聖女は編成を組み、夜に消す
聖女の個室は、今日も静かだった。
高い天井から続く床には分厚い絨毯が敷かれている。やたらと上等な机の上には、磨かれたインク壺、白い紙、羽ペンが置かれ、窓の外には手入れの行き届いた中庭が見える。いかにも「高貴な方のお部屋です」という顔をした部屋である。
その机に向かい、黒髪の聖女――富士宮ひとみは、いつものように薄い顔をして座っていた。目の前にはナビルが立っている。
外から見れば、物思いに沈む聖女だろう。あるいは、何らかの神意を記しているのかもしれない。
実際、侍女たちはそう思っている。
しかし机の上に広げられている紙の内容は、神意でも祈りでもなかった。
【ナビル育成方針(暫定)】
【イニゴ・マルティネス運用ビルド(初期案)】
【将来発掘予定枠】
どう見てもゲームのメモである。
富士宮ひとみは羽ペンを持ち、真顔のまま《鑑定眼・宵》を起動した。
ナビルを見つめると、視界に浮かぶ透明な円柱がゆっくりと立ち上がる。今ではもうだいぶ慣れた。最初は平面表示だと思っていたそれは、実際には立体構造を持っており、意識を向ければ回転する。側面も背面も存在する。表面に見えていたジョブやスキルは、あくまで正面投影にすぎない。
今日は、その円柱の「奴隷」ジョブ側を深く見ていく。
円柱を回す。
新しい文字列が浮かび上がる。
運搬、掘削、刈り取り、水汲み、積載補助、家畜管理補助、調理補助、厩舎掃除、道具磨き、寝具整え、泥濘歩行、重量袋担ぎ、荷縄結束、簡易補修。
分岐、さらに分岐、また分岐。
富士宮は真顔のまま、内心でだけため息をついた。
無駄に多い。
いや、無駄ではないのかもしれないけど、九割方いらない。
何この「大型樽二本同時搬送補助」とか、誰が喜ぶの。
「急斜面水汲み耐性」とか「濡れ藁圧縮効率向上」とか、奴隷労働の現場には大事なんだろうけど、今の私にはいらないのよ。
世界観は感じるよ?感じるけどさあ、ナビルの将来性をそこに賭けたくはないわけよ。
とはいえ、全く見る価値がないわけでもなかった。
表層はどうしようもなく労働特化だが、深く潜ると奇妙な分岐が混じっている。生存補助、環境適応、道具理解、持久補正など、抑圧環境でしか伸びない種類の妙なスキル群が埋まっている。
「……変なジョブ」
つい、声が漏れた。
少し離れた場所で立っていたナビルが富士宮を見る。今日も例によって、聖女様に呼ばれて、じっと見られる時間である。
最初の頃の彼なら、この沈黙にかなり緊張していた。
なぜ見つめられるのか、何を測られているのか、自分は期待に応えられているのか。そう不安を感じていた。
だが最近のナビルは、少し違った。
聖女が自分を見る時、その目には奇妙な熱がある。外から見れば静かで冷たいのに、なぜか「期待されている」とわかるのだ。奴隷になってから、そんな目で見られたことは一度もなかった。
だから今は、戸惑いよりも、少しだけ嬉しさが勝つ。
もちろん、控えめ彼はそんなことを表情には出さない。
一方の富士宮は、ナビルの内面変化など知らないまま、奴隷ツリーをさらに掘っていた。
すると、その中に妙なものを見つけた。
【革命のファンファーレ】
名称がまずおかしい。
奴隷ジョブの中に「革命」が混ざっている時点でかなり怪しい。しかも詳細を展開すると、統率・武力・魅力系統の特殊効果が、ずらりと数十種類も並んでいる。どう考えてもチートスキルだ。
富士宮の内心が一瞬だけ跳ねた。
え、何これ
ちょっと待って
すごいの出てきた
奴隷から革命!?
