2-5 ミストン海峡
——ダンベリア島北東部 ハフウェル岩礁
未だ明けない海に、霧が立ち込めていた。
霧は、黒い垂れ幕となり、
波音を籠らせ、
ところどころに突き出た岩礁の輪郭すらも、
影として、うっすらと映すに過ぎない。
「マヤ、足元に気をつけて」
ハナの影に、手を差し伸べられる。
「ありがとう。ハナも」
マヤは手を取り、窪みを跳ぶ。
ふたりの周囲にも、ちらほらと人影が歩いている。
前を歩いている人影は、シグマだった。
「移流霧であります、王女殿下。
陸風に運ばれました水蒸気が、
海流により冷やされ、
露点を下り、凝結したものであります」
後ろから、カイの影が現れた。
「この霧と岩礁を利用し、
ガリア海軍をやり過ごすのですね」
シグマが頷いた。
やがて、
岩礁の陰に隠された、三艘の蒸気漁船の前で、
マヤたち『解放軍』一行は立ち止まった。
総員、二十四人。これから、
ガリア海軍が封鎖するミストン海峡を突破し、
ワーマニア島の友軍との合流を目指す。
乗る船体は、ほぼすべて木製だった。
鋼鉄船と比べ、音響や磁気、電波が小さい。
これで、敵に捕捉されないまま、
海峡半ばまで進み、
その後は、ワーマニア島の友軍の援護に頼る。
それが、作戦の基本方針だった。
しかし、島内の占領軍の哨戒が厳しく、
迂回を余儀なくされたことから、
岩礁への到着は予定よりも大幅に遅れていた。
シグマが、声を低く抑え、急かす。
「作戦通り、三手に分散せよ。
霧中を、海峡半ばまで進む。
くれぐれも岩礁に触れることなきよう。
プライス少佐率いる別動班が、
ダンヴァラ沖に敵艦隊を引きつけているはずだ。
この機を逃してはならない。掛かれ」
颯爽と、二十四人が漁船に乗り込む。
航路は事前に割り当てられており、
第一艘は、東寄り航路、
第二艘は、直進航路、
第三艘は、西寄り航路、
となっていた。
マヤは、第一艘に乗り込んだ。
同乗者には、シグマとハナがいた。
カイは、第二艘の手前から敬礼をした。
「殿下、御武運をお祈り申し上げます。
それから、ハナ、任せたからな」
マヤは頷き、ハナは右目をぱちり。
頷き返したカイの陰には、
しなるように俯く少年が。
名は、ギル。
齢は十二。
彼の腕輪には、〈羅森の翠玉〉が煌めいていた。
マヤは、
彼女の腕輪に煌めく〈灼天の紅玉〉をたしかめた。
これは、最後の手段だった。
敵艦隊に捕捉され、追い詰められてしまった時、
彼女は、〈白き龍〉との激突を覚悟し、
〈カムランの灼天竜〉を召喚して、
夜の海へ飛び立たなければならかった。
それでも、飛び立つ〈翼〉があるだけマシだった。
荒波に呑まれ溺死を待つよりは、ずっといい。
そうだ、そのために戦うことを選んだのだから。
あの〈羅森の翠玉〉ではならない。
彼女の、彼女だけの、〈翼〉なのだ。
ふと、マヤは、ギルの向こうに停まる第三艘に、
兵士が木箱を持ち込むのを見とめる。
「あれは、何だ?」
シグマに尋ねてみるが、
「些細な仕掛けであります。お気になさらず」
彼の黒目は、舵輪の動作を確認する。
そういえば、ダンヴァラでは、
やけに出立準備に手間取っていた。
一部の兵士たちを市街に差し向けていたらしいが、
何を探らせていたのだろうか。
また、倉庫で、マヤが持ち歩いていた、
薄汚い正装を渡すよう求められたことも、
何か関係しているのだろうか。
——ダンベリア島北部 森都ダンヴァラ沖
『重巡洋艦ゼファー』
トレビオ率いる第三十一・九群は、
夜の港に急行していた。
港を北上する不審船が二隻、
海兵隊に目撃されたのだ。
現在、船舶の出入りの一切を、
第三艦隊が管理していることから、
その二隻とは、『解放軍』の船か。
はたまた、逃亡中の王女が乗っているのか。
しかし、後者の可能性については、
存外、早く解決してしまいそうだった。
甲板には、太顎のトレビオがいた。
「どうだ、少年、王女の気配は?」
ひねくれた垂れ目のノアが、
〈眼魂石〉を手に、答えた。
「……ないです。いないです、多分。
ハーバーマスで感じたような、
〈灼天の紅玉〉の霊力は、この海域には」
トレビオは、
上機嫌にノアの背をたたくと、部下に命じた。
「ガイウス提督に報告!
