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第二十三話

「……人が、居ない?」


 そこで初めて、ヴァルキューレはその顔を曇らせる。 それは、カノが予めロッドに指示をしていたことだった。 事が起きてからすぐに、カノが全住民に知らせた『この国は滅びる』というものだ。 故に、唐突な勝負日の変更にも対応ができた。 そして今日この日、全てのヒューマンはロッドの手により一時的ではあるものの、ダリラを去っている。


 しかし、それでできることは国民の命を救うということ。 命を少しでも長く生かすことのみで、そのこと自体は勝敗には関係しない。 だが、カノは初手、一番優先すべきことをそれとした。 そして、次に行ったことは。


「貴様、一体何を……」


「国民を助けたんだよ。 お涙頂戴ってね、あはは」


 カノは笑う。 それを見て、すぐさまラックランスへ連絡をしたのはヴァルキューレだ。 この場合、もっとも優先すべきことを伝えるべく。


「ラックランス! すぐさま種族の指輪を確保してくださいッ!!」


『……もちろんそうしたいけど。 いやぁはは、()()()。 どこにもない、あるべき場所にないんだよ』


 ダリラの王座、そこにあるはずの指輪がない。 ヴァルキューレはここに来て初めて、寒気を感じる。 そして、危機感を覚えた。 何かをされている、何かの罠に嵌められている、これをすぐさま解決しなければ、マズイ。


 そう思い、カノを見た。 次に、リーンを見つめた。 お互いに異変はない。 そもそもこの状態、この状況であったとしても、ヒューマンに逆転の手など……。 ヴァルキューレはその神にも匹敵する思考を全て、現状解決の模索へと傾けた。


「……種族の指輪。 まさか」


「君たちは馬鹿だから。 わざわざ姑息にも指輪を隠すなんてことはしない、そもそも持ち出せるなんて仕様は知らなかったでしょ? 考えなければ、試さなければ分からないこれは。 それに、自分たちの実力にも自信がある。 だから俺たちをここまで踏み入れさせた。 この首元とも言って良いここに。 慢心、傲慢、それらは君たち神人族の決定的な弱点だ」


「そんな馬鹿なことは……!」


 装備をできるということは、知っていた。 だが、普通だったらそんなことはしない。 装備をしてしまえば、例え戦争状態でなくても奪われる可能性があるのだ。 常識で考えて、そんな愚かなことをする種族は存在しない。


 が、居てしまった。 ヴァルキューレの眼前に、そんな愚かなことをする種族が。


 まずは、ラピュエルにて将棋を行うこと。 それが決まれば、あとはカノが考えるは『神人族の種族の指輪を奪う』ことである。 普通にやっては絶対それが敵うことはない、だからこその策略と、仕様だ。


「種族の指輪は持ち運べる。 危険過ぎてそんなことをする奴はいないけどね」


「……この犬が。 ふは! だがな、たかがヒューマン二人で何ができる? この私の目の前で、神人の私の前でそれが叶うと思うなよ? 神人族が一人でもこの場に居る限り、貴様がそこを動けることはないぞ」


 ヴァルキューレ自身、それは思うところであった。 いくら策を講じたところで、一人でも神人族が居る時点で、一歩ですら動けないだろう。 神人族を甘く見ている……ということはない。 ならば、なぜだ。 ヴァルキューレは恐怖を覚える。


 ――――――――何故、この嫌な予感は消えないんだ。


「……」


 そのとき、視界の隅にリーンが映った。 リーンはどうしてか、状況が大きく変わったというのに、未だに祈りを続けている。 一体何を祈っている? このヒューマンは、自分の試合が終わってからというもの、ずっと何を祈り続けている?


