3-1 竜殺し作戦
薄暗い鋼の独房。
たったひとつの吊り電球が、
たったひとりの男を照らしていた。
男は、かつて、一国の主の地位にあったものだが、
今、彼の身の回りには、星紋章の軍服と、
便器と、洗面台と、小さな机だけとなっている。
床板に座し、陰をつくった眼差しで、
閉ざされた鋼の扉と対峙する。
名は、エドモンド。
第一級戦争犯罪容疑者として、
占領軍総司令部により収容されていた。
ドン! ドン! ドン!
「エドモンド国王、入りますよ」
「……」
鋼の扉の鍵を開けて、
黒い礼服の青年が、入った。
整髪剤を塗りたくった髪の下には、
蒼白い顔がにたにたと嗤っている。
「ご機嫌いかがですか?」
「……」
青年は、
四人の憲兵たちを引き連れ、
エドモンドを取り囲んだ。
青年は、エドモンドを正面から見下ろし、
ひしゃげた声で語り出した。
「ぼくの名は、ダミアヌス。
『ガリア大聖教』より遣わされた『教戒士』です。
ぼくの仕事は、人間を戒めることです。
尊き『大聖神判』を人々に伝え、
時に、その裁定に則り、罰を与えます。
ぼくを恨む方もいますが、
最後には、皆、必ず、ぼくに感謝するのですよ。
ぼくの教戒のおかげで、
悔悛し、成長し、立身することができたと、
涙ながらに笑うのです。うんうん」
「……」
エドモンドは、座した姿勢をくずさない。
青年は、蒼白い顔を歪ませると、
隣の憲兵が手にしていた写真を、
よこせと言わんばかりに引っこ抜いた。
大股でしゃがみ込み、
エドモンドに写真を見せつける。
写真は、少女の死骸だった。
顔は、ほとんど原形を留めておらず、
四肢が裂かれ、骨肉が砕かれ、
薄汚い布切れが血で張りついている。
「これ、誰だかわかりますか?」
青年は、にたにたと、エドモンドの顔色を窺う。
エドモンドは、
しばらく写真を注視した後、
ゆっくりと返答した。
それは、消えそうなほどに掠れた声だった。
「……余の娘だ。
首筋にほくろがある。
娘と同じだ。
娘で間違いないだろう」
眉一つ動かさないエドモンドに対し、
青年の口角はずるりと引き上がった。
「やはり、あなたの娘なのですね!
ああ、『大聖神判』が下されたということ!
心中、お察しします!
エドモンド国王、いいえ、あなたは、
国王でも父親でもなくなってしまったのですよ。
昨日の未明、王女は、
ミストン海峡で死んでしまったのですから。
これで、あなたの子どもたちは、
一人残らずこの世から去ってしまったということ。
つまり、あなたには、
一国の主となる資格どころか、
一家の親となる資格すらなかったということ。
〈大聖神〉が教えてくださっています。うんうん」
「……」
「考えてみれば、すぐにわかります。
国は家。家は国。
国を導くことができなかったあなたに、
家を導くことなんてできるわけがないのですよ。
〈大聖神〉は、ちゃんとひとを観ておられますし、
ぼくも同じく、ちゃんとひとを観ております。
わかりますか?
救われるべき者と、救われるべきでない者。
この選別こそが、『大聖神判』の核心なのです。
つまり、あなたも、あなたの子どもたちも、
救われるべきではなかったということ。うんうん」
「……」
「どうしました? お辛いですか?
厳しい言葉だとお思いですか?
さっき言ったでしょう?
ぼくの仕事は、人間を戒めることです、と。
ぼくの言葉がお辛いならば、
ぼくが憎いとお思いならば、
それは、あなたの心に罪があるということ。
ぼくが赦すことではないのですよ。
あなたが罪と向き合われるかどうか、
〈大聖神〉が試されているのです。うんうん」
「……」
「ああ、念のため言っておきますが、
ぼくは、あなたの味方ですからね。
戦争犯罪者として裁かれるあなたが、
せめて、〈大聖神〉の御心を知り、
正善の心構えで法廷に立てるよう、
ぼくは手伝ってあげているのです。うんうん」
「……ダミアヌスといったか」
「うん?」
青年の醜く歪んだ顔つきを、
エドモンドの陰った眼差しが、鋭く捉えた。
「……卿の心に、罪は無いのか」
それは、
消えそうなほどに掠れた声だったが、
薄暗い独房に、妙に力強く反響し、
青年の耳に伝わった。
青年は、一瞬、固まったが、
すぐに、にたにたと嗤いを戻した。
「ぼくの心に罪なんて無いですよ。
罪を負ったことすら無い。
ぼくは、幼き頃より『大聖教』を学び、
〈大聖神〉の御心を知ろうと、
一分一秒、努めてきましたから」
「……」
「ぼくを疑いましたね?
