黒雷組の成長?
夜会というのは、どこの世界でも面倒なものらしい。富士宮ひとみは、王都中心部にある侯爵家の大広間を見回しながら、そんなことを思っていた。
高い天井にぶら下げられたシャンデリアが無駄に眩しい。壁には金と銀の装飾がこれでもかと貼りついていて、床は磨きすぎて逆に滑りそうだ。集まっている貴族たちも、男女問わず絵に描いたような社交界仕様で、笑っているのに目が笑っていない者がわんさかいる。
富士宮は、こういう場所をめんどくさいと感じてしまい仕方ないが、社交の必要性は理解しているつもりだった。
王都地下迷宮へ潜るためには、王国騎士団上層部の複数決裁がいる。その人脈を作るために、宮廷代理人のトーマス・トゥヘルと共に度々社交界に顔を出しているのだ。
富士宮が今夜まとっているのは、聖女用として用意された濃紺に近い紫のドレスだ。肌の露出は控えめなのに、一つ一つの動作がよく映えるように計算されて仕立てられている。教会が求める神秘性と、貴族社会が勝手に見出す気品を両立させた、たいへん使い勝手の良い衣装である。
そして、その少し後ろに控えるのがトーマス・トゥヘルだった。金髪碧眼で、よく見ると整いすぎている顔。だが美形を押しつけてこない絶妙な風貌。さらに本人の物腰が穏やかで礼儀も自然だから、近づいた相手に嫌味を与えにくい。
この世界、金髪イケメン自体は珍しくない。でもトーマスはその中でもちゃんと頭が良くてちゃんと空気も読めるマトモな個体だ。前世もそうだったが、マトモな奴というのは存外に少ない。
もっとも社交界というものは、その程度の才能だけでは務まらない。トーマスも案の定、最初の頃は軽く見られた。
初めてのパーティで話しかけてきた伯爵家の次男など、あからさまだった。
「聖女様の代理人、とのことですが」
にこやかだが、口調にうっすら棘がある。
「こうした席は慣れておられますかな?」
意訳すると「場違いでは?」と言われているのだ。富士宮は横で聞きながら、内心で軽く眉をひそめた。
出た出た
こういうマウント
テンプレすぎて眠くなるわ
だがトーマスは、まるでそれが当然の挨拶であるかのように微笑んだ。
「未熟者ではございますが、今夜のような華やかな場にお招きいただけたことを、大変光栄に思っております」
その柔らかい返しに含まれる声音は、媚びすぎ模せず、だが角も立てない絶妙な柔らかさと芯を兼ね備えていた。
「それに、私は慣れているかどうかより、ここで何を学び、何を持ち帰れるかを大事にしたいと考えております」
その次男は少し目を細めた。
「ほう」
「貴族社会の洗練された礼節や、皆様の築いてこられた関係の深さは、外から見ているだけではわかりません。ですから、今夜は一つでも多くを学ばせていただければと」
謙虚なようで芯は折らず、相手を立てつつ自分を下げきらない。非常にいい返しだ。
しかも富士宮には今、トーマスの内側で【リヴァイアサン】が静かに仕事をしているのがわかる。派閥形成行動を取る時の補正極大の効果が、この場で敵を作らず、しかし印象には残るという動きを確実に実現させていた。
今日のパーティでも似たようなやり取りが続いた。侯爵家の年嵩の婦人には、地方の教会事情を上手く話題へ織り込んで関心を引いた。若い騎士たちには、武より補給や兵站の方が戦局を左右することもある、などと少しだけ現実的な切り口を出して、「ただの顔のいい若者」ではないことを印象づけた。
しかもすごいのが、記憶力だった。一度紹介された名と家名を、ほぼ即座に記憶する。しかも家同士の姻戚関係や最近あった小競り合いの噂まで、短い会話の中から整理して頭へ入れていく。
富士宮はやや後方からその様子を見て、心の中で拍手した。
すごいすごい
やっぱり政治系統URは格が違うわ
まだ本格育成前なのに、社交界の空気を吸わせただけでこの適応力
やばくない?