「……待て、待て、ヒューマン。 あなたは、一体何をしているのですか」


 それがそもそもおかしい。 リーンは自身の勝負が終わり、座り込んでからというもの、延々と祈りを捧げているのだ。 それが今更ながら、ヴァルキューレには不気味に思えた。


 そう、それは祈りを捧げているわけではない。 神頼み、それはカノがもっとも嫌うことだ。 この世に都合が良い神など居ない。 自分の都合で神に頼るのは、筋違いでしかない。 つまりこの場でリーンがしていることは、決して祈りを捧げているわけではないのだ。


「時間だ。 リーン、お疲れ。 もう()()()良いよ」


「……っはぁ! はぁ……はぁ……さすがに、ちょっと、動けないです……」


 眼を開き、リーンはその場に倒れ込む。 極度の集中状態の維持は、並大抵のものではない。 消耗した体力は、尋常ではないだろう。 こと()()()長けているわけではないヒューマンが行うとすれば、尚更だ。


「お前ら神人族は、あらゆる毒に耐性がある。 けど、この前そこのエロ下着ちゃんが教えてくれたんだよね。 摂取した毒は、喉元を通るときに分解されるって」


「……あり得ない、そんなことは」


 カノの言葉に、ヴァルキューレは言う。 だが、このとき既にヴァルキューレの体内では変化が起きていた。 カノに差し出されたクッキー、そこに含まれている大量の笑い薬の効果だ。


「俺の仲間を無能だと言ったな、ヴァルキューレ。 確かに、リラは馬鹿だよ」


「ひ、ひどい……です。 あとで……なぐりま、す」


 こんなときでもツッコミをかかさない精神は尊敬に値するかもしれない。 だが、カノはそんなツッコミを無視し、続ける。


「但しそれは、馬鹿であって無能ではない。 違いが分かるか、ヴァルキューレ。 どんな馬鹿でも、ひとつのことに全てをかければ天才に匹敵することができるんだよ。 リラは何もかもを捨て、それだけに集中した。 クッキーの毒を隠すことにね。 俺の仲間を無能だなんて言葉で斬り捨てるなよ、たかが神人族如きが」


 笑い、カノは続ける。


「含まれているのは笑い薬、たった一枚で動けなくなる()()だ。 それを全部食べてくれたのは良かったよ、まぁ一枚でも充分だったけど」


「……馬鹿を言いますね。 たとえそれを食べたところで、わたくしに毒など」


「だから言ったろ? 隠したって。 隠すためには、喉元を通り抜けるときに分解されなければ良い。 リラの魔法、極小の泡で覆って隠した。 その粒子のひとつひとつをね」


 そして、今に至るまで維持を続けた。 包まれた粒子は問題なく喉元を通過し、体内に取り込まれる。 成分の解析、分解はあくまでも物理現象に過ぎず、魔法現象ではない。 つまり、それは通過する。 直接毒が体内に出現したような状態だ。 それは最早、神人族ですら対処はできない。


「ふ、ふふ……な、なんですか、ふふ! あっはっは! こ、こんな……ふっふっふっふ!!」


「動くな、犬。 貴様、最早生かしておかんぞ」


 光剣をカノへと向けるは、ヴァルヴァード。 彼女はこの状況でも、問題があるとは思っていない。 それほど、自身の腕には自信があり、ヴァルキューレも同様の考えであった。 が、カノはそこを利用する。 ヴァルヴァードの、ヴァルキューレに対する忠誠心をだ。


「君が動くな、ヴァルヴァード。 リラが解除したのはあくまでも笑い薬のものだけ。 本当に死に至る毒は、まだ彼女の体の中で、泡に包まれているんだぜ。 保険をかけるのは俺たちの中じゃ常識なんだよ」


「なっ……貴様……!」


 つまり、ヴァルヴァードが動けばヴァルキューレは死に至る。 最早、この状況では見守るか、はたまたヴァルキューレを見捨てるかの二択。 ヴァルヴァードにとって、そのどちらも選び難いものでしかない。 前者を取れば、神人族がヒューマンに敗北する。 後者を取れば、敗北はないもののヴァルキューレが死に至る。 ヴァルヴァードは忠義に固い戦乙女だ。 たとえカノの言葉がただのハッタリだとしても、万が一ということを考えてしまう。 たったひと言そう言われただけで、ヴァルヴァードが行動出来なくなるということは、ヴァルキューレにとっては計算外であった。


 そのことから得る答えは、およそ数百年の間、共に行動をしてきたヴァルキューレとヴァルヴァードよりも、数日間言葉を交わしたカノの方が、ヴァルヴァードのことを理解していた、ということである。


「……ふ、ふふふ……よくも、よくもやってくれましたね、ヒューマン! ふ、ふっふっふ! こ、このわたくしが、ふ、読み違えるとは……ふふ」


 ヴァルキューレの毒は、尚も彼女の体を蝕む。 が、それでもそれは弱体化しつつあった。 驚くべき速度で毒に耐性を持ち、その毒を分解する。 神人族の能力に際限は存在しない。


