第二十話
「先攻、後攻、お好きな方をどうぞ」
「そういう配慮は要らないよ。 平等にこれで決めよう、当てた方が先攻で数字が表」
既に盤は出来ている。 カノは胡座を掻き、向かいに座るヴァルキューレは正座だ。 その左側には先ほど戦ったリーンとヴァルヴァードがいる。 リーンは祈るように両手を組み、ヴァルヴァードは真剣な面持ちで二人を眺めている。 そんな中、カノは言いながらポケットからコインを取り出した。 この世界で流通している通貨、ルピルである。 外見はカノが元々居た世界の硬化とほぼ同じ大きさ、形状のもの。 それを一枚取り出し、無造作に宙へと放る。
「では、表で」
「俺は裏ね」
コインは落下し、数回跳ね、止まった。
「……表ですね。 では、わたくしから」
微笑み、ヴァルキューレは飛車を左翼へと動かす。 振り飛車、メジャーな戦法、かつ守りを固めやすい戦法だ。 ヴァルキューレは実のところ、将棋での勝負が決まったその日、将棋の知識は皆無であった。 だが、それでも何も問題はない。 ヴァルキューレの知力は、今尚上昇し続けている。 それは既に、カノにも匹敵するほどのものだ。
「ああそうだ、忘れてた」
「はい? どうかしましたか?」
カノは自分の手番だというのに、まるで将棋盤には興味がないように、腰につけていた巾着を外す。 そして、それを盤の横へと置いた。
「折角のお遊びだっていうのに、ただただ指し続けるだけじゃつまらないからね。 俺たちの国のお菓子を持って来たんだよ」
「貴様……!」
その言葉、その表情は悪意に満ちている。 それを悟ることができないヴァルキューレではない。 そして、たった今声を発したヴァルヴァードのように、この場にそれが『なんらかの毒』であることを理解できない者は居なかった。
「構いません。 無駄だと知りながらの努力は、少し愚かだとは思いますけどね」
ヴァルヴァードを手で制し、ヴァルキューレはカノが差し出したクッキーを一枚、頬張った。
「あなたもどうぞ、まさか自身の国のお菓子が食べられないとは仰りませんよね?」
笑みを崩さずに、ヴァルキューレは言う。 当然、ヴァルキューレが食べたクッキーの効果は出ない。 何事もなく、ヴァルキューレは異変を何一つ出しはしない。
「いいや、俺は良いや。 ヒューマン向けじゃあないしね、あはは」
ヴァルキューレ、及び神人族はその言葉が「お前らにこそお似合いだ」と言わんばかりのものだったと、全員が感じた。 怒りを表す者も居れば、やはり殺そうと言い出す者も居る。 が、それでもヴァルキューレは目前の勝負を望み、周りを制止する。
「その図々しさには恐れいりますね。 ですが、あまりにもやり放題となっては、さすがのわたくしでも止めることはできません。 何事も程々にが大事ですよ、ヒューマンの方」
「分かった分かった、ふざけるのもこの辺にしておくよ」
「助かります。 この毒は、わたくしが頂いてしまいましょう」
ヴァルキューレの言葉は、穏やかではあったものの刺々しいものであった。 次はない、そういう類の警告にもカノには聞こえる。 そして、現時点で見る限り、カノの策は無駄だったとしか言えない。 神人族には一切の毒が通じない、それは神人族が知り得ない『笑い薬』であっても同様だ。
それを見ていたヴァルヴァードは、大方試合続行不可能を狙ってのものだとの結論を出す。 明らかに故意な狙いではあるが、神人族にはそれが毒かどうかを即座に調べる手段はない。 そもそも無効化される時点で、効果が出ないこともあり、判断はできない。 故に、これが仮に効果が出たとしても、神人族は『ヴァルキューレが試合を投げた』として捉えるしかなくなる。 それを狙っての行動だと理解はするが、その感情までは理解できない。
効かないと分かりつつ、どうして無駄な抵抗をするのか。 駄目元ではあるだろうが、ヴァルヴァードはその真意を読み取れずにいた。
「ありがとう。 じゃあ、再開しようか。 時にヴァルキューレさん、戦をする上でもっとも初歩の初歩、最初にすることはなんだと思う?」
「戦という戦をしたことがないヒューマンがそれを口にしますか。 ですが、そうですね……まずは目的の決定、意思共有、兵士の扇動、などでしょうか」
「その通り。 まずは内部の組み立てからだ。 だから俺は、この一手を差す。 王が動かずして、兵士のまとまりはあり得ない」
「……ふふふ、正気ですか」
カノの手は、5八王……王の前進だ。 戦法、戦術、それが何一つない一手であり、形ある手を取るヴァルキューレとは正反対に、カノの一手には全く形というものが存在しない。
