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水面に映る未来

 周囲から見れば、その後のラウルは壊れたように見えたかもしれない。


 派手な取引を一切しなくなり、父の仕事の黒子に回ってひたすら影に徹するようになった。


 ゴンサロも息子の心が折れたと思っていたようだ。実際、恋人の死と故郷のように思っていた村の焼失が、ラウルの心の一部を砕いていた。


 だがそれ以上に、ラウルはあの出来事を経て、自分自身を正確に把握できるようになっていた。


 自分は商人としてすでに完成している。もっと上位の商人系統ジョブへチェンジすることも可能だ。


 だが自分の中には、商人としての活動を簡単にこなしてしまう何かがすでにある。恐らくユニークスキルというやつだろう。商人としても、密偵としても、何なら戦闘者としても、自分はかなりハイレベルな動きができる。


 ならば、敢えてジョブチェンジをして目立つ必要はない。平凡な商人のままで十分だ。


 目立たず、だが必要なところへ手を差し伸べる。誰かに降りかかる戦争を止めるために。ラウルはそういう生き方を選んだ。


 だが、ラウルは自分の中のもう一つの異常を感じてもいた。


 あの夜、涙が枯れ果てるほど泣いた後から、ラウルには人の将来の可能性が見えるようになった。ただしその可能性は数字として見えるわけではなく、もっと曖昧なものだ。


 目の前の人間を見ていると、ふと水面のような揺らぎが視界に広がり、その人物の将来の姿が映ることがある。鎧を纏っていることもあれば、店を構えていることもあるし、玉座の横に立っていることすらある。その映像はどれも断片的であやふやなビジョンではあったが、時には見たままの結果になることもあった。


 例えば、デミトリスのとある商会の軒先で使い走りをしていた魔族の小姓を見た時、彼が大店を構えて店頭で取引をしている姿が見えた。冗談半分で少しだけ面倒を見ていたら、翌年には本当に独立して成功してしまった。彼には大変感謝されていて、今でもデミトリスに行くたびに色々な便宜を図ってくれている。


 こんな能力など耳の広い彼であっても聞いたことがなかった。そのため父であるゴンサロにも告げず、自分だけの秘密としていた。どこかで公にすれば利用されるだけで、どうせろくなことにはならないと考えたからだ。


 ただ最近は商人たちの間で、王国に降臨した聖女や共和国の神子には人材を見抜く才能があると噂されていた。ならば恐らく彼らも同じものを持っているのだろう、とラウルは推測していた。


 ある時父から、聖女が王国に追い立てられ、今はカッシーニ家に匿われているという噂を聞いた。自分と同じ能力を持っているかもしれない相手だ。一度会ってみる価値はあると思って、ラウルは父と共にカッシーニ家へ向かった。


     ◇


 カッシーニ家へ行くのは数年ぶりだった。


 相変わらずこの屋敷は、外見は美しい顔をしているくせに、その内実は随分と物騒だ。屋敷の外を歩く使用人たちですら、その足運びを見るとただの雑用係ではないことが分かってしまう。


 父がレオナルドたちと商談に入っている間、ラウルは館の中を軽く見て回ることにした。


 まず目に入ったのは、ユーラッハ族の若者たちだった。王国南方で散り散りになった彼らを、カッシーニ家は少しずつ受け入れている。その中には以前から顔見知りであったサミラ・ユーラッハの姿もある。彼女を見ると、水面には相変わらず豪奢な指揮官服を纏ったサミラのビジョンが映る。


 だが当の本人は、以前から最前線志向だった。自分の手で敵を殺したいという気持ちが強すぎるので、ラウルはあえて何も言わなかった。見えた未来を告げることが、必ずしもその人間にとっての最善とは限らないからだ。


 ところが、今回久しぶりに会ったサミラは、ラウルに戦術についての質問をしてきた。彼女らしくない質問に、ラウルは少し驚いて理由を尋ねてみた。するとサミラはやや不本意そうな顔で理由を教えてくれる。色々と言い訳は並べていたものの、要するに黒髪の聖女に感化されたということらしい。


 面白い女だ、とラウルは思った。前線に出ることしか頭にない血気盛んな戦士に、「お前は将軍向きだ」と言える人物は中々いない。しかもそれを告げたのが王国の元聖女であり、なおかつ相手はその王国が迫害したユーラッハ族の生き残りときている。噂や王国の公式声明だけでは測れない何かがありそうだと、ラウルはさらに興味を持った。