ぼくはあなたの味方だと言ったのに。
つまり、あなたの心の罪は相当深いということ。
わかりますよ。
ぼくを信じられず、憎むお気持ち。
あなたにそう思わせてしまう、ぼくも悪い。
ですが、ぼくは諦めませんから。
あなたが正善の心構えで法廷に立てる日を。
何度でも言いますが、
ぼくの仕事は、人間を戒めることなのです」
◆2
竜ノ島=ワーマニア島は、
『アーコン朝』始まりの地だった。
遡ること、一五〇〇年前。
島の霊峰が大噴火を起こし、
溶岩流が村々を灼き払ったことで、
島民たちは、全滅の危機に瀕していた。
そこへ、大青海を東より渡ってきた、
〈霊石〉と「契り」の一族が、
困窮した島民たちを導き、結束させ、
溶岩台地に新たな集落を築かせた。
島民たちは、その一族を崇め讃え、
『王=アーコン』の一族と呼ぶようになった。
『アーコン』の一族は、彼らの〈霊石〉をもって、
島の神羅万象と契約を交わした。
霊峰の大噴火は、
霊獣〈カムランの灼天竜〉として祀り、
台地に芽吹いた樹林は、
霊獣〈シャーレイの羅森獣〉として祀ることで、
それぞれの霊体と霊力を、
〈灼天の紅玉〉と〈羅森の翠玉〉に封じ、
二石を、島の果てなき繁栄のために、
行使する権利を授かった。
なお、この『神秘の契り』は、
現代の『オーシャニア列島連合王国』まで、
脈々と受け継がれている。
——ワーマニア島南東沖 ウェスタングリム孤島
小さな孤島の北西にある断崖からは、
ワーマニア島の霊峰の輪郭が霞んで見えた。
「殿下、休んでいてもよかったのですよ」
傍らには、外套に包まったカイが、
双眼鏡を片手に構えていた。
「いいや、どうせ落ち着かないし」
マヤは、
上着一枚と〈灼天の紅玉〉の腕輪を身に着け、
岩陰から、水平線を見張っていた。
近くに、ガリア海軍の艦影はなかった。
「奴ら、殿下が亡くなられたと思っていますかね」
「わからない。シグマ大佐の言う通り、
敵を撹乱できていたらいいのだが」
シグマからマヤの死の偽装を明かされたのは、
辛くも、ガリア海軍の包囲網を掻い潜り、
この孤島に辿り着いてからのことだった。
ダンヴァラの路地裏で、餓死した少女を見繕い、
マヤの正装を着せて、漁船に乗せたのだという。
「……ですが、
ダンヴァラの路地裏で見繕ったというのは、
本当に、死体だったのでしょうか」
「……うん」
決して気分のいい作戦ではなかった。
だが、これが功を奏したのか、
ガリア海軍の哨戒が心なしか緩んでおり、
目算より早くワーマニア島に近づけていた。
友軍との合流を果たすためには、
この状況を最大限に利用するしかなかった。
「犠牲は大き過ぎましたが、
やるしかないでしょう、ここまできたら。
何としてもワーマニア島へ」
「うん。だが、それにしても、
ヒューズ曹長とやらからの暗号電文は、
まだ届かないのか」
この孤島に潜伏を開始してから、
はや二時間が経っている。
シグマは、石造りの集落跡地に拠点を置いて、
『ワーマニア解放軍』からの暗号電文を待ち、
その間、
残る十一人は、手分けをして、
孤島の四方の水平線を見張っていた。
上陸地点で待ち伏せに遭っては、
元も子もないし、
やはり、ワーマニア島内の情報を入手し、
万全を期したかった。
だが、頼みの暗号電文が、遅々として届かない。
「まさか、島内で何かあったのでしょうか」
「だとすれば……」
言おうとして、マヤは、くしゅんっ!
