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絶海の皇女マヤ -PRINCESS:ABYSS-  作者: 久坂下臈
第3章 軍事裁判
15/21

3-4 奈落蝗エル=バ=ドゥ

——王都港湾 軍用埠頭


夜闇の下、ひそかに、

「決闘」が始められようとしていた。


倉庫の陰となった一角には、

作業員の掛け声も弧光灯の白い刃も届かない。


朽ちた貨物箱と、錆びた自転車だけが、

睨み合うふたりの決闘者を静観している。


一方は、少年。

外套の上に、〈眼魂石〉を輝かせる。

他方は、青年。

礼服の裏から、〈螂獄の鍵〉を取り出してみせる。



「邪魔者はいない。

決闘場には、ちょうどいいだろう。

さあ、相手になってやる、教戒士」


レオのギョロ目が、怒りを滾らせる。


「ああ、逃げずに立ち向かってくるなんて。

その壮挙、いいや、愚挙に報いてあげなければ。

ちゃんと戒めてあげるよ、修道士くん」


ダミアヌスの口角が、ずるりと引き上がる。


一方は、名誉を守るために、

他方は、気まぐれか、戯れか、

あるいは、奪うことを正当づけるために立つ。



「リタだけじゃない。聞いたぞ。

おまえが、他の使節団員に対しても、

横柄に振る舞っていることを。

少女の団員や、年少の団員に、

指導と称し暴言を吐きつけているそうだな。

なぜ、上から撲る。

舐められるのが恐いか。そんなに自信がないか」


「舐められるのが恐い? 自信がない?

僻んでいるのは、きみの方じゃないのかい?

自分の心の罪とは、他人に投射したくなるもの。

だから、皆、ぼくのような人格者を悪者扱いする。

救われるべき者を貶めることで、

救われるべきでない者を讃える。

呆れるね。『大聖神判』に叛くことに等しいよ」



レオは、左手に〈眼魂石〉を構える。


「黙れ。

おまえのせいで、心を毀す者たちがいる。

何が、教戒士だ。ただの、誹謗者が。

まずは、おまえこそが、罪を謝り、償え」


ダミアヌスも、左手に〈螂獄の鍵〉を構える。


「ああ、わかっていないね!

きみの心の罪、それは、憎しみ! 

だから、〈大聖神〉は、きみの右脚の骨を折り、

大青海戦争に従軍させなかったんだよ!

病床でうずくまったまま、社会の役に立てず、

シクシク泣いている方がお似合いだったんだよ!」



両者の戦意が尖り、互いの〈聖石〉を鳴らした。


『万物ヲ見透ス神殿ノ獣ヨ、今無窮ノ眼ヲ開ケ』

「吼えろ、〈千眼獣ウルク〉!」

レオの詠唱とともに、〈眼魂石〉が激しく輝いた。


逆巻く風が、金の光の粒子を束ね、

重力をもった球を形成し、

大いなる肉体を創造していく。


肉体は、獅子となり、

無数の眼球をひしめかせ、

炎のたてがみと水晶質の鉤爪を携えた。


〈千眼獣ウルク〉、降臨!



『底ナシノ淵叢ヨリ来タレ、邪悪ヲ餮ル蟲ノ主』

「戒めよ、〈奈落蝗エル=バ=ドゥ〉!」

ダミアヌスの詠唱とともに、〈螂獄の鍵〉も輝いた。


逆巻く風が、黒き光の粒子を束ね、

同じく、重力をもった球を形成し、

大いなる肉体を創造していく。


肉体は、大蝗の怪人となった。

乾いた外殻を身に纏い、

石の玉座に腰を下ろし、刺々しい大肢を組み、

細長い触覚と楕円の複眼を作動させて、

受刑者の息遣いを捕捉した。


〈奈落蝗エル=バ=ドゥ〉、降臨!



〈千眼の獅子〉と〈大蝗の怪人〉が、

殺気をかち合わせた。


「もはや語り合うべきことはない!

