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三者三様の目覚め

 次に目を覚ました時、富士宮は木の梁が走っている天井を見ていた。


 周囲を見渡すと見慣れぬ部屋のベッドに寝かせられていることがわかる。部屋は石造りではあるが、どこか温かみのある空間だった。細長い形の窓が高い位置にあり、薄い陽光が差し込んでいる。カーテンや寝台の布地は上質で、教会関係者の富士宮から見ても趣味は悪くない。病室というには整いすぎているが、客室というには薬草の匂いが濃く漂っていた。


 そこで起き上がろうとして、左脇腹の痛みに思わず顔をしかめる。


 ああ、生きてる


 それを妙に他人事のように確認した時、部屋の隅から声がした。


「まだ起きてはいけませんよ」


 振り向くと、椅子に座っていたベアトリーチェが本を閉じて立ち上がるところだった。落ち着いた藍色のドレス姿だが、袖口は動きやすいように絞られている。貴婦人らしい外見なのに、どこか武人の気配が抜けないのが不思議な人だ。


「ここは……」


「カッシーニ家の屋敷です。あなた方三人を川辺で保護した後、この屋敷に連れてきたのですよ」


 ああ、アントニオの実家なのか


 その結論へ至ると、少しだけ笑いたくなる。あの暴れ馬みたいな少年が、こんな整理整頓された屋敷で育ったとは想像しづらい。


「ナビルとアントニオは?」


「二人とも生きています。まだ眠っていますが、峠は越えました」


 その言葉に富士宮はほっと息をつく。


 すると、ちょうどそのタイミングで部屋の扉が勢いよく開いた。


「聖女さまって起きたー!?」


 飛び込んできたのは、大槌の少女――ルチアだった。背丈はまだ十代半ばといったところだが、全身に余計な力みがなく、動きが軽い。明るい茶色の髪が揺れ、好奇心に満ちた目でまっすぐ富士宮を見てくる。


 その後ろから、呆れたような声が響いた。


「ルチア、怪我人がいるのだからノックぐらいしなさい」


 クラウディアが相変わらず冷たい顔をしたまま入室してきた。双剣こそ持っていないが、扉をくぐるだけで空気が少しだけ張り詰める。


 ルチアは姉の言葉をまるで気にした様子もなく、富士宮の寝台へぐいっと近づいた。


「兄さまを連れてきてくれてありがとう! あ、でも兄さま、すっごく汚かった! 血まみれだし泥だらけだし臭かった!」


 失礼な妹だな、と富士宮は少し面白く思う。


「ルチア」


 ベアトリーチェがたしなめる。


「ありがとう、だけでいいのですよ」


「はーい、でもほんとによかったの! 兄さま、生きてた!」


 その無邪気さに、富士宮は思わず小さく笑ってしまった。途端に脇腹が痛み、笑うだけでも命懸けだなと内心でさらに苦笑をしてしまう。


 クラウディアはその様子を見て、少しだけ眉をひそめた。


「笑える余裕があるなら何よりだわ。こちらとしては、どこまで信用していい相手なのかまだ分からないのだけれど」


 まあ、そうよね


 富士宮は内心で納得する。いきなり川から流れ着いた重傷者が、追放された聖女とその従者と分かれば、そりゃあ警戒もする。


 そこへ、ゆっくりとした足音が近づいてきた。長身の中年の男が部屋へ入ってくる。彼は富士宮を一瞥し、それから短く言った。


「申し遅れた。この家の当主レオナルド・カッシーニだ。どうだ、動けるか」


「まだ無理そうです」


「なら無理をするな」


 富士宮が少し拍子抜けするぐらい、簡潔な声がけだった。


「事情は追って聞かせてもらう。だが一つだけ確認したい。追手はここまで来る可能性があるか」


 富士宮は少し考え、ロイヤルナイトの隔絶した能力を思い出して嘘をつくことはできないと考えた。多少の手傷は負わせていた上、大河の流れの中に放り込まれた人物を追跡することは容易ではないだろうが、不可能というわけでもあるまい。ルイの好みではないが、あのジェンナーロのようなスキル構成の配下がいればそう難しくはないはずだ。結論、可能性は高くないが、ないとも言えない。そう考えた富士宮は簡潔に可能性の有無だけを答えることにした。


「……あります」


 部屋の空気がわずかに冷えた気がした。クラウディアが露骨に眉を寄せる。ルチアはきょとんとしているが、レオナルドとベアトリーチェの顔は想定内だと言わんばかりの顔だ。


「なら、なおさら休め」


 レオナルドはそう言って踵を返そうとする。だが富士宮は、その背へ問いかけた。


「どうして、助けたのですか」


 レオナルドは少しだけ振り返る。


「流れ着いた者を拾うのに、いちいち理由がいるものか」


 それだけを言い残して出て行った。不器用な人だけど嫌いじゃない、と富士宮は思う。たぶん、アントニオの頑なさの半分ぐらいは、この父親から来ているのだろう。


     ◇


 同じ頃、別室ではナビルが意識を取り戻していた。


 彼は目を開けた瞬間、反射的に起き上がろうとして肩と肋の痛みに顔をしかめた。寝台の横には、灰色がかった黒髪の老人が座っていた。深く刻まれた皺と、静かな眼差しを湛えた風貌をしている。王都中心部ではまず見かけない類の、土と風と時間に鍛えられたような顔だ。


