序盤無双兼育成役、獲得大作戦
聖女の専用個室は、今日も妙に静かだった。
高い天井と分厚い絨毯。磨かれた机、細い脚の椅子、窓辺には花瓶、壁には聖人画。いかにも「高貴な方のためのお部屋です」という内装である。
その机の上に、今は上質紙が何枚も広げられていた。
そこへ羽ペンを走らせているのは、この部屋の主――黒髪の聖女、富士宮ひとみ。
外から見れば、聖女が神意を書き留めているようにしか見えないだろう。何しろ表情が薄い。姿勢もいい。黒髪がさらりと肩に落ちていて、窓からの光も妙に似合う。侍女あたりが見たら、たぶん「神託の記録を……!」と勝手に感動する。
しかし、机の上の紙に書かれている内容は、まったく神託ではなかった。
むしろかなり生々しい。
紙の中央には、すでに大きくこう書いてある。
【イニゴ・マルティネス育成運用案】
聖女らしさはどこにもない。
「……よし」
富士宮ひとみは小さく呟き、羽ペンの先を整えた。
内心はかなり乗っていた。
来た。
来たのよ。
序盤で引いてはいけない類の教官枠。
強くて、教えられて、前線もいけて、ナビルとの相性まで良い。
なんなの。運営がバランス調整を失敗したの?運営って何?
でもこれは大当たり。間違いなく大当たり。
富士宮は真顔のまま、紙に追記していく。
まずは現状分析。
イニゴ・マルティネス。王国騎士、ジョブランクB。現在のスキル構成は七つ。
ハルバードマスタリー
パワースマッシュ
アーマーブレイク
ラッシュチャージ
ワイドスイープ
ガードクラッシュ
フィニッシュブロウ
書き並べてみると、あらためてよくわかる。
「……完全に前線火力要員ね」
ぽつりと声に出した。
そう、完全に前線火力だ。
しかもわかりやすく強い。
まず単純火力が高い。さらに、対装甲、集団戦に強く、ガード割りで敵の前線を破壊できる。加えて、突撃・追撃性能まで備えている。要するに、前に出して敵を壊すことに特化している。
変なひねりがないぶん、扱いやすくて、序盤は最強。育成が進んでいない手札の中では、まず間違いなく主砲だ。
富士宮の内心では、ゲーム画面の編成枠が勝手に並んでいた。
はい、前線真ん中に置いて、序盤メイン盾兼火力……いや、盾ではないわね。
壁ではなく突破役にして、雑魚掃除と前衛の安定化を両方させる。
単純に強い。
こういうの一人いるだけで事故率が全然違うのよ。
そこで富士宮は、もう一枚紙を引き寄せた。
次の見出し。
【将来運用】
ここからが本題だった。
現状、イニゴは強い。
たぶん今の自分の周囲で、単体戦力としては頭ひとつ抜けている。
だが――。
「真価はそこじゃないのよね」
羽ペンの先が、さらさらと紙の上を滑る。
序盤は、間違いなく前線の中心になる。誰よりも強いから、戦線はイニゴを軸に回る。
だが、中盤以降、Aランク、Sランクのジョブ持ちが育ち始めたら、純粋な前線運用は徐々に厳しくなる。
武力Bは、あくまでBだ。序盤は最強でも、終盤エースの数字ではない。
けれど、そこで腐らない。
なぜならイニゴの本命は、戦うことではなく、育てることだからだ。
潜在ジョブ【キャプテン】。レア度SS。ジョブランクSまで到達可能。
取得可能スキル群は、どう見ても育成・編成・現場統率の塊。
トレーニングブースト
スキルコーチング
フォームチェック
ロールアサイン
メンタルサポート
チームビルド
リカバリーガイド
モチベート
リミットリード
ベテランズアイ
並べるだけで笑ってしまう。
顔は笑ってない。表情は無だ。
だが心はだいぶ笑っていた。
なんなのこの理想の教官パッケージ。
欲しいもの全部入ってるんだけど。
軍学校のパンフレットか何か?
