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絶海の皇女マヤ -PRINCESS:ABYSS-  作者: 久坂下臈
第2章 闇夜航路
10/21

2-4 十八号作戦

「エドモンド国王陛下は、現在、

王都港湾の拘置所に幽閉されておられる。

遠からず開廷される軍事裁判により、

戦争犯罪者の汚名を着せられることは、

疑う余地もないだろう。

無論、そのようなことはあってはならない。

我が軍は、三島の戦力を結集し、

王都港湾へ攻め入り、陛下を救出し奉るのだ。

そして、全国民に檄を飛ばす。剣を執れ、と。

忠義と忠節により結ばれた、

真の政治を、真のオーシャニアを、

我らの手で取り戻すのだ」


シグマが明らかにする『十八号作戦』に、

解放軍の兵士たちは、一心に聞き入っていた。



「……」

マヤもまた、固唾を呑んで聞いていた。

だが、昂揚感とは程遠い。

胸の内まで冷え切ってしまいそうな、

寒々とした渦に巻きつかれ、

首筋には、ねっとりとした汗が伝っている。


「いかがあそばしましたか、王女殿下」


シグマの真ん丸な黒目が、彼女を捉えた。


「……いいや」


マヤの瞳は、兵士たちに話を続けるよう促すが、

シグマの黒目は、彼女を捉えたまま離さなかった。



「王女殿下にも、重要なお話が」

「何だ」

「〈灼天の紅玉〉について、であります」

「……」

マヤは、身構えた。

「我がオーシャニアが誇る『護国三大霊獣』、

殊に、〈カムランの灼天竜〉は、

亡きケイネス王子殿下のご活躍のごとく、

軍事においても、政治においても、

絶大な影響力を有するものであります。

今後の我が軍全体の大目的におきましても、

一層の重きをなすものでありまして……」


マヤは、先を潰し言い放った。

「つまり、われが戦えばいいのか」



静まり返った、暗がりの会議場。


マヤの黒い瞳と、シグマの黒い目が、

真っ直ぐにかち合い固まるが、

シグマは、ひらりと力点を外してしまう。


「否」「何?」


それは、思いも寄らない返答だった。


「殿下のお持ちあそばします〈灼天の紅玉〉を、

我が軍にお預けくだされば十分であります。

殿下に戦塵のご苦労をお掛けすることなきよう、

殿下の御身代わりが、

〈カムランの灼天竜〉を召しますゆえ」



一瞬、言っている意味がわからない。

「今、何と? われの身代わりが、

〈カムランの灼天竜〉を召喚する?」


「はっ。我が軍の秘策をご覧に入れましょう。

ギル、こっちに来たまえ」

「はっ」


奥から、ひとりの少年が現れた。

むすっと俯きがちな白い面差しに、

しなるような上背で、シグマの陰に立った。

「この者は、ギル。齢は十二。

『ワーマニア島解放軍』所属、特任兵待遇。

亡き王妃殿下の甥にして、

『公爵家』の嗣子であります」



王妃の甥? このギルという少年が?