切り裂け、〈千眼獣ウルク〉!」


最上級の〈聖獣兵器〉を前に臆することなく、

レオの戦意は、〈獅子〉を駆り立てた。


岸壁を蹴らせ、

貨物箱を踏み越えさせて、

水晶質の左鉤爪を走らせた。

狙いは、頭部と胸部を繋ぐ、頚。


〈爪牙一刻〉!



「教えてやれ、〈奈落蝗エル=バ=ドゥ〉!

格の違いというものを!」


ダミアヌスの戦意は、

〈大蝗〉に反撃を命じた。


大肢を組み、頬杖をついたまま、

刺々しい左手を前方に翳させた。


翳した先の空が、歪んだ。


歪みは、光をも屈折させる重圧と化し、

突き立てられた左鉤爪を粉々に砕いた。


〈邪悪なる反射鏡〉!



「まずい! 下がれ!」

撥ね返された〈獅子〉が、跳びずさる。


「まだまだ! こんなものじゃない!」

石の座の〈大蝗〉が、さらに仕掛ける。


空の歪みを、空の裂け目に変換し、

夜の軍用埠頭を、

遥か彼方の暗闇に、「異次元」に接続する。


やがて、「異次元」から、

騒々しい翅音とともに、

大針を携えた蝗の大群が飛来した。


〈破戒教蝗軍〉、降臨!



「さらに〈聖獣〉を召喚した、だと?」

目を剥くレオ。嗤うダミアヌス。

「〈眷獣〉だよ! 〈奈落蝗エル=バ=ドゥ〉は、

この〈破戒教蝗軍〉の主だからね!

さあ、どこまで躱せるかな!」


蝗の大群は〈獅子〉を取り巻くと、

翅音を増し、大針を迫らせた。


「見極めろ、〈千眼獣ウルク〉!」

〈無窮眼光!〉


〈獅子〉は、皮膚にひしめく無数の眼球で、

攻撃を塊ごとに見分けると、

一つ、また一つと跳び躱していく……。



……決闘場から七〇〇 呎(フィート)東の岸壁を、

リタは走っている。

輸送艦の荷物を運ぶ作業員たちを横目に、東へ。

第三艦隊の仮設基地へ。


「あのバカ! 本当に決闘に乗るなんて!」


軍事裁判の警備中のいざこざから、

事態は、慮外の方向へと進んでしまっていた。

『青海少年使節団』に附される〈千眼獣〉では、

最上級の〈聖獣兵器〉、

〈奈落蝗エル=バ=ドゥ〉に勝てるわけがない。

止めなければ。止めてもらわなければ。

頼みの綱は、ガリア海軍最強の、

あの銀髪の少女の〈力〉だった。










◆2










——ザンベオルグ高地 統帥府地下壕


マヤとハナは、食堂にいた。


端の席を選び、ふたり、

乾麦餅と牛肉芋煮込みを頂戴する。


牛肉は、缶詰のものだった。

塩分と脂分が強く、汁によく溶け出し、

細かく刻んだ干し芋と絡んでいる。

油膜と金属臭に目をつぶれば、まあまあ味わえる。


乾麦餅は、石のように固かった。

兵士たちは汁に浸してから口に運んでいるので、

ふたりも、同じように浸してみる。



「カイは、来ないのだな、夕食に」

左隣の空席を見つめながら、マヤは呟く。


「詰所にいるみたい。食欲がない、って」

噛んだ乾麦餅がまだ柔らかくなっておらず、

ハナは顔をしかめる。


マヤは、胸の内にぬるい温度を感じながら、

右隣に視線を向けた。

「カイも、負担を溜めているのだろうか。

近頃は、占領軍の斥候が、

高地の辺りをうろついていると聞くし」


対し、ハナは、

何かを一考してから視線を返した。



「それもあるのかもしれないけれど……、

カイ、前から、こうなの。

戦っている時の感触が、

急に、蘇ることがあるらしくて」


「戦っている、時?」

マヤは、手を止めた。

思い出されたのは、

屍の山に立つ少年の後ろ姿だった。


ハナは、ちぐはぐに微笑んだ。

「本人は、平気だ、って言っているけれど。

……ずるいよね、カイ。

ひとりで、つよがって、

全部を背負おうとするんだから」



マヤは、次の言葉が浮かばなくなり、

汁の油膜に視線を落とした。

赤々とした襞が、固い角に切り裂かれ、

金属臭を吐き出していた。


「われは……」


……ガシャンッ!

