真夜中の一騎打ち・その2
血が吹き出していたにも関わらず、ヴァルターと会話している最中にもアントニオの右太ももの傷はじわじわと塞がっていった。《薬師》由来の自己回復パッシブスキルに加え、【捻り駆ける狼牙の太刀】のスキル効果も上乗せされている。
アントニオはそこでヴァルターに向けて一気に踏み込んだ。
先刻より明らかに速度が上がっている。【捻り駆ける狼牙の太刀】による加速補正がそのまま乗っているのだ。一方ヴァルターは翼の傷によって飛翔のキレが格段に落ちていた。
アントニオの刀が鞘へ納まり、次の瞬間には居合いの形で閃く。
ヴァルターはぎりぎりで体の制御を取り戻し、バク転しながら強引に刃先の軌道から体をそらした。刀は鼻先を裂くように通り過ぎていくが、まさに紙一重の距離だった。
これは本当に危険だ、とヴァルターは思う。夜の戦いは、相手を視認できているこちらが圧倒的に有利なはずだった。なのに今は見えていないはずの男の方が、こちらの動きへ食らいついてくる。しかも一撃一撃が致命傷級だ。
だがヴァルターもここで退くわけにはいかない。体勢を整えながら後ろへ流れたように見せ、アントニオが追撃しようと前へ詰めるのを誘導する。そこへ合わせてヴァルターはユニークスキルを発動した。
《モリオン・フェザー》
黒い羽根が夜の空気そのものから湧いたように散る。羽根はただ舞うのではなくアントニオの視界を覆い尽くし、ヴァルターの輪郭を曇らせ、距離感を奪う。アントニオの視界は一瞬で黒い羽根に埋め尽くされてしまい何も見えなくなる。
アントニオが盛大に舌打ちした。
「クソ野郎、逃げるんじゃねえ!」
叫びながら黒羽を刀で薙ぎ払うのだが、その時にはもうヴァルターの姿はそこにない。
ヴァルターは羽音すら殺しながらアントニオの背中側へ回り込んでいた。必勝を確信して、ヴァルターは短槍を構える。今度こそ終わると、本気でそう思った。視界を奪われた相手へ背後から致命の一突きをする戦法は、夜戦種族の最も得意とする勝ち方の一つなのだから。
「誰が逃げるって?」
そうアントニオに対して声をかけたのは、もう勝ったと思ったからだ。
だがその瞬間にヴァルターは見た。
黒羽に埋もれたアントニオの体が、いつの間にか低く、低く沈んでいる。膝を折り、腰を落とし、刀を鞘へ納めた――居合いの姿勢。
まずい、とそう思った時には遅かった。
アントニオは振り返りもしなかった。いや正確には、振り返るより先に体を後ろへ捻った。背中へ突き出されるヴァルターの短槍を屈むことで紙一重でかわしながら、そのまま後方へ向けて刀を抜き放つ。
【翻し翔ける龍の太刀】
カウンター気味に放たれた斬撃は、ヴァルターの予想を超えてはるかに重たい一撃だった。
短槍の突きで重心を前に乗せていたところへ、逆方向から斬撃が噛みついてきたのだ。ヴァルターに回避できる余裕はない。かろうじてわずかに再展開したモリオン・フェザーで防御を試みるも、それでも間に合わない。
刀が右腹部の鎧へ直撃した。遅れて駆け上がるような不可視の刃が胸鎧ごと上半身を切り刻む。
「――がッ!」
肺の中の空気が全部出るみたいな声が漏れた。
石床が近づき、自分が倒れていくのだと理解した時にはもう仰向けになっていた。右腹部からの出血が熱く感じ、上半身にも鋭い痛みが何本も走っている。小規模に展開していたモリオン・フェザーがなければ、今ので確実に胴を両断されていた。本来はあれで致命傷にならない方がおかしいのだが、ギリギリで死にはしなかった。とはいえ立ち上がることが全くできない行動不能にまで追い込まれている。
ヴァルターは仰向けのまま、荒い呼吸を繰り返した。胸が上下するたびに痛みが走る。視界の上で、アントニオが刀を下げたままこちらを見下ろしている。
勝負は決まった。なのにヴァルターの口から出たのは、悔しさでも罵倒でもなかった。
「……てめえ、何で後ろにいるとわかった」
自分でも少し呆れるような声だった。
「逃げたと思ったんじゃねえのかよ」
アントニオは少し考えるように黙ってから、ぶっきらぼうに答えた。
「あぁ、思ったぜ」
その返答にヴァルターは一瞬だけ首を傾けそうになるが、アントニオはそのまま続ける。
「だから、お前の声が聞こえた瞬間に振り返って斬ったんだよ」
ヴァルターは一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
つまりヴァルターが背後にいると認識してから無理やり体を沈め、そこから後ろ向きの居合いへ繋げたということだ。しかもヴァルターの攻撃をはるかに上回る速度で、だ。
何だそれは。そんな反射神経と体の使い方は、常人ではあり得ない。見えていなかったけど、声が聞こえたから斬った。理屈としてはそれだけだが、それをそのまま現実の戦闘で成立させる奴がどこにいる。
ヴァルターは腹と胸の痛みと出血で意識が薄れかけながらも、妙に笑いが込み上げてきた。あまりの常識はずれぶりに、逆に笑うしかない。
さっきまでなら悔しさの方が勝っていたかもしれない。だが今はそれ以上に呆れている。こんな馬鹿みたいな反応速度と体の使い方を目の前で見せられたら、敗北の実感すら一周回って面白くなる。
喉の奥から、くぐもった笑いが漏れた。それを見てアントニオが露骨に眉をひそめる。
「何で負けたのに笑ってんだよ」
その言い方までぶっきらぼうで、ヴァルターはまた少しだけ可笑しくなる。
月明かりのない廃城の大広間で、レイブンフォークの冒険者は上半身を斬り刻まれて床へ転がりながら、それでも笑いを止められずにいた。