よくよく見ると、陰をつくったその瞳には、

あの「肖像画」と同じ高貴がちらついていた。


焦った、マヤは。

何に対してかもわからずに。

汚い麻布の裾を握った。


「待て。『公爵家』の嗣子ということは、

召喚条件を満たさないはずだ。

先々王の御代に臣籍降下した一族なのだから。


『神秘の契り』の違反だ。

森羅万象の怒りが、荒ぶる〈霊獣〉と化し、

列島を滅ぼすことになるぞ」



シグマは、マヤの訴えを無表情のうちに流し、

ギルの左手首を取って、

失礼、と一言断り掲げてみせた。


美しい〈翠の玉〉が、銀の腕輪を飾り、

彼の意思と共鳴して煌めいていた。


それが何なのか、マヤには、わかってしまう。


「〈羅森の翠玉〉であります。

こちらに封じられし『護国三大霊獣』の一柱、

〈シャーレイの羅森獣〉の召喚に、

ギルめは、成功したのであります。

『公爵家』は、王室新設の新法により、

王籍への復帰が叶いましたゆえ」



「王籍に、復帰?」


動揺を隠せない面差しに、シグマの眼光が重ねる。


「いかにも。『公爵家』は王籍に復帰いたしました。

大青海戦争の劣勢の折、

王家断絶の危機を憂いたハラルド陸軍大将が、

忠君報国会の総裁として、

王室新設の法案を採択せしめたのであります。


あくまで、我が軍が、

『護国三大霊獣』の御力を発揮せしめるための、

やむを得ざる措置に他なりません。

正統なる王位継承権者は、王女殿下ただ御一人。

どうか、お受け止めあそばしますよう」



「……」


「では、殿下、お話を続けさせていただきます。

〈カムランの灼天竜〉の御力は、攻めに、

〈シャーレイの羅森獣〉の御力は、守りに、

それぞれ秀でております

殿下には、〈灼天の紅玉〉を、

このギルめにお預けいただき、

代わりとして、〈羅森の翠玉〉を……」


「お待ちください、シグマ大佐」


「ハナ?」

驚くマヤに、右目をぱちり。

ハナは、シグマの前に躍り出た。



「このギル特任兵は、本当に、

〈シャーレイの羅森獣〉を召喚できるのですか?

その〈羅森の翠玉〉は本物ですか?

