第3話:王立騎士団の洗礼
数日の旅を経て――。
二人はついに、王国の中枢たる王都グランヴァリアへと辿り着いた。
街の入口から見上げるほど高くそびえ立つ白亜の城壁。
その向こうには、石造りの大通りが広がり、行き交う人々の姿が途切れることなく続いている。
商人たちの呼び声。
馬車の車輪が石畳を叩く音。
露店から漂う香ばしい匂い。
故郷の開拓村とは、何もかもが違っていた。
「……こりゃまた、ずいぶんと人がいるな」
馬車の窓から街を眺めながら、バルダスは目を細めた。
「王都ですから」
隣に座るシエナが、少し得意げに答える。
「田舎者には眩しすぎるな」
「先生が王都にいた頃も、ここは変わらなかったと思いますが?」
「二十年前の話だ。もうほとんど覚えてないよ」
そう言って、バルダスは苦笑した。
まさか自分が、こんな場所へ戻ってくることになるとは思ってもいなかった。
しかも――。
王立騎士団の最高師範として。
◇
王都へ到着したその日の午後。
バルダスはシエナに連れられ、王立騎士団第一訓練場へとやって来た。
広大な訓練場には、すでに百名を超える騎士たちが整列している。
磨き上げられた甲冑。
鍛え抜かれた肉体。
腰に吊るされた剣。
その誰もが、王国各地から選抜された精鋭だった。
バルダスはその光景を眺め――。
「……多いな」
ぽつりと呟いた。
「先生?」
「いや……俺が教えるのか、これを?」
「はい」
「……そうか」
バルダスは改めて目の前の騎士たちを見る。
その視線には、明らかな警戒と不信が混じっていた。
無理もない。
突然、何の前触れもなく現れた辺境の中年男。
王都での実績もない。
輝かしい戦歴もない。
名門貴族の出身でもない。
そんな男が、今日から自分たちの最高師範になるという。
納得できる者のほうが少ないだろう。
シエナが一歩前へ出た。
「全員、静聴!」
凛とした声が訓練場全体に響き渡る。
「本日より、我ら王立騎士団の最高師範として着任される――」
そして、隣に立つバルダスを示した。
「バルダス・グリフ殿だ!」
――沈黙。
数秒後。
騎士たちの間から、ざわめきが広がった。
「……あれが?」
「最高師範?」
「どう見ても普通の中年じゃないか」
「辺境の村出身だと聞いたぞ」
ひそひそと交わされる声。
バルダスは居心地悪そうに頬を掻いた。
「……やっぱり場違いじゃないか?」
「気にしなくて結構です」
シエナは小声で答える。
「すぐに分かりますから」
「何が?」
「先生が、どれほど異常なのかが」
「…………?」
その会話を遮るように、大きな声が響いた。
「――ハッ! 騎士長、いくら何でも冗談が過ぎますぞ!」
騎士たちの列から、一人の男が進み出る。
身長は二メートル近い。
分厚い鎧。
背中には巨大な大剣。
鍛え上げられた肉体は、まさに重騎士そのものだった。
第2部隊長、ガルド・ヴァルケン。
二十八歳。
名門貴族の家に生まれ、幼少期から剣術を叩き込まれてきた生粋のエリート騎士である。
「こんな農夫のような男が、我らの最高師範だと?」
ガルドが鼻で笑う。
「私は納得できませんな!」
訓練場の空気が張り詰める。
だがシエナは表情を変えなかった。
「では、納得するまで確認すればいいでしょう」
「……何?」
「ガルド」
「はっ!」
「バルダス先生と手合わせを」
一瞬の沈黙。
そして――。
「ははっ!」
ガルドが豪快に笑った。
「なるほど! そういうことでしたか!」
大剣を背中から抜き放つ。
ズンッ!
