旅立ちの朝
デミトリスに立つ日の朝、中庭にはカッシーニ家の一同だけでなく、保護されているユーラッハ族や魔族の何人かも見送りに来ていた。
ベアトリーチェは最後まで富士宮の体調を気にし、塗り薬を必要以上に持たせようとしてきた。
「本当に無理はなさらないでくださいね」
「はい」
「そんなこと言って、きっと無理をする人の顔をしてます」
「肝に銘じます」
「アントニオのこと、どうかよろしくお願いいたします」
まるで叔母から出来の悪い従兄弟を預かるような場面だなと思い、富士宮は内心苦笑した。
レオナルドは相変わらず多くを語らなかったが、ふとアントニオに近寄ってその肩へ手を置くと、短く「死ぬなよ」とだけ言った。アントニオはレオナルドと目を合わせようとはしないまま、その言葉に応えるように軽く鼻を鳴らした。父と息子というものは、それだけで通じるものがあるらしい。
一方、ルチアは相変わらず朝からやかましかった。
「兄さま!ちゃんと帰ってきてね!あと今度はもっと綺麗な格好で来て!」
「うるせえよ」
「聖女さまも、ナビルさんも、ラウルさんも!ぜったい兄様を連れて戻ってきてね!」
その無邪気さを、富士宮は苦笑しながら見ていたが、どうやら周囲の者は和やかな空気に包まれているようだった。
見送りのメンバーの中にはサミラとリリアもいた。サミラはいつもの不機嫌そうな顔をしているが、富士宮が馬車へ向かう時、ぶっきらぼうに声をかけてきた。
「死ぬなよ、元聖女」
その言い方が彼女なりの餞別なのだと、富士宮にはちゃんと理解できた。
「あなたもお身体にお気をつけて、未来の将軍様」
そう返すと、サミラは一瞬だけ嫌そうな顔をしてそれから鼻を鳴らした。そんなサミラの脇をすり抜けて小柄なリリアが富士宮に抱きついてくる。
「ひとみお姉ちゃん、また一緒に遊ぼうね」
「ええ、リリア、そんなに時間を空けずに戻ってきますから、また一緒に遊びましょう」
「うん!たくさん練習して、いっぱいお歌上手になっておくね!」
「…え、えぇそうね、そうよね、リリアはお歌が好きですものね。楽しみにしておきますね」
「うん!リリアも楽しみにしてる!」
そう言って見送りの列に戻るリリアの背中を見つめながら、やはりまだセイレーンに対する心配が拭いきれないと内心冷や汗をかく富士宮だった。
富士宮とアントニオが馬車に乗り込んだところ、まだナビルが乗車していなかった。二人が御者のラウルを見ると、彼は意味ありげな目線で馬車後方を指す。見ると、最後の積荷を載せているナビルの横にクラウディアがぴったりくっついて、彼に話しかけていた。
「道中の補給管理ぐらいは、出発前に完璧な計画を立てておくものよ。あなた、今のジョブは家令なのでしょう」
「え、ええ。そうです」
「帳簿の付け方は独学だと変な癖が出てしまうものよ。次に寄る時には全部見せてちょうだい」
「は、はい……?」
「あと南方の乾季は喉を傷めやすいから、夜はなるべく温かいものを飲んで寝た方がいいわ」
「……ありがとうございます」
ナビルにだけ優しすぎないか?と内心でツッコミを入れていたところ、ルチアが乱入してきた。
「お姉ちゃん、なんかさー、ナビルさんにだけ優しくない!?」
空気が一瞬止まり、ナビルに熱心に話しかけていた様子を富士宮たちに見られていたことに気づいたクラウディアが、顔を赤くする。しかしその怒りの矛先はルチアに向かった。
「ルチア!!」
「だってほんとじゃん!兄さまにはそんなこと言わないのに!」
「俺のことを引き合いに出すんじゃねえ!殺すぞ!」
「わーっん、兄さまがこわいこと言ったー!」
カッシーニ家の子供たちって、何だかんだで仲いいわねえ
仲の良い兄弟姉妹ってうらやましいわ
私は兄弟姉妹たちとそんな関係じゃなかったし
ん?私に…
と、そこまで考えたところで、ナビルが一人の老人を見つめていることに気づいて富士宮は思考を切り替えた。その時にはすでに直前に考えていたことをすっかり頭から消している。
ザイールという名のユーラッハ族の老人が、馬車から少し離れたところに立っていた。富士宮が会話する機会はほとんどなかった人物で、あちらからも多くは語ろうとしてこなかった。だが、サミラと同じくユーラッハ族のまとめ役の一人であり、カッシーニ家滞在中はナビルを呼んでよく一族の物語を聞かせてくれたらしい。先日のメッシーナ城襲撃事件は、サミラやザイールとは思想を異にする過激派の犯行らしいのだが、そんな情報もザイールから聞くまでは知らなかった。富士宮は詮索していないが、どうやらナビルは自身の出生についてもザイールから何らかの助言をもらっているようだった。ナビルとザイールは視線を交わらせることで別れの挨拶と代えたのか、特に言葉を交わすことはなかった。ザイールはそのまま、最後まで見送りをすることなく屋敷の中に帰って行った。
すべての関係者と別れの挨拶を終えた後、富士宮はもう一度だけ中庭を見渡した。
見送りに出てきてくれた面々を見ながら、カッシーニ家に命を救われた幸運を富士宮はあらためて噛みしめる。
ここに来れたのはただの偶然だったかもしれない。だがこの家を知れたからこそ、王国の外側にある善意と可能性を知ることができた。
富士宮は万感の感謝を込めて、カッシーニ家のみなに深く一礼をした後に顔を上げ、ラウルを加えた一行を強い眼差しで見つめる。
「行きましょう」
富士宮がそう言うと、ナビル、アントニオ、ラウルがそれぞれ頷いた。
ラウルが御者を務める馬車がゆっくりと動き出す。
窓の外でルチアとリリアは最後まで大きく手を振ってくれた。ベアトリーチェは穏やかに微笑み、レオナルドはただ真っ直ぐこちらを見ている。クラウディアとサミラは冷静に、あるいは少し不機嫌そうな様子で馬車を最後まで見つめていた。
王国南方からさらに南へ、魔王領北部の大都市デミトリスへ。そこにはきっと王都では決して見えなかった景色が広がっているはずだ。
富士宮は薄く笑い、正面へ向き直る。
「さて」
誰へともなく呟く。
「次はデミトリス……いい人材、いるといいわね」