王室新設のお話も、

殿下より〈灼天の紅玉〉を取り上げるための、

嘘八百にしか聞こえません」


「おい、ハナ」

カイが窘めようとするが、ハナは、止まらない。


「だいいち、このような交渉を持ち掛けるとは、

殿下の所有を蔑ろにするものとして、

不敬罪に該当するものと、小官は進言します。


ね。マヤも嫌でしょう? 言っちゃいなよ!」



勢い任せの熱弁を振るい終えた途端、

兵士の一人の顔がいきり立った。


「ガキが、でしゃばるな!」


振り上げられた、兵士の左拳。

そして、その振り下ろされるだろう先を、

会議場の誰もが想像し、空気が張り詰める。


……だが、止まった。


マヤが、ハナを庇うようにして立ち、

カイが、十字剣の柄を握って牽制し、

シグマが、兵士の左腕を掴んで抑え、

ギルは、……黙って俯いたままだった。










◆2










——ダンベリア島東部 ハーバーマス漁村


錆びたトタンの軒下を潜り、

雑草や廃材を踏み分けた先に、

古びた漁家に囲まれた井戸端の閑地はあった。


海軍による艦砲射撃を奇跡的に免れ、

こうして、温かな残陽を静かに浴びている。


リタは、両肘で井桁にもたれかかり、

縛った髪を潮風に揺らして、

ぼんやりと空を仰いでいた。


思考を、忙しない状況から、

雲間に逃れさせていたのだ。



占領軍総司令部から電報があったのは、

昼下がりのことだった。


内容は、配属変更。


ダンベリア島の王女追討は、

すでに、他の使節団員が担当しているらしく、

リタとレオは、アーコニア島の王都港湾へ移動し、

軍事裁判の警備に加わるよう命じられた。


明日には、迎えの船がよこされるという。


王女を追討する戦力としては使い物にならない、

という失望の人事なのだろうか。

もっとも、リタには、一向にかまわなかったが。



あれほどコテンパンにされてしまうと、

もう、戦おうという気も起こらなかった。


首飾りの〈眼魂石〉がまだ全快しないのは、

戦闘による消耗が大き過ぎたこともあれば、

共鳴する彼女自身の諦念もあるのだろう。


「あの子みたいには、なれないな」

呟いてみて、まあいいか、と雲間に捨てる。


それよりも気がかりなのは、

海軍に連れていかれたノアが、

まだ帰ってこないことだ。

冗談めかしていたが、まさか、

本当に、軍法会議に架けられているのか。



すると、ギョロ目の少年が駆け込んできた。


「リタ!」

「レオ?」


「そんな風にもたれていると、井戸に落ちるぞ!」


「ほら、大丈夫だよ。何かあったの?」


「ルカが、目を覚ましたのだ」

「えっ?」


リタが体勢をくずしそうになり、

慌てて、レオが背を支えた。

無事、井戸に頭から落ちずに済んだ。



ふたりは、海軍の仮設病院へ赴いた。


かつては、

漁村の公会堂だった屋敷らしいが、

こちらも、艦砲射撃を奇跡的に免れ、

海軍により、

臨時の医療施設として利用されていた。


玄関に入り、階段を上がった。


「実は、ルカは、三十分ほど前には、

もう、目を覚ましていたのだが……」

「どんな様子なの?」

「……うむ、まあ、

見てもらった方がはやいだろう」



二階の「二十六号室」の扉を、

トン、トン、トン、と軽く叩き、

レオが開けて、リタが中に入った。


ルカがいた。


残陽が差し込む窓際の病床で、

体を起こしてはいたが、

ぴくりとも動かず、

呆然としているようだった。


包帯から垂れ落ちた金髪は、

乱れ、沈んだ瞳に被さっていた。


病室に入ったふたりには、反応を示さない。



「ルカ、どうしちゃったの?」


「目を覚ました途端に取り乱したのだ。

泣き喚いて、な。

大分、落ち着きを取り戻したようだが」


「そんな」

リタは、言葉を失った。


「〈カムランの灼天竜〉との戦いが、

よほど、苛酷だったのだろう。

いいや、おれのせいなのだ。

おれが弱かったのが、悪い。

ルカを守ることができなかった。

取り返しのつかない傷を与えてしまったのだ」



レオは、顔を険しくしたまま、

しばらく黙り込んだ後、

お手洗いに行く、とだけ言い、病室を出た。


リタは、病床の傍の椅子に座り、

ルカの様子を見つめた。


ルカは、随所に育ちの良さが目立つ少年で、

列島に派遣された当初から、

一抹の不安を覚えてはいたが、

ここまで崩れてしまうとは思っていなかった。


『青海少年使節団』の務めは、

続けられそうもないか。

枯れ木のような横顔がそれを物語っている。



「……リタ」

ルカの、渇いた唇が開いた。


「ルカ?」

「……ごめん。

もう、無理だ。嫌だ」


ルカの瞳が潤みだすのを見て、

リタは、そっと背を摩った。


「無理でいいよ。無理しないで。

頭をぶん殴られて、

平気なやつの方がおかしいよ。

あんたは、頑張ったから。

誰にも嗤わせやしないから」



「……ちがう」

「え?」


ルカの瞳は、震える両手に沈んでいた。

儚い微光を包んだ雫が、

ぽろぽろと零れ落ち、崩れた。


「……ぼく、この手で、

ひとの首を絞めたんだ。

戦いになって、もう、わけがわからなくて。


……嫌だった。どうして、

こんなことをしなくちゃいけないのかな」


「……」



「……『大聖教』で、いろんなことを教わって、

でも、全部、こんなことのためだったのかな。


……救済も、神判も、もう、よくわからないよ。

もう、自分を好きになれない。

ずっと、絞めた感触が残っていて、離れなくて」


嗚咽するルカに、リタは、寄り添った。


「あんたは、悪くない。悪くないよ」


震える背を撫で、微笑みかけた。


レオもまた、廊下から扉にもたれかかり、

残陽の温もりが傷を慰めるよう祈っていた。










◆3










——ダンベリア島北部 森都ダンヴァラ

「第七材木倉庫」


額の傷は、瘡蓋になっていた。

指でなぞると、ほんのすこしだけ疼くが、

どうということはない。

黒い前髪で、覆い隠す。


ドン! ドン! ドン! ドン!

「マヤ、入るよ」

薄暗い貯木庫に、ハナが入った。


マヤは、はっと立ち上がり、

ハナの元に駆け寄って、

体のどこかをぶたれていないか見回した。



「ハナ、大丈夫だったか?」

「うん。平気。プライス少佐には、

ちょっぴり叱られたけれど、ね」

「ごめん、われのために。

それと、カイは?」

「シグマ大佐たちと話しているみたい。

ミストン海峡突破について、ね。

出立までまだまだ掛かりそうだから、

しっかり休んでおけ、だって」

「わかった。ありがとう」


マヤは、ほっと胸を撫で下ろした。


ふたりは角材を椅子替わりにし、

隣り合って、ハナが肩を寄せた。



「ね。あのギルって子、本当に、

〈シャーレイの羅森獣〉を召喚できるの?

わたし、どうしても信じられないの」


マヤは、腕輪の〈灼天の紅玉〉をいじりながら、

凍えた表情で答えた。


「本当だと思う。

〈羅森の翠玉〉は、あの者と共鳴していた。

シグマ大佐の言う通り、

『公爵家』は王籍に復帰したのだろう。


『護国三大霊獣』の召喚条件は、

王家の血統にある者の詠唱だ。

あの者にも、召喚権が発生したのだ」



ハナは、指先を頬に、顔をしかめた。


「でも、あんな飛び入りの子が、

『護国三大霊獣』を召喚するなんて。

だって、王家の権威そのものでしょう?

