裏切りの聖女
富士宮ひとみは、周囲を囲む王国騎士団の精鋭たちと、その後方に整然と並んだ魔法師団の姿を視界へ収めていた。どちらも即席で集められた兵ではない。装備の質や立ち姿、魔力の練度からして、鍛え抜かれた実戦部隊に間違いない。
しかも騎士たちは、まるで親の仇でも見るような目でこちらを睨みつけていた。すでに断罪の結論だけが先にあり、その上でいつ斬るかを待っているような目だった。
――ああ、そう。
富士宮は悟る。
ここへ戻る前の時点でもう終わっていたということだ。富士宮たちが迷宮で命を削っている間に、聖女を追い込むための政治工作は完了していたに違いない。
疲労困憊のレギオンの前で、黒髪の聖女は静かに姿勢を正す。裾の乱れも、呼吸の荒さも、今だけは存在しないものとして脳内で処理をする。神秘的で、静謐で、冷たいけれど美しい聖女の顔を貼りつける。
そして、包囲の中心に立つ白いローブの老人、大賢者ヒッポグリフ・ド・モルガンへ視線を向けた。
「賢者様」
声音はあくまで柔らかい。聖堂の中で祈りを告げる時と変わらない響きで、富士宮は問いかける。
「今、裏切りの聖女とおっしゃいましたか? 何かの誤解ではないでしょうか」
老人は、いかにも好々爺といった笑みを浮かべたまま、ゆっくり頷いた。
「いいえ、聖女殿。賢者の塔の調査により、あなたと共和国が通謀していることが判明いたしました。共和国にいる神子と謀って戦争を起こそうとなさっていたようですな。すでに異端審問局も証拠を押さえていると報告してきています」
その口調はにこやかで、柔らかく、穏やかだった。だからこそ、富士宮は胸の内側で冷えた怒りが一気に燃え上がるのを感じた。
――あ、そう、そこまでやったの
富士宮はすぐにDMを開いて、ヒッポグリフ・ド・モルガンこと佐藤道春に対し、素の自分の言葉を叩きつけた。
『要するに、あんたとルイがつるんで私をハメたってわけ?』
佐藤は口元の笑みを崩さず、一方でDMの中ではやけに軽い調子で答える。
『そういうこと。あなたは個体の育成とメンタル面への配慮が異常に丁寧で有名だからね。育成に目が向いているうちが最大のチャンスだっていうのは分かっていた』
富士宮の視線が、ほんのわずかに細くなる。
それに構わず佐藤は続けた。
『共和国には僕の弟子が潜り込んでいて、ルイと連絡が取れるんだ。あなたの手持ちの個体と戦わせてあげると約束したら、あっさり協力してくれたよ。スティーナとカディジャはルイが痛めつけた後に捕縛した』
そこで富士宮の脳内に、ルナアリス時代の仕様が明滅する。
捕縛、プレーヤーから一定以上離れた個体を、HPを削った上で捕獲する仕様だ。捕縛状態で長く保持すれば、陣営へ引き込める可能性が発生する。PvP環境では有名すぎるほど有名なシステムだった。
佐藤はさらに平然と続ける。
「異端審問局の動きで、あなたの影響力も落とした。だから僕の知力を活かしてトーマスを説得して手に入れたんだ。忠誠値が十分落ちてる時に、知力寄りプレーヤーが口説けば寝返ることぐらい、あなたもよく知ってるでしょ?」
影響力、それもまたルナアリスでは古典的な要素だ。プレーヤーが国家内でどれだけ信頼されているかを示す数値であり、政治行動・人脈・国家への貢献度・名声・不祥事・敵の工作といった戦略フェーズでの様々な行動によって増減する。これが一定以下まで落ちれば、忠誠の薄い個体は寝返りやすくなる。
つまり佐藤は、ゲーム知識を現実へそのまま持ち込み、富士宮が育てた個体をもっとも奪いやすい順番で刈り取っていったことになる。
スティーナもカディジャもトーマスも、単純に強いだけではなく、今の富士宮の戦略にとって必要不可欠な個体たちだ。
富士宮は、表面上は聖女の静かな顔を保ったまま、DMで低く返す。
『ずいぶんと綺麗にはめてくれるじゃない』
それに対し佐藤は、一段踏み込んだ回答をしてくる。
『あなたは個体に入れ込みすぎなんだよ』
その一言に、富士宮の胸の奥で別種の痛みが走った。
