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初めての地下迷宮1層〜5層

 王都地下迷宮に、ついに挑む日が来た。


 その朝、富士宮ひとみは、自分でも少し驚くくらい気分が高揚しているのを自覚していた。


 ようやくここまで来た、という実感が沸き起こってくる。思えば長かった。不足していた人材を集め、育て、信頼関係を作り、政治的な根回しまでして、ようやく迷宮の入り口へ立てるのだ。


 同行するのは、富士宮本人に加え、イニゴ、ナビル、アントニオ、ハリー、アルバロ、そしてエリー。今の富士宮が手元に置く駒のうち、迷宮攻略に必要な最低限の能力を持ち、かつ今度の成長見込みが最大級に高い六名だ。


 王都地下迷宮の入り口は、王都東部の外縁にあった。そこは、富士宮が思っていた以上に迷宮ビジネスの匂いがする地域だった。高位冒険者を相手にする高級武具店、保存食や薬品を売る専門商店、迷宮で得た素材を高値で買い取る商館、高級旅籠、武器の応急修理を請け負う鍛冶屋まで、必要なものが何でも揃っている。


 迷宮に挑もうとする高位冒険者たち向けの高級店が軒を連ね、その街路は王都のほかの場所と違う緊張感に満ちていた。富士宮は、こういう攻略前の補給拠点みたいな場所がとても好きだった。


 いいわねえ、こういうの

 すごくゲームっぽい

 ルナアリスの高難度ダンジョン前の街もこんな感じだったわ

 あそこでも消耗品の値段とか、武具の修理費とか、パーティの編成談義とか、そういうのを眺めるだけで楽しかったのよね


 迷宮入口付近は王国騎士団により厳重に警護されていた。通過者に対する身元確認は徹底されており、顔なじみの冒険者ですら装備と人数の照会を受けている。迷宮の危険性を考えれば当然だが、それと同時に「ここは国家の管理領域である」という主張でもあるのだろう。


 富士宮一行は、事前の調整によりほぼ顔パスでそこを抜けることになっていた。だが、警備の騎士の一人が、富士宮の姿を見た瞬間、露骨に眉をひそめた。


「……聖女様も、行かれるのですか?」


 声に困惑が混じっていた。無理もない。従者を送り込むだけならともかく、聖女本人が危険な迷宮へ潜るなど普通は考えない。


 富士宮は、静かなまま答えた。


「賢者殿の了解は得ています」


 その一言で、騎士たちは逆らえなくなった。


 佐藤、マジでありがとう


 富士宮は心の中で、かつての後輩ルナアリスプレーヤー、現在の千年賢者へ素直に感謝した。あの男、自分では「もう戦う力はほとんど残っていない」などと言っていたが、権威という意味ではまだまだ絶大だ。


 迷宮入口は、王都の外れに築かれた盛土へぽっかりと開けられた穴のような外見をしていた。拍子抜けするほど地味な見た目だ。もっとこう、巨大な門だとか、古代文明の遺跡めいた大仰な外観を想像していたのだが、見た目だけなら少し大きめの地下道にしか見えないし、とてもその先に魔物の巣窟が広がっているとも思えない。


 しかし一歩中へ入ると、空気が変わった。一本道が奥へと続いている。床と壁は微かに発光しており、暗いは暗いが歩くのに支障が出るほどではない。視界は悪くなかったけれど、スティーナから事前に言われていた通り、この自然光めいた微光は五階層以降では失われる。


 だから、ランタンの準備に抜かりはない。食糧も十日分、各自が分担して持っている。迷宮には五階層ごとに入口へ戻るワープポイントがあるので、一日一階層のペースで進めば十階層までは理論上問題なく潜れる計算になる。


 もちろん、それはあくまで机上の話だ。地下迷宮の最高記録は二十一階層。その記録保持者は、あのスティーナ・ブラックステニウスである。とはいえ彼女一人で達成したのではなく、Sランク冒険者を含む十名のパーティによる記録だから、単純比較はできない。