何ていうか、釈然としなくて」


「われは政治には疎いが、

あのギルとやらの父、ユリック公は、

貴族筆頭として、

宰相や議長を務めた精鋭のはずだ。


『護国三大霊獣』が権威を顕すものならば、

むしろ、賛同する者も多いのではないか。

われのような輩が召すよりずっといい、と……」



マヤの自虐めいた言葉は、

薄暗い貯木庫に冷たく反響してから、

ハナの耳に伝わった。


「……うん。ごめんね。

ほんのちょっとだけ聞いていたの、わたし。

マヤのこととか、王宮のこととか」


「気を遣ってくれていたのか?」


「ううん。ただ、言わない方がいいかな、って」


「ありがとう。だが、大丈夫だ」


「本当に?」「本当に」



ハナは、ちらりと瞳を覗かせた。


「それで、〈灼天の紅玉〉はどうするの?」


マヤは、〈紅玉〉の煌めきを手で覆い隠し、

最初に口を衝きそうになった言葉を、

呑み込むようにしてから、答えた。


「渡すべき、だと思う。ギルとやらに。


シグマ大佐の言うことは、正しい。

王家の存続と戦力の充実を先立たせるならば、

〈灼天の紅玉〉は、軍に委ねるべきだ。

それに、われには、代わりとして、

〈羅森の翠玉〉をくれるというし」



「真面目」

ハナに、頬をつつかれた。

「ん?」


「マヤって、真面目。カイにそっくり。


〈カムランの灼天竜〉は、

〈シャーレイの羅森獣〉より強いみたいじゃない。

譲っちゃだめだよ。『公爵家』が、何?

〈灼天の紅玉〉は、マヤのものなんだから。


もっと、わがままになろう?