ダンヴァラは陽動!
島北東部の警戒を続けられたし!」
部下が艦橋へ駆け出し、
ノアとトレビオは、その後を歩いた。
未明の潮風が、甲板を吹き抜けていた。
「ぼくの探知、間違っているかもしれませんが」
「そんなことまで気にするな。
どうせ、二隻とも拿捕する。
いやあ、占領軍と交渉した甲斐があった」
「どうして引き抜いたのが、ぼくだったのですか?
他にも使節団員はいましたよね?」
「少年の〈千眼獣アルプ〉は、
王女と戦い、健在だった。それだけさ」
「びびって動けなかっただけですけれど」
「気にするな。水牛が飛竜に勝てるものか。
だったら、後方に控え、
戦力を温存しておくのが正解さ。
突っ込むだけ、は、無能の仕事だろう?
少年は無能じゃない。卑怯な戦い方を学ぶといい」
「卑怯って、そんな不道徳、
〈大聖神〉に裁かれますよ」
「ああ、申し訳ないが、旧ガリア人だから。
『大聖教』は信仰していないのさ。
修道士さまの前でも好きに喋らせてもらうよ」
◆2
——ミストン海峡
出航してしばらく、辺りは暗いままだが、
夜明けまでは三十分、
日の出までは一時間、
余裕のなさは否めなかった。
三艘の漁船は、先を急ぐが、
岩礁の間を縫うのは難しく、
しかも、波音に紛れるためには、
微速か半速に留めなければならず、
もどかしさがつきまとった。
だが、シグマの黒目だけは、
冷静に、舳先の海霧を見据えていた。
マヤは、舷から、
シグマの視線の先を辿ってみる。
……水平線がわからないほどの霧の幕に、
ぽつり、ぽつりと怪光がぼやけている。
軍艦の探照灯だろうか。
おそらく、こちらを捕捉してはいない。
「心配?」
ハナが、傍らから寄り添う。
「いいや、進行方向に敵はいないようだが……」
マヤの瞳は、そこはかとなく、
違和感と既視感を覚えた。
この違和感は、何だろうか。
敵を避けているようで、
逆に、
敵に近づいているような、
粟立つような不気味さか。
では、既視感の方は。
この不気味さを味わったことがあった。
いつだったか。どこだったか。
瞼を閉じ、記憶を探る。
……夜。海。怪光。軍艦。囲い。砲火。穴。閃光。
……「黒騎士」の艦隊章。〈白き龍〉。
額の傷が疼きだした。
もう瘡蓋になっているはずなのに、
血が煮えたぎっているように、熱い。
「どうしたの?」
ハナが、様子を見かねる。
マヤは、懸命に、思考を絞る。
「……もしかして、もしかするとだが、
罠かもしれない。
同じなのだ、あの時と。
われが夜の海を追われていた時、
黒騎士の艦隊は、偽の出口を用意し、
われを〈白き龍〉の元へと誘き寄せた」
マヤが語る内容に、
シグマも、耳を傾けていた。
「なるほど、罠か。これが、
『ガリア海軍の電算頭脳』、ガイウスの軍略か」
「ガイウス?」
マヤは、初めて、
彼女の命に差し迫る将軍の名を知った。
「奴は、敵の思考を巧みに看破する将であります。
モルガン沖海戦におきましても、
我が軍は、奴の慧眼に作戦を見抜かれ、
ディラン王子殿下を喪うこととなりました。
うむ、ここは、王女殿下の御言葉を信じましょう」
シグマは舵を切り、針路を東へ。
「シグマ大佐、どこへ行く?」
舵輪を握り、舳先の海霧を見据えたまま、
シグマは答えた。
「ワーマニア島への航路を変更いたします。
敵艦隊が静か過ぎましょう。
ダンヴァラ沖の陽動が失敗した可能性が高く、
加えて、
ワーマニア島からも戦闘艇を駆けつけさせ、
敵艦隊の注意を引く手筈でありましたが、
その奏功も看取しかねる有様。
作戦は、悉く打破されたものと存じます」
「そんな!」
……ズゴンッ!