 しかし富士宮の廃人ゲーマーとしてのプライドは、そこに強く反応していた。


 この初回プレイで、必ず攻略法を見つけてやる

 じゃないと、元ランカーの名が廃るのよね。


 スティーナから事前に受けたレクチャーは、言ってしまえば攻略サイトを閲覧したようなものだ。だが、プレー環境が違う以上、そのままなぞるだけで先達を超えられるはずがない。結局、最後は自分で見て、考えて、攻略法を組み立てるしかないのだ。


 富士宮がそんなふうに気合いを入れていると、隣を歩いていたナビルが小さく笑った。


「聖女様、今日はいつもより楽しそうですね」


 その一言で、富士宮は自分が少し浮き足立っていることに気づいた。


 あら、ばれてた


 彼女は小さく苦笑してみせる。


「そう見えましたか」


「はい。少しだけ」


 ナビルはそう答えると、それ以上は何も言わなかった。余計な追及をしないのはこの少年の美点だ。


 迷宮一層は、拍子抜けするほど余裕だった。現れるのは事前情報どおり、ゴブリンやコボルトの低級個体ばかり。そこらの街道クエストに出てくる雑魚を少しだけ強くした程度でしかない。イニゴに徹底して鍛えられたパーティにとっては楽勝もいいところで、前線のイニゴ、ハリー、アントニオが前衛の雑魚敵を倒している隙に、後方のナビルとアルバロがより危険な敵を順に落としていった。富士宮はほとんど手を出す必要がなかった。


 二層、三層、四層も敵の強さ自体には大差がない。迷宮特有のいやらしい通路構造や、天井の低い広間、足場の悪い曲がり角などはあったが、今の一行にとって致命的ではなかった。


 ただし、迷宮自体が思った以上に広い。スティーナの事前情報はあったが、それでも実際に歩いた体感は想像を超えていた。四層を抜けて五層へ降りる直前のキャンプポイントへ到着した時には、全員それなりに足へ疲れを感じていたので、その日は野営することになった。


 ここで意外な才能を発揮したのがハリーだった。大柄のタンク役で、ひたすら受けて押し返すイメージの彼だが、どうやらかなりのグルメらしい。持ち込んだ香味野菜と家畜の肉を香辛料で煮込み、さらに米状の穀物へかけて、あっという間に温かな食事を作り上げた。


 富士宮は一口食べた瞬間、目頭が熱くなった。これは言ってみればカレーだ。厳密には違うのだが、前世のカレーにかなり近い味がする。香辛料の香り、脂の旨味が溶け出したスープ、そして米状の穀物との相性など類似点が数多い。


 うわ、懐かしい

 普通に泣きそうかも


 この穀物は、賢者こと佐藤が長年にわたる品種改良の末に生み出したものらしい。保存が利き、腹持ちもよく、今では大陸中で日常的に食べられているという。


 富士宮は内心で大真面目に思った。


 昔の魔王倒した以上の偉業だぞ、それ

 世界救うのもすごいけど、米っぽい主食を普及させるのは別方向で神業だから

 前世日本人の胃袋にとっては完全に英雄よ


 翌日、五層へ到着した一行を待ち構えていたのは、明らかな難度上昇だった。


 最初に現れたのは、大型の蜂型魔獣グラビード・ホーネット。黒と黄の縞を持つ巨大な蜂で、胴体は人間の胴ほどもあり、飛行速度が速い。特に尾針が危険で、刺されれば毒だけでなく衝撃そのものが武器になる。


 次に、岩石型の自爆魔獣ボムロック・モール。丸みを帯びた岩塊のような外見だが、内部へ高密度の魔力を抱えている。接近すると体表が赤く亀裂を帯び、自爆する。動きが遅いと油断したところで爆ぜる、極めて嫌な敵だ。


 さらに、地中から襲いかかる芋虫型魔獣グラッジ・サンドワーム。土中を高速で移動し、地上の気配を感知すると真下から突き上げてくる。表に出てきた瞬間の牙も危険だが、何より前衛の足場を崩して陣形を乱すのが面倒だった。


 いきなり、迷宮らしい難易度の上昇だった。だが、それでもイニゴ、ハリー、アントニオで固めた前線には安定感があった。グラッジ・サンドワームの突撃にも隊形を乱さず、かえってイニゴとアントニオとで、土中から出現した途端に切り倒していた。その背後からナビルの銃撃がグラビード・ホーネットの急所を直撃して落とし、アルバロは火・風・雷の属性を素早く切り替えながら、ボムロック・モールを危険な位置で爆ぜさせないよう制御していく。