しかも最終スキルがパーフェクトオーダー。
統率上昇、育成効果上昇、ヘイト軽減。
こんなの実質、育成編成の完成形じゃない。
ありがとう。ありがとうイニゴ。まだ仲間じゃないけどありがとう。
富士宮は、次の行にナビルの名前を書いた。
【ナビル育成との相性】
ここは重要だった。
ナビル・ユーラッハは、最終的には補助バフ型へ行く。
主君補佐、パーティ支援、補助・回復・補給などタスクの多重管理、戦場外の環境も踏まえた状況把握などオールマイティなバフ役になれる。
だが、補助だけ育成するのでは足りない。
最終的に強い補助役になる個体ほど、一度は単体性能を伸ばしておかないといけない。前線を知らない補助役は、伸びの上限が低い。ルナアリスでもそうだった。本人が危険と痛みと実戦の機微を知っているかどうかで、終盤のスキル解放条件がまるで変わる。
つまりナビルには、①最初に基本値を上げさせる=イニゴとトレーニング→②実戦経験を踏ませる=小さなクエスト受注から始め、雑務も含めた実地経験を与える、というPDCAを回す。最終的に、前線火力もA相当までは上げたい。なにせ武力もAまで届くのだから。
そこまで行って、ようやく潜在能力の全開放が見えてくる。
富士宮は羽ペンを止め、しばらく紙を眺めた。
「……やっぱり、必要」
結論は同じだった。
イニゴは絶対に要る。護衛としても、戦力としても、ナビル育成の教官としても、最適すぎる。
問題は、要るか要らないかではない――どうやって仲間にするか、だ。
富士宮は、そこでようやくペン先を止めた。
イニゴは王国騎士。教会騎士ではない。
つまり、教会の管轄外の人間だ。
教皇に「欲しいです」と言ったところで、はいどうぞとはならない。教会と王国は仲良く手をつないでいるわけではなく、むしろ表向きの笑顔の下で、互いに牽制し合っている。
王国騎士を聖女付きに引き抜くというのは、字面以上にで面倒くさいことなのだ。
「……どうしたらいい」
富士宮は真顔で悩んだ。
こういう時、ゲームではどうしていた? 考えろ、自分。過去の廃人ゲーマー知識を総動員しろ。今こそ人生を無駄にした時間が輝く場面でしょう。
しばらく考えた末、答えは意外とあっさり出た。
ルナアリスの仕様だ。
フリーでもなく、自派閥でもない個体を仲間にする時、必要なのは二つ。
1 当該個体の好感度を上げること。
2 所属派閥に相応の対価を払うこと。
「……そういうことか」
富士宮の目が少しだけ細くなった。
これはあくまでシステム上の話だ。でも、構造は現実でも同じかもしれない。
本人に「この人に仕えたい」と思わせる。所属側に「出しても惜しくない」と思わせる。
そして対価は、何も現金である必要はない。相手に価値を渡せばいいのだ。
今の自分が、この世界で持っている明確な価値。
それは――。
「鑑定」
元の世界で言うところの、何でも鑑定団能力。こちらの世界では、聖女の奇跡・神の眼と言い、教会の金づるでも正解になる。
呼び方は何でもいいが、要するに王国側に見せれば、それなりの値打ちになる。
王国の重臣の前で、それを披露する。さらに、その場にイニゴを絡ませる。
自分への好感度と、王国側への価値提供を同時に満たす。
そこまで考えたところで、富士宮の脳内に光が走った。
「……あ」
三日後、とある宮廷貴族のパーティに招かれていた。
面倒だと思っていたが、今となってはイベント会場にしか見えない。
王国貴族は、教会騎士を屋敷に入れるのを嫌う。
だから、教会側の護衛でも王国騎士がつく場合がある。それなら、、、、。
「イニゴを指定すればいい」
護衛の指定程度なら、聖女の気まぐれで済む。高位聖職者も「黒髪の聖女は時々妙なこだわりを見せる」と勝手に神秘化してくれる。