上着一枚では潮風がこたえた。
見かねたカイが、外套を脱ぎはじめる。
「殿下、よろしければ、こちらを」
「いいや、いい。平気だ。カイのものだし」
「駄目です。ほら。風邪を引きますよ」
マヤは、両手で抗おうとしたが、
カイにおさえつけられ、
そのまま、外套を頭から被せられた。
おとなしく包まるしかなくなった。
「ありがとう」
外套には仄かに体温が残っており、
傍らを見ると、
麻布の衣一枚でも平気そうなカイの姿があった。
「どうかなさいましたか?」
「カイは、つよいな」
「つよい?」
マヤは、外套に顔をうずめる。
「われは、カイのようなつよさが欲しい。
われが、もっとつよくなれば、
カイは、もっとハナを守ってやれるのに」
カイは、照れくさそうに、
指先で頬を掻いた。
「ありがとうございます。
おれは、おれのことを、
つよい人間だとは思っていませんが、
……、
つよくあろうと努められるのは、
殿下や、ハナのおかげでしょうか」
「われのおかげ?」
にじり寄ったマヤの瞳に、
カイは、頬を上気させ、
視線を逸らしながら答えた。
「何と言い表すべきか、わかりませんが。
人間は、つよくはなれますが、
この荒海のすべてを背負うことはできませんから。
助ける側も、助けられる側も、
守る側も、守られる側も、
共に、つよくあろうと努めなければ、
いつか、誰か一人に皺寄せがきて、
毀れてしまうような気がして。
おれは、誰かを毀したくないし、
勿論、自分を毀したくもないから、
……、
きっと、おれが戦えているのは、
誰かに救われているから、というだけでしょう」
体の芯をぬるい水が溶かしていくようで、
マヤは、よじり外套を抱いた。
次の言葉が浮かばなくなってしまった時、
「カイ! マヤ! 暗号電文が!」
背後から、麻布の衣を着たハナが走ってきた。
カイが尋ねる。
「ヒューズ曹長は、何と?」
両手を膝に息を整えながら、ハナが答えたのは、
しかし、期待とは真逆の内容だった。
「ワーマニア島の解放軍作戦本部が、
ガリア軍に襲撃された、って」
◆3
解放軍作戦本部が襲撃されたのは、
「ミストン海峡の擾乱」の八時間後のことだった。
占領軍と第三艦隊の連携により、
『竜殺し作戦』が実行されたのだ。
まず、占領軍総司令ラッサリウスが、
第六遠征軍と諜報局を駆使し、
解放軍の兵士の帰還先を特定して、強襲。
さらに、島の西沖に逃げた者たちも、
第三艦隊司令ガイウスが待ち伏せして、撃砕。
『ワーマニア島解放軍』の四〇〇〇いた兵数は、
二十四時間の戦闘で半数以下まで打ち減らされ、
王女を迎える体制は崩されてしまったのだった。
この非常事態に、マヤたちは、
石造りの集落跡地に集った。
「王女殿下と〈灼天の紅玉〉の保護に、
我が軍は、いかにも焦り過ぎたか。
ラッサリウスの間諜を許すとは、不覚千万」
シグマの黒目が険しくなる。
作戦は、入念に練られていたのだろう。
王女が海峡を突破するにせよ、しないにせよ、
その拠り所となる勢力を撃滅することまで、
敵は、戦略目標の内に入れていたのだ。
そして、王女が生死不明となったことで、
確実な獲物に攻撃対象を絞ったということか。
「つまり、奴らは、
われらの二手先まで打っていたわけか。
〈白き龍〉に怯え、海を大回りしていた間に、
活路を断たれてしまった」
マヤの結論は重くのしかかったが、
うなだれてもいられない、とカイが一歩前に出た。
「次の手を打ちましょう、シグマ大佐。
我が軍には、
王都港湾の国王陛下を奪還するという、
大目的がございます。
小官は、ガリア海軍が西に傾いている隙に、
ワーマニア島の東沖を通過し、
アーコニア島を目指すべきものと存じます」
カイの進言に、シグマは頷いた。
「うむ、貴官の言う通りだ。
事ここに至っては、
新たな方策を練るより他あるまい。
道半ばに踏み留まるは、最たる愚だ。
我らは、アーコニア島の友軍と合流し、
そこで、ワーマニア島の友軍の到着を待とう。
王女殿下、どうか、ご裁可を」
マヤも頷いたことで、
十二人の次の方針が決定した。
『竜殺し作戦』の完了は、二時間前。
ガリア海軍の再展開を鑑みれば、
早く動くに越したことはなかった。
だが、この綱渡りのような状況に、
全員、疲労の影を隠せない。
マヤも、胸の内に不安を澱ませながら、
ふと、シグマの陰に立つギルの姿を見とめた。
俯いていた。
彼の腕輪の〈羅森の翠玉〉を睨み、
