。
何気なく胸元を探れば、薄いプレートの感触。つるりとした手触りのそれには決して消えないように『黄昏の雫アルバイト』と彫り込まれている。首から提げれるように取り付けられた紐は、決して切れないように細工されている特別製。青年がこの世界に来て一番初めに貰った物で、此処で生活する彼の命綱ともいえるものだ。
もしこれが無かったら、自分はとうに客やそうでない者達の胃袋に収まっている事だろう。
「まあ、おやっさんの料理で舌の肥えた連中には不味いだの食べでがないだの言われそうだけどな」
青年の口から乾いた笑いが漏れ、同時に自分で言っていて虚しくなってくる。
この世界のどこかには魔物と人が仲良く暮らす集落もあるらしいと聞いている。自分の住む世界とはかけ離れたこの異世界に興味がないと言えば嘘になるが、おっさんの庇護下から抜け出してまで己の好奇心を満たそうとは思わない。第一、そんなことをしたら恐らくこの世界の誰よりも生活能力の無い自分が無事でいられるとは思えない。そして、今のところそんな場所へ食材調達という名のお使いをする機会もないだろうから、足を踏み入れる予定はない。だが、今の自分にはそれで十分だった。そんな他に目を向ける前に、ここでの自分の足場を固めるのが先というもの。
まあ、彼の下で働いている以上は最低限の安全は保障されているのだから、食いっぱぐれないだけましというもの。食い気の多い自分にとって、食事が高水準なのも願ったりなわけだし。取りあえず、今度の休みには少し自分で部屋をいじってみるのも良いかもしれない。
そんな事を考えながら、青年は開いていた冊子を閉じると未だ濡れたままの髪をタオルで雑に拭きながら立ち上がり、寝る支度を始めた。部屋の隅に畳んでおいた布団を敷き、部屋着のままその間に潜り込む。すると、ほどよい温もりに働き通しで疲れた身体から力が抜け、あまり時を経たずして心地良い眠りへと引き込まれていく。
明日は肉をメインにするとおやっさんが言っていたので、少し早目に起きることにしよう。きっと食材になる肉を狩るには少々時間がかかるだろうから。そんな思考を最後に青年の意識は急速に薄れ、直ぐに健やかな寝息が聞こえてくるのだった。
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