「当たり前さ。 お前は将棋に全力で挑んで、俺は手を抜いてたんだから。 だから他のこと、今この状況を想定できなかった。 いくら全知全能って言っても、使い分けなきゃ意味がない。 お前が将棋(それ)に百を使ってる中、俺は五十くらいしか使ってないんだよ」


 だからこそ、カノは知力が自身を上回るヴァルキューレを欺くことに成功した。 目前の勝利、そして目の前の勝負に全てをかけたヴァルキューレと違い、カノは半分ほどの頭しか使っていない。


「俺は言ったでしょ? 負ける勝負ほどつまらないものはないって。 最初から、勝つつもりなんてこれっぽっちもなかったんだよ。 それにもっと前に忠告はしたじゃないか、足元には気を付けろって」


「なる、ほど。 それで、可能性が高い、こちらの策を取ったのです、ね」


 ヴァルキューレからは既に、笑い薬の効果が消えている。 だが、過度な笑いによって起こされるのは副次効果でもある過呼吸だ。 息ができず、酸素を取り入れられず、思考が鈍る。 対処できない現象に、ヴァルキューレはその場から動けない。 その状態であっても言葉を発さられるのは、神人族の強靭な能力あってこそだ。


「可能性? おいおい馬鹿だなぁ、君は。 俺は可能性なんて頼りにならないものは生憎信じてないんだよ。 だから確定しているこっちを選んだんだ。 まともに将棋をしても、勝てる可能性は七割くらいだったからね」


 可能性が九十九パーセントだったとしても、カノはそれが百にならない限り選ばない。 故に、カノの予想は絶対となり、一度立てた計画が全て崩れ去ることはない。


「ヒューマンが……! そこの、女が、失敗をしたら、どうするつもりだった、んですか。 もしもわたくしが、神人を多少でも、残していたら、どうしたのです、か」


 怒りを出しながらも、ヴァルキューレは自身の鈍った思考では考えることができない。 しかし、この状況が全て想定されていたということは、納得できなかった。 それはカノが嫌う可能性の要素に満ちているものではないのか。 そう思い、ヴァルキューレは言う。


「順番に答えようか。 まず、失敗するってことはない。 絶対にないよ、それは。 俺がこの眼で見て、絶対にできると確信したからこそ、リラに任せたんだ。 ここでしくじるような奴は、俺は仲間と認めないし連れて来ないからね。 だからリラは、俺の仲間だ。 後者も簡単だよ、さっきヴァルヴァードが言ったじゃん? 神人が一人でも居ればって。 それが君たちの考え方だよ、ヒューマン相手になんて一人で十分ってね」


 カノは、その表面上とは違い、内心では仲間を頼りにする性分だ。 それはこの世界に来てから真っ先にリーンを引き入れたことが表している。 そして、カノは存外仲間想いな人物であった。 これは恐らく、実際に言われてもリーンは納得しないであろうが。


「……まぁそんなことより、リラは俺の大切な仲間なんだ。 そんな俺の仲間を君は蹴り飛ばした。 本来なら俺は許さないんだけど……あそうだ、折角だしもう少し遊ぼう。 クイズとかバラエティは、いつだって大逆転のポイント制だしね。 これは喜劇だよ、君たちにとっても、俺たちにとってもだ。 誰かが嘆き悲しむ悲劇が俺は嫌いなんだ」


 手をパンと叩き、カノは笑みを浮かべて言う。 そして、ヴァルキューレに向け、とある物を差し出した。


「これが俺たちヒューマンの種族の指輪だ。 まさか俺が持ってるとは思わなかったでしょ? で、これを賭けてゲームをしよう」


「な……正気、ですか。 そんなことは」


「だからこれは喜劇だよ。 でもその前に、俺は条件を提示しよう。 いつだって君たちがやって来たようにね。 何かを得るときは同時に何かを失っているんだ」


 ヴァルキューレはこのとき、カノに対し恐怖しか感じなかった。 ただのヒューマンが、ただの英雄が、神人族を支配しようとし、そのあり得ないことが目の前まで迫っているというのに、それを捨てるような真似をするなんてことが、信じられない。 あまりにも、その提案は狂っている。 カノという男は、頭のネジが吹っ飛んでいるどころか、元々存在していないのではないか、ということを思う。 同時に、これすらも何かの罠ではないかと思考する。