ロマンの塊すぎる
だが次の瞬間、条件欄を見てそのテンションはすぐにしぼんだ。
【取得条件:統率S/武力S/魅力S】
無理
富士宮は真顔のまま、脳内で即却下した。
はい解散
これは違う
こういうのに夢を見るのが初心者
統率・武力・魅力オールSって、もはやステータスお化けへのおまけでしょう
ナビルの方向性ではない
ロマンはあるけど、結局ロマンはロマンでしかない
うちの本命は、そういう力押し革命家ではなく、静かに世界の中枢へ入り込む執事です
羽ペンで紙へ書き込む。
【革命のファンファーレ:ロマン枠。切る】
そして改めて、ナビルの最終方針を固める。
やはり奴隷ジョブ深掘りではなく、一般的な上級ジョブを複数経由する方がいい。
候補は、支援系統、軍事補佐系統、護衛系統、他にも実務的なものを見繕う。
その先で【神々の執事】へ到達する。
これが正しい。
富士宮は静かに頷いた。
よし
やっぱりそう
ナビルは正道寄りの多面育成で行く
変な裏道に寄らない
最終到達点は唯一無二でも、そこへ行くまではちゃんと王道で固める
強い。こういうのが一番強い
次に意識を向けるのはイニゴだ。窓際で腕を組んでいるイニゴに視線を向ける。
こちらは、ナビル以上に悩ましい。
富士宮が円柱を回し、王国騎士のスキルツリーを開く。
前回見た時点でも膨大だったが、今日はさらに分岐の深部を追っていく。
近接火力系統、対装甲系統、対集団系統、対魔物系統、迎撃系統、機動・騎乗系統、持久戦系統、下士官指揮系統、前線統率補助系統、教官系統、対人制圧系統、兵站適応系統。
数が多すぎる。
そして問題は、王国騎士には「これが正解です」という形が存在しないことだった。
万能性こそが王国騎士というジョブの本質だ。
悪く言えば中途半端、よく言えばパーティと組んでこそ光る。
つまり、今ここでイニゴのビルドを決め切るのは危険だ。現状、手元にある大物個体はナビルだけ。今後まだどんな人材が加入するかわからない。にもかかわらず、「イニゴはこれ」と固定してしまえば、後で歪みが出る。
富士宮は眉間に少しだけ皺を寄せた。
悩ましい
でもこの悩み、最高に楽しい
こういう、「全部取れないからこそ何を捨てるか」で差が出るやつ、すごく好き
運営、わかってる
いるかどうかは知らないけど
結局、彼女は暫定案に落ち着いた。
前線火力系統は現状維持しつす、集団戦闘系統スキルを追加し、序盤パーティのまとめ役とする。
対魔物系統も少し伸ばして、受けられるクエスト幅を広げる。
余裕があれば教官系統、指揮補助スキルを少しずつ確保。
将来、育成専門へスムーズに移行できるよう布石を打つ。
羽ペンがさらさらと紙を走る。
【イニゴ:前線火力維持+集団戦+対魔物】
【余剰で教官・指揮補助】
【完全固定はまだしない】
「……これでいいかしら」
そう呟いた時、イニゴは窓際で腕を組みながら、少しだけ首を傾げた。
彼は最近、たびたび富士宮に呼び出されていた。呼び出されるたびに、聖女は自分をじっと見つめる。ときどき考え込み、また見つめる。それだけだ。
最初はさすがに困惑した。
何をされているのかわからない。
何か祝福か、神託か、呪いか。いや最後は違うと思いたい。
だが今のイニゴは、妙に達観している。
聖女様には、自分に見えない何かが見えているんだろう。
そういうものだと思えば、案外気は楽だった。
それに、黙っている時間は嫌いではない。
騒がしい貴族連中といるよりよほど落ち着く。
だから最近では、この「じっと見つめられる時間」をそれなりに楽しむようになっていた。
聖女の方は、何やら真剣に自分を観察している。
悪い感じはしない。
たぶん必要とされている。
そう思えることが、イニゴには少し心地よかった。
一方、ナビルの方はまだそこまで大人ではない。
やはり少し緊張する。
けれど、最近は別の感覚も出てきた。
聖女様が自分を見る時、その目には大きな期待がある。
しかも、その期待は「働け」「役に立て」という類ではない。
もっと先を見ている。
自分でも知らない自分を見ているような、不思議な期待だ。
奴隷になってから、そんなふうに見られたことはなかった。
だからナビルは、少しずつ、富士宮へ親愛を寄せ始めていた。
もちろん本人はまだ自覚していない。
ただ、呼ばれると少し嬉しい。