予感の的中を告げるように、
背後から、轟音が鳴り響いた。
振り向くと、
霧の幕に、高く爆ぜた水柱がぼやけていた。
「第三艘の辺りじゃない?」
ハナの声が震える。
「砲撃か?」
マヤは疼きに堪える。
「否、この音は、機雷では」
シグマは舵輪を回し、前方の岩礁を一つ躱す。
——『戦艦ユーゲスト=ネーゲル』
第一艦橋・艦隊指揮所
「提督!
ハフウェル岩礁沖の水圧機雷が作動!
予測的中です!」
副官の報告を受け、
ガイウスは、珈琲を指揮卓に置き、命令を発した。
「第三艦橋に伝達。
水圧機雷が作動したハフウェル岩礁沖へ、
〈伯焔龍フォルティナ〉を出撃させよ。
これより、
全艦、『作戦行動・丙』に移行する」
ガイウスは、『解放軍』の取り得る行動を、
三つの様式に絞っていたのだ。
一つ、正面突破。
〈カムランの灼天竜〉の戦力をもって、
封鎖された海峡に強行するというものだが、
正面には正面、
〈伯焔龍フォルティナ〉で迎撃すれば済む。
二つ、隠密通過。
〈伯焔龍フォルティナ〉との対決を避け、
ひそかに海峡を渡るというものだが、
間諜を用いるほどの組織力は見込めず、
利用し得るのは、せいぜい、気象、地形、陽動か。
今回は、見事、経路まで的中させることができた。
三つ、迂回通過。
これは、海峡を直行することを諦め、
七主島周辺の属島を転々としながら、
気長にワーマニア島を目指すというものだ。
しかしながら、海峡を避けようと艦隊はいるし、
「王女と『ワーマニア島解放軍』の合流」という、
戦略目標を後回しにしてしまう代償から、
隠密通過を断念した場合の、
予備の様式としていることが考えられた。
水圧機雷の罠に引っ掛かった今、
王女が生存していたとすれば、
『解放軍』は、岩礁沖を離れた後、
こちらの様式に切り替えることだろう。
無論、逃さず、ここで叩く。
——第三艦橋・戦闘指揮所 展望台
銀髪と黒い水兵服を靡かせたシルヴァが、
掌中の〈古の白石〉に、詠唱を捧げる。
『薄明、静謐ナル神林ニ宿リシ古ノ力、顕現ス』
「来て、〈伯焔龍フォルティナ〉」
艦橋から、白光が昇った。
耀きが、霧の幕を穿った。
研がれた大理石のように滑らかな頭部に、
紫色の眼を冷徹に光らせ、
鋭く引き絞った翼を背に、
〈白き龍〉が、海峡の戦場へ疾走した。
◆3
〈伯焔龍フォルティナ〉、襲来!
霧の幕の一枚向こうで、
高速の飛翔体が、
重々しく風を切る音が聴こえた。
「奴か」
マヤは、額の疼きに堪えながら、
腕輪の〈灼天の紅玉〉を構えた。
「殿下、まだ完全に捕捉されてはおりません。
このまま、海流に乗り、
ダンベリア島東沖の属島まで逃げ込みます」
シグマの操舵は、
上空の脅威に対し、ぶれずに保たれていた。
刹那、西の方角が耀いた。
「あれ!」
ハナが指差した先には、
大口に青白い焔を湛えた〈力〉の化身の影が。
〈白熱伝導弾〉!