拳をぎちぎちと握り締めて、何かに堪えていた。
それが、恐怖なのか、失望なのか、
陰った面差しからは判別できなかったが。
——アーコニア島南部 王都港湾
占領軍総司令部 最高執務室
「写真の少女は王女で間違いないでしょう。
ちゃんと聞き出してきましたよ、ぼくは」
執務机の前には、黒い礼服の青年が立っていた。
名は、ダミアヌス。
齢は十八。
蒼白い顔でにたにたと嗤い、
彼の上官に当たる男からの、
厚いねぎらいを期待するが、
男は、頬杖をつき煙管を吹かしていた。
「ふうん。
エドモンド国王が、そう言ったのかい?」
「ええ。娘で間違いない、と。
証拠は、首筋のほくろです。
娘にも同じようなほくろがあった、と」
「でも、彼が、そう言っただけだよねえ」
「はい?」
ラッサリウスは、煙管を下ろすと、
執務机に置かれていた、
『アンブラム』からの報告書を、
ダミアヌスに手渡してやった。
「先ほど、ぼくの部下から報告があってね。
第六遠征軍と第三艦隊に任せた『竜殺し作戦』が、
もう完了してしまったとのことだよ。
『ワーマニア島解放軍』の幹部を幾人か捕らえ、
情報を吐かせたそうだが、
どうにも、やはり、シグマ大佐は、
王女の死を偽装する次善策を講じていたらしい。
すでに、占領軍の間では、
王女死亡の噂が流れてしまっているが、
あくまで、総司令部は、
王女の捜索を継続させることにしたよ。
すまないね。徒労だったかな」
ダミアヌスは、報告書を読み終えるや否や、
紙を握る手を震わせ、鼻息を荒げ、
蒼白かった顔を真っ赤にした。
「総司令は、勘違いをしていらっしゃる!
ぼくは、わかっていたのですよ!
わかっていて、あえて、
わからなかったふりをしたのです!
そうですよね! 王女は生きていますよね!
総司令ほどのお方ならば、
ぼくが虚偽を語ったとしても、
真実を見極められると確信していたのです!
ああ、これも『教戒士』の務めということ!」
「ぷっ!」
吹き出したのは、
執務室の隅で控えていたバッサスだった。
ダミアヌスは、屈辱に耐えかねたように、
報告書を放り投げ、扉を押し開け、
執務室を駆け出した。
足音が去ったのを確認し、
ラッサリウスは、
まだ腹を抱えている部下に目を遣る。
「きみ、ねえ」
「申し訳ございません!
あの顔が、タコそっくりだったものですから!」
頬杖をつき、また、煙管を吹かす。
「バッサスくん、気をつけたまえ。
弄ぶのも結構だが、
どうやら、彼は、低能な人間のようだから」
「低能? 無能の間違いでは?」
「低能だよ。ぼくが嫌いな類の人間さ」
「はあ」
「やれやれ。厄介事が増えてしまったよ。
しかし、エドモンド国王も、
存外、食えない男かもしれないね」
◆4
——王都港湾
軍事裁判所 判事室
硝子細工の装飾電灯が、
赤い絨毯の間を照らしていた。
銘木の円卓を囲むのは、
メディクス判事長以下、十三人の判事たち。
皆、黒い法冠と法服に身を包み、
厳粛さと柔軟さが溶け合う空気のなか、
判事長の第一声を待つ。
彼らが臨むのは、大青海戦争の総括にして、
流血の青海史に対する「法」の挑戦だった。
「判事長を務めさせてもらう、メディクスだ。
諸君と共に、
『アーコンプール軍事裁判』の判事として、
ここに集えたことを、心より嬉しく思う。
我々は、青海史上稀に見る、
極めて重大な責務を負っている。
大青海戦争の未曽有の惨禍と、
人間存在に対する深刻な罪を、
公正かつ厳正に審理し、裁くという責務だ。
この裁判を、復讐の場に貶めてはならず、
我々は、『自由の法』をもって真実を明らかにし、
正義を執行しなければならない。
ここで、我々が向き合う二つの罪を再確認する。
占領軍総司令部より公布された、
『軍事裁判所憲章』第五条を参照してほしい。
第一号、『国家侵略罪』。
三十年前、青海諸国の間で締結された、
『青海平和連判状』第一条、第二条を根拠とする。
人道法ならびに条約および協定に違反する、
戦争の計画、準備、遂行を禁止するものだ。
第二号、『残虐行為罪』。
こちらは、五十年前に締結された、
『万国陸戦協定』本文第三条、規則第四条、
第二十三条、第四十六条等を根拠とする。
捕虜や市民に対する虐待や殺害を禁止するものだ。
これら二罪の容疑で起訴されたのは、
エドモンド国王、ハラルド元陸軍大将、
オスリン元海軍大将らをはじめとする、
『オーシャニア列島連合王国』の、
政治的、軍事的指導者ら十八名だ。