「ですが、強者に勝つための奇策はいつの世も讃えられるものです。 無論、それは成功したが故の言葉……成果が出せない奇策は、ただの愚策に過ぎませんよ」
ヴァルキューレは笑う。 微笑むようにではなく、それは思わず零れた笑みだ。 ヴァルキューレはこの瞬間、少なくとも僅かな幸福を感じていた。 自分が負けるという道筋は皆無であったものの、この奇抜な手を使ってきたヒューマンに多少なりとも感動を覚えたのだ。 そして、僅かな希望の光を目指し、もがき苦しみ進み抜こうとするその精神を――――――――圧倒的な力で潰したくもなった。
「知っていますか、ヒューマン。 宣戦布告というシステムの穴を」
「どうしたの? 急に」
ヴァルキューレは盤を見つめ、手を止める。 しかしこのとき、カノは寒気を覚えた。 目の前の神人族が発した言葉に、それを感じた。
――――――――システム。
その、通常だったら出てこない単語に対して。 この世界をゲームだと認識していなければ、出てこない単語に対して。
「わたくしたち神人族が、その領域に到達していないと思いましたか? あなたのような、たかが英雄が知り得る情報を……わたくしたち神人族が知らぬと、本気で思っておりましたか?」
「……へぇ、凄いね。 これは、驚いたよ」
カノはそれを全く予想していなかった。 内部に居るものが、外部の存在に気付く。 通常では絶対にあり得ない、知り得ないことだ。 それを神人族は理解している。 つまりそれは、カノが持つメリットを削られるということに他ならない。 神人族の立場は、一歩上に居たカノと同位置に存在すると言っても過言ではない。
「受諾をしないまま一週間が経過した場合、優先権が発生する。 布告を受諾し、二時間が経過した場合は宣戦布告側の敗北となる……前者は今日、潰えました。 そしてあなたの狙いである後者はたった今、潰えた」
「そりゃあどうかな。 もう勝負は始まってるんだぜ、ヴァルキューレさん」
そう、始まってしまえば問題はない。 一度始まった勝負のキャンセルは、棄権以外あり得ない。 それはカノが綿密に調べてきた彼女らの性格からしてだ。 更に、現在の状況が他種族に見られているということから、神人族は確実に勝負を投げないという確信がカノにはあった。 そして、神人族の飛行速度、及びラピュエルとダリラの距離、それを計算すると……二時間で辿り着くことは不可能なのだ。
つまり、ここで万が一カノが敗北した場合、宣戦布告をまずは受諾することになる。 そして、今この場には全ての神人族が集まっており、それが決まってからの移動では間に合わないのだ。
「今から向かわせても良いよ。 したら、俺はすぐに受諾するだけさ。 俺はいつ何時でも宣戦布告を受諾できる状態なんだよ」
「……ふふ、ふふふ。 面白いことを仰りますね。 何か、大事なことを勘違いされていませんか?」
微笑み、ヴァルキューレは歩を一歩前へと動かす。
「わたくしたちの飛行速度は、あくまでも平均値でしかありません。 この中でもっとも早いラックランスは時速二千キロ、通常の神人族の二倍なんですよ」
「……二千キロ?」
カノは、多く見積もっても千五百程度だと計算していた。 が、それを上回る速度でラックランスは移動ができるという。 そして、その速度で移動をされた場合……ダリラまで神人族が到達するのは、容易だ。
「……そこまで読み切ってたとはね、恐れ入ったよ」
「お褒め頂き光栄です。 では、続きをしましょうか」
ヴァルヴァードはその会話を聞き、一瞬だが恐怖を覚えた。 それはヴァルキューレに対してではなく、カノに対してだ。 読み合いはどうやらヴァルキューレに軍配が上がったようではあるものの、カノの方も負けてはいなかった。 ただヴァルキューレが一枚上手だったというだけの話でしかないものの、それに切迫したとも言えるカノの狙いは、予想を遥かに上回っていた。
そして、同時に勝利を確信する。 こうなったら最早、カノにはこの将棋で勝つ他ない。 が、それは不可能な話だ。
「話は複雑よりも単純なものの方が、いつの時代も良いものです。 なので、お互いにこの勝負に全力を出しましょう。 神人族の代表として、そして一人の神人として、油断も慢心もわたくしは捨てましょう」
全知全能の加護、それは神人族に与えられた最強の固有スキルである。 ヴァルキューレはたった今、それを発動し、その結果――――――――カノの知力を大幅に上回る補正を得た。