その時、大きな物音が、食堂の外から響いた。


掴み合いか。取っ組み合いか。


「何? 喧嘩?」「見てくる」

マヤは、席を立ち、

食堂の外へと駆け出した。



粗末な裸電球の灯の下、

繰り広げられていたのは、

喧嘩よりももっと陰惨なものだった。


「きさま、立て!」

「時化た面をしやがって!」

「士気が下がる!」


緑の軍服の下士官兵どもが、

何者かを囲み、蹴りつけていた。

一方的だった。

転がすように、突くように、潰すように、

靴底を振り下ろしていた。

石像のような背には、

摩耗した自制心が象られていた。



「やめろ」

急ぎ、マヤは躍り出た。

「殿下!」「王女殿下!」「マヤ王女殿下!」

兵士たちは蹴るのをやめ、向き直った。


隙間から、囲まれていた者の姿が見えた。


ギルだった。


軍用貨車の枕木の上で、

小さく、小さく、うずくまっていた。

詰襟は土埃にまみれ、

上背はへし折れそうになっていたが、

腕輪の〈羅森の翠玉〉だけは、

ぎらぎらと煌めいていた。



「なれらは何をしている。

なぜ、この者を足蹴にする」


マヤの問いに、

下士官兵どもは答えた。


「小官らは、軍紀を教示していたに過ぎません。

このギル特任兵は、

上官への敬礼を怠っておりましたゆえ」

「軍紀とは、

戦争の勝敗に直結する、重大なもの」

「軍紀とは、

言い聞かせるものでもなければ、

書き読ませるものでもなく、

体に、直接、叩き込むものでございます」



それだけに留まらないだろう動機を察して、

マヤは毅然と詰めた。


「軍紀が重大なものだということは、わかった。

だが、この者は仲間だろう。

ましてや、〈シャーレイの羅森獣〉の召喚者だ。

寄ってたかって、痛めつけて、どうするのだ」


だが、下士官兵どもは引き下がらなかった。


「殿下の仰ることも、

ごもっともではございますが」

「〈シャーレイの羅森獣〉の召喚者だろうと、

『公爵家』の嗣子だろうと」

「軍紀は軍紀。小官らが徹底させなければ」



マヤも、また、引き下がらない。

彼女の忌み嫌う臭いが漂っている。


「いいや、やめろ。

この者は十分に反省しているだろう。それに、

この者とは、共に、ダンベリア島を脱出した仲だ。

これ以上の野蛮な折檻を見過ごすことはできない」


揺るがない瞳に、

下士官兵どもは、

何やら困惑し、顔を見合わせて、口を開いた。


「殿下の御性情には、深く敬服いたしますが」

「なぜ、この者の肩を持たれます」

「この者の父は、売国奴でございますよ」



売国奴。

駆逐艦内でも耳にした不穏な言葉に、

マヤは、息を呑んだ。

「どういうことだ」


下士官兵どもは、答えた。

「殿下は、ご存じないのですか。

『アーコニア島解放軍』の者は皆、

エヴァンス大佐より聞き及んでおりましたが」

「この者の父、ユリック公は、

大青海戦争の劣勢の折、

鬼畜ガリア人やナランバトル人どもと密会し、

売国工作を進めていたのでございます」

「国王陛下に降伏を迫ったのも、奴でございます。

殿下の御父上は、奴の奸計に嵌められたも同然」



……売国奴。奸臣。和平。抗戦。王位。霊石。

マヤの脳裏で、幾つもの黒い糸が結びつき、

悍ましい何かが形を成そうとしていた……。


すると、そこに、刈り上げた髪の男が。

「きみたち、何をしている!」

刀を腰に提げたシグマが、

ハナに引き連れられ、参上した。

「シ、シグマ大佐。こ、これは、ですね」

「ああ、ええと」

「一同、敬礼!」

下士官兵どもがたじろいでいるうちに、

ギルが、坑道の奥へと駆け出した。

「ギル!」

マヤは、その後を追った。










◆3










足音がふたつ、坑道の奥に響く。

裸電球と枕木だけの一本路に、