訴追期間は、『オーシャニア列島連合王国』が、
青海平和連判状に署名してから、
『マグナ=ガリア民政新国』に降伏するまでの、
三十年間とする。
被告人十八名の行為が、
先述した二罪に該当するか否か、
また、その違法性と有責性の有無を、
今後、諸君と議論していくこととなるだろう」
判事の一人が、挙手する。
「メディクス判事長、先立ってお尋ねしたい。
『国家侵略罪』についてです。
こちらは、『残虐行為罪』と異なり、
違反者が交戦国に裁かれた事例がなく、
処罰根拠は、大青海戦争後に公布された、
『軍事裁判所憲章』第五条第一号のみです。
事後法です。『自由の法理念』に反します。
権力者による恣意的な処罰を防ぐために、
罪刑は、事前の法定と施行を要求されます。
したがって、
被告人十八名を『国家侵略罪』に問うのは、
不適当なものと思われますが、いかがでしょうか」
判事長メディクスが、返す。
「なるほど。たしかに、
『軍事裁判所憲章』が公布されたのは、
大青海戦争より後のことだ。
だが、本憲章が扱う違法性を罰することは、
必ずしも遡及的だとは言えないだろう。
法は、社会の変容に伴い進化するものだ。
三十年前の『青海平和連判状』において、
政策手段としての戦争を放棄し、
紛争の平和的解決を試みることを、
青海連盟の加盟国は皆、誓約し、署名した。
これは、戦争は違法だ、という、
青海の共通認識を育んだものだと言えるだろう」
判事が、返す。
「つまり、『軍事裁判所憲章』第五条第一号は、
青海の共通認識に拘束力を与えたに過ぎない、と。
ですが、慣習と言い切れないような曖昧な根拠で、
犯罪を成立させてしまってもよろしいのですか」
対し、別の判事が返す。
「当軍事裁判の意義をお忘れかな。これは、
青海最大の罪を罰するための裁判なのだよ。
オーシャニアの悪行を看過するなど、
あってはならないことだ。だいいち、
『軍事裁判所憲章』第五条第一号には、
『国家侵略罪』を適用する、と明記してある。
この論点には、もはや意味がないのではないかな」
判事長メディクスが、割って入る。
「待ちたまえ。犯罪の認定と量刑は、
我々が、これから行うのだよ。
だが、ご指摘の通り、当軍事裁判が、
大きな社会的意義を有していることは、
紛れもない事実だろう。
オーシャニアは、鋼鉄と燃油を確保する目的で、
西のランディア大陸と、
南青海諸島の国々を侵略し、植民地化した。
植民地での虐殺および間接死は、約二〇〇〇万人。
オーシャニア軍人以外の戦闘死は、約四〇〇万人。
残虐極まりない数字だ。
我々がこれを裁くことは、
将来、二度と、侵略戦争を起こさせないための、
強固な楔となることを確信している」
判事の一人が、ぼやく。
「判事長。ワーマニア島では、
昨日もドンパチがあったようですが。
楔を打つ前に、きちんと、
近場の戦争を終わらせるべきではないでしょうか」
低い笑いが、判事室に漏れる。
「当軍事裁判の準備が早過ぎるのだよ」
「開廷の日を、随分と前倒しにしたようだが」
「急いでいるのは、青海連盟か? 占領軍か?」
「起訴状は、まともに作られているのか?」
笑いの後、判事の一人がまた挙手する。
「判事長。ちょうど話題に上がりましたから、
起訴状の被告人名簿についてもお尋ねしたい。
こちらに記されている十八名は、
『国家侵略罪』および『残虐行為罪』の容疑で、
青海連盟の検事団に起訴されたとのことですが、
なぜ、この十八名に。
いかなる証拠を基に、十八名に絞られたのですか」
判事長メディクスが、返す。
「『軍事裁判所憲章』第八条には、
占領軍総司令部が任命した検事団が、
戦争犯罪容疑者の捜査と起訴を行う、とある。
判事を務める我々は、これに従うだけだ」
九人の判事たちが顔を見合わせると、
最初に挙手した判事が、代表し、問う。
「判事長。そもそも、この判事団も、
『軍事裁判所憲章』第二条に基づき、
占領軍総司令部が任命したのでしょう。
何もかも、『軍事裁判所憲章』ですか。
当軍事裁判は、全体構造として、
手続の適正が担保されているのでしょうか」
判事長メディクスは、掌を見せ宥める。
「諸君、落ち着きたまえ。
論点が入り乱れてしまったように思う。
まだ開廷の日まで時間があるのだから、
じっくりと議論していこうではないか。
この『アーコンプール軍事裁判』の道筋を」
To Be Continued.




