メッシーナ街道の襲撃(前編)
揺れる馬車の車窓から、富士宮ひとみは外の景色を眺めていた。
王都から南へ向かう街道はよく整備されていて、車輪が大きく跳ねることはない。それでも、数日に及ぶ護送の疲労は身体の芯へじわじわと蓄積していた。窓の外では、遙か先に南方山脈が青く連なっている。その威容は、ただ高いというより、世界の骨格がそこにあるとでも言うべきものだった。雪を頂いた峰々から流れ出した大河が、平野へ下るにつれて多くの支流を生み、まるで大地の血管のように広がっていく。
馬車が通っている街道の周辺には王都南方の大穀倉地帯が広がっていた。山脈から流れ込む豊富な水源と、肥沃な土壌に恵まれた王国の食物庫とでも呼ぶべき地域だ。王国が長く飢えを遠ざけ、豊かでいられた理由の一つが、この雄大な平野だった。実際、街道の沿線には耕された畑が続き、麦の穂が風に揺れ、ところどころに水車や小さな農村が見えた。ここは王国の豊かさの象徴であり誇りでもあると同時に、王国の平和を体現するような光景が広がる地方だった。
その景色と、自分が今置かれている状況は、あまりにも似つかわしくないな、と富士宮は思った。
馬車の中の空気は沈鬱だ。富士宮の向かいには、塞ぎ込んだ顔のナビルと、いつにもまして仏頂面のアントニオが座っている。馬車の入口は固く閉ざされ、その周囲には逃亡防止用の魔導装置がいくつも取り付けられていた。富士宮たちの武器携行は一応認められていたが、装置の気配を見る限り、少しでも脱走しようとすれば馬車ごと吹き飛ばせるようになっている。外では屈強な騎馬兵が並走し、さらに少し離れた場所に魔法使いたちの護衛部隊が続いている。
聖女を守るという意図もないではないのだろうが、主たる目的は軟禁場所まで送り届ける間の監視だった。
イニゴ、ハリー、エリー、アルバロ、ジョンは王都に残された。表向きは教会直轄施設での保護ということになっているものの、実態は人質同然の収監であることは疑いようがない。恐らく、すでに異端審問局による尋問が始まっているだろう。異端審問局の手口は、富士宮ももう理解していた。あいつらにはあらかじめ欲しい答えがあり、それと違う言葉を言えば、拷問という名の痛みと恐怖と屈辱による修正が入るのだ。
だから富士宮は、パーティメンバーたちに対し、別れ際に強く命じた。自分の身の安全を第一に考えてください、と。
そんな富士宮の方針にイニゴは最後まで反対した。あの真面目な男らしく、富士宮を貶める策へ乗ることなどできないと、眉間へ深い皺を刻んだまま言い張った。だが、富士宮はそれを押し切った。
必ず戻って来ますから、安心してください
その時に、あなたが無事でいないと困りますから
そう言って聞かせた時のイニゴの顔を思い出すと、富士宮は今でも少し胸が痛んだ。あの男は、たぶん最後まで納得はしていなかったけれど、主人である富士宮の命令だからこそ従ったのだ。
本来なら、富士宮だけが護送されるはずだった。だが、聖女を連れて行こうとする王国軍に対し、ナビルとアントニオが最後まで抵抗の姿勢を見せた。あわや包囲していた騎士団と乱戦へ突入しそうな勢いで食い下がったため、賢者の側も渋々ながら同行を認めざるを得なかったのである。特にアントニオが暴れた場合の面倒さは、王都でもそこそこ知れ渡っているらしい。もしかすると、アントニオの悪名が賢者の頭をよぎったのかもしれない。
悪名というのは意外なところで役に立つものだ、と考え富士宮はほんの少しだけ苦笑した。
最初は付いてきてくれた二人を頼もしく思い、できるだけ軽口を叩くようにしていた。ナビルもアントニオも気を遣ってくれたのか、富士宮の話に合わせてくれていた。しかし護送五日目ともなれば、三人の間に軽口を叩くような雰囲気はさすがになくなった。ナビルは沈んだ顔で黙り込み、アントニオはずっと不機嫌そうに窓も見ず、富士宮もまた考えることに没頭する時間が増えた。