『潜在性能を見抜く目は世界一、って噂されてたのに、熱を入れて育成するせいで、いつも大器晩成の素材ばかり抱える。結果、レギオン全体の完成度がいつも中途半端になる。ルナアリスでは、トッププレーヤーがあなたから目当ての個体を奪うこと、結構あったよね』
やめろ
富士宮は心の中でそう叫ぶが、佐藤は止まらない。
「ルイとの伝説の最終バトルで、あなたにトドメを刺した剣神のキャラクター。あれって元々、あなたが牧場で拾った牛飼いの少年だったよね?」
その瞬間、富士宮の脳裏に嫌になるほど鮮明な記憶が蘇る。
ルナアリスでは、個体を発見した時点で進化の可能性全てが分かるわけではない。表示されるのは大まかな進化方向とステータスの振れ幅だけだ。
例えばアントニオなら、
「前衛剣士系統に適性あり」
「武力B〜Sに到達」
その程度の曖昧な情報しか最初は見えない。
つまり、そいつが本当にSまで育つのか、途中でB止まりの器なのか、そこは最初には確定しないのだ。
だが富士宮は、その曖昧な条件の中でも、異様な精度で大器を見抜いてきた。もちろん外れもあるし、手塩にかけて育てたのに覚醒しなかったことだってある。それでも概ね最後には化けさせてきたとの自負があった。
だからこそ彼女の目利きはトッププレーヤーたちから信用されていたし、だからこそ狙われた。
富士宮がじっくり育てている間に、他のプレーヤーが自分の編成に必要なピースだけを奪っていく。
富士宮の目を信用し、その育成途中の個体を横取りする。
そういうことが増えていった。
それは、富士宮ひとみにとって痛い記憶だった。そして今回もまた、同じことをやられたのだ。
強キャラを同時に三体も失う、それはルナアリスですら一度もやったことのないレベルの大失態だった。
富士宮は、その事実に、この世界へ転生してから初めての明確な敗北感を覚える。
きれいに負けた
取り返しのつかないぐらいに
思考が、ほんの一瞬だけ止まりかける。が、その時だった。ふと、別の違和感が胸へ引っかかった。
――待って、なぜジェシカには触れない?
スティーナたち三人を奪ったことはわざわざ口にするくせに、ジェシカの名が一切出ない。
そこで富士宮の頭が、急速に回転し始める。
オーエンが、ジェシカだけは逃がしたのだ。恐らく間違いない。あの男は、宵闇を何としてでも維持するという判断をしたのだ。それはきっと、主人である富士宮の生存を信じた決断だ。
今の自分は負け犬だ。だが、忠臣の決断を無下にはしない。そして、今ここで周りにいるレギオンメンバーの命も失わない。
その結論へ、富士宮はほとんど一瞬で辿り着き、DMを切断した。
そして再び、聖女の声で賢者へ語りかける。
「それは誤解です。私はただ、王国と教会に尽くすために従者たちを鍛えていたに過ぎません」
その声は、少しも揺れない。ほんの少し前まで、迷宮の中で死線をくぐってきたとは思えないほど静かで、整っていて、そして神秘的だった。
「まさか聖女を、何の申し開きも許さずにここで誅殺するなどなさらないでしょう。法の定めた手続きに則り、私の言い分を主張する場を用意していただけませんか?」
周囲の騎士たちが、わずかにざわつく。
確かにここで聖女を即座に斬れば、それはもはや処刑ではなく私刑となり、王国法に明確に背くことになってしまう。賢者の側も、その形だけは避けたいはずだ。
すると、賢者こと佐藤は薄い笑みを浮かべたまま、表面上は穏当な口調で答えた。
「もちろんですとも。すでにその手筈は整えております。聖女様には、しばらく王都を離れた場所にて軟禁生活を送っていただくことにし、その間にしかるべき裁判準備を行いましょう」
その言葉は、表向きには聖女の権利に配慮したような口ぶりだった。
だが富士宮には、この老人の目の奥に別の思惑があることが分かった。
裁判までの間に、もう一波乱ある。十中八九、軟禁の時点で何かを仕掛けてくるに違いない。
富士宮はそれを確信するが、それでも今は従うしかない。生き延びるため、そして忠臣の決断を無駄にしないために。