 が、それよりもヴァルキューレは自らが率いる種族の危機というものに直面し、動揺していた。 経験したことがないその異常事態が、ヴァルキューレの思考を鈍らせる。


「賭け試合を行うための条件。 君が自ら命を絶つか、そこに居るヴァルヴァードが俺のつま先に口付けをするか。 そのどっちかを飲むか、君が決めるんだ。 もちろんどっちでも良い、そうすればこの指輪を賭けてゲームをしよう。 飲まないなら俺には確実に勝つ手がまだあるから、それはそれで構わないよ」


「きさ、ま……!!」


 怒りに満ちた眼をし、ヴァルキューレはカノを睨みつける。 が、カノは変わらず笑うだけだ。


 ……選ぶしかない。 ヴァルキューレは一度、ヴァルヴァードへ視線を向けた。 彼女はただ、その結果を待つしかない。 顔には絶望が浮かんでおり、同時にヴァルキューレは知っている。 彼女が神人族の中でも飛び抜けて誇り高いことを。 そんな彼女に、ヒューマンの足を舐めさせるなどということは。


「ヴァルヴァード、彼の、足に、口付けを」


「ッ……」


 ヴァルキューレに迷いはなかった。 自らの命とヴァルヴァードの誇りなど、天秤にかけることすら間違っている。 そもそも、命と誇りなど、比べるまでもなく答えは分かり切っていることだ。


 言われたヴァルヴァードは、一瞬思い悩む。 この私が、ヒューマンの足を舐めるなどということは、と。 だが、だがそれでも、忠誠を誓うヴァルキューレの言葉とあれば従う他ない。 何より、ヴァルキューレの命がかかっていて、神人族全ての命運がかかっているとなれば尚更だ。


 しかし、ほんの一瞬、コンマ数秒、ヴァルヴァードは自身でも気づかないほどの刹那、とある考えが脳裏を過ぎった。


 もしも状況が逆だった場合、カノは果たしてなんと答えたのだろうか、と。 今あそこに居るのがヴァルキューレではなく、カノだとしたら。


 だが、そんな思考はすぐに消え去る。 ヴァルヴァードは無言で、カノの元へと歩き、その目の前で跪いた。


「……」


 ヴァルヴァードは、考えた。 自分は何をしているのだろうか、と。 今まで散々蔑み、動物と見て、犬と見て、見下してきたヒューマンの足に口付けをするということを考えた。 彼女の尊厳、プライド、誇り、それらを捨てる行為をしなければならないという現実を見た。 そして、彼女は――――――――涙を流した。


 恐らく、ヴァルヴァードは自身が泣いているという事実に気付いていない。 ただ、溢れ出るそれを止めることはできず、止めようとも思わない。 ただただ悔しく、そしてただただ()()()()()


 ……後悔。 一体、何に? 答えにすぐさま辿り着く。 それはカノに喧嘩を売ってしまったことではない。 ヒューマンと戦ったことではない。 今まで自分がしてきたことに対し、後悔したのだ。 これほどまでに辛く、これほどまでに悔しいことなのか、と、ヴァルヴァードは自身の行いを悔いた。


 目の前にして、いざ自分が見下される側に回って、初めてその行為を理解した。 神人族の若き戦乙女は、涙を流す。


「おいおい、そんな顔をするなって。 てか、マジでつま先にキスとかドン引きだからしなくていいよ。 俺は君みたいにドSじゃないし。 ただ、反応を見たかっただけだしね」


 カノはしゃがみ込み、今まさに口付けをしようとしていたヴァルヴァードの顔を見る。 そう言われたヴァルヴァードは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、すぐさまその顔も威厳を取り戻した。 そして、一歩にしてカノとの距離を取る。


「怒るなよ、神人族さん。 さて、それじゃあお遊びをしよう。 そーれッ!!」


 カノは言うと、手で弄んでいた種族の指輪を――――――――放った。


 それはくるくると飛んでいき、あまりの出来事にヴァルヴァード、ヴァルキューレは反応出来ずに事の成り行きを見守るしかない。


「俺が君たちの指輪を取るのが先か、君たちのどっちかが取るのが先か……ああまぁヴァルキューレは動けないから、ヴァルヴァードだね。 俺と君との勝負だ。 よーいどんでスタートね」


