真夜中の一騎打ち
廃城の大広間は、月明かりすらまともに届かない暗がりの中に沈んでいた。
天井はところどころ崩れ、長い年月のうちに割れた梁や砕けた石材が床へ散乱している。かつては豪奢だったのだろう壁面の装飾も、今では風化した浮き彫りと黒ずんだ染みだけを残していた。外では霧が城を包み込み、内部へ流れ込んだ冷気が、空気そのものを薄く湿らせている。
そんな死んだような空間で、ただ二つの気配だけが鋭く息づいていた。
ヴァルター・クロウは高い梁の影から、静かに息を整えていた。
対する赤毛の刀使い――アントニオ・カッシーニは広間の中央付近で刀を握ったまま低く構えている。
ヴァルターから見ると、闇に沈んだ空間の中で赤毛の男の立ち姿はあまりにも不自然だった。夜目の利くレイブンフォークであるヴァルターと違い、アントニオは明らかにこの暗闇へ適応していない。それでも空気の動く気配だけで矢の飛んでくる方向を察知しようと構えているのだ。
気持ちの悪い男だ、とヴァルターは口の中で小さく舌打ちした。
最初はただの脳筋だと思った。態度はガサツで、言葉も粗暴で、戦い方も真正面から叩き潰すことしか頭にないように見える。だが、恐らくこいつは見えていなくても戦える。
ヴァルターは音を消したまま梁から梁へと飛び移りながら、短弓へ矢をつがえていた。矢を放つ瞬間に弦がかすかに鳴るものの、夜目が利かない相手ならそれがどこから鳴ったのかすら分からない程度の微音だ。
矢を放ち、闇を裂いて凶器が走る。
アントニオはほとんど反射だけでそれをかわした。顔をわずかに傾け、頬を掠めるように矢を逃がす。直後、床を蹴って横へ転がる。次の矢が、つい今までいた場所へ突き立った。
ヴァルターはそのまま連射へ移る。
一射、二射、三射と連射しながらも、矢は規則的には飛ばさない。右から、左から、斜め上からと角度や位置を変化させる。相手を混乱させるため、時にわざと石片を飛ばし、無駄に蹴り足を強くして音の反響まで利用する。だがそれでもアントニオは何とか避け続けた。刀で弾くこともあれば、身を沈めてかわすこともある。視界だけに頼らず、飛来音と風圧だけで矢の動線を見切っているのだ。
だが弓矢の支配する戦場における立ち回りはヴァルターの方が上手だった。最初から急所を狙うのではなく、少しずつ掠らせていきアントニオの回避行動を限定していく。衣服が裂け、上腕を擦り、肩を掠めるが致命傷には至らない程度のダメージを与え続けていく。そうやって次も避けられると相手へ思わせながら、回避のリズムを固定させるのだ。
そしてアントニオの回避のリズムを完璧に掴んだ瞬間、ヴァルターは目を細めて力強く弓をひく。放たれた矢は真っ直ぐにアントニオの右太ももへ飛来し、鈍い音と共に突き刺さった。アントニオの体勢が大きく崩れる。
今だ、と直感したヴァルターは羽を打ち、アントニオの頭上から一直線に飛びかかった。短槍を逆手に握り、男の胸板を貫こうと空中を跳躍する。
だがその瞬間だった。危険だとヴァルターの全身が理屈ではなくそう叫んだ。それはこのまま突っ込めば致命傷になるという本能に近い警告だった。
ヴァルターは空中で無理やり体を捻った。短槍の軌道がアントニオから逸れていく。普通ならこんな回避は間に合わないはずだが、レイブンフォークの空間飛行能力と翼の制御でわずかだけ体を捻ることを可能にした。
直後、さっきまで自分の胴があった場所を不可視の斬撃が通り過ぎていた。空気が裂け石床へ複数の傷が刻まれる。完全にはかわしきれずヴァルターの右羽の一部も切り裂かれ、遅れて熱い痛みが走った。
「……っ!」
思わず苦痛の声が漏れる。
アントニオは不自然なほど低い姿勢のまま刀を振り抜いていた。矢が太ももへ刺さって体勢を崩したと見えたのに、そこから下半身の捻りだけで攻撃へ転じている。
刀マスターのスキル【捻り駆ける狼牙の太刀】。不自然な体勢からでも強靭な下半身の捻りを効かせて不可視の多重斬撃を放つ奥義だ。しかも発動後に速度へのバフとわずかながら回復効果まで発動する。
ヴァルターは右羽の裂け目からこぼれる血を感じながら、呆れたように吐き出した。
「何だよそりゃ、反則だろうが」
するとアントニオは太ももから矢を引き抜きながら、不敵に口の端を上げる。
「飛べる方が十分反則だろうが」
矢を引き抜かれた太ももからは血が吹き出し、それがアントニオの顔を悪鬼のように染め上げていた。




