カッシーニ家の異様
カッシーニ家の屋敷というのは、知れば知るほど妙な造りの家だった。
富士宮ひとみは、中庭へ面した二階の回廊をゆっくり歩きながら、そんなことを考えていた。左脇腹の傷はまだ完全には塞がっていない。無理をすると鈍い痛みが広がるし、長く立っていれば傷口が熱を持ったような感触を覚える。だが、体に触らない程度の散歩であれば、逆に健康回復に有益だと主治医のベアトリーチェからお墨付きをもらっていた。実際、大河の河岸で拾われてから10日ほど経ち、富士宮の体は、外の空気を吸うために屋敷の中を見て回れる程度には回復していた。
富士宮は病床に臥せっている間にも思考を止めることはせず、時折見える景色やわずかな情報から毎日の現状分析を怠らなかった。その結果見えてきたのは、このカッシーニ家という一族の異様さだった。
王国においてカッシーニ家とは、南方の有力な辺境貴族の一つであり、同時に芸術活動の保護と普及に秀でた文化貴族として知られている。実際、この屋敷の表向きな顔は見事なものだった。正面棟には高い天井の玄関ホールがあり、壁には大陸各地の風景画や宗教画が飾られ、回廊には彫刻が並ぶ。私設音楽堂まであり、ルチアの話では季節ごとに王国中から有名な楽師を招いての演奏会も開くらしい。庭園はきれいに整えられ、噴水の配置ひとつ取っても趣味がいい。南方の陽光を受けて白い石壁が柔らかく光る様子など、実に洗練された貴族のお屋敷そのものだ。これだけ見れば、芸術系の貴族との評判は揺るがないものに見えるだろう。
しかし富士宮の鑑定眼と、前世から染みついたゲーマー的な戦術眼はごまかせない。富士宮の認識では、この屋敷は芸術の保護を仮面にしたただの要塞であった。
中庭は一見とても美しいが、四方の回廊からの死角がほとんどなく、侵入者を囲い込みやすい構造になっている。舞踏室へ至る扉の幅や家具の配置は、単に見栄えのためだけではなく、複数人が即座に陣形を敷けるような作りに違いない。外から見ると大きな倉庫にしか見えない裏手の建物は、どう考えても本格的な室内鍛錬場だ。壁には魔力の散逸を防ぐ加工がされ、床面には衝撃を逃がす材質の高級素材がふんだんに使われている。あれだけ整った設備であれば、かなり激しい模擬戦を毎日やっても外には気づかれにくいだろう。
地下はまさにこの屋敷の本丸だ。富士宮は、まだ案内された範囲でしか地下保護区画を見ていない。だがそのわずかな時間でも十分だった。長期生活を前提にした快適な部屋の数々、百人以上が1年は余裕で暮らせそうな容量の食糧庫、簡易診療所、万一の場合の水路への抜け道、そして数えきれないほどの隠し扉が所狭しと設計・設置されている。そこは善良な魔族やユーラッハ族を匿うための設備である、とルチアが隠し立てもせずに教えてくれた。クラウディアは「一族の秘密をそんな簡単に、、、」と眉間に皺を作っていたが。
つまりカッシーニ家の裏の顔は、芸術貴族なんかではなく、魔族と混血の被差別民族のために避難所を運営する秘密の武門貴族、ということになる。
何よりこの一族は全員が戦える。父レオナルドは剣士、母ベアトリーチェはモンク、姉クラウディアは双剣使い、妹ルチアは大槌使いだ。どこをどう間違えたら、ここまで一家総出で戦闘向きの構成になるのか。
そしてアントニオだけが、この完成された一族の中で、妙な方向へ成長してしまった異端児だった。
アントニオには他の家族と同等かそれ以上の武の才がある。けれど、あの性格と気質のままでこの家の秘密を抱えて成長し、貴族社会に放り込まれたら確かに危ない。善良な魔族やユーラッハ族を匿っているという事実を、どこかで怒りや正義感のままに暴いてしまってもおかしくはない。家としては切るしかなかった、という理屈も分からないではない。貴族には貴族なりの論理や気苦労があるものなのだろう、と王都で様々な貴族と触れ合ってきた富士宮には理解できてしまった。
理解はできるけれど、それでも家族の情が完全に切れていたわけではないようだ。それはこの10日ほどの間でも、嫌というほど伝わってきた。
母ベアトリーチェは、アントニオの傷の具合を誰より細かく気にしていた。父レオナルドも口数こそ少ないが、富士宮やアントニオが療養しているフロアへ顔を出す頻度が妙に多い。姉クラウディアだけは今も露骨に冷たいが、それでも本気で見捨てているなら、あそこまで苛立ちを向けない気もする。ルチアに至っては、アントニオに対する好意を隠す気すらない。兄さま兄さまと騒いで、アントニオが露骨に嫌そうな顔をするたびに楽しそうにしている。
妹には勝てないのよね、ああいうタイプ
まぁ、妹の方はちょっとアレかもしれないけれど
富士宮はカッシーニ家のメンバーのことを思い出して少し笑ってしまった。その時、回廊の先から木剣が打ち合わされる乾いた音が聞こえてきた。
その音は鍛錬場の方向から聞こえてくるようだった。確か、今日はアントニオとレオナルドの模擬戦があると聞いていた。アントニオも相当な重傷のはずだったのだが、富士宮やナビルをはるかに上回る回復力を見せたらしい。まったく、あの体力お化けときたら。ルナアリスにもしもスタミナや回復力というパラメーターがあったのなら、間違いなくSSRレベルだっただろう。
富士宮はまだ病み上がりの体に鞭を打ち、鍛錬場の方向に足を向ける。まだ完全には治っていない身で立ち見をするのもどうかと思ったが、これは見ておきたい。アントニオがどこまで通じるかも気になるし、何よりレオナルド・カッシーニという完成された剣士を見ておきたいという気持ちが強かった。