途中で富士宮自身も数組の貴族へ挨拶することになった。最初は遠巻きに見ていた者たちも、近づいてみればやはり神秘的な美人聖女の威力はすさまじいらしい。あまり興味がなさそうだった老侯爵ですら、鑑定眼の話を少し匂わせただけで食いついた。
「お噂はかねがね」
「一度、ぜひ拝見したいものですな」
はいイチコロ
人間ってほんとわかりやすい
富士宮は内心で冷静にそう思いながら、表面上はどこまでも静かな笑みを浮かべた。
「機会がございましたら」
低い声でそう答えるだけで、相手の方が勝手に期待を膨らませてくれる。聖女とは何とも便利な立場だ。
そして今夜もっとも大きかったのは、王国騎士団の補給部門に顔の利く男爵家当主と繋がれたことだった。その男は、典型的な宴会好きの中年貴族で、酒と馬と賭け事の話を延々としていそうな顔をしていた。だが実際には意外と聡明で、騎士団上層部の誰に話を通すと早いかをよく知っている類の人物だった。
最初の取っ掛かりは、トーマスが作った。
「地下迷宮というのは、やはり騎士団内でも扱いが難しいのですね」
何気ない世間話の流れの中で挟んだ一言だった。それに対して男爵は少し肩をすくめた。
「難しいとも。何せあれは古くからの利権が絡む。賢者どもも口を出すし、騎士団も出世競争の道具にしたがる」
「実力があっても簡単には入れないとか?」
「当然だ。実力より身元、身元より後ろ盾だよ」
そこで富士宮が静かに口を開いた。
「その後ろ盾を、教会が担うことは難しいのでしょうか」
男爵の目が、わずかに揺れた。富士宮は気づかぬふりで続ける。
「王都の安寧を願う者として、地下迷宮の脅威を見過ごすのは本意ではありません。もし、適切な手続きと理解ある方々の助力が得られるなら、私どもも貢献できることがあるかもしれません」
男爵はにやりと笑った。
「……なるほどな。話くらいは、繋げられるかもしれんな」
よし
富士宮は胸の中で小さく拳を握った。
*
――数日後、今度はエリー・カーペンターの矯正教育が本格化することになった。
ヒーラーとしては普通に優秀なのだが、エリーの本領は【サキュバス】の運用を確立して初めて発揮される。しかも最終形態【光の大神官】へ至れば、回復、高火力、近接対応を一人で成立させるという意味不明な万能ユニットになる。
だから富士宮としては、できるだけ早く男と関係を持つことへの心理的障壁を下げたいと願っていた。
しかしエリーは、思っていたよりずっと純情だった。とにかく、驚くほど男慣れをしていない。男性からちょっと褒められるだけで赤くなるし、訓練中に手がわずかに触れただけで呼吸がおかしくなる。
そこで富士宮は方針を変えた。段階的に男慣れを積ませることにする。まずは会話、次に複数人の中での立ち居振る舞い、最後に他の従者との模擬戦。いきなりベッドインを前提にするのではなく、少しずつ心理的ハードルを削るのだ。
だが、事はそう上手く運んでくれない。イニゴとハリーを相手に、軽く自己紹介を交えた会話の練習をさせた時のことだ。
「え、ええと、わ、私はエリー・カーペンターと申します……っ」
ここまではまだ良かった。
「今後、皆さまとご一緒に……し、使命を……ま、全う……」
声がだんだん小さくなる。イニゴが落ち着いた声で「そう緊張しなくていい」と言った瞬間、なぜかエリーは顔を真っ赤にして固まった。
別の日、ナビルとハリーを相手に、護衛組の装備について感想を言う練習をさせた時もだめだった。
「そ、その軽鎧、お似合いです……」
ナビルへ言った直後、自分で恥ずかしくなって俯く。ナビルが「ありがとう」と笑うと、さらに赤くなる。
いや別に口説かれてないから
これ、普通の会話だから
富士宮は横で見ながら、こめかみを押さえた。
だが幸い、回復役としての適性そのものは本物だった。護衛組の模擬戦へ参加させると、エリーは極度に恥ずかしがりながらも、仕事となるときちんと回復役をこなせた。この辺は地方の危険地帯で叩き込まれたのだろう、実戦を知っている動きだった。だから護衛組からの信頼は、思ったより早く得られた。
ナビルは「……有能ですね」と素直に評価し、ハリーは「いてくれるとすごく安心します!」と明るく言った。アルバロも、回復役が一人いるだけで前に出やすくなるのか、七属性魔法の使い方に余裕が見え始めていた。問題は、エリー本人が毎回ちょっとしたことで真っ赤になることだけだ。
ある日の訓練終わり、模擬戦で少し足を滑らせたエリーをイニゴが自然に支えた。
「危ない」
イニゴが低い声で短く告げる。それだけで、エリーは完全に固まった。手首を支えられたまま、目を丸くして、頬から耳まで真っ赤になり、声も出せない。イニゴの方は、何が起きたのか分かっていない顔である。
「……大丈夫か?」
「は、は、はいっ……!」
エリーが裏返った声で答える。その場にいた全員が、微妙な沈黙に包まれた。富士宮はそれを見て、思った。
あ、これだ
この形ならいけるかもしれない
別に恋だの愛だのから始めなくてもいい。イニゴは大人だし、距離の取り方もうまい。エリーみたいな純情寄りの子には、むしろあの自然と頼りになる年上感が合うのかもしれない。そうすると、下手な小細工はしないで、イニゴとエリーの仲が自然と深まるのを見守った方が早いなと聖女は考え、結局いつも通りの訓練に励む護衛組を見学することになるのだった。