 館をさらに歩いていると、食堂の辺りで会ったことのない少女に声をかけられた。


 その少女はリリアと名乗った。小柄で白い髪をしていて、額の両端に小さな角がある魔族の少女だ。この屋敷の中では安心しきっているのか、初見のラウルに対しても人懐っこく話しかけてくる。


「お兄ちゃん、私のお歌きく?」


 その問いに、ラウルは自然と笑って頷いた。子どもの相手は昔から嫌いではない。死に別れた恋人と一緒に、よく村の子供たちの遊び相手になったものだ。ラウルはその苦い記憶を振り切るように現実へと意識を戻し、もう一度リリアに笑いかける。リリアはそれを合図と思ったのか、よく通る澄んだ歌声で王国南方に伝わる豊穣を祈る聖歌を歌い始めた。


 ラウルは視線を落とし、リリアの歌を聞きながら、いつものように水面を見ようとした。


 その瞬間、いつもなら静かに揺らぐはずの水面が真っ黒に波打った。


 視界いっぱいに闇の波濤が広がる。波に飲み込まれると思った次の瞬間、頭の中へ焼けた鉄を押し込まれたような衝撃が走る。


「……ッ!」


 ラウルは思わず片手で目元を押さえ、片膝をついた。


 何だ、今のは

 今まで見てきたどんな人間にも、こんな反応はなかった。


 リリアが驚いて歌を止め、ラウルの顔を覗き込んでくる。


「お兄ちゃん!どうしたの、大丈夫?」


 ラウルは何とか笑顔を作り、いつもの軽薄な調子で誤魔化そうとした。


「ん?何でもないよ、光が当たってちょっと眩しかっただけ」


 そうして顔を上げた先に、黒髪に上下白の簡易ドレスを纏った美しい女性がラウルを見つめて立っていた。


 会ったことはないが、黒髪という特徴や絶世の美女と噂される美貌、そして何と言ってもラウルがリリアにしたことを理解しているのが一目でわかる表情から、この女性こそ黒髪の聖女なのだと確信した。さらに、聖女がラウルの異能について詳細に認識してしまったことも直感的に察せられた。


 ラウルは肩をすくめながら、内心で嘆息していた。


 あーあ、バレちゃった


 できればこの先一生、日陰で活動していたかった。父の影として人族と魔族を繋ぎ、戦争の火種を少しでも潰し、誰かがあの夜みたいに泣き崩れる未来を防ぎたかった。聖女に能力を知られてしまった以上、それを隠し通すことも、これまで通りの活動をすることも恐らくできなくなるだろう。


 でも同時に心の奥底では、自分が持つ異常な能力の可能性にも興味があった。自分はこの世界で何が為せるのか、上を目指せばどこまでの高みに届くのか、自分が最も輝ける場所はどこなのか。


 誰かに教えてほしかった。そして、できれば誰かに言ってほしかった。お前がいる場所はここじゃない、と。


 その願いは実のところずっと胸の奥に燻っていたものだ。自分の力を最大限に使い切って争いのない世界を、穏やかな平和な日常を少しでも多くの人へもたらしたい。その気持ちはもう自分では抑えきれないところまで来ていたことに、ラウルはこの瞬間になって初めて思い至った。


 聖女は静かにラウルに近づき、そして手を差し出してきた。


「あなたは、ここで立ち止まっている才能ではありません」


 ラウルは思わず少し苦笑してしまう。聖女はさらに続けた。


「私と一緒に、世界を掴みに行きませんか?」


 ラウルは、その手を見つめる。


 先ほどからラウルの視界に映る水面には、これまで見たどれよりも深く濃い闇が広がっている。まるで邪神が両の腕を大きく広げているかのようなビジョンだった。だというのに、ラウルはその闇に恐れを全く抱かなかった。この邪神はどこか愛嬌があるようにも見え、怖さよりも底はかとない優しさを感じてしまったからかもしれない。


 だからなのだろう。気づいた時には、ラウルは何も言わずに黒髪の聖女の手を取っていた。邪神でも何でもいい。共に歩んだ先で、平和で穏やかで、平凡で退屈な日常を多くの人にもたらせるのなら、この能力の全てを捧げ尽くしても悔いはない。

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