これから軟禁場所に着いた後も、油断はできない。異端審問局が用意した証拠とやらがどれほど精巧に見えても、オーエンの力を借りればボロを突き止められる可能性は高い。正式裁判で無罪を勝ち取れれば、賢者の権威は一気に失墜するだろう。まして、聖女を共和国の間者へ仕立て上げるような工作が露見すれば、王国内の政治情勢は大いに荒れる。賢者側に寝返ったトーマス・トゥヘルの力があったとしても、成長途上の能力では政治の大波にはまだ抗えないはずだ。
だからこそ、佐藤道春――賢者はそれを黙って見逃すはずがない。
恐らく軟禁中に、自分たちを消す算段がついている。表向きは軟禁中の事故死や病死などだ。そういった類の都合のいい死は、権力者であればいくらでも捏造できる。
だから、ここからが正念場だ、と富士宮はそんなふうに考えていた。
翌日の正午頃、王国を南北に大きく隔てる大河を渡り、その川沿いの街道を走っていた時、遠くに軟禁場所として指定された古城が見えてきた。平野の彼方に建つその城は、いかにも古城といった雰囲気に満ちている。かつて魔王軍との最前線で敵を食い止めたとされる由緒ある城塞で、名をメッシーナ城という。石造りの城壁は高く、塔は古風で、すでに実戦の第一線からは外れているが、いざ籠もればそう簡単に落ちない堅牢さを感じさせた。
ふと思考が外れ、数日前のアントニオとの何気ない会話を思い出す。メッシーナ領は、アントニオの生家であるカッシーニ家の隣領らしい。確かに名前の響きがそこはかとなく似ている。
もしかすると両家は縁戚関係なのかもしれないな、と何気なく考えていた、その時だった。
メッシーナ城から火の手が上がっているのが見えた。
城壁の上から赤い炎と黒い煙が立ち上るのが目視できる。古城の一角が明らかに燃えているのだ。
護衛の騎士や魔法使いたちがにわかに騒然となる。前方から戻ってきた斥候が指揮官へ駆け寄り、馬上で慌ただしく報告を上げていた。
曰く、ユーラッハ族の生き残りが城を急襲しているらしい。
その言葉を聞いた瞬間、ナビルの目が揺れた。ナビルは普段、驚いたとしても顔へ出にくく、感情を抑えるのがうまい子だ。そんな彼が、ここまで露骨に動揺するのは珍しい。
ユーラッハとはナビルの姓でもある。富士宮がナビルへ声をかけようとした、その瞬間だった。
護衛騎士たちの悲鳴が上がる。前方ではなく、今度は左右からだ。
どうやら、別の何者かがこの護送隊そのものを襲っている。
ナビルとアントニオが反射的に武器を構え、馬車内で臨戦態勢に入る。だが二人とも、ここから不用意に飛び出せば逃亡防止用の魔導装置が反応する危険があることにすぐ気づく。最悪、馬車ごと爆発して全員終わりだ。
そこですかさず富士宮が動いた。車窓を開け、すぐ外で混乱している騎士へ声をかける。まだ若い、顔つきに焦りの色が濃く出ている騎士だった。
「このままでは私たちごと焼かれます。早く開けなさい」
聖女の声色を使い、神秘的で静かで、それにも関わらず有無を言わせない響きを込める。
すでに指揮官は打ち取られたのか見当たらず、護送隊は混乱の極みにある。若い騎士は一瞬だけ躊躇うが、すぐに藁にもすがるような目で頷き、必死の手つきで鍵を開け始めた。
馬車の扉が開いたと同時に富士宮たち三人は地面へ飛び降りた。三人とも馬車からやや離れた位置に移動したその直後、馬車へ火炎弾が連続して着弾した。
防御魔法を何重にもかけていたはずの車体が、赤黒い炎を噴き上げて一気に燃え上がる。木と布と魔導金具が爆ぜて、内部の装置が誘爆し、重い音とともに特注の馬車が一気に崩れ落ちた。あと一瞬遅れていたら、間違いなく中で焼かれていただろう。
扉を開けてくれた騎士は、燃え上がる馬車を呆然と見ていたが、その次の瞬間、どこからともなく飛来した矢に頭を射抜かれて絶命した。
ナビルとアントニオは、反射的に富士宮を挟むように位置取り、武器を構える。富士宮も周囲に視線を走らせた。
馬車周辺は、妙に静かになっていた。
少し前まであれほど響いていた怒号も、馬のいななきも、金属音も、今はない。まるでこの場所だけが戦場の中から切り離されているようだった。
その静けさを割るように、富士宮たちのいる側とは反対側から、一人の男が姿を現した。