刀身が地面に触れただけで、重い音が響いた。
「いいでしょう!」
ガルドはバルダスを睨みつけた。
「おい、オッサン!」
「……俺か?」
「他に誰がいる!」
バルダスは困ったように笑った。
「まあまあ。手合わせなら構わんが……」
シエナから木剣を渡される。
「怪我のないようにやろう」
「舐めるなよ、オッサンッ!」
ガルドが腰を落とした。
その瞬間。
訓練場の空気が変わった。
「……来るぞ」
誰かが呟く。
ガルドは王立騎士団でも屈指の怪力を誇る男。
その大剣から繰り出される一撃は、盾ごと相手を叩き潰すほどの威力を持っている。
「――うおおおおおっ!」
咆哮。
大地を踏み砕く勢いで、一気に間合いを詰める。
そして――。
「死ねぇぇぇっ!」
大剣が振り下ろされた。
――ズガァァァン!!
地面が震えた。
土煙が舞い上がる。
誰もが息を呑んだ。
「……終わった」
「避けられる速度じゃない」
だが。
「……ん?」
土煙の向こうから、バルダスの声が聞こえた。
「ちょっと力みすぎじゃないか?」
「な――」
ガルドが目を見開く。
そこにバルダスが立っていた。
わずか数センチ。
たったそれだけ身体をずらしただけで、大剣の一撃を完全にかわしている。
「なぜ……」
ガルドが振り返ろうとした瞬間。
トン。
バルダスの木剣の柄が、ガルドの腕に軽く触れた。
「――ッ!?」
次の瞬間。
ガルドの右腕から力が抜けた。
「な、何だ……これは!?」
大剣が手から滑り落ちる。
ガランッ!
重い音を立てて地面に転がった。
「腕が……動かん!?」
「少し痺れただけだ」
バルダスは淡々と言った。
「力を入れすぎている。肩から先に力が逃げているぞ」
「……!」
ガルドが顔を上げる。
その視界に――。
木剣の切っ先が映った。
喉元。
ほんの数センチ手前。
いつの間にそこまで移動したのか。
誰一人、見えていなかった。
バルダス自身でさえ、特別なことをしたという自覚がない。
「…………」
訓練場が静まり返る。
百名を超える騎士たちが、言葉を失っていた。
バルダスはそんな彼らを見渡し、少し困ったように笑った。
「……悪かったな。大丈夫か?」
ガルドは答えられない。
ただ、目の前の男を見つめている。
圧倒的だった。
力ではない。
速さでもない。
技の派手さでもない。
ただ、動きに無駄がない。
必要な場所に。
必要なだけ動く。
それだけ。
それなのに――。
まるで最初から勝敗が決まっていたかのようだった。
バルダスは木剣を下ろした。
「それにしても……」
ガルドの構えを思い返す。
「基礎はしっかりしているな」
「……え?」
「ただ、振りかぶる時に右肩が少し上がる癖がある」
バルダスは自分の肩を指差した。
「そこを直せば、もっと良くなるぞ」
「…………」
ガルドの額から、一筋の汗が流れた。
負けた。
それだけではない。
自分が何年もかけて磨き上げてきた剣を、目の前の男は一瞬で見抜いた。
そして――。
それを欠点ではなく、「直せばもっと良くなる」と言った。
まるで、自分などまだまだ未熟な弟子に過ぎないとでも言うように。
ガルドはゆっくりと膝をついた。
ドサッ。
「……参りました」
その声を聞いた瞬間。
訓練場の騎士たちが、一斉にざわめき始めた。
「ガルド隊長が……」
「一撃も入れられなかったぞ……」
「いや、それ以前に……」
「何なんだ、あの男は……?」
バルダスは騒ぎの意味が分からず、シエナを見る。
「……なあ」
「はい」
「俺、何かまずいことをしたか?」
シエナはしばらく黙っていた。
そして、静かに微笑む。
「いいえ、先生」
「そうか?」
「むしろ――」
シエナは騎士たちを見渡した。
「これでようやく、皆さんも理解したでしょう」
訓練場に立つ百人を超える騎士たち。
その誰もが、今はバルダスを見ている。
先ほどまでの侮りはない。
あるのは――。
戸惑い。
驚愕。
そして、わずかな畏怖。
「この方が、今日から皆さんの師です」
バルダス・グリフ。
王都から遠く離れた最果ての村で二十年間、誰にも知られることなく剣を磨き続けた男。
その男の王都での最初の一日。
それは、王立騎士団にとって――。
長い歴史の中でも、忘れられない一日の始まりとなった。