 多少の傷は負ったものの、エリーによる治癒ですぐに回復して進むことができたので、全体的には危なげなく攻略が進んだと言っていい。


 だが、五層最後に待っていた階層ボスはやはり少しだけ格が違った。


 大きな岩壁に備え付けられた扉を潜ってボス部屋に入ると、長い嘴に人型の体躯と空を飛ぶ翼を持ち、長槍を構える魔物が三体現れる。それは、空中戦を得意とする鳥人型魔物ガーゴイルだった。


 ただの石像めいた魔物だと思うと痛い目を見る、と冒険者たちの中では恐れられている。翼による飛行で自在に空間を使い、長槍の間合いを最大限に活かして刺突を放ってくる。その軌道は読みづらく、高低差を利用されると、地上戦前提の感覚では反応が一歩遅れる。


 実際、富士宮たちのパーティも最初は翻弄されてしまった。最前線のイニゴがガーゴイルの突きに反応しきれず、右太腿へ重傷を負ったのが、その証拠だ。


 ここでエリーが本領を見せる。戦闘向きの才能はまだ眠ったままだが、回復役としての能力は本物で、エリーは他のメンバーの回復を後回しにして、イニゴの右足を集中的に治療した。さすがに完全回復とはいかなくとも、戦闘行動を維持するには十分なところまで回復させたのは、さすがという他ない。


 治療を終えたイニゴが、短く礼を言いながらエリーの肩をぽんと叩いた。それだけで、エリーの顔は真っ赤になり、しばし戦闘不能状態に陥る。


「おい!こっちも回復しろ!!早く!!」


 前線でさらに傷を負ったアントニオが激怒する。富士宮はその騒ぎを見ながら、まあこれもエリートアントニオにとっての良い訓練だと捉えておこう、と半ば現実逃避していた。


 結局この戦闘も、前線の三人で持ち堪えつつ、ナビルとアルバロの遠距離攻撃でガーゴイルをじわじわ削る形で進んだ。


 ナビルの射撃が二体の翼の関節へ綺麗に入ったのとほぼ同時に、アルバロの風刃が翼を切り刻んで高度を下げさせた。敵の体勢の崩れたところへイニゴが一気に踏み込み、ハルバードを振り抜いて二体をまとめて切り捨てた。最後の一体はアントニオが怒りのままに何やかんやあって叩き切った。ただしイニゴが二体倒したことにアントニオはまた負けた気分になったらしく、露骨に拗ねてヘイトが上がった。


 もういい

 気にするのも疲れてきた

 どうせまた上下するし、そのうち褒めればヘイトはまた下がるだろう


 初めての強敵との戦いで一行はさすがに消耗していた。そこで、その日は六層へ降りる前にキャンプを張ることにする。ナビル、ハリー、アルバロの健全若手組は、食事を囲みながら今日の反省と明日からの戦術を話し合っていた。アントニオはキャンプの端で刀を研ぎながら、まだ何かへぶつぶつ文句を言っている。あいつは放っておこう。悔しがっているうちはまだ伸びる。


 変化が見られたのはエリーだった。イニゴに、戦闘中に治療した右足の様子を見せてほしい、と頼んでいる。


 負傷部位の診察は神官にとってただの治療行為だ。だが富士宮は見逃さなかった。イニゴの鍛えられた太腿へ触れた時、エリーの瞳の奥で、微かに揺らぐ感情の種が芽吹き始めているのを。


 いい傾向だ

 イニゴとエリーはさっさとデキて欲しい

 とはいえ今は迷宮攻略の真っ最中だ

 この狭いキャンプの中で事を起こすのはやめてくれよ


 と富士宮はイニゴを見つめる。しかし当のイニゴは、不思議そうな表情を返してきただけだった。


 イニゴ、そんなんだから女日照りなんだよ

 でも、そういう鈍さが逆にエリーにはちょうどいいのかもしれない


 富士宮はそんな矛盾した感慨を抱きながら、ここまでおおむね予想どおりに攻略が進んできたことへ満足感を覚えていた。

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