枯れ木の腕①
富士宮ひとみは、《タナトス》へとさらに深く沈み込んでいった。
世界から色が消える。音も光も空気の冷たささえも、一度どこか遠くへ押しやられる。代わりに浮かび上がるのは、生きているものの輪郭だけだった。
玄関広間には白い線で象られたナビルがいる。その向こうに同じく異様な輪郭を持ったネクロスがいた。
それ以外のものはすべて黒へ沈んでいる。床石も崩れた柱も壁面の亀裂も、本来ならそこにあるはずの細かな陰影も、今は意味を持たない。富士宮の視界にとって価値があるのは、あくまで死の対象になるものだけだ。
ナビルの輪郭は分かりやすかった。呼吸や心拍、そして筋肉の緊張といった人体の作用が白い線の震えとして見える。
一方でネクロスはやはり異様だった。顔があるはずの位置にはただ漆黒の暗闇しかない。目も口もないので、そもそも顔として成立していない。なのにそれ以外の身体部分は曖昧ながら見えている。腕や胴、そして脚の輪郭が、肉ではなく魔力で組成された何かとしてそこにある。
物理的に実在しているのは、まとっている黒いマントだけ。
普通に見れば弱点などないように見える。頭部は虚無で、体は魔力で構成されている。首を刎ねても意味があるのかすら怪しいし、心臓を貫いても手応えがなさそうだ。
だが富士宮は知っていた。前世知識によればネクロスにも物理が通じる瞬間がある。それはダークフレアを発動する直後だ。
ネクロスは高位闇魔術を行使する時だけ、本体の一部を現世へ顕現させる。普段は本体が異次元に引きこもっているせいで、こちらからの攻撃は牽制にしかならない。だが術式の出力を高める瞬間だけ、ほんの一瞬だけ本体が顔を覗かせる必要があるのだ。
ならば、そこを撃ち抜けばいい。
ネクロスがゆらりと動き、闇色のローブが水面のように揺れた次の瞬間、その身体が広間の壁面を蹴るようにして斜めへ跳んだ。柱と壁面を利用しながらの立体機動で、常識外れの角度を飛びながら移動していく。まるで重力を無視しているみたいな軌道だった。支援職なのにこの高速移動、反則ステータスのオンパレードのようだ。
ナビルの銃撃がネクロスを追う。発砲音が闇に沈んだ空間の中に鋭く響いた。1発、2発、3発と。
白い線で型取られたビルの動きには無駄がない。撃ちながらも徐々に体の位置をずらして攻撃に角度をつけ、さらに相手からの射線の予防も兼ねている。
だが攻防の中での動きはネクロスの方が少し速い。外れた銃弾が廃城の壁を砕き、石片が弾け散った。黒い闇の中でぱっと白い粉塵だけが浮かび上がる。広間のあちこちに銃弾による傷が増え、床石が抉れ、崩れた柱の残骸がさらに砕けていく。
ネクロスがナビルの斜め上の柱に飛び乗り、一瞬動きを止めた。
富士宮はそこで呼吸をひとつ止める。
来る、ダークネスフレアを撃つつもりだ
タナトスの視界の中で、ネクロスの顔の位置にある漆黒が、ふいに波打った。次の瞬間、そこから枯れ木のような薄黒い腕が生えた。
富士宮はその光景を見て前世の記憶を呼び覚ます。
やっぱりそうか
ネクロスの本体は、異次元側に存在する腕型のアンデッド
だから顔がないし、身体は魔力の塊にしか見えない
富士宮はダークネスフレアの射線を読む。あの角度であれば斜め上から広間中央を薙ぎ払う形を狙っている。ナビルが今の立ち位置を維持したままでは巻き込まれる。