じっと見られても、前ほど苦ではない。
そういう程度の変化だ。
*
数日後。
大聖堂の一角、「聖女の間」と呼ばれる部屋に、イニゴが十人ほどの男たちを連れてきた。
全員が元・王国騎士。
例の穢れの剣事件の日、護衛についていてまとめて職を失った連中だという。
イニゴは真面目な顔で富士宮の前に立った。
「聖女様。こいつらは、俺の元同僚です」
その後ろで、男たちは一様に緊張した顔をしている。礼儀は崩れていない。荒くれというより、ちゃんとした兵士だ。
「それぞれに技能があります。王国に対する忠誠も、元は厚かった。だが……まあ、今回の件で理不尽に切られた」
イニゴは短く息を吐く。
「もし可能なら、聖女様の護衛隊として受け入れてやってくれませんか」
富士宮は静かに頷きつつ、一人ずつ《鑑定眼・宵》を向けていった。
十人分の円柱表示が立ち上がる。
それを手早く、しかし正確に読む。
結果は、かなり現実的だった。
大きく化ける潜在値を持つ者はいない。
SにもAにも届くような逸材はゼロ。
だが全員が平均Cで、ところどころBがある。戦闘職として見れば十分にまとまっている。護衛隊の総力としては、かなり優秀な部類に入る。
つまり、未来の怪物はいない。
でも現場戦力としては使える。
隊として見れば、精鋭だ。
その中で一人だけ目につく男がいた。
浅黒い肌の双刀使い。名はアユブ・アルウィ。
現状の能力だけなら、イニゴをわずかに上回る。武術のキレもある。たしかに即戦力としては魅力的だ。
しかし、富士宮はその瞬間に気づいていた。
見えていたスキル名が、おかしい。
拷問
快楽殺人
隠蔽
さらにジョブ履歴表示を見る。
【前職:ハイアサシン】
空気が一段冷えた気がした。
ハイアサシン。
明らかな上級ジョブだ。
そこから王国騎士へランクダウンする不自然さ。
しかも持っているスキルが兵士のものではなく、殺しを楽しむ側のそれ。
ああ、なるほど。
こいつ、どこかの派閥が雇った暗殺者か。
教会でも王国でも、どちらでもいい。
息のかかったジョブチェンジ施設で騎士に偽装し、今まで紛れ込んでいたのだろう。
富士宮は内心でだけ肩をすくめた。
私を狙う理由?
まあ何かあるのでしょう
その辺は偉い人の事情っぽいし、正直どうでもいい
大事なのは、今ここに危険物が混じってるってことだけ
表面上は何も変えず、富士宮は告げた。
「……教皇に掛け合ってみます」
イニゴたちの顔が明るくなり、各々の頭が下がる。
礼の言葉が口々に続く。
その時だった。
《タナトス》の感覚が、背筋を冷たく撫でた。
殺気
ほんの一瞬。しかし、明確。
富士宮はわずかに目を細めただけだった。
驚きはない。
だって、わかっていたから。
*
その日の夜。
元・王国騎士たちに宛てがわれた教会内の空き部屋から、一つの影が抜け出した。
アユブ・アルウィ。
音を立てない。
呼吸は浅い。
双刀は布で巻いてある。
暗闇の扱いに慣れた人間の動きだった。
彼は周囲を見渡し、聖女の間の方向へと進む。聖女の専用個室は、その奥にある。騎士の部屋から抜け出した程度で見咎める者はいない。見張りの癖も、もう読み終えていた。
建物の壁際へ移動する。
跳躍し、窓から入るつもりだった。
その時、
足元が浅く沈んだ。
「――っ」
地面が、わずかに掘られていた。
ほんの浅い溝だ。
走って踏み込めば足を取られる程度の、いやらしい深さだ。
アユブの重心が崩れる。
その瞬間、壁の上から影が落ちた。
長い髪、細い体、闇を裂くような速さ。
一閃
首筋が切れる。
二閃
さらに深く、同じ場所を薙ぐ。
血が黒く飛んだ。アユブは何が起きたのか理解する暇もなく膝をつく。喉から濁った音が漏れ、視界が揺れる。
倒れながら、月の光に照らされた襲撃者の顔が見えた。
黒髪
白い頬
静かな目
「なぜ、あなたが……」
アユブ・アルウィは、それだけ言い残して死んだ。
富士宮は死体を見下ろした。
冷えた夜気に月光が映える。
浅く掘った地面に血の匂いが混じる。
不思議と手は震えない。
躊躇も迷いもなかった。
どこをどう斬ればいいか、あまりに自然にわかった。
「ほんと、どうしようもなく得意なのよね、こういうの。困ったもんだわ」
ぼそりと呟く声は小さく、誰にも聞かれない。
富士宮ひとみは長い髪を揺らし、再び闇の中へ溶けていった。




