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壊れた天才

 父であるゴンサロ・ヴァレンテは、たぶんこの世界で一番、強くないのに強い男だった。


 ラウル・ヴァレンテは子どもの頃からそう思っていた。


 剣が強いとか、腕力があるとか、そういう類の強さを父は持たない。父は商人で、しかもどちらかといえば目立たない商いばかりしていた。身なりも派手ではないし、喋り方も穏やかで、いかにも争いごとが嫌いそうな顔をしている。実際、本人も争いを好まない。できることなら誰とも揉めず、誰も飢えさせず、双方にほどほどの得があり、自分もちゃんと儲かる形で一日を終えたいと本気で思っている人だ。


 だが子どもの頃のラウルには、それが少し退屈に思えた。


 どうしてそんなに丸く収めようとするのか

 どうしてもっと強く出ないのか

 どうして相手に敗北感を叩きつけるほど、うまく立ち回ろうとしないのか


 商人というのはもっと貪欲で、もっと狡賢く、もっと人の心へ爪を立てて生きて行くような人種なのではないか。ラウルはそんなふうに、勝手に思っていた。


 けれど、年を重ねるごとに分かってきた。父はただ穏やかなのではない。穏やかであり続けることを、自らの実力で選び続けているのだ。


 王国にも魔王領にも顔が利く上、双方の穏健派同士を結びつけるという政治的な関与まで行っているにも関わらず、安定した商売を何十年も維持している。


 それがどれほど異常なことか。


 少年期になる頃には、ラウルにもそれが嫌でも分かるようになった。人間から見れば魔族と通じる商人は裏切り者に見えるし、魔族から見れば王国側と取引する商人は信用ならないはずだ。その両方から見限られず、むしろ信頼を得続けているのは、単に人当たりが良い商人というだけでは絶対にできない。


 けれど十代後半のラウルには、その凄さを理解する知性はあったものの、納得して自分も同じ道を行こうと決心するだけの器が足りていなかった。父の凄さを理解できるようになればなるほど、自分ならもっと先へ行けるのではないかと考えるようになったのである。


     ◇


 ラウルが十代後半になった頃には、商人としての才覚は目に見えて育っていた。


 市場の値の上下が簡単に読めたし、相手の顔色からどこまで吹っかけたら取引が保つかを察することもできた。すれ違う商隊の護衛の数や馬車の車輪の泥の付き方を見るだけで、どの街道を通ってきたのか見当がついた。物が足りない土地、逆に余る土地、戦になれば最初に不足するもの、逆に戦になったからこそ高く売れるものの動きが、父よりもはるかに高い精度でわかってしまう。


 父の仕事を手伝えば手伝うほど、ラウルは自分の感覚が普通ではないことを薄々理解し始めていた。相手が何を欲し、何を隠し、何を恐れているのかが、あまりにも見えすぎてしまう。こちらが少し笑えば気を許し、少し黙れば焦り、少し餌を垂らせば自分から首を突っ込んでくる。


 若いラウルは、その面白さに完全に酔っていた。


 父のように穏やかに均衡を守る必要など、本当にあるのだろうか。商人の本分とはやはり利益を上げ続けることではないのか。世の中が不安定になればなるほど、商売の幅は広がっていく。戦争は人を殺すが、その分、武具も食糧も薬も情報も流通も、爆発的に需要が高まる。ならば商人が紛争を誘発させるのは、むしろ正義なのではないか。


 今にして思えば、頭のおかしい発想だった。だがその頃のラウルは本気でそう考えていたのだ。自分の才覚がそれを可能にするのだと、どこかで信じていた。その結果として人が死ぬことを知らなかったわけではない。けれど人が死ぬという現実が、自分の愛したものを奪うところまでは想像の外に置いていたのだ。


 そういう意味で、あの頃の自分は愚かだったとラウルは苦く思う。父が「出来の悪い息子」と笑うたび、ラウルは内心で反発していた。だがあの頃の自分は、本当の意味で出来が悪かったのだ。


     ◇


 転機は、前触れもなく突然訪れた。


 その村は、ゴンサロとラウルが本拠地のように使っていた場所だった。王国と魔王領のちょうど狭間にあり、双方の商人と運び手が通るので、商人相手の地場に根を下ろした小さな工房や商店・宿屋が立ち並び、流れ着いた住民が肩を寄せ合って成り立っているような共同体だった。決して大きな街ではないのだが、その小ささゆえに全員と顔の見える関係性が築ける環境は、ラウルにとって故郷に近い感覚を持つ場所だった。