撃ち放たれた、超高熱の破壊光線が、
マヤたちが乗る第一艘でなく、
直進を続けていた第二艘を貫いた。
凄まじい耀光と圧力波に、
空と海が割れるように呻き、
爆発が、岩礁ごと圧砕し粉砕した。
「カイが!」
マヤは、舷を両手に、身を乗り出した。
助けなければ。
蘇るのは、妹を労わる少年の横顔だった。
……だが、立ち上がることができない。
愚かになれない。
愚かになることなど赦されない。
自分にできることは限られている。
それは、頽廃の漁村で思い知らされていた。
無力な存在ががむしゃらに飛び立ったところで、
また、荒波に呑まれるだけだった。
葛藤をよそに、
〈白き龍〉の猛攻は、まだまだ、終わらない。
超高熱の破壊光線の連撃が、
第二艘の航路に畳み掛ける。
爆発が、幾度もぼやける。
霧の幕の一枚向こうから、
撃砕される船体の呻きが聴こえる。
額の傷が、疼きつづけている。
知恵と力の絶対的な壁を前に、
マヤは、
視界を潤ませ、唇を噛み締め、
舷に縋ることしかできなかった。
思考が、混濁した泡沫の波間に沈んでいく。
舷をぎちぎちと握り締め、
掌に血が滲むと、
そこに、
温かな右手が添えられた。
「信じて、カイを」
「……?」
マヤは、傍らを見る。
そこには、震えながらも、
闇夜の荒海に臨むハナの瞳があった。
「信じて、カイ、つよいから」
ハナの視線の先を辿ってみると、
霧の幕に、
奇妙な突起が浮かび上がった。
岩礁かと思ったが、違う。
泳いで、こちらに迫っていた。
ひっそりと、甲冑のように厳つい魚体に、
骨格が剥き出しの背鰭がぴんと立ち、
そこには、
擦り切れた外套の少年がしがみついていた。
あれは、〈怪鮫ギャレス=ジョー〉だ。
ああ、生きていた、あの少年は。
「カイだ!」
マヤとハナは、喜び、抱き合った。
カイは、破壊光線に襲われる直前に、
〈怪鮫〉を召喚し、霧中に逃れていたのだ。
シグマも、
間一髪の離脱に感心しながら、
弛むふたりに釘を刺す。
「まだ敵は近い。警戒を怠るな」
漁船は、〈怪鮫〉を先導しながら、
海岸線に沿い、岩礁の間を縫うように進んだ。
巨獣の羽搏きを、背後へ、遠ざけていく。
「あれが、ガリア海軍の〈白き龍〉なのか」
〈怪鮫〉の背鰭に掴まるカイは、
生存を疑っていた。
濡れぼそった外套の裾を握り、
肉体が砕かれていないことをたしかめた。
「……きみ、カイ、だったか?」
振り向くと、同じく濡れぼそった姿で、
背鰭に掴まったギルがもごもごしていた。
想像していたよりも、話し声が高かった。
「ええ、カイ特任兵です」
「……助かった。ありがとう」
——『戦艦ユーゲスト=ネーゲル』
第一艦橋・艦隊指揮所
「提督、報告します。
ハフウェル岩礁沖では、撃沈した二隻の他にも、
不審船らしき影が探知されており、
捜索を継続中です。
また、ダンヴァラ沖の漁船二隻につきましては、
一隻を撃沈、一隻は自爆し、
ワーマニア島より来たと思われる戦闘艇十五隻も、
十三隻を撃沈、二隻を退けた模様です」
副官の報告に手ぶりで返すと、
ガイウスは両腕を組み、海峡の戦局を俯瞰した。
『解放軍』の大方の作戦は打破しただろう。
あとは、王女と〈灼天の紅玉〉だけだ。
電波探知機がわずかに捉えたという、
最後の影が、最も怪しいが、
探知された位置が岸に近かったため、
包囲陣の中に捕らえられるかどうか。
せめて、ダンベリア島まで押し返し、
陸の占領軍に仕留めさせたい。
「さて、ここからが本番か」
指揮卓に置かれた珈琲を手に取り、一口。
鷹のような目で、次の一手を思索する。
そこに、再び、副官の報告が。
「提督、
岩礁沖を探らせていた海兵隊より、続報が……」
副官の神妙な面持ちに、
ガイウスは鷹の目を細めた。
「海兵隊は、何と?」
「……王女の死体が発見された、と。
水圧機雷が作動した辺りのようです」
一瞬、珈琲を持つ手が固まるが、
あくまで、ガイウスは悠然と構えてみせた。
「回収せよ。死体を検める」
◆4
その後、
第三艦隊がハフウェル岩礁沖を捜索しても、
最後の不審船は発見できなかった。
彼らが悔やんだのは、
水圧機雷の敷設精度の低さだった。
というのも、岩礁により捻じれた海流が、
係維索の位置ずれを起こし、
企図していたよりも七〇〇 碼程岸の近くで、
水圧機雷が作動してしまっていたのだ。
本来、もっと沖まで誘き寄せることで、
確実に、『解放軍』を一網打尽にするはずだった。
もっとも、彼らには、
そんな反省も掻き消すような大発見があったが。
——アーコニア島南部 王都港湾
