ミノタウロスへの道
王都地下迷宮の十六層以降の構造は、それまでの階層の様子と極端には変わらかった。通路の先に分岐があり、先に続く道の途中には広間がある。そこでは大概の場合、魔物が待ち伏せしてこちらへ襲いかかってくる。顔ぶれ自体も大きく違わない。現れるのはゴブリンやオークの上位種といった、十階層を超えたあたりから見慣れ始めた人型の魔物たちだ。
だが、その戦闘レベルが全体的に高いのが厄介だった。同じハイゴブリン・レイダーでも、死角へ回り込もうとする足運びが上層の個体より鋭い。同じコボルト・ハウンドナイトでも、槍の突きの鋭さと連携の練度が1段階上だ。オーク・ブルートセンチュリオンやフェルミナ・シャドウクロウも全体的な動きの質が上がっている。
初回攻略時ならここで行き詰まっていたかもしれない。しかし、カースナイトとの死闘を経て、パーティ全体がジョブランクを上げており、ステータスだけでは把握できない筋力等のパラメータの基本値が増加していた。そのため、敵の速さや膂力が上がっていても、それを上回る性能で対抗することができた。
しかし、パーティが大禍なく十六層以降も進めている最も大きな要因は別にあった。
「右のゴブリンの右腕第二関節、浅く削ってください」
パーティの後衛から富士宮の静かな声が飛ぶ。これまではイニゴとナビルが現場指揮官として各自の動きを指示していた。もちろん今もそれは変わっていないのだが、それに加えて富士宮が攻撃すべき箇所を指定するようになった。
富士宮は《タナトス》を常時発動し、指揮へ応用するという運用を行なっていた。これにより敵の最も壊しやすい関節や、最短で動きを鈍らせられる部位、切断より魔法が有効な箇所、斬るより刺す方が通る位置が真っ暗な視界の中で白く浮かび上がってくる。気持ち悪いぐらいに敵の効率的な壊し方が分かってしまうのだ。ただその反動として、《タナトス》は富士宮に脳と目の神経を焼き切るかのような苦痛を常に与えてくる。常人なら呻き声を上げても仕方ないその苦痛に、富士宮はただ静かに耐えていた。
今は、これを使って前に進むしかない
「イニゴはオークの右肩側からの剣の振り下ろしを、ハリーは後ろのコボルトの足を止めてください。その隙にジョンはオークの左脇腹を下から突いて、アントニオはコボルト3体の首下を横に薙いでください。ナビルはフェルミナの足首だけ狙うように」
短く、正確に告げていく。その場その場で最適な破壊方法だけを指定する。
イニゴは疲れていてもそれに対応しようとし、ハルバードで魔物の大剣を押し上げ、そのわずかな隙へジョンが蜻蛉切りをねじ込む。アントニオは不機嫌そうな顔をしていながらも、富士宮の指示どおり、無駄な大技を使わずに最短で敵を崩す斬撃を選んだ。ナビルの二丁拳銃が、指示された箇所へ容赦なく弾丸を重ねる。アルバロは広範囲に雑な砲撃を行うのではなく、必要な箇所に必要な種類の魔法だけを流し込むスタイルを守っていた。エリーは回復と解呪とバフを、苦しそうに息を切らしながらもつないでいく。
富士宮はこうしてパーティの進軍を無理やり持たせて、何とか二十層ボススペースの手前までたどり着いた。その時には全員がその場で立ったまま眠れそうなぐらい消耗している。
富士宮自身も、脳の奥がキリキリと痛む感覚に襲われていた。体力回復薬や魔力回復薬はまだあるが、それで戻るのはあくまで数値としての体力だけだ。《タナトス》の酷使により疲れた精神と神経まではすぐに回復しない。
この辺りはやっぱりルナアリスにないリアル仕様だな、と富士宮は場違いに思う。ゲームなら回復アイテムを飲んで即座に「はい全快」となる場面ばかりだが、現実はやはり違う。筋肉の疲労により腕の重さ、連続した移動による呼吸の苦しさといったものがちゃんと蓄積する。最初はとても面倒くさいと感じたが、だからこそ逆に人間らしいと考えられるくらいには、この世界に馴染んできた自覚があった。
そういった前提で考えると、ここで無理をして休憩せず二十層ボスのミノタウロスへ突っ込むのは、どう考えても自殺行為だ。富士宮は早く地上に戻りたいと逸る気持ちを押さえ込み、キャンプスペースで数時間の休息を取ることを決めた。
休憩へ入った途端、アントニオとジョンはほとんど倒れ込むように眠ってしまった。ほんのさっきまで、相手が武器を大きく振れば大きく振り返し、挑発し、意地を張り合っていた二人が、今は並んで泥のように眠っている。その光景が少しおかしくて笑えてしまう。
イニゴは壁へもたれ、腕を組んだまま眠っていた。相変わらず騎士らしい真面目な寝方である。たぶん本人は仮眠のつもりなのだろうが、どう見てもぐっすりと眠りに落ちている。ハリーは盾へ身体を預けて座り込み、アルバロは杖を抱えたまま目を閉じ、エリーは小さく祈るような姿勢で眠っている。
そんな中で、ナビルだけがまだ起きていた。富士宮が目を向けると、彼は膝の上へ広げた紙へ何か細かく書き込んでいた。近づいてみると、それはこれまでの戦闘をもとにしたミノタウロス戦の配置図案だった。
「何をしているのですか」
富士宮が小声で尋ねると、ナビルは一瞬だけ顔を上げ、それから少し気まずそうに視線を落とした。
「……前回の戦闘と、ここまでの流れを踏まえて、戦術を組み立てています。後でイニゴさんに見てもらって、細部を詰めた上で全員に共有しようかと」
富士宮は内心で素直に感心した。
あのナビルが参謀っぽいことをしている
そういえば元々戦術眼は鋭かった
次は軍師寄りの育成もありかもしれない
富士宮は興味を引かれ、ナビルの書き込みを覗き込んだ。そこにはミノタウロスを想定した簡易的な布陣と、敵の突進軌道予測、前衛の受ける想定位置とそれに伴う後衛の射線が何重にも書かれていた。そしてある意味で意外なことに、その戦術の中核に据えられていたのはアントニオだった。
戦術の構成はまだところどころに粗さが見え隠れする。本職の軍師ではないゲーム脳だけの富士宮が見ても分かるほどの粗さだ。しかし同時に、アントニオへの信頼の強さが見て取れる。あいつならここで突破してくれる、あいつならここで斬って前進してくれるという純粋な信頼が前提で組まれた戦術だ。
ナビルはきっと、知らず知らずのうちにアントニオを認めているのだろう。とても健全なライバル関係で、大変よろしい。
富士宮は少しだけ、ほっこりする。
その後、イニゴも起こして細部を詰めた結果、ミノタウロス攻略はやはりアントニオの剣技を中心に攻めることになった。ミノタウロスにはカースナイトのようなデバフの手段はないその代わり、圧倒的な暴力と絶望だけを押し付けてくる厄介な相手だ。だが逆に、実に分かりやすいボスとも言える。
結局は、パーティの総力を挙げて真正面から受け切れるかどうかがすべてになる。新加入のジョンは確かに強いが、正面からの膂力と押し合いだけなら、現時点ではまだアントニオに分がある。だから、次の戦いの軸はアントニオにすることを富士宮は承諾した。
3時間後、富士宮は起き上がったメンバーたちと共にアイテムの最終点検を済ませ、二十層最奥の大きな扉を開けて、ミノタウロスの部屋への足を踏み入れた。




