第二十一話
将棋には、必勝法が存在する。
しかしそれは、未だかつて成し遂げた者は居ない。 最新のスーパーコンピューターですら、その膨大な数のパターンを読み切れないのだ。 分かりやすく数字で例えると、スーパーコンピューターを持ってして、読み取れる手数は一秒間に二十兆にも迫る。 が、例えそれを使ったとしても、完全に駒全てのパターンを読み切るのは不可能だ。
仮に、その全てのパターンを読み取るとしよう。 それは恐らく、先に宇宙が消えてなくなるほどの膨大な年月を必要とする。 それほどまでに、将棋という9掛ける9の盤を使ったゲームは奥が深い。 多種多様な駒、そして落とした駒の再利用、成るか成らざるか、それらの組み合わせ、そして戦略によって膨大な手は到底、人が把握できるレベルを超えていると言える。
だが、もしも。 その手を全て読み切り、パターンを全て掌握し、人類が存在する間は到底不可能と言われたその計算を全て行い、一手一手全てにおいて最善手を指せる者が居るとしたら。
「王手」
その者に、敗北という二文字はない。
既に、カノとヴァルキューレが差し始めてから一時間が経過していた。 お互いに一歩も引かず、一進一退の攻防は繰り広げられている。 少なくともヴァルヴァードから見て、実力は均衡しているように見えていた。
が、現実は違う。 圧倒的に押されていたのはカノの方だ。 カノは全ての手を読み切れるわけではない、そしてヴァルキューレは常に最善手を差すわけでもない。 だがそんな状態だとしても、カノが作戦を練り、それを狙って差したものは全てがことごとく潰されていく。 知力の差は、如実に表れていたと言っても良い。
「妙手を差したと思えば、その後は随分大人しいですね」
「そりゃお互い一緒じゃない? 戦況はそうすぐには変わらないさ。 そんなのは将棋も同じことだよ」
堅牢な守りを既に固め終わったヴァルキューレと、攻めあぐねているカノだ。 そんな成り行きを知ってか知らずか、リーンは未だに祈り続けている。 神頼み、というのはカノからしてみれば笑えるほどに無謀なことに他ならないが。
「残念ですが、そうとは言い切れません。 わたくしもそろそろ飽きて来ましたので、決着を付けさせて頂きましょうか」
ヴァルキューレはそう言い放つ。 そして、一手を差した。
カノはその一手を見て、先を読む。 一手先、二手先、三手先……その先読みが十五手ほどまで差し掛かったとき、気付いた。
この形、この一手は……文字通り殺しにかかる一手だと。 手に持つ駒、飛車角の位置、歩の配置、金銀桂馬香車……その全てが、これでもかというほどに一致する。
「……」
そこで初めて、カノは思考する。 手を止めての長考はこれが初だった。 そしてパターンを読み解き始めるものの、そのどれもがことごとく最悪の結果に繋がるものだ。
「……良い趣味とは言えないね」
「ふふ、何のことでしょう?」
カノは気付く。 これは全て、自分をいたぶるためのものだったと。 ヴァルキューレはいつでもカノにトドメを刺すことができたのだ。 それなのに余裕を見せ、勝てるかもと思わせ、勝負を敢えて長引かせ、楽しんだ。 最終的にはそれを飽きたと切り捨て、殺しにかかってきたのだ。
「ヴァルキューレ、俺から提案が――――――――」
「却下します。 ふふ、さぁ、次の手をどうぞ」
カノの言葉を遮り、ヴァルキューレは告げる。 その顔は、心底楽しそうなものだった。 久方ぶりに相見えた強者、それを力で押し潰すのはこの神人族、ヴァルキューレにとってとても快感である。 そして何より好きなのは、勝利できると思っていた表情が絶望に変わるその瞬間だ。 それまでに相手が感じていた幸福の全てが、自分へと流れてくる瞬間だ。 それを蜜とするほどに、ヴァルキューレは歪んでいる。
「これだから獣は」
カノは言い、渋々次の手を差した。 周囲からカノに向け殺気が飛んでくるものの、実際に動く者は居ない。 何より、ヴァルキューレから発せられた命令と、ヴァルヴァードが事前に「私の所有物だ」と宣言していたことが大きかった。 彼女よりも実力が下で彼女に逆らう者など、ラックランスくらいであろう。
「勝てないと見ると罵倒ですか。 そちらの方こそ、余程に獣じみておりますよ、ヒューマン」
「そりゃどーも、嫌になっちゃうね。 勝てない勝負ほどつまらないものはないよ」
カノは半ば諦めたかのように、駒を差す。 ヴァルキューレはそれに対し、一手も間違うことなく、正確に差す。 詰めは、徐々に進んでいく。
「そんなことは仰らないでください。 ほら、お仲間さんも祈っておりますよ。 自分が負けた責任をあなたに押し付け、無責任にも。 そんなお仲間さん……ふふ、無能な無能なお仲間さんのためにも、最後まで頑張るべきかと、わたくしは思います」