使える誤解は使うべきだ。富士宮はすぐにお目付役の高位聖職者を呼んだ。
*
「イニゴ・マルティネス?」
高位聖職者は、少し意外そうに眉を上げた。
だが、すぐに「なるほど」という顔をする。何がなるほどなのかはたぶん本人もわかっていない。
「中年の王国騎士ですね。あの者を?」
「次のパーティの護衛に」
「ふむ……」
聖職者は考え込んだ。
富士宮はじっと待つ。表情は薄い。だが内心はかなり前のめりだ。
いける。
たぶんいける。
変なところで頑固な聖女ムーブ、今こそ活きろ。
頑張れ私の神秘性。今だけ都合よく働いて。
やがて高位聖職者は頷いた。
「聖女様がお望みなら、その程度は手配いたしましょう」
通った。
富士宮は心の中でそっと拳を握った。
ありがとう。
ありがとう“黒髪の聖女は時々変なわがままを言うけど、それもまた神秘性”という雑な解釈。
今日ばかりは心から感謝する。
*
パーティ当日。
イニゴ・マルティネスは、正直かなり嫌そうな顔をしていた。
もちろん、あからさまには出していない。腐っても王国騎士である。貴族の屋敷に上がる程度の礼儀は知っている。
だが、内心はひどいものだった。
なぜ自分なのか。
どう考えても、もっと見栄えのする騎士がいるだろう。
なぜあの黒髪の聖女に気に入られたのか。
あの日、下町で少し目を留められた。それだけだ。
なのに今日は宮廷貴族の屋敷。場違いにもほどがある。
イニゴは胸の内で舌打ちした。
こういう場所は嫌いだ。
磨かれた床。高価な酒。うるさい香水。笑っているくせに目の笑わない貴族たち。誰もが誰かの立場と機嫌を測っている。
早く終わらないものか。
終わったら飲み屋街へ行って、安酒を煽りたい。
この場にある一番高そうなワインより、薄くて雑な酒の方がよほど落ち着く。
そして、護衛対象である黒髪の聖女――ヒトミ・フジノミヤも、そんな場所に連れてこられていた。
相変わらず無表情で、静かで、綺麗だった。
しかもこの手の場では、その無表情さがやたらと神秘的に見えるらしく、貴族どもが勝手に陶酔している。
イニゴはそれを見ながら、少しだけ苦く思う。
聖女といっても、結局は貴族や聖職者の玩具みたいなものだ。
珍しい力を持つ娘を、こうして見せ物にして、ありがたがって、都合よく使っている。
本人がどう思っているかなど、誰も気にしていない。
むしろ可哀想なものだ。
そんなふうに考えていた時だった。
ホスト役の宮廷貴族が、妙に楽しげな声を上げた。
「せっかく聖女様をお招きしたのです。余興として、我らの宝を見ていただいては?」
始まった。
イニゴは心の中でため息をつく。
次々と貴族たちが、剣だの杯だの宝石だのを持ち出してくる。
富士宮はその都度、静かに鑑定し、価値や由来を告げる。
貴族たちは「おお!」と喜び、自分の宝がいかに優れているかを再確認して悦に入る。
やっぱり見せ物だ、とイニゴは思った。
だが、最後に出てきた男を見た瞬間、彼の表情は硬くなる。
軍務畑の貴族。名も顔も知っている。
評判は最悪だ。
国民からは嫌われている。
だが軍の荒くれ者からは人気がある。
理由は簡単だ。
軍規を守らせないから。
略奪を見逃すから。
村を焼いても、女を犯しても、気分で笑って済ませる男だから。
イニゴの脳裏に、一気に昔の光景が蘇った。
燃える家。
泣く子ども。
倒れた女。
笑う兵士。
止めない上官。
止められなかった自分。
あの日から、王国への忠誠は形だけになった。
あの貴族の男は、自信満々に刀剣を差し出した。見事な業物だった。戦場での武勲でも語るつもりなのだろう。
富士宮は、それを受け取った。
そして《鑑定眼・宵》を向けた。
視界の中に、情報が開く。
【刀剣】
【真贋:本物】
【由来:他領より略奪】