「起きるな、まだ早い」


 低く短い声だった。ナビルはそれでも老人に視線だけを鋭く向ける。


「……聖女様は」


「生きておる。もう一人の赤毛もな」


 その一言で、ナビルの肩から少しだけ力が抜ける。老人はそれを見て、かすかに目を細めた。


「よく離さなんだな」


「……当然です」


 ナビルは短く答える。すると老人は、ふとナビルの目を正面から見た。老人がナビルのエメラルドの瞳を直視した瞬間、その表情がわずかに動き、だがすぐに戻った。


「わしはザイール・ユーラッハと言う。お主と同じユーラッハ族の生き残りじゃ。時にお主、どこの部族の出身者なのじゃ」


 それは唐突な問いだった。ナビルは一瞬警戒したが、同族と名乗る老人のその目の色に偽りはないと判断して、正直に答えることにした。


「……奴隷商に捕まる前のことは、あまり詳しく覚えていません。山が近くて、水の音が多い土地でした。霧が深くて……岩場の多い場所で」


 そこまで聞いたザイールは、ほんのわずかに息を呑む。


「エメラルドの瞳……まさか、あの部族が生き残っていたのか……いや、あやつらは確かに滅びたはず……」


 それはほとんど独り言だった。ナビルが何かを聞き返そうとするより早く、ザイールは口を固く閉ざす。その目の奥に深い思案を巡らせたまま、今はそれ以上何も言わないと言う強い気配があったので、ナビルもそれ以上突っ込んで聞くことができなくなった。


 ナビルはそんなザイールの様子を不思議に思う。だが、今の自分にはザイールを問い詰めるような余裕はない。聖女が無事なら、今はそれでいい。そう自分へ言い聞かせ、もう一度目を閉じて再度の眠りに落ちていった。


     ◇


 アントニオが目を覚ましたのは、富士宮やナビルが目を覚ましてからしばらく経ってからのことだった。


 彼は目を開けた直後に、どこか見慣れた天井と薬草の匂いへ顔をしかめる。


「……ここは、もしかして」


 起き上がろうとすると、全身の筋肉と骨が悲鳴を上げたので思わず舌打ちをする。すると、そのタイミングを待っていたかのように、扉が勢いよく開いた。


「兄さま! 起きた!」


 突撃してきたのはルチアだった。彼女は迷いなく寝台の上のアントニオに飛びつこうとしたが、その手前でベアトリーチェに首根っこを掴まれる。


「やめなさい。今触って傷口が開いたら本当に死ぬわよ」


「ええっ!?」


「ええっ、じゃありません」


 アントニオはそのやり取りを見て、心底嫌そうな顔をした。


「……なんでいるんだよ、お前」


「兄さまこそ何でいるのよ!」


「それはそうだけどよ……」


「兄さま、汚い! 臭い! でも生きててよかった!」


 何て言われようだ、とアントニオは顔をしかめたまま、布団を頭まで被ろうとしたが、ルチアに怪力で布団を引き剥がされて憮然とする。部屋の入り口付近でその様子を見ていたクラウディアが、アントニオに向けて冷たく言い放った。


「相変わらず見苦しいわね。家を危険へ晒して放逐されたくせに、よく戻って来られたものだわ」


 アントニオもまた、露骨に嫌な顔をする。


「別に好きで戻ったわけじゃねえ」


「結果的に戻ってきたなら同じことよ」


 姉と弟が本格的に口喧嘩を始めようとしたところで、レオナルドが部屋へ入ってきた。彼はしばらく無言で息子を見下ろし、それから寝台の脇へ一本の木剣を置いてから、短く言葉を発した。


「回復したら一度見せてみろ」


 アントニオは一瞬だけ、言葉を失ったような顔をした。父に怒られると思っていたのかもしれないし、あるいは無視されると覚悟していたのかもしれない。だが父の一言は、そのどちらでもなかった。


 少なくとも、もう一度だけ剣を交える価値は認めている、ということなのだろう。


 それが分かるからこそ、アントニオは余計にむず痒そうな、居心地の悪そうな顔になる。


「……うるせえよ」


 やっと絞り出したのがそんな憎まれ口だった。


 レオナルドは小さく鼻を鳴らしただけで、何も言い返さない。ベアトリーチェはそんな父と息子を見ながら、周囲からは気づかれないぐらいのささやかで優しい微笑みを浮かべていた。

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