冷え冷えとした寂寥が、湿り、陰っている。


「ギル! 待ってくれ!」

「……」


マヤが呼びかけると、

ようやく、ギルは足を止めた。

だが、振り向かなかった。

土埃にまみれた背を向けたまま、固まった。

無言だった。

何かに堪えていた。何かを背負っていた。

それが、恐怖でも失望でもないことを、

マヤはたしかめたかった。



「怒っていたのだろう」


倉庫でも、海峡でも、孤島でも、

判別することができなかった。

面差しが陰っていたからか。

否。

駆り出される者も、

奪われる者も、

貶められる者も、

自分だけだと思い込んでいたからだ。

誰もが、一様に、

あれを好めばこれを厭う、などと、

単純なものではなかった。

敵か味方か、などという浅はかな二元論では、

この荒海を見据えることはできなかった。



だからこそ、言葉を交わさなければならなかった。

この澱んだ不安を清めるためには。

悍ましきものの正体をたしかめるためには。


暫しの沈黙の後、

ギルは、もごもごと語りだした。


「……庇ってくださったのですか? 殿下」

話し声は、想像していたよりも高かった。


「立ち向かうべきだと思った」

マヤは、固まったままの背に瞳を据えた。


震えていた。それが、

自分か、相手か、空間かは、わからなかった。



「……殿下は、ご立派でいらっしゃいます。

殿下は、勇気をお持ちでいらっしゃいます。

恐怖を殺す覚悟がございます。

並大抵のことではございません。

立ち向かうなど、恐ろしくて、恐ろしくて。

ぼくは、きっと、臆病者です。

父も、また、臆病者でした。

命を顧みておりました。

死を憂いておりました。

殿下は、嗤われますか? 臆病者を」


マヤは、言葉を繋いだ。


「なれの父のことはよく知らない。

だが、呪うのは、己の弱さと愚かさだけだ」



ギルも、また、言葉を繋いだ。


「……やはり、

殿下は、ご立派でいらっしゃいます。

この荒海の摂理を理解していらっしゃいます。

知恵と力なくして生きていくことは叶いません。


父は、愚者でした。父は、弱者でした。

貴族筆頭の『公爵家』として、

国民にもてはやされていただけでした。

優柔不断でした。

軍部を統制することができず、

右往左往する情勢に堪えかね、

宰相の地位を投げ出しました。

殿下は、蔑まれますか? 愚者と弱者を」



ギルは、おもむろに振り向いた。


黒い眼差しだった。


恐怖でも、失望でも、憤怒でもない。

それらを超越した負の感情が、

どろどろと渦巻いていた。


マヤは、背筋を凍りつかされた。


渦巻く負の感情は、

自分までも呑もうとしているのではないか。

自分にとって崇高な何かに、

差し迫ろうとしているのではないか。

そんな予感がしてならなかった。



だが、気圧されてはならない、という直観が、

腹の奥底を疼かせてもいた。

「いいや。どんな者にも、

この荒海のすべてを背負うことはできないから」


〈灼天の紅玉〉が煌めいた。

〈羅森の翠玉〉も煌めいていた。


「……ありがとうございます、マヤ王女殿下」

ギルは、再び、背を向けると、

暗闇の深奥へと歩いていった。


悍ましきものの正体は、

勇気はおろか、知恵と力を備えたとしても、

どうにもできないものだった。



——王都港湾 軍用埠頭


「決闘」の勝敗は、ついた。


〈千眼獣ウルク〉は、

〈破戒教蝗軍〉に群がられ、

大針で穴だらけにされていた。

皮膚にひしめいていた眼球は、悉く潰され、

水晶質の鉤爪は、粉々に砕かれて、

抵抗する力は微塵も残されていなかった。


完封だった。


〈奈落蝗エル=バ=ドゥ〉は、

石の玉座に、決闘の勝者として君臨した。



「レオくん、わかったかい?