 父の下使いとしての駆け出しの頃に、帳簿の基礎を教えてくれた宿屋の店主がいた。

 武器の値付けについて細かく考えないとゲンコツを飛ばしてくる、口うるさい鍛冶屋の親方がいた。

 子どもの頃から顔見知りの同世代の友人たちがいた。そして、将来を約束した恋人がいた。


 その村が、局地的な紛争に巻き込まれたのだ。


 その戦いは大規模な戦争などという大層なものではなかった。王国側の部隊が、国境沿いの地域の警備行動の一環として、魔王領と何らかの交流があるとみなした村々を焼き払い、反抗の芽を摘むという小規模な掃討作戦だったのだろう。魔王領からの商隊を受け入れていた村は、運悪くその対象として選ばれてしまったのだ。王国の上層部から見れば地図の端へ小さなピンを打つ程度の意味しかない動きだったかもしれない。


 だが焼かれる側にとって、焼く側の意図も作戦規模も関係がない。


 ラウルが村へ戻った時には、もう全てが終わっていた。


 ラウルは村の入り口で呆然と立ち尽くした。隣に立つゴンサロは、顔を歪めながら悲しそうに首を左右に振っていた。

 

 混乱する意識の中で、ラウルは焼けた匂いを感じた。灰の匂いと、血の匂いと、焦げた木の匂いが混ざっていた。


 いつも商いの声でにぎやかだった通りは静まり返り、割れた樽と転がった荷車、焼け落ちた家屋に踏み荒らされた畑しか目に入らなかった。


 誰もいない、とは最初思った。


 でも違った。そこら中に遺体があった。


 見知った顔ばかりだった。何度も世話になった老人が、恋人に送る荷を融通してくれた商店主が、仲間と集まって語り合った酒場の主人が、笑うと目尻へ皺の寄る友人が、死体になって転がされていた。


 ラウルは必死で走って、まだ死体を見ていない者の名前を呼んだ。しかし誰からも返事はない。遺体を見つけるたびに身元を確認し、また別の名を呼びながら、さらに村中を走り回った。


 そして最後に、村の外れでかつて恋人だった遺体を見つけた。彼女は大量の血を吸った土の上に、ただ静かに横たわっていた。見る影もなくなっている遺体も多くある中、その顔にはまだ、生前の彼女の面影がちゃんと残っていた。けれどその身体はもう、二度と起き上がらないことをラウルは一目で理解した。


 その瞬間、何かが切れた。


 ラウルは彼女の亡骸を抱き上げ、その場に座り込んだ。自覚はないが、多分大きな声が出ていた。何を叫んだのかは覚えていない。たぶん意味のある言葉ではなかった。ただ喉が裂けるほど叫んで、その後はずっと泣き続けた。


 夜が来ても泣いた。朝になっても泣いた。涙が枯れても、まだ泣いていた。


 人が死ぬということ、戦が村を焼くということ、自分が商機と呼んでいたものがこういう形をして立ち現れるということが、ようやく分かった。


 ラウルが泣いている途中で、王国の兵士が戻ってきた。恐らく略奪のためだったのだろう。その時のことを、ラウルは今でもあまり鮮明には思い出せない。


 ただ、立ち上がって強く拳を握ったことは覚えている。


 兵士の一人がラウルに何か言った。次の瞬間には、その兵士の顔が陥没していた。


 兵士たちが次々に殴られ、蹴られ、潰されていく。その光景をラウルはまるで第三者が起こした現象かのように、他人事として知覚していた。


 自分の中に、ただの商人ではない何かがあることを、その時ラウルははじめてはっきり知った。だがあの時は、ただ殴れば人が壊れるとしか認識できなかった。


 最後の兵士が地面へ崩れ落ちた時、ラウルは息を切らしながら、自分の拳に付いた血をぼんやり見ていた。


 こんなことをしても彼女は帰ってこないし、村も戻らない。自分が戦争を面白がっていた事実も消えない。


 だったら、せめて二度と、ああいう夜を誰にも味わわせないようにするしかない。

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