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敏腕秘書歴50年のおばあちゃん、弱小国の宰相に転生する 〜孫のような幼王様を泣かせる悪臣は、容赦なく書類の山に沈めます〜  作者: ペクチン21時


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第1話 鉄血の若き宰相、限界を迎える

その男、シルバ・フォン・ローゼンバーグは、他国から『リトアニアの冷血』、あるいは『鉄血の若き宰相』と恐れられていた。

夜の闇を溶かし込んだような漆黒の髪。ガラス細工のように冷徹にきらめく、切れ上がった氷の瞳。寸分の乱れもなく着こなされた黒い官服の襟元は、彼の頑なな心を象徴するようにつまっていた。

若干二十四歳にして、弱小国家リトアニア王国の全権を握る男。それが彼だった。

だが、宮廷の重厚な執務机に向かう彼の視界は、いまや真っ白に染まりつつあった。

(まだだ……まだ、倒れるわけにはいかない。私が倒れれば、あの幼いレオン様が、あの肥え太った豚どもに貪り尽くされてしまう……)

先代王の急逝により、わずか十歳で王位を継いだレオン王。その盾となるべく、シルバは必死に虚勢を張り、冷酷な仮面を被って孤軍奮闘してきた。

しかし、現実は非情だった。どれだけ寝る間を惜しんでペンを握ろうとも、経験不足ゆえに実務は滞り、予算は悪徳貴族たちに毟り取られ、国庫は底をつきかけている。

「無能な若造が、宰相の椅子にいつまでしがみついている」

「鉄血? 恰好ばかりの、ただの意気地なしではないか」

背後から突き刺さる陰口と、終わりの見えない書類の山。

張り詰めていた一本の糸が、プツンと音を立てて切れた。シルバの身体が、ゆっくりと豪華な絨毯の上へ倒れ込んでいく。遠のく意識の中で、彼はただ、守りきれなかった幼き王の泣き顔を思い浮かべていた。

――そして、世界は静寂に包まれた。

「……あら? まあ、ずいぶんと派手な天井だこと」

次にその目が開いたとき、シルバの口から漏れたのは、およそ彼に似つかわしくない、のんびりとした老婆のような呟きだった。

身体を起こそうとして、異変に気づく。

いつも重く鉛のようだった節々が痛まない。腰が驚くほど軽い。そして、視線がやたらと高い。

「おや、おやまあ……?」

戸惑いながら寝室の姿見へと駆け込む。鏡に映っていたのは、周囲を恐怖に陥れてきた冷徹無比な美青年、シルバ宰相の姿だった。

だが、その内側にある魂は、もはや元の主のものではない。

彼女の名は、梅原チヨ。享年七十二歳。

昭和、平成、令和と、日本の政財界のトップを走り続けた伝説の総理秘書・社長秘書であり、つい先日、子や孫、ひ孫にまで看取られながら畳の上で大往生を遂げたはずの、超一級の「実務のプロ(おばあちゃん)」であった。

(なるほどねぇ……。神様の悪戯か、それともこの体の子の未練に呼ばれたのかしら)

数秒の内に、チヨの脳内へシルバの記憶が濁流のように流れ込んできた。

真面目で不器用な青年が、必死に背伸びをして、過労とストレスで孤独死してしまったという悲しい事実。そして、この国が抱える、あまりにも杜撰で、けれどチヨにとっては「見慣れた」利権構造の闇。

チヨ(シルバ)は、鏡の中の冷徹な美貌をふっと和らげ、目元に慈愛のシワが見えるような、おだやかな微笑みを浮かべた。

「可哀想に、よく頑張ったわね。あとはおばあちゃんに任せなさい。……秘書を五十年間もやっていればね、この程度の身内のゴタゴタ、可愛いものよ」

トントン、と長い指先で乱雑なデスクの上の書類を整える。長年の秘書生活で骨の髄まで染み付いた「仕事ルーティン」のスイッチが、カチリと入った。

コンコン、と遠慮がちな、しかし切迫したノックの音が部屋に響いたのは、まさにその直後だった。

「シルバ様! 起きられましたか!? 大変です、財務大臣のボルドー侯爵が、また予算の強制承認を迫って執務室に怒鳴り込んでこられました!」

入ってきたのは、シルバの唯一の部下である若い秘書官の青年、アルだった。

彼は徹夜続きで目の下に最悪のクマを作り、今にも泣き出しそうな顔で震えている。

前世で何人もの頼りない新人秘書をビシビシと、しかし愛情深く育ててきたチヨにとって、その姿はあまりにも放っておけないものだった。

「おはよう、アルさん。そんなに焦らなくても世界は滅びやしませんよ。まずは、お茶の一杯でも飲んで落ち着きなさいな」

「え……? し、シルバ様……?」

いつもなら「うるさい、喚くな! 侯爵をここに通せ!」とキリキリ尖った声で怒鳴っていたはずの主人の、あまりにも『ぽかぽかとした微笑み』と、全てを包み込むような優しい声音。

アルは毒気を抜かれたように、口を半開きにして立ち尽くした。

シルバは、上等な官服の袖をエレガントに、かつ機能的にまくり上げる。

「さあ、可愛い王様をいじめる悪いネズミたちを、お掃除しに行きましょうか。アルさん、ボルドー侯爵の過去三年分の予算請求書と、彼の領地の納税記録を私の執務室に持ってきてちょうだい。……三分、いえ、二分でお願いね?」

「は、はいっ、ただいま!!」

声のトーンはどこまでも優しく、けれど有無を言わせない圧倒的なプロフェッショナルの気配。アルは弾かれたように回廊へと走り出した。

鉄血の仮面の下に、最強の「おばあちゃん精神ホスピタリティ」と「無敵の事務処理能力」を隠し持ち、異世界の歴史を塗り替える天才宰相のルーティンが、今ここに始まった。

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