反省しなさいよ?

むやみにひとを憎むなんて、

絶対にしてはいけないこと!

部下が上官に逆らうなんて、

絶対にあってはならないこと!

こんなこと、好きでやっているわけじゃないから!

きみが、ぼくに牙を剥いたから!

その決断に乗っかっただけだから!」


ダミアヌスは、ひしゃげた声で大嗤い。

口角から垂れた唾液を啜り、礼服の袖で拭うと、

また、倒れ伏した敗者を足蹴にした。


腹を突かれたレオは、呻くことしかできなかった。



さらに、もう一蹴り。


倉庫の壁まで転がし、

錆びた自転車の下敷きにした。


ダミアヌスは、にたにたと嗤いながら、

レオを、車体ごと踏み潰した。

靴底を振り下ろし、

車輪を、座席を、踏板を、

倒れ伏した敗者の体に食い込ませた。


血が滲んだ。


夜闇が、決闘場にのしかかり、

すべてを圧し潰しつつあった……。



『薄明、静謐ナル神林ニ宿リシ古ノ力、顕現ス』

「来て、〈伯焔龍フォルティナ〉」


刹那、白光が充ち満ちる。

レオも、ダミアヌスも、目を眇める。


巨獣の羽搏きに、逆巻く大風。


海気が震えた。

海岸が軋んだ。

海波が割れた。


……漆黒の鳴動とともに舞い降りたのは、

神聖なる〈力〉の化身、

〈伯焔龍フォルティナ〉だった。










◆4










〈伯焔龍フォルティナ〉、襲来!


夜闇をはじきかえす、白き躯体。


鉤爪を携えた両腕と両足に、

凶暴な力を漲らせ、

冷徹に光る紫色の眼で、

石の座の〈大蝗〉を睨み下ろした。


その傍らには、

〈古の白石〉を首に飾る銀髪の少女がいた。


ダミアヌスは、一瞬、固まったが、

すぐに、にたにたと嗤いを戻した。

「『神林の巫女』か。邪魔しないでくれないか」



シルヴァは、

ダミアヌスと〈奈落蝗エル=バ=ドゥ〉を、

澄んだ瞳で見比べ、呟いた。

「ちゃんと、共鳴できていない。

可哀想。不釣り合い」


ダミアヌスは、指摘の意味を理解する否や、

拳を震わせ、鼻息を荒げ、顔を真っ赤にした。

「あっ? 不釣り合い? ぼくが?

黙れ! バカにしやがって! ブスが!

どいつもこいつも、ぼくのことを見下しやがる!

わからせてやろうか! あっ?」


シルヴァは、小さく溜息を吐いた。

「薄っぺらい言葉、哀れなほど」



夜風がおどろおどろしく吹き抜けるとともに、

〈古の白石〉と〈螂獄の鍵〉が構えられる。


二体の〈聖獣〉の殺気がかち合おうという時、

静かな気迫が、決闘場に躍り出る。


「待て、シルヴァ、奴に怪我をさせるな」

「提督?」


鷹の目を細めたガイウスが、両者の間に立つ。


空気が張り詰める。

〈伯焔龍〉と〈奈落蝗〉が、

黒い軍服を挟んで牽制し合い、

重々しい均衡がもたらされる。



ダミアヌスは、顔を真っ赤に、喚き散らす。


「第三艦隊司令のお出ましですか?

わざわざ? ぼくの教戒を邪魔するために?

引っ込んでいろ! カスが!

『大聖神判』の裁定に則り、

罪人に罰を与えるのが、ぼくの仕事だ!

それを邪魔するなんて、

〈大聖神〉の怒りに触れるぞ!