真面目にならなくちゃいけないのは、

きっと、わたしたちじゃないと思うの。

今は、生き延びることだけ、ね」



「ハナ」

「いっそ、今、脱け出しちゃう? 三人で」


いたずらっぽく微笑みかけるハナの瞳には、

一途な光があった。

三人で荒波を渡るための、

彼女なりの航路を見据えているのだろう。


だが、現状では、乗り気にはなれなかった。


「ハナ、さすがに無茶だ。

占領軍に、海軍に、解放軍までも敵に回せない。

それに、

皆、一応は、われを守ろうとしてくれている。

裏切ってしまうのは早いだろう」



ハナは、ごもっともな意見に呆れ笑ったが、

今一度、真剣な表情をつくり問いかけた。


「でも、いいの? マヤは。

シグマ大佐たちについて行っても」

「いいの、とは?」

「辛そうだったから、やっぱり」


悪寒が蘇る。


軍隊も、王宮も、忌み嫌っていたが、

しかし、

それら以上に怖ろしかったのが、

あの、呼びかけても返事のない、

暖炉の傍にいる影だった。



ずっと、あの面差しをたしかめられなかった。

いつしか、

たしかめようとすることすらも怖ろしくなった。


もしも、蝋人形だったら。

他の者どもと何ら違わなかったら。


自分にとって大切な何かが、

毀れてしまうような気がする。


それは、すでに手にしているものなのかも、

これから手にするものなのかも、わからないが。


喪えば二度と戻らない、

それだけは、はっきりとしていた。



「ハナ、ありがとう。

たしかに怖ろしいものがある。だが」


結局、

焦っていたのは、何に対してだったのだろうか。


暖炉の面差しに近づいてしまうことか。

戦場へ駆り出されることか。

〈灼天の紅玉〉を奪われることか。

『公爵家』に貶められることか。


あるいは、

これらのすべてが輪のごとく繋がっており、

自分が喪いたくない何かを、

嘲り、弄んでいるとでもいうのか。










◆4










——アーコニア島南部 王都港湾

占領軍総司令部 最高執務室


「厄介なものだね、敵に地の利があるというのは。

こんな負担は、南青海諸島攻略戦以来だよ」


第三艦隊からの通達書を片手に、

執務机のラッサリウスは、

黒眼鏡を、手前の部下に向ける。


「懐かしいですね。海軍との連携により、

インスーレ領を奪還した、あの戦いですか」


部下の軍服の階級章が示すのは、准将。

几帳面な口髭の男だった。



「つくづく態度のでかい男だよ、ガイウスは」

「やめるおつもりですか?」

「バッサスくん、勘違いは困るな。

海軍としての彼と、友軍としての彼は、

きちんと区別しているからね。

立場の問題だよ。

それで、きみはどう思う? この作戦」

「『良策とは、仕掛けられる前に仕掛けるもの』。

小官も、本作戦に異存はございません」


通達書は、占領軍と第三艦隊が協議していた、

「共同軍事作戦」の実行合図だった。

ガリア軍は、王女と〈灼天の紅玉〉の争奪戦を、

『解放軍』全体の組織的抵抗力を削ぐ上での、

一大局面と位置づけていた。



ラッサリウスは、鼻で笑った。

「兵法博士だねえ、きみは。まあ、

あとは、彼らが上手くやってくれることだろう。


それはさておき、

『アンブラム』からの情報によれば、

シグマ大佐が、姿をくらましたそうじゃないか。

ダンベリア島に潜入しているのかもしれないが、

このアーコニア島も怪しい気がするよ。


勘だ。警戒したまえ」

「はっ」


煙管を吹かしたラッサリウスは、

通達書を机上に置いた。



「軍事裁判の準備の方は、どうだい?」


「『教戒士』は明日、『判事団』は明後日には、

王都港湾に到着する見込みです」


「いよいよだね。警備は足りそうかい?」


「『使節団』の一部を追加招集していますが、

どこまで使い物になるか。

何せ、実戦経験に欠ける部隊ですから。


さしあたり、『教戒士』の戦力に期待します」


「すまないね。主力級の〈聖獣兵器〉は、

北方に回さなければならなくて」



——ダンベリア島北部 森都ダンヴァラ

「第七材木倉庫」


夜。『解放軍』、出立の時。


直近の目標は、

ダンベリア島とワーマニア島とを隔てる、

ミストン海峡の突破だった。


総員は、王女を含めて二十九人。


ダンベリア島内には、占領軍の兵士がひしめき、

島の沖には、第三艦隊の艦艇が列を成していた。


状況は、圧倒的に不利だった。



ドン! ドン! ドン! ドン!

「殿下、シグマであります」

「入れ」


薄暗い貯木庫に、シグマが入った。

その陰には、ギルがしなるように俯いていた。


マヤとハナも、

角材から腰を上げ、向き直った。


ビシッ! ハナが、敬礼をした。


「シグマ大佐、

先刻の無礼、誠に申し訳ございませんでした。

以後、不徳を猛省し、軍紀を厳守いたします」



語尾のところで、視線が右斜め上にちらり。


シグマの黒目は、どうやら、

浅い反省を見抜いたようだったが、

詰ることはせず、敬礼を返した。ビシッ!


「大儀である」


ふたりとも、右手を下ろし、敬礼を解いた。


すぐさま、シグマの黒目が、マヤに向く。


再び、寒々とした渦に巻きつかれる。

胸の内まで冷え切ってしまいそうになる。

それでも、マヤは、震える唇を開いた。



「〈灼天の紅玉〉の件か」

「はっ。先刻は、小官の浅慮により、

殿下の御心を煩わせましたこと、

恐縮至極に存じます。

つきましては、〈灼天の紅玉〉を……」

「待て」

「はっ」


震える唇を噛んだ。


眼裏に、彼女なりの航路を見据えてみる。


一つの航路は、渦を避けた瀬だった。

荒波に呑まれることに恐怖し、

小舟の底を這う自分の姿が、愚かで、弱々しい。



「マヤ?」

ハナの声が、傍らから聴こえる。


もう一つの航路は、渦へと向かう淵だった。

こちらは大舟だったが、荒波は相も変わらず、

舷に縋りつく自分の姿が、やはり、惨めだった。


渦も、大舟を待ち構えていた。


だが、自分が舷から立ち上がれば、

大舟と共に立ち向かえば、

荒波を乗り越えられるのかもしれなかった。

たとえ、乗り越えた先がまた荒波ばかりでも、

立ち向かったこと自体を後悔しないだろう。

そんな決断を積み重ねるしかない、きっと。



「シグマ大佐、〈灼天の紅玉〉は渡さない。

われの〈力〉は、われのものだ。


だが、〈力〉に縋るような真似はしたくないし、

〈力〉を惜しむようなこともしたくない。

〈力〉とは、戦うために在るのだから。


戦おう、われも。生き延びるために。

己の活路は、己で切り開く」


その痛々しく暴力的な決断に、

腕輪の〈灼天の紅玉〉が呼応し、

シグマの黒目は揺るがず、

ギルは俯きがちに一瞥し、

ハナは、傍らから寄り添う。



恐怖を拭い去ったわけではない。

ただ、幾度でも打ち寄せる荒波に、

どう挑むかを選んだに過ぎない。


そして、荒波の中心にあるだろう渦も、

彼女にとっては、

未だ、身の毛もよだつものだった。


では、喪いたくないものとは、何だったのか。


命か。力か。誇りか。


それとも、それらのすべてを包括する、

より崇高なものだったのかもしれないが、

今のマヤには、答えを導き出せそうもなかった。










To Be Continued.

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