【穢れ:極大】
【付与条件:多数の虐殺、強姦、略奪への関与】
【備考:所有者自身の罪業により、呪具としての威力上昇】
富士宮は、静かに顔を上げた。
「……これは、略奪品です」
場が凍った。
誰かが息を呑み、誰かがグラスを落としかける。
軍務貴族の男が顔色を変える。
「な、何を」
「正式な継承ではありません。本来の所有者から奪われたものです」
ひとみの声は低く、落ち着いていた。
だが、その静けさの方がかえって重い。
男はすぐに言い訳を始めた。
「わ、私は出入りの商人から買ったのだ! そんな穢らわしい品とは知らなかった。騙された被害者にすぎん!」
富士宮はその言葉を聞きながら、少しだけ目を伏せた。
ここで怒る必要はない。
怒りより、もっと効く表情がある。
「……そう、ですか」
普段はほとんど感情を見せない黒髪の聖女が、その時だけ、ほんの少し悲しそうに見えた。
会場の空気が変わる。
貴族たちは、その微細な変化に息を呑んだ。
怒りではなく、軽蔑でもなく、哀しみ。
それが逆に、逃げ道を塞いだ。
富士宮は続ける。
「ですが、この刀剣には、持ち主自らが多数の人間を虐殺し、辱め、穢したことでしか付かない強い穢れが残っています」
男の顔が引きつる。
「それが……逆に呪いの武具としての力を高めているようです」
静かな声だった。
けれど、その一言は致命的だった。
知らなかったでは済まない。
これは所有者自身の穢れだと、告げているに等しい。
場は騒然となった。
王国側の貴族たちがざわめき、軍務貴族の男を取り囲む。
弁明の声が上がるが、誰もまともに聞いていない。
さっきまで宝剣を自慢していた男は、今や穢れの持ち主として見られていた。
やがて数人の王国側の人間が、半ば強引に男を連行していく。
イニゴは、その一部始終を見ていた。
貴族の玩具だと思っていた。
見せ物として消費される、気の毒な聖女だと思っていた。
違った。
この女は、貴族どもの遊戯場で、最も触れてほしくない真実を、平然と引きずり出せる。
しかも怒鳴りもしない。騒ぎもしない。ただ真実を置くだけで、汚れた男を断罪してしまった。
その姿に、イニゴは息を詰めた。
畏敬に近いものが、胸の中で静かに沈んでいく。
この人は、本物だ。
*
帰りの馬車の前。夜風が少し冷たかった。
護衛の立場上、イニゴは最後まで無言で控えていたが、結局、黙ったままではいられなかった。
富士宮が乗り込む直前、彼は一歩だけ近づく。
「聖女様」
ひとみが振り向く。
黒い髪が揺れ、暗い中でもその目は静かだった。
イニゴは少しだけ言葉を探した。柄でもないと思う。けれど、言わなければたぶん一生後悔する。
「……もし、お許しいただけるなら」
「何ですか」
「あなたに、仕えたい」
富士宮は、表面上はほとんど反応しなかった。
「そうですか」
それだけ。
だが、内心では。
逸材ゲットーーーーーーーーっ!!
来た!
来た来た来た!
自発加入イベント!
好感度条件達成!
所属派閥への価値提供も成功!
完璧! 完璧すぎる!
ありがとう略奪将軍! いや全然ありがとうではないけど、イベント的には完璧な踏み台だった!
ひとみは心の中で吠えながら、外には少しも出さずに言った。
「……考えておきます」
イニゴはその返答に、むしろ少し安心したように頭を下げた。
即答で受けられるより、その方がこの聖女らしいと思えたのかもしれない。
富士宮は馬車に乗り込む。
扉が閉まる。
外から見れば、黒髪の聖女は今夜も静かで、何を考えているのかわからない。
だが馬車の中、誰も見ていないところで、富士宮ひとみはほんの少しだけ拳を握った。
ついに取った。
序盤の無双枠兼育成役。
しかも自発加入。
最高だった。