占領軍総司令部 最高執務室
「ミストン海峡の擾乱」の翌日、
生暖かい白陽が、
窓掛けの隙間から差し込んでいた。
ラッサリウスの黒眼鏡が、
詫しい占領地の市街を映す。
運河沿いには、
貴族の別邸だった建物が並ぶが、
赤煉瓦も、白格子も、煤け、
濁った油膜に反射するのみ。
海洋大国の威厳はどこにも残されていない。
「王女は、死んだのでしょうか」
沈黙を破ったのは、口髭の准将だった。
名は、バッサス。
騎兵科の出身にして、王都港湾憲兵隊長を務める。
バッサスの問いかけに、
ラッサリウスは、窓から振り向き、
執務机に置かれた写真を手に取った。
写真は、少女の死骸だった。
顔は、ほとんど原形を留めておらず、
四肢が裂かれ、骨肉が砕かれ、
薄汚い布切れが血で張りついている。
「どうだろうねえ。
水圧機雷の爆発で死んだみたいだけれど。
推定年齢や髪色は一致するし、布切れも、
彼女が公邸で着ていた正装と同じ生地らしいよ。
でも、ちょっと痩せているよねえ。
適当な浮浪民の子どもでも見繕い、
王女に偽装した可能性も高い。それに、
〈灼天の紅玉〉が見つからないことも怪しい。
『竜殺し作戦』の結果を待ってもいいが、
こちらでも、何か調べられることはないかな」
ラッサリウスは、執務机に向かった。
王女は死んだのか、
それとも、『解放軍』による偽装か。
偽装ならば、姑息極まりないが、
無視することもできない。
今後、王女の行方を捜索する上で、
「もう死んでいるかもしれない」という前提を、
常に押しつけられることになる。
致命的ではないにせよ、面倒な事態だった。
執務室に沈黙が戻りかけた時、
バッサスが、一案を思いつく。
「少々悪趣味な案になりますが、
よろしいでしょうか」
ラッサリウスの黒眼鏡が、好奇にぎらつく。
「遠慮なく言ってみたまえ」
バッサスは、一度、咳払いをする。
「拘置所のエドモンド国王に、
写真を検めさせてみてはいかがでしょう。
王女の身体的特徴に、
心当たりがあるかもしれません」
好奇に緩んでいた表情が、引き攣る。
「実にきみらしい。素晴らしい案だ。
採用しよう。
だが、誰を拘置所に行かせるかが問題だな。
そうだ。
きみ、発案者として行ってきたらどうだい?」
バッサスは、両肩をすくめてみせる。
「嫌ですよ、そんな役回りは。
あっ、適任者がいます。
昨日、来航した『教戒士』に、
任せてみてはいかがでしょう。
元より、本国では、
刑務所や拘置所を監視するとともに、
被収容者の改悛を促すことが、
彼の仕事だったはずです。
この手の尋問は慣れっこでしょう。
たしか、ダミアヌスという名でしたか。
ぜひ、ぜひ、彼に」
「きみ、ねえ」
ラッサリウスは、写真を机上に置き、
煙管を吹かそうとするが、
ドン! ドン! ドン!
外から、衛兵が扉を叩いた。
「総司令、メディクス判事がお見えになりました」
壁時計を確認し、もうこんな時間か、と、
ラッサリウスは命じた。
「通せ」
扉が開かれ、中に入ったのは、
黒い法冠と法服を着こなした、
白髪の老夫だった。
名は、メディクス。
『マグナ=ガリア民政新国』において、
最高判事を務める男だった。
「ラッサリウス総司令、
お目に掛かることができ光栄です」
大事な客人を前に、
黒眼鏡を外し、腰を上げ、歩み寄って、
ラッサリウスは歓迎した。
「光栄だなんてとんでもない。
きみが主宰する法廷に、
青海中が注目しているよ。
メディクス判事、王都港湾へようこそ」
椅子を勧められて、メディクスは腰を下ろした。
「閣下の開廷宣言は、
よく読ませていただきました。
非常に、雄弁なものでした」
「雄弁と評してくれるとは。だが、
きみには、もっと雄弁になってもらいたい。
何せ、きみに書いてもらうのは、
ただの判決文ではないのだからね」
「ただの判決文ではない、とは?」
「歴史さ。
新たな歴史を創るのだよ、この軍事裁判は」
「なるほど、歴史。
それはどのような?」
にやりとする、ラッサリウス。
「青海最大の罪を罰する歴史、さ」
自信満々にかましてみせた台詞は、
しかし、期待外れの返しをされてしまう。
「閣下、罪を罰すると仰いますが、
犯罪の認定と量刑は、まだ行われておりませんよ。
それを行うのが、裁判です。
拘置所にいる国王や大臣、軍人らの行為が、
戦争犯罪に該当するか否かは、この、
『アーコンプール軍事裁判』にて決するのです」
早速、大事な客人に説教をされて、
ラッサリウスは、鼻で笑ってしまうのだった。
To Be Continued.