 指輪は噴水がある池へと落下する。 その池は深く、指輪を見つけるためにはそれなりの時間が必要となる。


「それじゃあ行くよ、よーいどん。 ちなみにヴァルキューレに毒が更にあるってのは嘘だ」


「なっ!? ヴぁ、ヴァルキューレ様!?」


「わたくしは、いい、です。 はや、く、指輪を、とりなさ、い!」


「はっ!!」


 もっとも、この時点で真っ先に優先すべきことはカノの殺害であり、その判断ができなかったのは想像を絶するほどに混沌としたこの状況だろう。 もしかしたら、まさか、万が一にでも。 そういった考えが、再優先すべきことを除外してしまい、カノの提案を飲み込むしかなくなる。 カノがこれまでに仕掛けてきた布石は、ここに来て一様にその牙を剥いていた。


 ヴァルヴァードはすぐさま反応し、池へと飛び込む。 本来、水の中に飛び込むなんてことは絶対にしない彼女は、忠誠を誓う者のためだけに、何もかもかなぐり捨てた。 自身の存在意義は、ヴァルキューレからの信頼があってこそ。 つまり、それに答えなければいけない。 今この瞬間、ヴァルキューレから全てを託されている……ならば一人の戦乙女として、応えなければいけない。 二人の関係は、ヴァルヴァードが戦乙女となった瞬間から今日に至るまで、一度たりともブレたことなどない。


 それほどまでにヴァルヴァードは忠誠を誓っており、またヴァルキューレもヴァルヴァードを信頼していると仕切りに口に出していた。 それ故、ヴァルヴァードにとって何より大切なのは信頼関係だった。


「……ッ!」


 ヴァルヴァードは全神経を集中させ、指輪を見つける。 それを水中で掴み、急いで水上へと向かった。 外の音も光景も見えないここは、恐怖でしかない。 一体何が起きているのか、果たして間に合うのか、戦乙女としての責務を果たせるのか、それだけが思考を埋めていく。


「ぷはッ! ヴァルキューレ様!!」


「間に合い、ますっ! ゆびわをつけな、さいッ!!」


 ヴァルヴァードが地上へ上がると、その視界に入ったのは指輪を取り出すカノの姿だ。 勝った、勝った勝った勝った!! ヴァルヴァードは笑い、その指輪をはめる。


 ……が、本来であれば直後に流れるメッセージがない。 仕様と理解しているヴァルヴァードとヴァルキューレにとって、あまりにそれは不自然、かつ起こりえないことであった。


「まさ、か。 ヴぁるヴぁ、ド!! それは……!」


 思考が戻ってきたのか、ヴァルキューレは瞬時に見破り、カノに視線を向けた。 そしてヴァルヴァードもまた、答えに辿り着く。 今自分が付けた指輪が、紛い物ということに。 カノがロッドに作らせた、紛い物の指輪だ。


「お任せくださいッ!!」


 カノは今、指輪を取り出した。 ヴァルヴァードは計算する。 自身の速度と、カノの動き、そしてその間の距離を。 通常であれば間に合わない、だが……このときのヴァルヴァードは、いつになく戦闘状態に近いものであった。 先ほどカノをいたぶったことにより体は暖まっており、度重なる屈辱によって精神状態は酷く好戦的であり、更に絶体絶命の危機を迎えることによる、リミッターが外れている状態だ。 間違いなく間に合うという確信が、ヴァルヴァードにはあった。


 光剣を構え、地に足を付け、蹴り飛ばそうとしたその瞬間、ヴァルキューレの声が耳に届く。


 ――――――――それは鼓舞ではない。


 ――――――――それは信頼ではない。


 ――――――――それはヴァルヴァードにとって、裏切りの言葉であった。


「全神人族に、命じます。 今、すぐ、その場で自害、しなさい」


「なっ――――――――」


 自分の言葉が聞こえていなかったのか? しかし、そんなはずはない。 ヴァルキューレのか細い声は、自分の元へとしっかり届いたのだから、自身の声が届いていなかったなど、そんなわけはない。 ならば、どうして。