蔑むように、ヴァルキューレはリーンに視線を向ける。 その眼が、その眼こそがヴァルキューレの本質だ。 基準として、自分が上に立つ者という認識。 それは、同種である神人族に対しても変わらない。 絶対的な位置に居るのが自分自身であり、その他は下位の存在という認識だ。
「……いいや、俺の仲間は良くやったさ。 それに、あんたが思ってるほどリラは無能じゃあないね」
「ふふ、ふふふ。 恐らく、わたくしとの勝負よりもヴァルヴァードとの勝負の方が勝率は高かった。 あなたが全力を出すべきは、あそこの非力で無力な方のお手伝いをすることでしたね。 そうしていれば、勝つ可能性はあったというのに」
「おいおいヴァルキューレさん、本性が出始めてるよ。 清廉潔白な役を演じるなら、最後まで貫き通さないと」
カノの言葉に、ヴァルキューレは一際笑う。 そのやり取りを楽しみ、そして絶望の淵へ叩き落とす瞬間を噛み締め、笑う。 そして、こう思った。 この男の目の前であの女を殺すのも、一興かもしれないと。 むしろ、この男に殺させてみようかと。 そのときはまた、絶望が楽しめる。 二度楽しめる。 そう思い、ヴァルキューレは最後の一手を差した。
「これから死に行く種族には、何を言っても無駄なようですね。 精々、最後の時までその皮を脱がないでくださいね? 王手」
決着の一手は、放たれた。 カノは思考する、生き延びるルートと道を切り開けるルートを。 無数にあるルートの中で、大逆転を可能とする一手を。
……だが、それは存在しない。 最早形は整い、ヴァルキューレの陣は整った。 カノがたった今している計算は、ヴァルキューレが最初の一手を差したときに既にしたものなのだから。
「……」
「結果を言いましょう。 この時点を持って、あなたの負けは確定です。 あなたの鳥のような頭脳では、導き出すのはもう少し時間がかかりそうですが」
ヴァルキューレの思考回路は既に、人智を超越したものとなっている。 世界に現存するほぼ全ての計算を瞬時に弾き出し、導き出せるほどに。 その神に匹敵する思考を全て、この盤上のゲームに持って来た。 それが出す結果は、全パターンの解析だ。
つまるところ、この勝負は始まった時点で、カノの負けは必須だったのだ。 神人族、ヴァルキューレの目的はこの勝負を始めることにあり、勝つことにはない。 始まりさえすれば、約束された勝利は手の中に存在するのだから。 始まった時点で、カノが敗北するという未来は確定したのだ。
「みたいだね。 こりゃ、さすがにナメすぎてたかも」
カノはそれでも、尚笑う。 負けるとどうなるか、それを理解できていないようにも見えるが、現実逃避をしているようにも見えた。
「降参、俺の負けだ」
カノは最後のパターンを確認したあと、そう告げる。 直後、ヴァルキューレは声を放った。
「全神人族に告ぐ、各々好きなようにダリラを制圧、好きなように殺し、いたぶって構いません。 ヒューマン族をこの世界から消し去りましょう」
その言葉を聞いた神人族は皆、神声を発し、飛び立つ。 逃れることができない運命は、刻一刻と迫っていた。
「ヴァルヴァードは残りなさい。 あなたには今回のことで良く働いて貰いましたし、いち早く楽しみたいでしょう?」
「はっ! 御心遣い感謝致します」
全ては終わり、全ては始まる。 そしてこの一連の勝負を見た他種族は、予想通りの結果に溜息を吐くものも居た。 なんの変哲もなく、やはりヒューマンの力では一杯食わせることすらできないと。 世界は明日にも、長く続いていたヒューマンという種族が消え去り、元通りになる。 神人族が今回の戦いで得られたメリットなどはなく、ただの暇潰しに過ぎないそれで、ヒューマンは絶滅の道を辿ることとなる。
「さて。 約束通り、受諾をして頂きましょう。 もちろん、拒否をして頂いても結構ですよ? どのみち、ヒューマンが時間と共に滅ぶのは必然です。 受諾をすれば、あなたはヴァルヴァードが可愛がってくれますし、そこの女も殺すまではしません。 拒否をすれば、あなた方は地獄の苦しみを味わいますが、ヒューマンはある程度の間、存在することができる。 ご自由にお選びください、ヒューマンの国王様」
笑いを堪え切れず、未だに将棋の盤を見つめるカノに向け、見下ろしながらヴァルキューレは言う。 その言葉が嘘にまみれていることは明らかだ。 だが、選ばなければいけないということだけは、事実だ。
自分たちを守るか、国民を守るか。 カノが選ぶ選択は――――――――。
「オーケー、誰でも自分の命は大事だよ」
目の前に表示されるは、システムメッセージ。 そのメッセージの受諾をカノは迷うことなく、選択した。