重罪だ! こいつみたいに!」


錆びた自転車に靴底を押しつける。

車輪を、座席を、踏板を、

倒れ伏した敗者の体に食い込ませる。

弱々しい呻きとともに、血が溢れる。



対し、ガイウスは、悠然と構えてみせる。


「貴官に、即刻の退去を命ずる。

今、この軍用埠頭は、我が艦隊の管轄区域だ。

また、決闘は、

貴官らの『陸軍法』により禁じられているはずだ。

ダミアヌス教戒士。

貴官は、レオ修道士を罰するより前に、

自身の行為を省みるべきだろう。

ひとを裁くのは、ひとでなく、法だ。

我らが自由民政国家においては、な」


鷹の目をさらに細め、

敗者から足をどかさない青年の態度に、

醜く歪んだ心を見据える。



「自身を省みる? 教戒士のぼくが?

ぼくの心に罪なんて無いんだよ!

法なんてものより、ずっと、ずっと尊い、

『大聖神判』を知る者なんだよ!

ぼくを疑い、憎む奴こそが、

この世から消え去るべきなんだよ!

決めた! もっと、もっと、

たくさんの人間に罰を与えるぞ!

本当の屑どもを排除しないと、ね!

まずは……」


ダミアヌスは、〈螂獄の鍵〉に念じ、

共鳴する〈奈落蝗〉に力を漲らせる。

刺々しい両手を翳させた先には、

鷹の目の男と、銀髪の少女が。



しかし、それは、第三艦隊司令の、

抑えられていた覇気を解き放ってしまった。


「さがれ」


鋭く開かれた、ガイウスの鷹の目。

幾多の死線を乗り越え錬磨された闘志と、

大軍の将としての絶対的な存在意義が、

眼光から、矢となり、放たれた。

醜く歪んだ細胞の一つ一つまで貫き、

ダミアヌスの生存本能を震え上がらせ、

戦意を、脆く、崩した。


畏怖と共鳴した〈奈落蝗エル=バ=ドゥ〉は、

黒き光の粒子となり、〈螂獄の鍵〉へと、還った。



「……ひっ」

真っ赤だった顔を真っ蒼にして、

ダミアヌスは、決闘場を駆け出した。


足音が去ったのを確認して、

貨物箱の陰に隠れていたリタが、

レオに駆け寄り、錆びた自転車をどかしてやった。


「ありがとう、レオ。大丈夫だよ。

ガイウス提督まで来てくれたから。

本当に、ありがとう」


レオは、血まみれだった。

外套は、裾が破けていた。

決闘の敗者らしい、惨めな有様だった。



シルヴァを傍らに、ガイウスが歩み寄った。


「レオ修道士。

貴官は、友人の名誉を守るために決闘に臨んだ。

その勇志は評価する。


だが、軍隊は、規律を重んじなければならない。

規律を欠けば、ただの武装暴徒でしかないからだ。

不正を目の当たりにしたのならば、

上級指揮官や監察官に報告することだ。

あのような輩に面と向かって立つことはない」


レオは、血まみれの手でリタを下がらせ、

よろめきながらも立ち上がり、

彼の窮地を救ってくれた恩人に首を垂れた。



しかし、その拳は未だ、

遣り場のない怒りを滾らせていた。


「……ガイウス提督、ご救援、深謝申し上げます。

また、軍規を重んぜよとのお言葉、肝に銘じます。


しかしながら、確認させてください。


奴は、きちんと処罰されますか。

処罰されたところで、心を改めますか。

軍規とは、弱者の権利を保障するものでしょうか。


そうでないとすれば、

……この決闘は、

必ず勝たなければならない戦いでした」



無礼かつ過激な抗弁を、

ガイウスは、詰ることはしなかった。


詰るまでもなかった。


それが、負け犬の遠吠えに過ぎないことを、

少年は理解しているようだった。


何一つ変えられない。

何一つ止められない。

無知で無力なままでは。


————


「ならば、少年よ、つよくなれ」










To Be Continued.

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