 そう考える前に、ヴァルヴァードは光剣を逆に構える。 切っ先は自身へ向いており、それは強制的なものだ。 今の自分に抗うことはできない。 必死にそれに抗いながら、ヴァルヴァードは顔をヴァルキューレへと向ける。


「どうしてですか! ヴァルキューレ様ッ!! 私なら間に合いますッ!!」


「……あなたは」


 ヴァルキューレと眼が合った。 その眼には、諦めの色があった。 そして同時に、その眼は、自分へと向けてくるその眼には、侮蔑の色がハッキリと、見えてしまった。


「最初から最後ま、で。 つかえ、なかった」


「ッ!!」


 最初から。 その言葉が、全てを物語っている。 ヴァルヴァードは初めて、その全てを知った。 自身が今まで、全てを捧げ、忠誠を近い、どのような命令でも従ってきた相手は、何一つ自身のことを信頼していなかったと。 だからラックランスはあの時に現れたのだ、そして伝えたのだ、首を刎ねろと。 それはきっと嘘ではなかったと、ヴァルヴァードは知った。


「さて、君はどんな最期を迎えるのかな」


 カノはその光景を眺めている。 最早、種族の指輪をはめずとも、神人族は終わりだと感じ、予定はピタリと合わさった。 が、しかし、ここから先は予想を立てていたわけではない。 立てなかったのではなく、立てられなかった。 どうなるか、どう転ぶか、それはカノに関与できる問題ではない。 ヴァルヴァードはそれでも忠誠を誓うのか、それとも呪詛を口にするのか。 いずれにせよ死ぬとして、どんな結末を迎えるのか。 カノは勝負を挑み、受けた相手として、その最期を見る義務がある。


「……一度も、ですか。 ヴァルキューレ様、私は一度も、あなたの期待に答えられなかったのですか」


「ッはぁ!! はぁ……はぁ――し――――――い」


 ヴァルキューレは、自身の命令により、自身の命を絶つ。 自ら出した剣は腹部へと刺さり、着実にヴァルキューレの膨大なHPを削っていく。


 ヴァルヴァードも同様に、その切っ先は刻一刻と首元へと近づいていた。 手は震え、抗う意思は全て拒絶される。 だが、ヴァルヴァードはヴァルキューレの言葉を見た。 最早、声にならない声であったが、口元の動きで見た。 死になさいという、言葉を。


「……ッ私はッ!! 私は、ただの一度も、ただの一瞬も、あなたへの忠誠を欠いたことはないッ!! 私は私の誇りとプライド、一人の戦乙女としての忠誠心を全てッ! 全てあなたに捧げたッ!! だが、だが……」


 ヴァルヴァードは顔をヴァルキューレへと向け、言う。 その剣の動きは、段々と衰えていく。


「だが、私は――――――――私を信頼できる者に忠誠を誓うことはないッ!!」


 そのとき、カノはその光景を見て驚いた。 そして、この世界の仕様は変化するということを知った。


 ヴァルヴァードの剣は、完全に停止したのだ。 本来であれば、システムによって種族長の意思、命令に逆らうことは絶対に出来ない。 だが、ヴァルヴァードの強固、かつ絶大な意思がそれを捻じ曲げた。 新たなる仕様をたった一人の創られたキャラクターが築き上げたのだ。


 カノは経験する。 自身の予想外の出来事を。 それはカノにとって、生まれて初めてのことだった。 自分が予想していた「神人族の絶滅、またはただ一人の生存」とは違う結末、違うシナリオを辿った。 それがどれほど彼を感動させたか、どれほど彼を驚愕させたか、今まで一度たりとも外れたことのない、未来予知にも近いそれは、一人の少女の強固な意思によって阻まれたのだ。


「ばか、な」


「私は、貴様に誓う忠誠などない。 例えそれが神に近い存在だとしても、私は神人族以前に、一人の騎士だ。 ましてや敗北故の自害など、そんなことは誇りあるとは言えない」


 剣の先をヴァルキューレへと向け、ヴァルヴァードは言い放つ。 最後の最後、ヴァルキューレがその命が尽きる前、最後に見た光景は。


 誇り高き一人の少女が、気高き一人の騎士となる光景であった。

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